最近多用している「二直線間を結ぶ最短距離が直線とならないなら、そこに概ね認識空間の歪みが潜在している」なる数理ですが、考えてみれば以前の投稿における「対偶」概念をサブセットに含んでいるんですね。
その最新版がこれ?
母親の子育ての我慢を歌った『 #あたしおかあさんだから 』が物議を醸す→対抗して #あたしおか... (91 users) https://t.co/VjvNKYAjv6 40件のコメント https://t.co/2LL1WUyiZu pic.twitter.com/hiWzcLjl1U
— はてなブックマーク::Hotentry (@hatebu) 2018年2月4日
のぶみ氏がまた物議を醸していると聞いて調べてみたら #あたしおかあさんだから というタグと死にそうになるのぶみ氏作詞のだいすけお兄さん新曲が。「ヒールはいて ネイルして
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2018年2月4日
立派に働けるって強がってた」から始まるというもう死ぬしかない。そして子供産んだらオシャレを捨ててパートしてと続く。
#あたしおかあさんだから オシャレも我慢し子供の好きなものに合わせていくんだよ私お母さんだからと延々続く歌詞、もはや呪いの巻紙。相手のために相手のためにと自分をすり減らしていくと、いつか与えた相手からすり減った分の自分を取り戻さずにはいられなくなると言ったのは先週の特撮ガガガです。
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2018年2月4日
「となりの801ちゃん」も激怒の模様。
#あたしおかあさんだから に対する苛烈な怒りの半分くらいは朝夕育児に寄り添ってくれただいすけお兄さんに歌わせたところなんや。だいたくペアのおかげで晩御飯の支度ができたし、かぞえてんぐのおかげで育児生活の楽しみが一つ増えたんやぞ……
— こじま801 (@801_CHAN) 2018年2月4日
本当にもう、めっちゃ無理。売れるためのものを繰り返し読み聞かせてブラッシュアップさせて商品化するのは商売としては正しいんだろうけれども、感情を商売にされる当事者にとってはたまったもんじゃなさすぎるし、自分で号泣とか言ってて本当に死ぬほど無理。 #あたしおかあさんだから
— こじま801 (@801_CHAN) 2018年2月4日
そして座標転換の数理…こうして世界は「数理のみの世界」に向けて収束 していく?
#あたしおかあさんだから 逃げ恥のゆりちゃん風に言う、まさに「呪い」だなあ、これ。私は独身の時からネイルもヒールもハレの日だけだったし、二日酔いで仕事を休んでしまうこともあった。立派に働いていたかというと自信ないねえ。
— Izmi (@Izumi72) 2018年2月4日
母親になった今も、録画で好きなドラマとか我慢しないで見てるし、
起きてるときも子供番組だけなんてこともない。ママが見たいんだよ、って言うと通用する場合もある。食べ物も、子供に取られないように寝てる隙にポテチを食べたりもする。
— Izmi (@Izumi72) 2018年2月4日
子供の服を買うのも自分の服を買うのと似た感覚だし我慢もしてない。 #あたしおかあさんだから なんて考えたことない。
現代で「ぼくおとうさんだから」に変換して、同じような歌詞の曲は成立しないだろうし。(個々で頑張っているお父さんはもちろん存在するでしょうが)
— Izmi (@Izumi72) 2018年2月4日
せめてそれが成立するような社会になってから。話はそれからだ。
そんな中で、実際のママさん達が #あたしおかあさんだけど のタグで対抗してるの面白い。でも、これ読んでると、多くの「おとうさん」にとっては普通のことばかりが並んでるんだよなあ。
— Izmi (@Izumi72) 2018年2月4日
おかあさんだけ、わざわざ「だけど」っていう逆接の接続詞で対抗しなければいけないこと自体が、歪みの象徴よね。
おっしゃる通りですね。こういう流れを経てだんだん世の中がこれは変だと気が付き、変わっていくことを願うばかりですm(_ _)m手始めにお父さんがしてることをお母さんに真似して欲しいです。夫婦平等に。
