諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「他人に対する基本的無関心」から「絶対にそれだけは選んではいけない選択肢」が選ばれるジレンマについて。

1960年代から1960年代にかけて全盛期を迎えたヒッピー運動は、当時の黒人公民権運動とほとんど共闘する事がありませんでした。

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*むしろ「白人と黒人の共闘」を主張する路線は「白人の落第生」ゆえに1970年代ハリウッド業界に君臨した南イタリア系移民の提言を契機に始まった感すらある。そもそもカソリック教徒たるアイルランド人やイタリア人やフランス人やオーストリア人やポーランド人、および共産主義者ギリシャ正教徒だったりするロシア人などは絶対にWASP(White Anglo-Saxon Protestant)の一員として認めてこられなかったのが「白人至上主義」の歴史。ましてや人類学的には同じコーカソイド(Caucasoid)に分類されるアラビア人やイラン人やインド人に至っては…(以下自粛)。

この事への後ろめたさが米国リベラルの「黒人運動急進派の主張の(詳細の吟味を省略しての)盲目的容認」の裏側にあるとも。そしてこの心理には彼らに本気で寄り添おうと考え続け「もはや我々は白人と相応には平等な存在となったのだから格差是正措置(Affirmative action)も廃止すべし」と主張するまでになった黒人リベラル層(黒人運動急進派からBlack Establishmentと蔑まれる中産階層以上のインテリ=ブルジョワ層。黒人全体の1/4以上を占めているとの統計結果がある)を、黒人運動急進派の主張だけを真に受けて「貴様らこそ我々の真の敵たるUncle Tomだ」と弾劾するカルト狂信者に追い込んでしまった側面もある様なんですね。どうしてこうなった?

(おそらくストリート・ギャング系背景を有すると目される)黒人男女が白人の知的障害者に対する拷問を実況中継。これを擁護する形でとある黒人運動急進派のメンバーがネット上でこんな声明を発表した。「社会的弱者たる我々が絶対悪たる白人の弱者しか攻撃出来ないのは当然の摂理。白人がまがりなりにも人道主義者や人種的平等主義者を名乗り続けたければ、自ら喜んで女子供や障害者を歴史的に虐げられてきた黒人からの復讐の矢面に立て、歓喜しながらその事による犠牲者の数を世界に向けて誇るくらいでなければならない」。

  • この現象については、黒人運動急進派からBlack Establishmentと蔑まれる黒人リベラル層による解説が最も適切だったと私は考えている。「男尊女卑や身障者に対する虐待の正当化を要求するのは黒人文化というよりストリート・ギャング文化の影響なのだ。絶対に認めてはいけない。」。そして「身内の恥」たる彼らを速やかに逮捕した黒人市長を礼賛。こうした体制擁護寄りの動きに対して黒人運動急進派メンバーはさらに「黒人はまず身内にを装って人種的団結を阻む裏切者を皆殺しにせよ!!」と息巻いた。
    *米国ストリート・ギャング文化については、日本の反体制運動家にも根強いファンが存在する。だから多目的トイレに「(健全な若者より身障者福祉を優先する)アベ狂信者の寄生虫は死ね!!」といったニュアンスの落書きがされたり、あえて点字ブロックを塞ぐ様な占拠デモが流行したりする。当事者の言い訳はこんな感じ。「圧政に苦しんでる健全な青少年より優遇されてる奴等なんて、みんな揃って絶滅収容所送りにすべき特権階級の一だろ?」。まさしく文化大革命当時の紅衛兵の主張と同じで、毛沢東はこうしたイデオロギーが容易く(老人が牛耳る)既存体制打倒に向かう事を看過し彼らを下放によって壊滅させた。日本におけるSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)にも同様の展開を辿った側面があったのではあるまいか?

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  • だが、そもそもこうした黒人間分裂を生み出したジレンマにそもそも最初から無関心だった白人リベラル層は、平然と「弱者たるマイノリティの主張には必ず相応の合理性が存在する」と擁護。「もはや米国リベラリズムは何一つ守ろうとしてない」なる弾劾を集中的に浴びせられる最近の展開を迎える事になったのだった。
    *まさに如何なるニュアンスにおいても「チェックメイト」状態。

    米国研究者にとって「リベラリズム」と「リベラル」は似て非なる概念である。

    • リベラリズム」とは「自由主義」を指し、大英帝国専制君主に反旗を翻して独立を勝ち取った米国にとって、まさに国の根幹となる思想である。

    • それは欧州の政治的伝統を織りなしてきた三つの思想のうち、「貴族主義」と「社会主義」の二つを否定することを意味する。すなわち、特権階級や巨大政府による支配のいずれをも拒み、政治的・経済的に独立した自由な市民(デモス)による統治を重んじるということである。

