諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「右翼と左翼」定義を巡る誤謬④ 社会自由主義の正体は「私が自由」と詐称する反自由主義?

 大まかにまとめると「右翼と左翼の衝突が歴史を動かしてきた」政治的流れは少なくとも欧州史に実態がなく、むしろ実際には「数理の追求に専念する立場から人間の平等を要求する進歩主義への反感から「人間の不平等に意味を求める保守主義が誕生し、両者を一緒くたに敵視する立場から社会自由主義が誕生したというのが現実の流れらしいという事。

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そこでもはっきりと述べられている様に大日本帝国時代には、自由主義が右翼(軍国主義者)にとっても左翼(社会主義者)にとっても共闘して倒すべき絶対悪として認識されていました。「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ルールに従って、それがあまりにも容易く絶対主義に陥ってしまう事が警戒されていたせいです。

  • 実は同時代の産物たる社会自由主義(Social Liberalism)もほぼ同じ発想の産物。要するに社会自由主義の本質は「朕は国家なり」の向こうを張って「私こそ真の自由」と勝手に標榜し始めた反自由主義?

    そして現実の絶対主義が「新興産業階層などの弱小諸勢力が敵対諸国や大貴族連合や教会といった強大な既存勢力に対抗すべく国王を代表に選んだ状態」としてのみ顕現可能だった様に、社会自由主義にも「無名の弱小諸勢力の総代表として強大な既存勢力と対峙する」場合においてのみその正義が担保される側面が確実に存在した。

    ①状況として想定されるのは例えば「普墺戦争(1866年)に敗北して事実上ドイツ帝国の独立を許してしまったハプスブルグ家が生き残りを賭けてハンガリー貴族と手を結んだオーストラリア=ハンガリー二重帝国体制下における他の諸民族(主にスラブ系)の代表」や「英国系移民が生き残りを生き残りを賭けてオランダ系先住移民との和解を測った南アフリカアパルトヘイト体制下におけるそれ以外の諸勢力(主に当初は分断状態でそれぞれが複雑な対立関係にあった現地諸部族)」などだが、この2ケースでは不思議と誰もその立場を勝ち取る事に成功していない。
    *ここで注目すべきは「最大のマジョリティなのに領内の無数のマイノリティに頭を下げまくる生活を強いられる ハプスブルグ帝国のドイツ系市民のフラストレーション」がヒトラーを産んでしまった皮肉。最近オーストリアに「極右政権」が誕生し「オーストリアナチスに強制的に一方的に併合された被害者」とそれまで考えてきた日本のリベラル階層に衝撃を与えた。そもそも「スイスは非武装中立の手本」概念同様、こういう意味合いにおける「ヒトラーのナチズムの大源流はハプスブルグ帝国」なる国際常識がちゃんと伝わってなかった結果。

    アパルトヘイト(1948年〜1994年) - Wikipedia

    指輪物語The Lord of the Rings、1937年〜1949年)」の著者J・R・R・トールキン南アフリカ出身。実はそこに描かれた「諸王国共通の脅威に対抗する為にハイエルフやドワーフやエントや人類の連合軍が形成される景色」こそアパルトヘイト政策の原風景であり、だから「諸王国共通の脅威=闇の勢力」側には多数の黒人部族が加わっているし、オークやゴブリンといった戦闘部族はその多くが諸王国側の部族が魔改造された姿か、あるいはそれを模倣して創造された魔法生物という設定。

    *まぁアメリカのパルプマガジン発祥のヒロイック・ファンタジーの世界においてもアジアやアフリカの諸国はそういう描かれ方をしてきたので、J・R・R・トールキンがとりわけ人種差別的だったという訳ではない。また同じ南アフリカ出身のノーベル賞作家J・M・クッツェーの「夷狄を待ちながら(Waiting for the Barbarians、1980年)」はこうした伝統を逆手にとって「蛮族に滅ぼされていくローマ帝国的悲哀」を見事に描ききっている。

    *そう、この世界観においては「混沌の諸勢力」を束ねる「死人うらない師(Necromancer)」「一つの指輪(the One Ring)の作り主」「冥王(Dark Lord)」「かの者(the One)」「唯一なる敵(the One Enemy)」サウロン(Sauron、クウェンヤ(Quenya=エルフ語)で「身の毛のよだつもの」の意)こそが絶対君主的であり、彼に魔改造されたゴブリンやオーク達こそ「社会自由主義の為に戦う戦士」なる位置付けなのである。実際そのサウロンも当初は「マイロン(Mairon=クウェンヤで「讃むべき者」あるいは「卓越せし者」の意)」を自称し周囲からもそう呼ばれていたという設定になっている。

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    それにもかかわらず今日の社会自由主義陣営のセルフイメージは諸王国側というのが実に興味深かったりする。あんたらアパルトヘイトを倒した側じゃなかったの?