— ココユキ@水彩画 (@yukinoko2020) 2018年2月4日
それにしてもこの作者…
のぶみ氏について「図書館の絵本を6000冊、1ヶ月で読み終えてた」(『暴走族、絵本作家になる』)との記載を読み、「図書館の開館時間が8時間だとして、30日間通ったとしても、2分半に1冊読んだ計算」と書いたことがあります。開館時間が長いのかもしれませんし、借りて家で読んだのかもしれませんが。 pic.twitter.com/szRnCO7SP6
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) 2018年2月5日
なんか変な感じの放送だったみたいだな。 「伊集院光が絵本作家・のぶみ氏を前に「元不良」への嫌悪感を訴える」 #ldnews https://t.co/dDhwk8YUoq
— すける (@sukerut) 2018年2月5日
一年くらい前の話かー。 https://t.co/Ghrd5jNSnz
— すける (@sukerut) 2018年2月5日
『「お母さん何言ってるの!?」僕がいじめられていたことや、悪さをしていたことをいくら話しても「あなたは忘れているの。」の一点張り。撮影現場は、変な空気になってしまいました』 / “情熱大陸の舞台ウラ! 絵本作家のぶみ 【ゆめを叶…” https://t.co/ldsAxYV21O
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
のぶみ氏はいじめられ経験がある元チーマー頭。ところが情熱大陸収録でいじめられ期にあたる小学校時代について、のぶみ氏の母は「みんなと仲がよくて友達が多くて」と事実に反する内容を話し、のぶみ氏が訂正しても「あなたは忘れているの」。これは怖い。この時点で震え案件なのだが話はここから。
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
後になって、のぶみ氏に母から理由がメールされてくる。
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
「テレビでいろんな人に知ってもらうのに、のぶみのマイナスイメージな面を見せたくなかった。だから、いじめられていたことや、悪さをしていたことを隠したかったのよ」
一番怖かったのはここ。いじめられたことも見せたくなかったというこれ
情熱大陸収録のころなら、もう、のぶみ氏が先程書いた通りの「いじめられ経験がある元チーマー頭の絵本作家」であることはプロフィールとして明かされ散々広まっていたはず。にもかかわらずTV取材で歴史を修正しようとする母。申し訳ないが最高に怖い。
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
いじめられ経験を息子はある意味ウリにし母は隠すという世代間プレゼン意識ギャップとかそんなレベルの問題じゃない。いじめられていたことはマイナスイメージになるから隠す、ばかりではなく虚偽を証言して息子のためと言ってしまう、わかります?私の感じてるすげー怖さ。言葉にならない
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
「あなたのためにはあなたじゃないあなたの方がいいと思ったからあなたじゃないあなたの話をした」というロジックの怖さ
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
真剣かつ稚拙に母子観・家族観が歪んでいる。それが垂直感染している。
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
あまりの衝撃に脳が疲れてきてるんで危険を省みず表層的にものをいうけど、結局、「おかあさん、ぼくに意識全振りしてほしかった、全部でこっち見てほしかった、世間映えする架空のぼくじゃなくぼくを見てほしかった」っていう……あれなんですかね……? めっちゃしんどいね……?