    • そして、その自由主義の枠のなかで、より強固な自由を求めるのが米国流の「保守」であり、政府による一定の介入を求めるのが米国流の「リベラル」ということになる。


    具体的には、「保守」とは、

    • ① 自由な市場競争を重んじること(=規制緩和、減税、民営化、自由貿易の促進など)

    • ② 地域や教会を中心とした自治の伝統を重んじること(=政府主導による制度や規範の形成を拒むこと)

    • ③ 国際社会における自国の行動の自由を重んじること(=国際機関や他国によって米国の利益を左右されないこと)の三つを意味する。

    順に、①経済保守、②社会保守、③安保保守とも称され、ティーパーティー(茶会)、エヴァンジェリカル(福音派)、ネオコンなどは、①〜③の中の強硬派として日本でもよく知られている。逆に「保守」の合わせ鏡である「リベラル」とは、

    • ① 政府による一定の市場介入を是とすること(=規制・監査・監督、累進課税、公共事業、社会福祉環境保護保護貿易への指向性が高いこと)

    • ② 社会的な少数派や弱者の権利・支援を是とすること(=積極的な差別是正措置の推進など)

    • ③ 国際社会や他国との協調を是とすること(=対話や交渉を重んじること)。


    繰り返すが、これらの違いは、欧州の政治的伝統からすれば、あくまで「自由主義」の枠のなかでの「右」と「左」の違い、いわば「コーク」か「ペプシ」の違いに過ぎない。「リベラル」の根底にあるのは、「自由は尊いが、自由放任主義は人々をかえって不自由にしてしまう。それゆえに公権力による一定の介入は認められる」とする考え方である。それは「保守」の側からすれば「そうした介入は公権力の肥大化を助長し、人々を不自由に陥れる。まさに社会主義であり、極めて非・米国的だ」ということになる。

    実際には、こうした図式に綺麗に整理できない事例や政治家が多いのは確かだが、この対立軸を基本に考えてゆけば、それなりに理解可能だ。米国政治の現実には幻滅する面も多々あるが、「自由主義」という共通の土俵の上で、「保守」と「リベラル」がいかに言説を支配してゆくかというゲームそのものは、さながら生きた哲学の教材に触れているようで面白い。

    ――脱原発であったり、反安保であったり、争点によってはリベラルな勢力が健闘しているのでは?

    存在感は一時的に示せたかもしれませんが、結果は出せてませんよね。脱原発は実現するどころか政府は推進に向けて舵を切っているし、安保法案も通ってしまったし、今夏の参院選では3分の2も取られてしまった。

    政治学者の山口二郎さんと先日、東浩紀さんが運営するゲンロンカフェで話したんですが、その際山口さんは「歴史的に見てリベラルは不満を糾合しブームを起こすところまでは行くけれど、統治の論理を持っていない。時間軸で見ると政治は多くの時間保守が担当して、たまにリベラルが担当する。リベラルの天下は長くは続かないので、その短い期間にどれだけ物事を変えられるかが重要だ」ということをおっしゃってました。

    そして、ネット上の争いになると、リベラルは99%負けるんです。リベラルが「多様であることがいい」「多文化であることがいい」と訴えると、保守派の言っていることも「そういう言論もありだ」と認めなきゃいけないから。でも、保守派はリベラルの主張を認めないですから、その点がそもそも非対称なんです。それをわかった上で保守派と同じ土俵で真っ向から対決すると、今度は「リベラルの欺瞞」と責められる。対等な土俵が存在しないという意味で、よほどのことがない限り、ネット上の論争で勝つことは難しい。
    カタルーニャ住人の過半数以上は独立反対派だが「カタルーニャ独立投票」に際しては、世界中のマスコミが「何も考えてない茫漠なマジョリティに過ぎない」彼ら(最初から非合法選挙会場に足を向けなかった層)の意見を完全黙殺するどころか「売国奴」として基本的人権たる表現の自由生存権すら認めなかった。

    *「左翼のナチズムに対する勝利」はこういう形でしか達成され得ないのかもしれない。そもそも「(事実上の共闘によって社会民主党SPD)を倒した)ナチズムの左翼に対する最終勝利」はそういう形で確定した訳だし…

