諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【直交座標系】「デカルト主義」なるブレイクスルー?

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自動人形に恋して、、そりゃあ、、破滅だよ。わたしのオートマタ論。

西洋近代数学に飛躍的発展をもたらしたのが、直交座標や極座標上の設定共有に端を発する「指数・対数」「微分積分」「確率・統計」「ベクトル・行列」といった抽象概念の採用による文字通り「指数関数的成長」だった事実は動きません。

  • さらにはイデア流出論の延長線上に現れた「先験性transzendentalへの回帰」なる概念に導かれた当時の「指数関数的成長」は前回の「指数関数的成長」すなわち「眼と視覚情報を処理する脊髄」を獲得した左右相称生物(魚類やエビやカニの祖先)の進化速度が、あえてその道を選ばなかった鈍重な放射相称生物(クラゲやウニやイソギンチャクの類)を圧倒する様になったカンブリア爆発期(Cambrian Explosion、5億4200万年前〜5億3000万年前)の再来だったのかもしれないと考える様に。
    *先験性(transzendental)への回帰…おそらく代数学(Algebra)や幾何学(Geometry)の研究を通じて抽象思考能力を養った古代ギリシャ時代の哲学者や数学者が到達したイデア(Idea)論、イタリア・ルネサンス期以降、急速に広まった幾何学的透視図法、解析幾何学(Analytic Geometry)の祖と目されるデカルトの心身二元主義的機械論、カントのアプリオリ論といった想像上の(Imaginal)テンプレートを優先する思考様式の系譜を貫く何か。

  • その一方で、かかる「先験性transzendentalへの回帰」は「コモディティ日常品化による神秘性威信材としての利用価値の放棄」も伴った。より具体的には20世紀後半に登場したコンピューターの性能の爆発的向上。かつて砂糖などの生産量急増が(カロリー革命という形で産業革命を、(当初は文書行政や所謂「大福帳」需要が主ターゲットだった)製紙業界や(ゴールドラッシュ同様、そのほとんどが共倒れに終わった)鉄道業界の過当競争が(前者が読書層拡大の必要に迫られ出版革命を引き起こし、後者が電信編併設によって広域通信環境を整備した様な形で)情報革命を準備した様に、ある意味(カンブリア爆発期以降「眼と視覚情報を処理する脊髄」を発達させてきた生物の末裔なら数学の知識がなくても直感的に受容可能なオイラーの原始量(Euler’s primitive sweep)概念のコモディティ化ともいうべきポリゴンゲーム(およびその品質を劇的に向上させてきたGPU)の急激な進化を抜きに2010年以降のディープ・ラーニング・ブームは語り得ない。

 ところで一般に「指数関数的成長」といいますが、これは指数関数A^xが以下の三区間で振る舞いが全く異なる事に由来しています。

  • 過去指数-2以下の世界)」…プランクトンの様な微生物の世界。未来から振り返ると有意味情報を抽出するのに困難を感じるほど微小な変化しか遂げてない様に見える。一応オイラーの原始量(Euler’s primitive sweep)概念でいう「−1」の領域と重なるが、数理モデルとして別物に上書きされてしまっている。
      Target_numbers Exponential_result Logarithm_result
    1 0.5=1/2 2^-1=0.5 log2(0.5)=-1
    2 0.25=1/4 2^-2=0.25 log2(0.25)=-2
    3 0.125=1/8 2^-3=0.125 log2(0.125)=-3
    4 0.0625=1/16 2^-4=0.0625 log2(0.0625)=-4
  •  「現在指数-1から指数1にかけての世界)」…我々の生きているサイズの生物界。オイラーの原始量(Euler’s primitive sweep)概念でいうところの「」と「」の世界。信じられないほど多種多様な展開を遂げる。(微積分や統計学の出発点にしてオイラーがそこだけ切り取って周期関数化した)自然対数e^xの世界、(下手に弄ると面倒が生じるので現在は定数として扱われているπ^xの世界、そもそも指数・対数関数発見の発端となった10^xの世界、そしてデジタル情報工学の出発点となった2^xの世界…
      Target_numbers Exponential_result Logarithm_result
    1 1/root root^-1 log(1/root,base=root)
    2 root/root root^0 log(1,base=root)=0
    3 root root^1 log(root,base=root)=1
    *「多変量解析(multivariate analysis)では偏微分が活躍する」というが、そもそも過去の数学的偉人が「封印」に成功するまでは自然対数eも円周率πも指数関数に基づいて推移する変数だった訳で、この辺りは相対的に考えるしかない。