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
こんな地獄のような話があるかよ。そんでこの人の書いた呪いが売れる世の中なんだよ。こんな地獄があるかよ
— 九曜 (@navagraha_) 2018年2月4日
そういうことだったのか…お母さんにはそうあって欲しかったっていう願望が作品になっているのか。自分みたいな思いを子供達にして欲しくないのか。これはこれで泣きそうだぞ…誰も報われてないじゃないか(´;ω;`)せめて、そんな理想の母親なんかいらねぇし、母親も人間だし子供も人間だ!って叫ぼう
— Chris (@ChristynaTylor) 2018年2月5日
きっかけになれば「作り話」でもいいのか? 私はウソを真実であるかのように広げる行為は、動機の善悪によらずデマであり、社会悪だと思う。政党機関紙のトップコラムがこんなことをいうのは残念。 pic.twitter.com/0H8ZrM4Z3h
— 松崎いたる・板橋区議 (@itallmatuzaki) 2018年2月6日
こういうのは問題なんだよね。「いい話なら嘘でもかまわない」っていう考えはまずい https://t.co/CqsfJNpt0D
— きくT(2/10 ビッグアップル) (@kikumaco) 2018年2月6日
そしてさらなる「考察」が進行。
アンケート開始から数時間ですが、過半数は「親と遊んでいない」ですね…。今の時代はなぜか「親(特に母親)は子と遊ぶのが当たり前」みたいになってますが、肝心の親たちの半数は、幼少期にその親たちと遊んでいない。現代の親子関係を考える際、これは立ち止まって考慮すべきことのように思います。 https://t.co/2C7vKEv5IT
— 高崎順子 (@misetemiso) 2018年2月5日
女性の品格を決定する特性、それは家庭的であるということです。
— キェルケゴール名言bot (@Kierkegaard_bot) 2018年2月5日
キェルケゴールも叩かれるな。
— むろやねい (@NeiMuroya) 2018年2月5日
怒られる覚悟で言うけど、そうやって社会が母親に無理をさせようとした結果がぬーべーNEOで警鐘を鳴らしてるのでお母さんたちは絶対無理だけはしないでほしい。
— GGG (@gagagami3344) 2018年2月4日
#あたしおかあさんだから#地獄先生ぬーべー pic.twitter.com/ydTDedvP4U
#あたしおかあさんだから#あたしおかあさんだけど
— 石黒 めじろ (@ishiguro_mejiro) 2018年2月4日
が話題ですが、「立派に働けるって 強がって」いる独身女オタクの魂の叫びも聞いてください pic.twitter.com/ZUhG7HjEK0
あたし 猫飼いだから
— きあ (@kia_ruruten) 2018年2月5日
眠いまま早起きしてカリカリあげるの
あたし 猫飼いだから
大好きなおかずを食べてるときに
うんこされたら片付けにいくの
あたし 猫飼いだから
抱っこ中の尿意にも耐えるの
あたし 猫飼いだから
多くのビジネスマンに触れてきた実感として、「他人を安く使い倒せば倒すほどおれの労働生産性が上がるぜゲヘへヘ」という人はあまり見たことなくて、どちらかというと「労働生産性どうこうよりも、おれがこれだけ頑張って働いてるんだからお前も頑張れるよな」という人はたくさん見てきた。
— たられば (@tarareba722) 2018年2月5日
そういう実感があるので、他人を安く使い倒さないために一番重要なのは、実は「自分の労働を安く売らないこと」だと思っているし、そのための風当たりを引き受ける必要があるよなと思っています。これがなかなかしんどい。でもやらなきゃなあ。。
— たられば (@tarareba722) 2018年2月5日
ちょっと分かりづらい書き方になっているなあ。えっと、ある労働環境に苛烈な「搾取」が組み込まれているとしたら、それは誰かの意図的なものではなくて、過失、もっというと無理心中のような状況で生まれたケースが圧倒的に多いんですよね、それは(しんどいけど)極力避けましょうよ、という話です。
— たられば (@tarareba722) 2018年2月5日
こんにちは。同じ構図で良妻賢母()的思考を強要してくるフツウノウーマンをたくさん見てきました。
— お嬢さん (@1n_n1_wan) 2018年2月5日
#あたしおかあさんだから
— らめーん (@shouwayoroyoro) 2018年2月5日
あの歌の、子どもを愛しているテイで縛り付けている感じが嫌。ちょっとは宗方コーチを見習ってほしい。 pic.twitter.com/uWerVMIRpA
松沢氏のフェミニズム分析は核心突きすぎ。てか文献読み込みもすげーわ