こうした歴史的展開から次第に明らかになってきた事。それは「自由主義放任に警鐘を鳴らし、政府による干渉の後押しを通じて成立した)米国流リベラリズムにナチズムやファシズム全体主義の暴走)への警戒心は存在しない」という事かもしれない。その一方で彼らは、ただ単に自らが同種の暴走状態に陥りつつあるばかりか、自らのこうした「輝かしい軌跡」を否定する自由主義的抵抗の一切についてナチズムやファシズムのレッテルを貼らずにはいられない脅迫概念にすら囚われている。
*韓国が民主化した1980年代後半まで日本のリベラリズムは「絶対悪なる韓国など完全黙殺が正しい」という態度を貫いてきた。今日では微修正が加えられ「(相変わらず韓国の実態についての関心は皆無だが)その主張については脊髄反射的に正義と受容出来なければ一族郎党もろともナチスファシズム」という形に。いずれにせよそこには、米国リベラリストの黒人問題に対する関心同様に「現実を現実なりに理解しようとする真摯な態度」など、一切見受けられないのであった。そして自らが略奪や強姦や身内の殺害の犠牲者になった途端、一切の黒人に表現の自由生存権すら認めない極端な形での人種差別主義者へと変貌するが、別にだからといって自分がリベラリストであるという確信が揺らぐ事はない。そういう形でナチズムやファシズムといった極端主義のイデオロギーは加速していくのである。

*欧米メディアは、ロンドン暴動(2011年)に際しても、それに「(植民地時代における大英帝国の暴虐の反動としての)ジャマイカ系移民に対する優遇措置」が産んだ歪みの暴発という側面があった事を認めている。興味深い事にこの時は「暴徒に対する不寛容」を一般のジャマイカ系移民と英国人が共有した事が事態の早期解決に結びついた側面も。

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*当時この事件を国際SNS上の関心空間上から眺めていたから、その思いが余計に強い。この空間には当時から既に「(Black PantherやNation of Islamの末裔を自称するストリート・ギャング紛いの連中が集まってAmerican Anachisut集団からまで敬遠されていた)黒人運動急進派」に公論上から追いやられたBlack Establishmentの梁山泊といった側面が存在し「奴等にイデオロギーなんてないよ。真面目に働く事に魅力が感じられず、もっと良い目が見たいだけなんだ」「結局、ドサクサにまぎれて破壊と略奪を楽しみたいだけなんだな」と辛辣なコメントが並んだものである。(そうした連中の扇動のせいで)しばしば暴動や近隣商店街の略奪に発展したBLM(Black Lives Matter)運動に対する態度が冷淡だったのも当然予測範囲内だった。

しかしながら困った事に米国ヒッピー世代は相応の「成功体験」も重ねてきたのです。 

(「第二次世界大戦敗北に至る大日本帝国の暴走」の反動として戦後生じた)日本リベラルの「中国人や朝鮮半島出身者に対する配慮」にも似た様な側面が存在するのかもしれません。実際に中国人や朝鮮半島出身者が擁する感情は「超大国アメリカに隣接するカナダ人やメキシコ人のアンヴィバレントな感情」に近く、ちゃんとそうした現実を踏まえれば相応の形では解決可能な問題なのに、彼らに「問題を根本から解決しようと考える真摯な姿勢」が欠けているばっかりに「絶対にそれだけは選んではいけない選択肢」が選ばれて全てが破局に向かう典型的パターンとも。
慰安婦問題に関して韓国人は「日本人が未来永劫莫大な保障金を支払い続け、世界中に謝罪し続ける」以外の解決方法はないと考える様になったが、その行動様式は第一次世界大戦後に「ドイツに対する戦勝国」となったフランス人にルール占領事件(1923年)まで起こさせた心理と重なってくる。一部半日急進派の掲げる「日本人は一刻も早く一人残らず殲滅し尽くすべき先天的ナチス民族(むしろヒトラーNSDAPなんて所詮は似非に過ぎず、日本民族こそが数千年前から本質的にナチスであり続けてきた本物)」なるスローガンも、実は韓国人や北朝鮮人の主張する「我々こそが(国連も認める)世界史上最も虐げられてきた民族である」なる現実離れした主張と表裏一体にあり、フランス人のドイツ人に対する感情と特別な違いは見出せなかったりする。ちなみに、これと対になる「ドイツ人のフランス人に対する感情」は「日本人の韓国人や北朝鮮人や中国人に対する感情ん」同様、別にそれと表裏一体の形で形成されてきた訳ではない。そもそも「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代後半)に世界史を動かす原動力として機能した近代国家間の競争意識」が各国における近代国家成立以前まで遡ると考える方がよほど空想的なのである。

問題の背景にあるのが、あくまで「人道主義とナチズムやファシズム」といったイデオロギー対立ではなく「極端主義の急進派と漸進主義」みたいな具体的方策の積み重ね(およびそうした現実を評価する姿勢の熟成)の遅れにあるという理解抜きに、この状況は決して突破出来ないのですね。