  • 未来指数2以上の世界)」…ゴジラの様に無限に成長を続ける巨大生物の世界。世界資源が有限である事を考えると、想像しただけで心臓に悪い。
      Target_numbers Exponential_result Logarithm_result
    1 4 2^2=4 log2(4)=2
    2 8 2^3=8 log2(8)=3
    3 16 2^4=16 log2(16)=4
    そこでルネサンス期イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド、 1170年頃〜1250年)の「フィボナッチ数Fibonacci numberに基づく兎算」やトマス・ロバート・マルサス(1766年〜1834年)が「人口論An Essay on the Principle of Population、1798年)」の中で述べた所謂「マルサスの罠」すなわち「幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」に対抗すべくロジスティック方程式の研究が始まり、後世の多変量解析(multivariate analysis)や人工知能理論に結びつくロジスティック方程式(logistic equation)の研究が始まった。

とはいえ「過去」は常に現在のレッド・オーシャンを回避する「第三の道」の宝庫であり、そこで志向される「輝かしい未来」は指数関数的成長を想定したりしてるので、実世界における在り方はこれほど単純でもないのです。

そういう事で、今年でYahooブログは閉鎖との話なので魚拓がてら。

要約 

近代に入るまでヨーロッパは必ずしも数学史上の先進地域ではなかった。その時代の図形を扱う数学は定義や公理から出発して命題を論理的に順次演繹していくのを特徴とする。これが「総合幾何」である。
代数学(algebra) - Wikipedia

近代以前

プラトンの時代までに、古代ギリシアの数学は大きな変化を遂げた。ギリシア人は線で描いた幾何学図形のそれぞれの線に文字を添え、その文字を式の項として使用する幾何代数の考え方を生み出した。ディオファントス紀元3世紀)はアレクサンドリアの数学者で『算術』という著書の作者であり、時に「代数学の父」とも呼ばれる。その書は代数方程式の解法に関するものである。

algebra という語はアラビア語al-jabrアラビア文字表記:الجبر、"reunion of broken parts"(バラバラのものの再結合))に由来し、近代代数学はアラビア数学から発展したもので、その起源を遡ると古代インドの数学にたどり着く。

9世紀のバグダードの数学者アル=フワーリズミーが著作した 『イルム・アル・ジャブル・ワル・ムカバラ"Ilm al-jabr wa'l-muqabalah")(約分と消約との学=The science of reduction and cancellation)』(820年)を、チェスターのロバート(あるいはバースのアデラード) )が、"Liber algebrae et almucabala"としてラテン語に翻訳した。この書によってフワーリズミー代数学幾何学や算術から独立した一分野として確立した。これが後500年間にわたってヨーロッパの大学で教えられたという。

al-jabr は、アラビア語では「al亜: ال)」が定冠詞、「jabr亜: جبر)」が「バラバラのものを再結合する」「移項する」という意味であることから、インド数学のことである。それ以前にフワーリズミーはインドの数学から学んだことを『インドの数の計算法』として著し、イスラム世界に広めた。これは二次方程式、四則演算、十進法、0などの内容でラテン語に翻訳され、著者の名は「アルゴリズム」の語源であるといわれている。

代数学の起源は古代バビロニアとされており、古代バビロニア人はアルゴリズム的に計算する高度な算術的体系を生み出した。古代バビロニア人は、今日一次方程式や二次方程式不定一次方程式を使って解くような問題を計算するための公式を開発した。一方同時代(紀元前1千年紀)のエジプトやギリシアや中国では、そのような問題は幾何学的に解かれていた。例えば「リンド数学パピルス」、ユークリッドの『原論』、『九章算術』などである。『原論』に代表される古代ギリシアにおける幾何学では、個別の問題を解くだけでなくより一般化した解法の枠組みを提供していたが、それが代数学へと発展するには中世アラビア数学がヨーロッパに紹介されるのを待つ必要があった。

