諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「総力戦体制時代」から「産業至上主義時代」へ③ 白土三平の階級闘争からデビルマンの無限闘争へ

連合赤軍に参加したテロリスト達の群像劇である山本直樹「RED」は、ヒッピー文化にも如実に表れた「サド侯爵の悪の哲学」すなわち「誰もが既存秩序からの無制限の解放を心の何処かで渇望しているが、実際にその夢が実現した際に顕現するのはカリスマ教祖が自由意志を放棄した信者を玩具の様に使い捨てる弱肉強食の世界である」なる思考様式の顕現を余すところなく描き出します。

f:id:ochimusha01:20171202002114j:plain
革命による平等の実現」を声高に叫び、多くの女性を参加者に迎えながら、彼らの実体は(親世代より、ごく少数の大卒者が政治的エリートとして君臨していた戦前秩序の雰囲気を継承した)ごく少数のイデオローグと(戦後教育が進学率を急増させた事により自分達も政治的エリートの末端に加わる機会を奪われたと激怒する)熱烈な信者の共依存に過ぎず、また具体的な男女不平等を解消する必然性さえ認めていなかったというのです。
*まさしく国際的に「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマが表面化してくるプロセスそのもの。「ポルポト政権(1976年〜1979年)によるホロコーストの表面化」「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」「中越戦争(1979年)」などがあった時代でもあった。

*それは竹宮恵子がこういった混迷状態に陥った政治活動に見切りをつけ、少女漫画家に専念する決意を固めた時代でもあった。

  • 皮肉にも同時代、この「サド侯爵の悪の哲学」を日本に紹介したフランス文学澁澤龍彦が「悪徳の栄え事件(1969年)」で裁かれ「御前こそがこの危険思想をこれから日本に広めようとしている悪のイデオローグだ」と人格攻撃を受けている。同年に流れたテレビCM「オーモーレツ」がスカートめくりを流行させたのに「ハレンチ学園(1968年~1972年)」で便乗した永井豪がメディアやPTAに「御前こそがスカートめくりを日本中に広めた悪のイデオローグだ」と人格攻撃されたのと全く同じ構造であり、全く同じ精神構造からよど号ハイジャック事件(1970年)の犯人は「我々は明日のジョーである」と宣言し「山岳ベース事件(1971年)」を起こした連合赤軍メンバーは「皆で殴り冬山に裸で放置するのが総括であり、それで死んだ奴は最初から敗北主義者」という結論に到達して互いに殺し合ったのだった。日活ニューアクションの制作者達は「実写版ハレンチ学園四部作(1970年~1971年)」の結末を「ハレンチ戦争を生き延びた"自由を渇望する"若者達にはもう海外逃亡以外の道は遺されていなかった」とする事でよど号ハイジャック犯を擁護し、マスコミは必死になって「山岳ベース事件(1971年)」や「あさま山荘事件」に関して犯人側にとって不利な証拠を隠滅しつつ「(多少の行き過ぎこそあったものの)"自由を渇望する"彼らの純粋さと正統性まで穢された訳ではない」というプロパガンダを展開したが、それによってかえって新左翼運動への嫌悪感が世に広まっていく事になったのだった。

    f:id:ochimusha01:20171202002351j:plainf:id:ochimusha01:20171202002705j:plain

    f:id:ochimusha01:20171202002528j:plainf:id:ochimusha01:20171202002612j:plain

  • その詳細が語られる事はなく、また影響を受けた女性の証言が特に挙げられる事もないが、松本零士は少女漫画からキャリアを開始し、やがて女性漫画家に追い出されたと述懐する。その後青年誌に「セクサロイド(1968年~1970年)」を連載するが、そこに描かれた価値観は完全に上述の枠内に留まっており、今日では読むに耐えない(逆を言えばサド文学同様、むしろその平凡性こそが時代証言として貴重という見方も出来る。実際、当時描かれた「キャプテン・ハーロック」のプロトタイプも「女子供だって容赦なく虐殺する無差別テロリストだが、その偉大さは疑う余地もない(というより「キャプテン・ハーロック」という称号自体が偉業を継承する看板に過ぎず、その名において犯された罪は全て当代に帰せられる)」といった今日では考えつかない様なものだったりする)。ただし「投獄され、その妄想のぶつけ先が著作物しかなくなったという特異性を除けば全く平凡なリベルタン=頽廃した放蕩貴族(澁澤龍彦」に過ぎなかったサド侯爵と異なり、松本零士にはメカと美少女を思わぬ形で織り込んだ独自のSF的ビジュアル世界を創造する非凡な才能があり、これによって「宇宙戦艦ヤマト(TVアニメ1974年〜、劇場公開1977年〜)」や「銀河鉄道999(1977年〜1981年)」などで歴史に名を残す事になるのだった。

    f:id:ochimusha01:20171202003021j:plain

  • その一方、冷静に考えてみると白土三平が親の代から受け継いできた「差別との抗争史観」は、こうした浮ついた世相とは一線を画す筋金入りの理論であった。しかしその事実が理解されないまま彼は1960年代後半を導くイデオローグとして称揚された一方で,1970年代に入ると「最初から間違っていた」というレッテルを貼られ、あっけなく投げ捨てられる羽目に陥ってしまったのだった。とはいえそれはマルクス史観の限界でもあったので、網野善彦がフランスのアナール学派の影響も受けつつ「支配階層たる武家とも定住民たる農民とも異質な漂流民が歴史を動かしてきた」とする所謂「網野史観」樹立に向かった様に、白土三平も「自由を渇望する解放闘争」を神学のレベルに高めるべく、原始狩猟採集社会の価値観を色濃く遺す古代ギリシャ悲劇の研究に邁進していく。