    *ちなみに「ロード・オブ・ザ・リング」でアラルゴンがエレヒの石から呼び出した死者達は「アラルゴンの先祖に非礼を働いた罪人」達。1970年代以降の左翼の歴史観では戦没者も「(当時日本唯一の良心だった)共産主義者に非礼を働いた罪人」という認識だから「まさに同じ!!」と感じたのかもしれない。

    *とにかく1970年代以降左翼陣営は旧左翼と新左翼の和解が成立し「差別との戦い」を最重要課題とする様になって大きく変質していく。五味川純平「戦争と人間(1965年〜1982年)」はまさにその端境期に執筆された点が重要。

     ②逆に「国王が(互いに向けた偏見が激し過ぎて対話も成立しない)国内諸勢力間の調停や(戦争を含む)外交問題を掌握する」なる観点自体は(7月革命(1830年)におけるブルボン家からオルレアン家への王統交代や皇帝ナポレオン三世第二帝政(1852年〜1870年)時代における産業革命導入に貢献した)サン=シモン主義もしっかり継承された。その一方で北欧やロシアにおいてはこうした機能を有する国王がある種の「国民統合が進む過程での共通敵」に設定されていく。
    *なら何時の段階で欧州においては「革命史観」が一般化するのか? 明らかにそこには歴史改竄の匂いが…

    ベネディクト・アンダーソンはハプスブルグ帝国やロシア帝国こそ「公定ナショナリズム」の起源とするが、調べれば調べるほど結果は逆効果だった現実しか浮かび上がってこなかったりする。

    ③ところで「我々はそれが先天的に備わってない日本民族の唯一の良心」とまで豪語していた全盛期の在日有識者達は、当時「その歴史的経緯から日本民族には自ら政府を営む資格が一切存在せず、国際正義も一刻も早く在日外国人問題の管轄と外交権の一切を我々に引き渡す必要があると要求している」とまで主張していたのである。
    *「差別」を主題に選んだ以上、左翼側の主張がそこまで極端化するのは不可避だったという分析も。

    そう、ある意味まさに彼らは「絶対王政社会自由主義」実現を志向していたのである。そう考えると「一切の差別と戦う革新勢力=在日」なる図式化、案外それほど的外れでも不正確でもないのかもしれない。
    *これに対して当時、エジプト出身のフィフィ女史が「エジプトだったらやがてお前らは皆殺しにされる」と不気味な予言をしていたのが印象的だった。実際、プトレオマイオス朝時代にギリシャ人統治者達が現場スタッフとして連れて来られ散々威張り散らしてきたユダヤ人達は、そのプトレオマイオス朝が古代ローマに滅ぼされるとあっけなく虐殺対象とされてエジプトから一旦一人残らず消え失せてしまう(その後、ほとぼりが冷めた頃に帰還)。要するに(英国人が東南アジア支配の為に連れてきた)ロヒンギャに対する虐殺と同根の展開。「太陽王」ルイ14生は臨終の席で「絶対君主には調停役として生き延びるか、悪人として処刑されるかどちらかの道しかない(国内外の衝突の調停に失敗しても、一人勝ちして自分だけ残っても問題の全責任を押し付けられる理不尽な立場)」なる遺言を残しているが、まさにそれ。
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  • 同時代むしろ逆に「信用に足る特定の個人だけに自由主義を許す」道を模索したのがスターリニズムであり、ファシズムであり、ナチズムだったともいえる。日本でいうと「我が国は天皇一人が市民の共和国」と主張していた皇道派がこれに該当するが、二・二六事件(1936年)が勃発すると昭和天皇は激怒。自ら大元帥の軍服に身を固め「朕自ら近衛師団を率いて此れが鎮定に当たらん 」と息巻く有様だったので「天皇一人が市民の共和国」は「市民0人の共和国」へと転じ粛軍人事を通じて統制派軍人と新官僚/革新官僚が実権を担う展開を迎えたのだった。
    *そう大日本帝国は少なくともイタリアにおいて国王がムッソリーニを、ドイツにおいてヒンデンベルグ大統領がヒトラーを渋々首相に指名する様な展開だけは回避し得たのだった。かといって以降の展開が飛び抜けて画期的なものとなった訳でもない。「全てはファシズムやナチズムの台頭のせい」と考える原因と結果を取り違えた思考様式はこういう事実を突きつけられるとたちまち思考停止状態に追い込まれてしまうのである。

ところで最大の謎。 「社会自由主義の成立」は一般に1930年代のアメリカとされているのですが、当時実際に米国で進行していたのは「アメリカ共産党の躍進」と「ソ連の計画経済を真似たともいわれる)ニューディール政策」。もうこの時点でこの界隈にも歴史改竄の匂いが漂っていませんか?