日本においては、反日行動の積み重ねで何かと評判の悪い防弾少年団(BTS)ですが、せめて曲を聞いてから非難してもらいたいものです。そうしたら「本当にこれで最後だ!!」とか「お前らにもう次はない!!」みたいに、もっと相手側陣営の心に刺さるブーイングが可能だった筈なのに…
この辺りの構造はラノベ「二度目の人生を異世界で」問題と重なります。そもそも非難する側も擁護する側も一切本文を読んでない…そういう類のイデオロギー論争でそういう形で消費されちゃう事自体が色々マズいとは思わない?
この方面における「正しい戦い方」は、Youtubeがしています。この辺りの曲を聞いてると日本発のこの辺りのプロダクトがリコメンドされてくるのですね。
猫娘「おめぇ、この猫に何かYoukai? 横ちょの化け猫なめんじゃねぇ!! にゃーん!!」
子泣きジジィ「ワガママボディの2頭身、2tの重さで地獄に直行」
ネズミ男「金も何もない、それでも生きてかなきゃならない、日本人達の象徴さ」
まさにHiphop精神そのものの体現。しかも徹底的なまでに日本的。そしておもむろに登場する「ラスボス」鬼太郎…まるで荒俣宏「帝都物語(1985年〜)」の加藤保憲みたいな風格…実際、これは古屋兎丸原作、河原雅彦演出による舞台「残酷歌劇ライチ☆光クラブ」でこのダンス・ユニットがパフォーマンスを披露した流れで、さらなる原作となる東京グランギニョールの演劇「ライチ☆光クラブ(1985年、1986年)」には、帝都物語で加藤保憲を演じた嶋田久作も人造人間役で出演していたりしますね。
えっ? そこでさらに山口百恵に沢田研二がきちゃう? ブリテッシュ・ビート(ニューロマやロンドン・パンクの総称)のマスターピースともいうべきUltra voxの「New Europeans(1980年)」を(耳に入ってくる雰囲気はそのままに)歌詞もアレンジも完全に換骨奪胎してのけたアン・ルイス「ラ・セゾン(1982年)」を生み出した最強コンビですね。ちなみに、この時二人はただ単に新曲を提供しただけでなく、育児休暇からの復活するアン・ルイスの為に「新生アン・ルイスのイメージ」をプレゼントしたとされています。レディ・ガガが「こういう音楽を、こういうキャラが演ると、新しいブームが生み出せる(ただし当人は最後、ボロボロになって凋落して忘れ去られる)」なる企画書を書き上げたら、結局自分が演じる羽目に陥った逸話を思い出させます。要するにコンセプト・ワークの次元の話なのですね。
さらには…
確かに日本のエンターテイメント業界は韓国のそれに歌でも踊りでもコンセプトワークでも負けてません。しかし、本当にそれが実感出来るのは最先端のリスナーだけというジレンマもあったりするという話…
そもそも「何で防弾少年団は米国ビルボードチャート上位に食い込めたか」を理解するのは(日本ではほとんど知られてない)M.I.A.なるアーティストの盛衰から始めなくてはいけません。
1975年生まれのイギリスのミュージシャン、美術家、デザイナー。民族的にはタミル系スリランカ人 。 芸名は「Missing In Action(戦闘中行方不明)」の略で、連絡の取れないLTTEのメンバーとして活動中のタミル人の父親に対するメッセージである。
両親が仕事の都合でイングランドに滞在していた頃にロンドンのハウンズローにて生まれ、半年後には両親とともにスリランカに渡る。しかしLTTEのオリジナル・メンバーである父はまもなく政府に身を追われるようになり、彼は家族と生き別れになる。内戦を通じてマヤ達一家は多くの親戚や友人をなくし、マヤが11歳になる頃には母はマヤ達三人の子供を連れ難民としてイングランドに移住する。そこでマヤはパブリック・エナミーなどのヒップホップ、およびダンスホールレゲエといったクラブミュージックに初めて触れる。その後、マヤは著名なデザイナーが多数輩出している事で有名なセントラル・セント・マーチンズ に入学。在学中にはファインアートと映画を専攻し高い評価を受けていたため、ヴィジュアル・アーティストとして将来有望だった。卒業後、マヤはエラスティカのセカンドアルバムのジャケットを製作し、2001年の全米ツアーに映像ディレクターとして同行する。その時に前座を務めていたカナダのエレクトロ・ヒップホッパー、ピーチズのステージを見て感動し、音楽の道に進むことを決意する。
まったくの自己流で楽曲の制作をはじめ、2003年秋にインディーズレーベルからアナログで「Galang」をリリース。500枚の限定生産だったが、ロンドンのDJ達に人気となり、晴れてXLレコーディングスとの契約にこぎつけ、2004年には「Sunshowers」で正式なデビューを果たす。その後フロリダのDJ、ディプロと共に、ミックステープ「Piracy Funds Terrorism」を2004年冬にリリースする。
*彼女が2002年に開いた美術家としての最初の個展では、俳優のジュード・ロウが全て買い求めた。それで得た豊富な資金でセント・ヴィンセント島に旅行し、ダンスホールレゲエにインスパイアされたという。それが翌年の“Galang”への大きなキッカケとなったという。そして、2005年にはついにファーストアルバム『Arular』をリリース。このアルバムは当時としては非常に画期的であり、その後の音楽シーンに多大な影響を与えたと言われる。マヤの才能に惹かれたミッシー・エリオットは、彼女の6thアルバム『The Cook Book』に収録されている「Bad Man」にてコラボーレーションを実現している。