    f:id:ochimusha01:20171202003953j:plain

    こうした雌伏活動が再びエンタメ業界のトレンドと再び結びつくのは1980年代後半以降、すなわち荒俣宏帝都物語(1985年)」、隆慶一郎影武者徳川家康(1986年~1988年)」「吉原御免状 (1986年)」「かくれさと苦界行 (1987年)」「一夢庵風流記(1988年~1989年)」、宮崎駿もののけ姫(1997年)」といった作品が世間を賑わす様になってからだが、そこに白土三平の姿はなかったのである。

では当時、実際に次にやってきたのは一体何だったのでしょう?

  • 若者の新左翼運動に対する失望」は日本だけの問題ではなかったらしく、英国ハマープロは「もはや世界と自分を救うには通常の手段に頼っていられない」と豪語する若者達が悪魔主義者となってカルト教団を組織しドラキュラ伯爵を現代に復活させる「ドラキュラ'72(1972年)」を発表した。久し振りにクリストファー・リーピーター・カッシングが共演した話題作だったが、その程度ではTVで満足する様になった視聴者を劇場に呼び戻す事は出来ず、以降映画界は「(TVでは放映出来ない様な)エロやバイオレンス」を売り物にするか、それまで黙殺してきた黒人やアジア人に働き掛けるしかなくなってしまったのだった。

    f:id:ochimusha01:20171202010107j:plainf:id:ochimusha01:20171202010136j:plainf:id:ochimusha01:20171202010228j:plain


  • 日本では「ハレンチ学園」を徹底利用された永井豪が「デビルマン講談社週刊少年マガジン連載)」を発表。「仮面ライダー(1971年~1973年)」の仮面ライダー、「好き!すき!!魔女先生(1972年)」のアンドロ仮面と並んで変身ブームの一翼を担った事が後世まで強い影響力を遺す。

    f:id:ochimusha01:20171202010637j:plain

    現代人の目からすれば「1960年代後半に石ノ森章太郎が執筆した少女向け劇画が1970年代初頭の変身ブームの一翼を担い、その子供向けコミカライズを吾妻ひでおが手掛けた」とか「子供達を映画館に呼び込む為に同じ映画内でデビルマンマジンガーZが共演した」といった当時の世相も強烈だったりする。とにかくこうして現代まで続くアニメ・漫画;特撮界の「モダン・エイジ」は幕を開けたのだった。

    f:id:ochimusha01:20171202010602j:plain

    f:id:ochimusha01:20171202010826j:plain

    f:id:ochimusha01:20171202010804j:plain

    f:id:ochimusha01:20171202011127j:plain

    *「モダン・エイジ」…アメコミの歴史観ではヒッピー運動やニュー・シネマ運動の影響の色濃かった時代までをブロンズ・エイジ、それ以降をモダン・エイジと呼び分ける。X-Menウルヴァリンが人気キャラとなった1975年前後を境界線と考える事が多いらしい。

    f:id:ochimusha01:20171202010358j:plain

当時の学生運動家は、こうした時代の変遷を「政治から快楽へ」と要約。だがそれは「(決して目を逸らしてはならない)事象の地平線としての絶対他者」にあえて背を向ける行為だったのかもしれません。

むしろ現実は「次第に手に負えなくなる恐怖に屈っして封じ込めに走った」が正解だったとも。かくして肝心の総括が無期延期状態に…
*まさしく大友克洋AKIRA(1982年〜1990年)」のこの台詞?

f:id:ochimusha01:20171202012238j:plainf:id:ochimusha01:20171202012757j:plain

米国の様に「ロックは商業主義に屈した」といった問題意識すら芽生えなかったのが問題だったとも? いや相応の形では「反省」もあった?

栗本薫 - Wikipedia

1979年に刊行された『真夜中の天使』は、1975年にTBSテレビで放送された沢田研二主演のテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』の男性登場人物たちの関係性に触発され草案を練ったものだという。現在のボーイズラブに繋がる源流的な作品として、ジャンルの創始に一役買った作品でもあるとされる。

そういえば当時は「角川ピカレスク・ロマン」全盛期でもあった?

このオーバードライブ感こそ当時の精神の象徴? 実は「行き止まりの挽歌(1981年)」「キャバレー(1983年)」「真夜中の鎮魂歌(1986年)」といった栗本薫のハードボイルド小説にもその片鱗が…

いきなりジャズ。問答無用でフィルム・ノワール…ちなみにアメリカではフランク・ミラーがこの路線を独自に継承。

個人的にはこの 時期の日米の「抑え切れない暴走感」を韓国流に独自発展させたSeo Taijiの世界観も好きだったりして。

RemixといえばRemixなんだけど、逆にこんなアレンジって日本人や米国人には思いつかない…逆に2010年代のこっちの世界に繋がる?

これが破壊衝動と闇鍋的融合の加速だけが「事象の地平線としての絶対他者」を貫通し得ると信じられていた時代の総決算?