諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【19世紀的ディストピア】中国共産党、科学的マルクス主義を教育勅語化?

教育勅語って、その内容というより「丸暗記と暗唱を強要し、その一方で神棚に飾って最敬礼を要求した」点にこそ問題があった訳ですが…

内村鑑三不敬事件(1890年) - Wikipedia

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神棚に飾るという事は「敬いつつも遠ざける」事で、むしろ問題を本質から遠ざけようとする意図が感じられる訳です。最近の中共では「科学的マルクス主義」がこれに準ずる扱いを受けている模様?

中国にとってのマルクス主義-必修だけど禁制: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

ベクトルは金科玉条の真逆で「あえて内容を小馬鹿にさせる方向」に煽ってる?

中国ではマルクス主義は国定思想なので、大学でも関係するいくつかの科目が必修科目になっている。そこにはマルクス経済学の基礎に相当する「政治経済学」も含まれる。

この授業について、私の知る限り、中国の大学生から「つまらない。忘れました」という以外の感想を聞いたことがない。「ほんっとーに、つまらないです!!」「I hate it!」という表現さえ聞かれる。私自身が学生・院生時代に、当時すでに少数派となっていたマルクス経済学ベースの勉強をしていて、その問題点も多少はわかっているつもりなのだが、そういう学問的な問題ではないようだし、思想を押し付けられるのが嫌いというだけでもないらしい。

ヒアリングと、北京や上海の書店で「政治経済学」の教科書らしきものもめくってみた限りでの情報をまとめると、以下のような事情らしい。

政治経済学の授業のスタイルは、マルクス経済学の超要約版の教科書を使い、図式化して、丸暗記を強要するものである。内容のどこが現実の社会とどう関わっているのかといったことは一切やらない丸暗記らしい。つまり、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ」を暗記するのとほぼ同じ要領で「社会的存在が社会的意識を規定する」と覚えるのだ。学生は試験のために暗記して試験終了とともに忘却し、ただ「つまらなかった」という感覚だけを心に残す。日本でも科目を問わずこういう授業は存在するが、教科書も教え方もそのもっとも悪いバージョンになっているようだ。

もう少し詳しく言うと、資本主義経済については『資本論』の超要約版教科書を叩き込むのだが、社会主義計画経済の原理とそれが行き詰まった理由、中国の「改革・開放」を含む市場経済化の経済学的根拠については、ほとんど教えない。中国の経済学の授業なのに「改革・開放とはどういう原理でなされているのか」は語られないという不思議なことになる。よってますます現実と関係なくなり、学生が関心を持つべくもない。

なぜこんな、わざとつまらなく、わざと興味を待たせないような代物にしているのか?

いま、マルクス経済学が正しいか、まちがっているかはは脇に置こう。とにかく中国の各大学が、丁寧に、現実の社会とのかかわりを解きほぐしながら国定思想たるマルクス経済学の授業をして、ある割合の学生がそれも一理あるなと思ったとしよう。マルクス経済学が一理あると思うというのは、つまり

「資本主義って、一見対等平等に取引しているようで、必然的に格差を生むしくみになっているんだな」とか、

「技術進歩の果実はほとんど資本家のものになってしまうんだな」とか、

「資本主義発展とともに農村から都市に移動した人口が過剰扱いされて、失業者と都市問題を生むんだな」とか、

「貧困って自己責任じゃなくても社会の問題なんだ」とか、

「信用機構や株式会社ってひとつまちがえると詐欺の温床になるんだな」とかいう風に思うことである。

さらにすすむと、

「これはみんなわが国で起こっている問題だよね」とか、

「考えてみると中国の社会主義市場経済って、ほぼ資本主義だよね」とか思うだろう。

場合によっては、

「なるほど、労働者が立ち上がって資本主義に反抗するのは歴史の必然なのか」と思いかねない。

そう、国定思想を丁寧に教えると、現在の体制に対する疑問を惹起してしまうのである。中国政府はこの矛盾に気づいているがために、わざと極端につまらない「政治経済学」を必修化し、学生をマルクス経済学嫌いにしているのではないだろうか。

本気で興味を持たせてしまうと、現在の他の資本主義国のどれよりも市場原理に制約が希薄な「社会主義市場経済」に対する批判的精神を醸成してしまうかもしれないから、わざとつまらなくつまらなく、だれもまじめにマルクス主義なんかに取り組もうと思わないようにしているんだろう、と。ところでこのブログは、ここでいう「社会主義市場経済」の大源流を「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン3世が辣腕を振るってフランスに産業革命を根付かせた「フランス第二帝政Second Empire Français、1852年〜1870年のサン=シモン主義」に求めてきた訳ですが、当時のそれは実際には「科学万能主義Scientism)」と認識されていた様なのです。

当時独特の雰囲気はジュール・ヴェルヌが(出版社の自主規制で同時代には出版不可能だった)「二十世紀のパリParis au XXe siècle、1861年)」で提示した未来観によく表れているといわれています。