*アルバムタイトルの「Arular」(அருளர்;アルラル)は父親のコードネーム、「Kala」(கலா;カラー)は母親の名前である。2007年、セカンドアルバム『Kala』をリリース。ビザの関係や自身の意向により大物プロデューサー勢からの打診を断って製作。プロデューサーはSwitch、Blaqstarr、ディプロ、ティンバランド、Morganicsとマヤ自身である。ローリング・ストーン誌の評価では2007年のベストアルバムと絶賛された。このアルバムには、ポルトガルのクドゥーロ・バンド、ブラカ・ソン・システマと共演した「サウンド・オブ・クドゥル」のスペシャル・エディションが収録されている。2008年に結婚。2009年1月に出産。
2012年2月5日、アメリカン・フットボールの優勝決定戦であり、全米生中継される第46回スーパーボウルのハーフタイムショーにマドンナと出演し、そのステージで中指を立て、物議を醸した。2004年にジャネット・ジャクソンがステージ上で不適切な演出をして以降、ハーフタイムショーについてはディレイ中継放送を行っていたが、当日中継をしていたNBCはその行動を判別できず、そのまま放送してしまったため、謝罪を行うこととなった。
2013年に「マタンギ」をリリース
韓国音楽界は既に2010年代前半から彼女の後釜を狙った行動を開始しています。ここで興味深いのが、その路線で米国において賛否両論を引き起こした2Ne1「I am the Best(2011年)」の該当箇所が日本語版では綺麗に削除されていたという辺り。おそらく日本におけるM.I.A. の知名度の低さを知ってて良くも悪くも「挑戦するだけ無駄」と考えたのでしょう。その一方で、この「I am the Best(2011年)」の該当箇所の何が賛否両論を引き起こしたのかちゃんと把握してないと、どうして米国音楽雑誌が防弾少年団(BTS)の「MIC Drop(2016年)」について「韓国音楽は、ただ勝つ為だけにK-POPの伝統もHiphopの伝統も全てミキサーにかけて上澄み駅だけ抽出する道を選んだ様だ」なんて評価を下したか見えてこないのですね。
国際的成功を目指すなら、本当にコンセプトワークが重要。例えば4minuteの国際進出は見事に失敗しましたが、Hyunaの着エロ路線はラテン=ヒスパニック層に大受け。ライブでの脱ぎっぷりが話題になった2PMや、CLの「残酷過ぎる女の子の本音歌詞」路線が国際的に少女層にアピールした2ne1「NORZA(2011年)」と合わせ世界を制するに至ったのです。
むしろ国際的にはPsy「GANGNAM STYLE(2012年)」の登場は「終わりの始まり」、「Daddy(2015年)」の登場に至っては「終焉の確定」というニュアンスで受容されたものです。「大人も理解可能で安心して聴けるKPOP」!! そんなの当時のKPOPブームを国際的に支えていた若者層は求めておらず(カントリー音楽などのファンで「ラップやヒップホップなんてクソだ」なんて豪語してる「大人」に「ふざけるな、こんなのありえねぇ!!」と拒絶反応を引き起こしてこその「若者音楽」なのである)、それまでKPOPブームを牽引してきた国際SNS上の関心空間の熱は、あたかも Facebook上での熱狂に反比例するが如く冷めていったのです。これに便乗して韓国音楽事務所が取った措置も最低最悪でした。なんと2PMに脱衣を禁止し「韓国精神の再注入が必要となった」2ne1にはトロット(韓国の演歌)を歌わせたのです。これではブームが続く筈もありません。
それにそろそろ国際的若者層の間でも「(米国占領時代からずっとラジオでR&Bに慣れ親しんできたのが韓国音楽の最大の強みであるにも関わらず)黒人や東南アジア人やヒスパニックを同じ人間と見做さない(だからMVにも絶対登場しない。おそらくそれは中国市場向け戦略でもある)」といった韓国音楽の制約が鼻につき始めていたのです。それで米国においてはそれまでのKPOP人気を「元2PMで、しかも韓国本土のファン層に「反韓」の烙印を押されて追放された」韓国系アメリカ人のJAY PARKが継承したりします。彼が復讐の手段に選んだのは「普通に黒人音楽に敬意を捧げ、MV中に黒人が登場する自然体スタイル」…
*実は音楽面ではPsyやBig Bangも相応の品質の作品の供給を続けてたりする。だが、こうしたコンセプト・ワーク面での敗北はそう完全に克服出来るものではないのだった…
*この辺りの戦いでは、私は 「韓国人は全て善人、悪党は全て外国人でなければならない」なる韓国映画の制約と長年戦い続けてきたナ・ホンジン監督を応援してたりもする。
*なんかもうHyunaが「Ice cream」の歌詞に「チョコレート Ice cream 私の黒い肌のように」と盛り込んだ時点で「攻めてる!! 攻めてる!!」と感じた人間だけが石を投げなさいというひねくれた感情も…むしろ和製コンテンツの抱える最大の制約は皮肉にも「罰がないから、逃げる楽しみもない」辺り?