ヘレニズム期の数学者アレクサンドリアのヘロンとディオファントスやインドの数学者ブラーマグプタらはエジプトやバビロニアの伝統に則って数学を発展させ、ディオファントスの『算術』やブラーマグプタの『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』といった成果が生まれた。例えば、二次方程式の(ゼロや負の解を含む)完全な解法を初めて記したのがブラーマグプタの『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』である。その後、アラブ世界(イスラム世界)の数学者が代数学的手法をより高度なものへと洗練させていった。ディオファントスや古代バビロニア人は方程式を解くのに場当たり的な技法を使っていたが、アル=フワーリズミーは一般化された解法を初めて使用した。彼は、一次不定方程式、二次方程式、二次不定方程式、多変数の方程式などを解いた。


1545年、イタリアの数学者ジェロラモ・カルダーノは40章からなる『偉大なる術』を著し、世界で初めて四次方程式の解法を示した。

ギリシャ人数学者ディオファントスは昔から「代数学の父」と呼ばれてきたが、最近ではアル=フワーリズミーの方がその名にふさわしいという議論がある。ディオファントスを支持する側は、フワーリズミーの著作は『算術』よりも扱っている内容が初等的であり、フワーリズミーの著作が修辞的で冗長なのに対して『算術』は簡潔に記述してある点を指摘する。

一方フワーリズミーを支持する側は、彼が左右の辺の間での項の移動や打消しといった手法を導入した点(al-jabr の本来の意味とされている)、幾何学的証明を証拠としつつ二次方程式の解法を徹底的に解説し、代数学を独立した分野にまで高めたという点を指摘する。フワーリズミー代数学はもはや一連の問題と解法を示すのではなく、単純な式からそれらを組み合わせた複雑な式まで全ての可能性を網羅し、今後の真の研究対象が何であるかを示している。そして、無限に存在する問題のクラスを定義するためにのみ必要な一般化された形で方程式を研究した。

ペルシャの数学者ウマル・ハイヤームは代数幾何学創始者とされており、三次方程式の一般解を見出したことで知られる。同じくペルシャの数学者シャラフ・アッ=ディーン・アッ=トゥースィは様々な三次方程式の代数解や数値解を求めた。彼は関数の概念も生み出した。インドの数学者マハーヴィーラとバースカラ2世、ペルシャの数学者アル=カラジ、中国の数学者朱世傑は、三次、四次、五次などの高次多項式方程式を数値的手法で解いた。13世紀にはフィボナッチの三次方程式の解法に代表されるように、ヨーロッパにおける代数学の復興がなされた。一方でイスラム世界では数学が衰退し、それと入れ替わるようにヨーロッパで数学が盛んになっていった。その後、代数学はヨーロッパを中心として発展していった。

 近世以降

16世紀末のフランソワ・ビエトは、古典的学問分野としての代数学を創始した。1637年のルネ・デカルトの『幾何学 (La Géométrie)』は解析幾何学の先駆けであり、近代的な代数的記法を導入したものである。

代数学の歴史上重要なもう1つの出来事は、16世紀中ごろに三次方程式および四次方程式の代数学的一般解が得られたことである。17世紀には日本の数学者である関孝和行列式の考え方を考案し、それとは独立にゴットフリート・ライプニッツが10年ほど遅れて同じ考え方に到達した。行列式は連立一次方程式を行列を使って解くのに使われる。

18世紀のガブリエル・クラメールも行列と行列式について貢献した。ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは1770年の論文 Réflexions sur la résolution algébrique des équations で根の置換について研究し、ラグランジュの分解式 (Lagrange resolvent) を導入した。

パオロ・ルフィニは置換群について研究し、同時に代数方程式の解法についても研究した。

代数学においては、代数学と言えば抽象代数学を指すのが普通である。その一方でこうした方程式の研究は方程式論(代数方程式論)という代数学の古典的一分野として捉えられる様になっていく。

西洋近代でなければ生み出し得なかったものの一つに「座標」がある。それはx軸とy軸が互いに直交し、単位の長さの等しい数直線による標準的座標平面であり、正確には「カルデジアン座標平面Cartesian Coordinate Plane)」、あるいは「カルテジアン座標系Cartesian Coordinate System)」と呼ぶ。何しろ自然科学のみならず、社会科学や人文科学にも浸透し、利用していない分野を探す方が困難である。そしてルネ・デカルトやピエール・ド・フェルマーは座標の計算によって図形をめぐる命題を証明した。これが「解析幾何」である。

総合」も「解析」も古典ギリシャに由来するが、両者は正反対である。総合は解けていない問題を論証していく方法で、正統的な方法である。他方、解析は解けたと仮定して論証する方法で、おおっぴらにされず、裏技として使われてきた。