— 要友紀子 (@kanameyukiko) 2018年2月1日
「抑圧される側の人間は抑圧される集団と重ねてしかアイデンティティを確立できにくいがために、抑圧する側の論理を内面化しやすく、そこから抜け出すことが容易ではない」https://t.co/xacoXpqQED
これですね、歴史問題にも言えることなんです。戦争被害者にいわゆる聴き取りを続けてきた研究者の一部にもみられます:「抑圧される側の人間は抑圧される集団と重ねてしかアイデンティティを確立できにくいがために、抑圧する側の論理を内面化しやすく、そこから抜け出すことが容易ではない」 https://t.co/tiKeVfdrit
— nobuko m kosuge (@nobuko_kosuge) 2018年2月5日
あたしシャープさんだから、苦手だったり面倒だったり、見て見ぬふりしたりされたり、小さな無理を重ねがちな家のあれこれ、お手伝いする家電作ってます。おかあさんも、おとうさんも、ひとりくらしの人も、いまを生きる人に、ためらいなく活用してもらえるとうれしいです。あたしシャープさんだけど。
— SHARP シャープ株式会社 (@SHARP_JP) 2018年2月6日
SHARPさん、全自動湯船洗い機と全自動窓ガラス掃除機と全自動階段掃除機出してください。。。
— あるみる@7/18♀6m (@CHIOCHANCE) 2018年2月6日
『おかあさんだから』が話題になっていますが、ニュージーランドの詠み人知らずの詩『今日』が素晴らしいから見て pic.twitter.com/mH1iPBUvXX
— 楓 双葉 (@kaede_hutaba) 2018年2月5日
この詩を初めて知ったのは娘が園からもらってきたプリント。園からも先生からもなんのお話もなくただ他のプリントに紛れて詩だけが印字された紙がさりげなく入っていて、何の気なしに読んで泣いちゃった。息子が赤ちゃんで娘がまだ小さかった頃
— 楓 双葉 (@kaede_hutaba) 2018年2月6日
https://t.co/2WDJS2YaF1今日/
— ふじ3 (@7byoshi) 2018年2月6日
伊藤比呂美さん訳詩のものですね。これは何度読んでも泣いてしまいます。FF外からすみません。素晴らしいですこれ。
https://t.co/BNMSMPTJGX
— ぱふ (@ppaaffuu) 2018年2月4日
「母親に我慢を強いるつもりはなく、『子供のため』でナチュラルに抑圧」。この記事を思い出した。保育のプロの述懐。
『当時、保護者に対しては、「お母さん次第」「お母さん次第」と言ってきた。しかも、お父さんとは言わずに、なんでも「お母さん」って、言ってた』
めっちゃいい記事だこれ。
— つなぽん@三十路道 (@tunatuna_01) 2018年2月6日
なんか、子育てに関しては自分に子供がいる居ない関係なく、誰もが「子育て批評家」とか「母親/父親に点数つけたがりマン」になってしまいがちな気がするんだよね…。それが多くの親御さんたちを追い込んでいる気がしてるの。 https://t.co/61ZE4vWtON
結局「大日本帝国において軍国主義者(右翼)と社会主義者(左翼)が共闘してまで撲滅しようとした自由主義」こそが最終ゴールの様な気がしてきました。
私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。
一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。
このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。
巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。
しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。
雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。
私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。
こうした多様性と多態性を保証してくれる社会におけるイデオロギーに該当するのが「(絶えずそれまで見逃されてきたパラメーターやアルゴリズムの誤謬をメンテナンスし続ければならない)数理のみの世界」。マンハイムいうところの「真の進歩主義」。
人類の歴史とは要するにこの理想に向けて描かれ続ける「女性の存続/破滅願望と男性の存続/破滅願望の共依存状態」の螺旋軌道なの? 要するにそれこそが、これまでの投稿で繰り返してきた「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」の正体?