で、ここからは憶測となりますが…こうして韓国大手芸能事務所が「KPOPの国際的流行潰し」にやっきになってた時期(情報発信国の保守層が強力だった場合にしばしば見られる現象。実際ダリル・アルジェント監督らが主導したイタリアン・ホラーブームも本国保守層に潰されている)成功していた時期、完全に死角となっていたのがK-Hiphopジャンルで、中小事務所に属する防弾少年団(BTS)は、まさにここから韓国大手芸能事務所の隙を突いて現れたという位置付けになるのでは?
*まぁ自らも歌詞に盛り込んでる「出自の悪さ」はこの辺りが源流になっているのであろう。反日パフォーマンスも、ナチス賛美もその次元でならとりあえず理解可能。
みなさ~ん!
ラッパーたちはdisりあってなんぼです!!!
ラップでのdisは決してケンカではないのですよ~ヽ(;´Д`)ノ
そういうHIPHOP文化なの!
これでやっと冒頭の「何で防弾少年団は米国ビルボードチャート上位に食い込めたか」という分析に必要な素材が揃いました。私の視野内においてそれは、以下の様に説明される次第。
- 「韓国音楽のガチガチの制約下において、これが演れるのか!?」という驚き…逆をいえばアメリカにおいては日本以上に「(レイシズムと民族主義と男女差別が横行する大陸向けの)韓国音楽」の制約に関するコンセンサスが浸透しているという話。一方、JAY PARK…お前の演ってる音楽はもうただの「アメリカ音楽」で「韓国音楽」の要素が残ってない。だから飽きられ始めてしまったんじゃ?
*「そもそもKPOPの世界に男女混成ユニットがないのは何故?」「それまで確実に韓国音楽の両翼をなしてきた筈の女性要素どこいった?」とか、そういう疑問を歌と踊りの上手さで捻じ伏せていくスタイル?
- 「韓国音楽は、ただ勝つ為だけにK-POPの伝統もHiphopの伝統も全てミキサーにかけて上澄み駅だけ抽出する道を選んだ様だ」という側面…結局、視聴者の目当ては、あくまで主に歌って踊ってるパフォーマーなのであって残りの全ては背景に沈め得るというマーケティング戦略の完徹。これは2010年代後半のヒット作品に共通して見られる特徴で、新海誠監督映画「君の名は。(2016年)」も「視聴者の目当てはあくまで主に男性主人公と女性主人公の恋愛ドラマ」という観点から残り全てを背景に沈めた事が成功に結びついてる感がある。
- 「なんでこんな歌と踊りが上手いだけで様々なルサンチマンと無縁そうな品行方正そうな若者達が、こんなDeepなM.I.A.Hiphop(あるいはエレクトロ・ポップ)を演ってるの?」というギャップ…まぁ、その後浮上してきた反日パフォーマンスやナチス賛美ステージの様相を見ても「本当は全然品行方正ではなかった」訳ですが、ヒップホップ・アーティストとしてはそれくらい全然想定内。むしろ重要なのは、こうしたあえてギャップを見せつけてそれを克服していく過程こそが米国音楽市場においては成功の鍵を握ってるという辺りで、きゃりーぱみゅぱみゅやベイビーメタルも同様の試練を潜り抜けて国際的人気を勝ち取ってきた訳です。そりゃ無下に否定可能な筈もなし…
今回の件ではむしろ「日本のKPOPファンの反撃」に失望した感があります。これくらいの反撃はとっさに思いつけないと、本当に日本は世界の孤島になっちゃう。油断してると尻の穴まで毟られるのが国際SNS上の関心空間の世界で、誰もが自分の身は自分で守らなきゃいけない世界。まさしく「究極の自由主義は専制の徹底によってしか達成出来ない」ジレンマが、勢力均衡によって危うく保たれているデンジャラス空間…