もちろん計算して証明するだけなら、ユークリッド幾何学の言い換えにすぎない。しかし、デカルト以後の数学者たちは計算の意味を理解し、そこから法則性を見出す。空間と量の関係に関する法則的認識や代数式と空間との結合関係へと進んでいく。なお、この場合の量は無限に分割可能な連続量である。

確かにデカルトの『幾何学』では問題に応じて基準となる直線が適宜設定され、座標軸が固定されていない。とはいえフェルマーはさらに慎重だった。2次元座標が生まれたら、3次元へと進みたくなるのが人情だが、フェルマーは面積と体積は単位が違うと無粋なことを言う。フェルマーの解析幾何は、そういう形で総合幾何を引きずっているのである。幾何と代数が癒着している。代数でありながら、記号には長さや面積など幾何がつきまとう。

数学は演繹の世界であるため、ある方法がうまくいくとわかると、拡張が容易である。そして記号化に躊躇がなかったデカルトこそが幾何と代数の馴れ合いを清算し、これにより代数は幾何に拘束されずに自由に四則演算ができるようになった事実は動かしがたい。なにしろデカルトは代数と幾何をトレードオフして解析幾何を創出した訳ではない。幾何と代数の曖昧な区分を明確化して独立させた上で、後者によって前者を考える方法論を提案し、数学の世界に「ある種の世俗化」をもたらしたからである。

総合幾何は数学名人の世界である。補助線を見つける洞察がないと、解けない問題がざらである。しかし座標平面において図形を計算による対象と見なせるなら、そうした洞察に依存する必要がない。
*ただし、角度の命題に関しては総合幾何が依然として有効である。解析幾何はその威力を失う。

解析幾何を通じて代数は空間と結びつき、新たな展開を始める。デカルト以前の16世紀、数の拡張や数概念の自立が起き、代数式の記号化が進む。当時の数学者は代数式x^2+1=0の解が実数でないことに気がついてしまう。法則に基づいて操作はできるが、虚数は彼らにとって無意味なものに映る。数えられない数とは何か、2乗して負の数になるものがどこにあるのか、これを記述して何の役に立つのかなど存在意義が見出せない。
統計言語Rにおける検証結果

#要するに以下で詰む。
x^2+1=0
x^2=-1
x=sqrt(-1)
sqrt(-1)
[1] NaN
警告メッセージ:
sqrt(-1) で: 計算結果が NaN になりました
#複素数概念を導入するとこうなる。
sqrt(-1+0i)
[1] 0+1i
#微分(Derivative)してみる。
D01<-expression(x^2+1)
D(D01,"x")
2 * x

座標が導入されると、数学者たちの悩みは解消される。空間における点は数の組として定義できる。点をプロットすればグラフになる。そのグラフ上のすべての点と座標の関係が方程式である。方程式y=x^2+1は放物線というグラフを示す。記号は未知数を示すのではなく変数である。変化を捉えることが可能になる。
統計言語Rにおける検証結果

#統計言語Rの不思議な挙動。幽霊でも見た気分。
plot(x^2+1,type="l",main="Parabola?")

f:id:ochimusha01:20190510103509p:plain

# 普通使うのはこの方法。予測通りの普通の結果となる。
f0<-function(x){x^2+1}
plot(f0,type="l",main="Parabola?")

f:id:ochimusha01:20190510103722p:plain

#「放物線」感がないので表示領域調整。

plot(f0,type="l",main="Parabola",xlim=c(-1,1), ylim=c(0,2))

f:id:ochimusha01:20190510104355p:plain

plot(f0,type="l",main="Parabola",xlim=c(-6,6), ylim=c(0,32))

f:id:ochimusha01:20190510104447p:plain
「解析幾何学」といいつつ、案外人間の充実したパターン認識能力に依存してる側面があったりする?