  • 骨相学や遺伝学といった科学技術発展による新たな身分社会の出現…イタリアのロンブローゾが天賦の才能について論じた「天才と狂気Genio e follia、1864年)」に続いて骨相学、観相学、人類学、遺伝学、統計学などの手法を動員し、人間の身体的・精神的特徴と犯罪との相関性を検証した「犯罪人論L'uomo delinquente、1876年)」を上梓して生来的犯罪人説を展開するのも、フランスのガブリエル・タルドが「模倣の法則Les lois de l'imitation: Etude sociologique、1890年)」を発表してこれに反駁するのもまだ先。それどころかエミール・ゾラに自然実証主義文学創設を思い立たせ、トーマス・ハーディに「ダーバヴィル家のテスTess of the d'Urbervilles、1891年)」を執筆させたクロード・ベルナールの「実験医学研究序説初版1865年)」にすら先行する。その一方で当時に端を発する伝統的地域社会の崩壊が、19世紀末にデュルケームをして新たな社会秩序を模索するフランス社会学創設に結びついていく。

    ジュール・ベルヌが描く「誰もが生まれながらにして科学的にその生涯価値を見定められてしまう社会」は新たなる身分固定制度の再来であり、政治も世襲政治家によって占められている。その一方で人間間の関係はどんどん希薄になっていく。一応、ゴビノー伯爵やレヴィ・ストロースが嵌った様な「人種エントロピー」からは脱却しているが、それも当時における伝統的社会秩序崩壊が背景にあると考えるべきだろう。

  • コンピューターによる計算能力の向上がもたらす統計学の精度向上。それに基づいて計画的に遂行される交通網や水道網といったインフラの近代化の進行。あらゆる経済活動が国家管理下に置かれる状況の現出共産主義者が「完全に計画通り遂行される計画経済」に陶酔して「(不完全な判断力しか備えてない人間の合議制を廃止し全ての判断をコンピューターに委ねよう」と言い出した契機。

    しかしながらジュール・ベルヌが描く「世の中を動かす巨大な計算機」が差配する街は「地下や高架を走る鉄道」や「太陽に匹敵する照明」の照らし出す大通りを「ガスで走る馬の要らない馬車」が埋め尽くす一方で「交通渋滞」や「大気汚染」が蔓延。様するに人類はこの世界に対する介入能力を一層高めるが、それによって却って新たな制御不能問題に次々と突き当たってしまうというビジョン。

  • 全ての価値観の数値化にともなう文学や芸術の価値失墜…「二十世紀のパリ」の主人公ミシェルは(コンピューター選定を受けたエリートとして)パリの「教育金融総合公社」を優秀な成績で卒業するが、学生時代に専攻したラテン語や詩について「何の価値もない」と授賞式で嘲笑される。実はこの景色、無神論から出発した科学的マルクス主義が目指したユートピアだったとも。

    *「産業報告運動」の一貫として英国ではボーンチャイナ(bone china)、フランスではセーブル焼き(Sèvres)やリモージュ焼(Porcelaine de Limoges)が誕生している。そしてこうした文化展開が存在しなかったオスマン帝国帝政ロシアでは、紀元前1200年のカタストロフにおける海の民同様「地上から一切の痕跡も残さず破壊し尽くしたほうが人類の未来に貢献する」という発想が生まれてくる? 韓非子「五蠹」の世界。

    ジュール・ベルヌが20世紀のフランスを「文化や芸術が金銭換算でのみ評価される世界」として描いたのは、当時の投機ブームの過熱も背景にあった。そしてベルギーや東欧や帝政ロシアへの鉄道建設費用の資金に当てられたこれらの投資が破綻することによって大不況 (Great Depression、1873年〜1896年)が勃発。

    大不況 (Great Depression、1873年〜1896年) - Wikipedia

  • 産業近代化による「代用食」の登場…「二十世紀のパリ」の住人達はで「石油から合成されたパン」を食べながら心を荒廃させていく、しかしむしろ現実に登場した「代用食」は人間の食生活を全体的には豊かにした側面も?

ここで興味深いのがサン=シモン主義には確実に「(イングランドやスイスやフランドル地方の様に自然発生的に資本主義が成立した地域以外における資本主義スターターキット」という側面があり、ドイツ帝国大日本帝国アメリカ合衆国は積極的にそのシステムを受容する事によって後進国状態から脱しているという事。

そして第二帝政終焉によってサン=シモン主義がその役割を終えた19世紀末の段階に入ってなおフランスには「科学的マルクス主義」がまだまだ上陸していなかったという事。というよりむしろ「科学的マルクス主義」の正体そのものが、こうした形で展開してきたサン=シモン主義がロシアに伝播して相応の形で実践されたものに過ぎなかったとか?

そして「大不況Great Depression、1873年〜1896年)」が引き金を引いた「東禍Eastern Peril、東欧諸国が借款返済の為に強行した飢餓輸出)」に引き続き「米禍American Peril、世界規模での機関車による鉄道網と汽船による航路網および冷蔵技術の発展が生んだ南北アメリカの安価な農作物の欧州への大量流入)」も大襲来。消費の主体が王侯貴族や聖職者といった伝統的ブルジョワ=インテリ=政治的エリート階層から新興産業階層へと推移。

おそらくこれぞ「世界そのものが集-立Gestellシステム後期ハイデガーいうところの「特定の意図に基づいて手持ちリソースを総動員しようとする体制」化した結果、現在採用しているアルゴリズムに間違いがあったり、パラメーターやデータに見落としがあると大被害を被るという実存不安に常に晒される様になった現代社会的思考様式の大源流? 

まさしく「開けてはいけない玉手箱」の世界…