諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】哀しき「プラグマティズムの勝利」?

f:id:ochimusha01:20220210173728p:plain

そもそも米国プラグマティズムには科学実証主義(Scientific Positivism)に到達する前段階としての信念という側面がありました。

経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」とするイギリス経験論を継承し「信念とは、ある人がそれにのっとって行動する用意のある考えである」なる規定により哲学論から無用な意見を整理する基準を設け、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとした点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画したアメリカ合衆国の哲学である。

ただしし根本的出発点に「神が我々に解決不可能な課題を課す筈がない」と考える宗教的楽観主義が実存し、この事から様々な思考的制約も抱える事になった。

モチベーションとしては南北戦争(American Civil War,1861年~1865年)が露呈した米国人の分断を憂い「人間は究極的には分かり合える」という結論を導出したかったとも。

これまでの投稿では以下の感じで触れています。

そもそも「実用主義」「道具主義」「実際主義」とも訳されるプラグマティズムpragmatism)の語源はドイツ語のpragmatisch。実はそれは「(人間が認識可能な情報の集大成としての独Ding、英Thing)の世界「(その外側に「原則として」人類に不可知な形で拡がる物自体(独Ding an sich、英thing-in-itself)の世界」を峻別したイマヌエル・カントImmanuelKant、1724年〜1804年の超越論上の語彙で、観念論哲学史的には「(南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)に至った米国人間の不和を内省し神はこの世界を人力だけでは手に負えないすなわち改めて創造主の再登場とデバッグを必要とする様な欠陥品としては設計されてない」なる強烈な楽観論に立脚する宗教的信念を導入した点に最大の特徴があるのです。

ある意味、皇帝ナポレオンに対し「科学はその理論展開において神に言及する必要のない体系なのです」と説明したピエール=シモン・ラプラスPierre-Simon Laplace, 1749年〜1827年)と同じ立場に属するとも。

今回の出発点はこの投稿。

フリードリヒ・ルートヴィヒ・ゴットロープ・フレーゲ(Friedrich Ludwig Gottlob Frege, 1848年~1925年)は、ドイツの哲学者、論理学者、数学者。現代の数理論理学、分析哲学の祖とされる。1848年バルト海に面したドイツの港町ヴィスマールに生まれた。母のアウグステ・ビアロブロツキーはポーランド系である。はじめイェーナ大学で学び、その後ゲッティンゲン大学に移り1873年に博士号を取得した。その後イェーナに戻り、1896年から数学教授。1925年死去。

古代ギリシア(ギリシア哲学)のアリストテレス以来の最大の論理学者といわれる。革命的な「概念記法(Begriffsschrift,1879年)」を刊行し、アリストテレス以来2,000年変わらずに続いていた伝統論理学を一掃して論理学の新時代を切り開いた。今日の数学で定着している(任意の)や(存在する)のような量化はこのフレーゲの業績に基づく。

命題論理述語論理の公理化を最初に行った人物であり、特に述語論理はそれ自体がフレーゲの発明である(実際には概念記法は高階論理の体系であり、ラムダ計算の祖ともいえる極めて先駆的なものである)。

しかしそのあまりもの先進性、独創性ゆえに同時代にはその意義が十分に理解されなかった。彼の概念が広まったのはジュゼッペ・ペアノ(Giuseppe Peano,1858年~1932年)やバートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年~1970年)らに負うところが大きい。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein,1889年~1951年)とエトムント・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl,1859年~1938年)もまた大きな影響を受けた哲学者である。

ルドルフ・カルナップ(Rudolf Carnap, 1891年~1970年)はフレーゲの授業に出席しており、彼の(カルナップによればシャイな)性格について書き残している。

また言語哲学分析哲学の基礎を確立した人物の一人としても数えられる。「意義と意味について」における意味(独:Bedeutung, 英:meaning, reference)と意義(独:Sinn, 英:sense)の区別、概念対象との区別などで知られる。

数学は論理に帰着しうるとする論理主義の最初の主要な論客でもあり、彼の「算術の基本法(Grundgesetze der Arithmetik,1893年)」 は自然数論および実数論を論理から導こうとする企てであった。しかしラッセルが「算術の基本法」の公理系が矛盾を引き起こすこと(いわゆるラッセルの逆理)を発見して指摘したため、2巻の補遺にこの矛盾について認める文言が付されている。フレーゲ自身はなんとか矛盾を回避する方法を模索したが、フレーゲの修正案にも欠陥があることが1938年スタニスワフ・レシニェフスキStanisław Leśniewski, 1886年~1939年)によって示された。

フレーゲの体系に矛盾が生じた原因は、ながらく彼の第5法則に帰されてきた。しかし後にチャールズ・パーソンズジョージ・ブーロスリチャード・ヘックらによって、第5法則に訴えずとも、いわゆる「ヒュームの原理」から、矛盾を生む自然数論が導出可能であることが示された。これにより、近年ではフレーゲの論理主義を再評価する動きが強まっている。

これまで「論理学の近代史」についてちゃんと学んだ事がなかったので、大変勉強になりました(実際に理解するまではまだまだかかる)。こうした試行錯誤の結果誕生したのが術後論理演算原語Prologですが、20世末より始まった第三人工知能ブームの最中に改めて触ってみると確率論的揺らぎが扱えない事に大きな不満があります。

ちなみに私は「実用主義=実証主義」の起源をカンブリア爆発(Cambrian Explosion,5億4200万年前~5億3000万年前)にまで遡って考える立場なので、その「(経済的効用重視の)えげつなさ」に失望する事はありません。要するに「生命の進化」そのものの本質がそういうものと考えている訳です。

おそらくこの問題は「前後左右上下を峻別するデカルト座標の起源がカンブリア爆発Cambrian Explosion、葯5億4200万年前〜5億3000万年前)に左右相称動物(Bilateria)が視覚、および関連情報を処理する脊髄=中央情報処理器官(Central Infomation Processing Organ)や(これに連動して動作する)四肢に該当する諸器官をセットで獲得し「生物史上初の百獣の王アノマロカリスAnomalocaris、約5億2,500万〜約5億0,500万年前)が登場して滅んだ時点にまで遡り、その頃から今日に至るまでこのシステムが単なる数理としてだけでなく「生存競争に勝ち抜く為の諸努力」と不可分な形で結び付けて考えられてきた事に由来するのです。

一方、アノマロカリスに食べ尽くされて種として淘汰されたくないだけなら、四肢を備えずとも、などを備えるだけで良かった事もあり(人類がその後「マルサスの法則」や「ロジスティック方程式」といった形で再発見する)個体や集団の生存原理そのものはクラゲやヒトデの様な放射相称生物Radiata)が対等なライバルだった時代からそこまで徹底して変わってしまった訳でもなく、この事が生物の様式をそれまで以上に複雑化(多様化)させてきたといえましょう。

そんな感じで以下続報…