空間を構築し、図形をその中に位置づける。それは空間から独立した図形がないことを意味する。空間の中で図形は変化できる。座標において図形はもはや不変ではない。変化するものとして捉えられる。代数形式の世界と空間表象の世界が結合する。変化する量に一つの表象を与え、変化現象を定式化することをもたらす。

解析幾何の登場はこのように数学を一変させる。デカルトは、その余勢を駆って、解析幾何の発想を拡張する。心身二元論もこのヴァリエーションである。従来、混合していた心身を分離し、精神によって身体を捉え直す。身体を動かすのは精神であり、空間の変化が示される。その際、身体が幾何、精神が代数のアナロジーとして理解できる。生命という未知数は変数として捉えられ、彼は『方法序説』の中で、その答えを脳の松果体に求めている。
*この部分については、色々言いたい事もあるのでそのうち追記する。

原文

デカルトこそ、資本主義的個人の生活を規定するカテゴリーから、統一的な世界像を打ちたてようと試みた、最初の人であった」。
フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』

西洋近代でなければ生み出し得なかったものの一つに「座標」がある。何しろ、正確には、西洋近代の権化である「デカルト主義」と付せられている。座標は数学上における最大の発明の一つである。西洋近代に否定的な人であっても、座標には抵抗感がない。また、中学生からフィールズ賞受賞者まで使うことができる。しかも、自然科学のみならず、社会科学や人文科学にも浸透し、利用していない分野を探す方が困難である。

数学は古代より世界各地で発展してきている。数学の歴史をたどると、近代に入るまで、ヨーロッパは必ずしも先進していなかったことがわかる。「パスカルの3角形」と言うが、宋の賈憲がこれに言及しており、111世紀以前に中国では発見されていたと推測される。ところが、中国をはじめ高度に数学が発達した地域でも、座標は生まれていない。

座標は解析幾何において成立する。登場以前の図形を扱う数学を「総合幾何」と呼ぶ。総合幾何は定義や公理から出発して命題を論理的に順次演繹していく。それに対し、ルネ・デカルトやピエール・ド・フェルマーは計算によって図形をめぐる命題を証明する。これが「解析幾何」である。

「総合」も「解析」も古典ギリシャに由来するが、両者は正反対である。総合は解けていない問題を論証していく方法で、正統的な方法である。他方、解析は解けたと仮定して論証する方法で、おおっぴらにされず、裏技として使われている。

解析幾何の際に、最大の武器となるのが座標である。それは、x軸とy軸が互いに直交し、単位の長さの等しい数直線による標準的座標平面であり、正確には「カルデジアン座標平面Cartesian Coordinate Plane)」、あるいは「カルテジアン座標系Cartesian Coordinate System)」と呼ぶ。

とは言うものの、デカルトの『幾何学』では問題に応じて基準となる直線が適宜設定され、座標軸を固定していない。しかし、やはり座標は「デカルト主義」でなければならぬ。

デカルトが記号化に躊躇がなかったのに対し、フェルマーは慎重である。2次元座標が生まれたら、3次元へと進みたくなるのが人情だが、フェルマーは面積と体積は単位が違うと無粋なことを言う。フェルマーの解析幾何は、そのため、総合幾何を引きずっている。幾何と代数が癒着している。代数でありながら、記号には長さや面積など幾何がつきまとう。

数学は演繹の世界であるため、ある方法がうまくいくとわかると、拡張が容易である。それを拡張できる。デカルトは幾何と代数の馴れ合いを清算する。これにより代数は幾何に拘束されずに自由に四則演算ができるようになる。解析幾何は代数を幾何から独立させたのであり、かくして「座標」には「デカルト主義」が冠せられる。

デカルトは代数と幾何をトレードオフして解析幾何を創出したわけではない。幾何と代数の曖昧な区分を明確化して独立させた上で、後者によって前者を考える方法論を提案している。それは数学の世俗化をもたらす。

総合幾何は数学名人の世界である。補助線を見つける洞察がないと、解けない問題がざらである。しかし、座標平面において図形を計算による対象と見なせるなら、そうした洞察に依存する必要がない。ただし、角度の命題に関しては総合幾何が依然として有効である。解析幾何はその威力を失う。

もちろん、計算して証明するだけなら、ユークリッド幾何学の言い換えにすぎない。しかし、デカルト以後の数学者たちは計算の意味を理解し、そこから法則性を見出す。空間と量の関係に関する法則的認識や代数式と空間との結合関係へと進んでいく。なお、この場合の量は無限に分割可能な連続量である。

解析幾何を通じて代数は空間と結びつき、新たな展開を始める。デカルト以前の16世紀、数の拡張や数概念の自立が起き、代数式の記号化が進む。当時の数学者は代数式x^2+1=0の解が実数でないことに気がついてしまう。法則に基づいて操作はできるが、虚数は彼らにとって無意味なものに映る。数えられない数とは何か、2乗して負の数になるものがどこにあるのか、これを記述して何の役に立つのかなど存在意義が見出せない。

座標が導入されると、数学者たちの悩みは解消される。空間における点は数の組として定義できる。点をプロットすればグラフになる。そのグラフ上のすべての点と座標の関係が方程式である。方程式y=x^2+1は放物線というグラフを示す。記号は未知数を示すのではなく、変数である。変化を捉えることが可能になる。

空間を構築し、図形をその中に位置づける。それは空間から独立した図形がないことを意味する。空間の中で図形は変化できる。座標において図形はもはや不変ではない。変化するものとして捉えられる。代数形式の世界と空間表象の世界が結合する。変化する量に一つの表象を与え、変化現象を定式化することをもたらす。

解析幾何の登場はこのように数学を一変させる。デカルトは、その余勢を駆って、解析幾何の発想を拡張する。心身二元論もこのヴァリエーションである。従来、混合していた心身を分離し、精神によって身体を捉え直す。身体を動かすのは精神であり、空間の変化が示される。その際、身体が幾何、精神が代数のアナロジーとして理解できる。生命という未知数は変数として捉えられ、彼は、『方法序説』の中で、その答えを脳の松果体に求めている。

デカルトミシェル・フーコーが『言葉と物』の中で「古典主義」と呼ぶ時代の精神を代表している。けれども、彼は、その主張の時代考証は割愛するが、歴史の断続性と人間の死の強調という戦略を際立たせるあまり、提示されるエピステーメーが必ずしも適切ではない。フーコー歴史学はすでに定着しており、その部分的批判をしたところでさしたる意義もないだろう。しかし、非西洋世界から見れば、西洋近代の特徴には変化の認識があるのに、それが言及されていないことは不満である。座標を生み出せたのは西洋近代だけであり、それをもう少し自覚すべきだ。

フーコーは、17世紀後半からの古典主義という「比較」の時代のエピステーメーを「タブロー」になぞらえている。博物学が示しているように、これは表の空間性を指し示している。当時の人々は事物を収集して分析を加え、中立的な記述で記録することに関心を寄せている。比較と分析を通じて事物を空間的な表に配置する。

古典主義のエピステーメーを説明する際に、デカルトにも言及している。彼によると、デカルトは、人間の精神の働きを比較によって操作されていると捉え、数と量ならびに秩序の比較を重視している。特に、秩序の比較が重要である。ある項から第二の項、さらに第三の項へと比較を通じて連続的に系統を形成する。デカルトは理性によって確実に認識できたものを連続的につなぎ合わせて学問の秩序を構築する。

しかし、これにはいささか飛躍がある。フーコーは空間と変化の関係を理解していない。座標により、記号が空間と結びつき、未知数から変数へと変わる。記号は変化の表象である。ところが、空間における変化の認識がないまま、フーコーの義論は空間性から時間性へと進んでしまう。彼は古典主義を述べた後、以降の歴史において生物学や経済学など時間経過に伴う線的変化に則った学問の展開を論じている。そこでは空間から時間への変換をうまく説明できていない。

フーコーはタブローの空間に生物を分類する博物学がそのまま生物学に発展したわけではないと指摘する。そのため、タブローが崩れて、生物が初めて誕生し、生物学が登場するとしてさまざまな実例を挙げている。しかし、これは苦しい。タブローを持ち出したため、議論に変化を組み入れることができていない。そのせいで、空間から時間への変換の際に変化が突然出現してしまう。

フーコーはタブローをその時代における認識の表象として活用している。その意味するところを解釈するが、発想から説き起こすことはない。彼は、「パノプティコン」もそうであるけれども、認知度が低いものを表象としてしばしば用いる。一方、17世紀の歴史を考察する際に、座標が重要なのは。その発想がそれを生み出した社会的・歴史的背景を表わしているからだ。カルテジアン座標系は古典主義時代が求めたものである。西洋近代の思想はよくデカルト主義に帰せられる。デカルトの出発点は解析幾何の成功である。西洋近代の認識の歴史を検討するのに、座標を避けることは適切でない。

座標から考察するならば、空間の変化が時間のそれに変換することを説明するのに、飛躍はない。座標によって方程式が空間に導入されている。後は微分方程式が考案されればよい。微積分の登場により、空間の変化が時間のそれへと変換される。さらに、デカルト座標に対応するのであれば、原点を固定する必要がない場合、一般化座標へと拡張できる。これにより微分方程式は可能性を広げていく。

非西洋世界から見て、西洋近代は変化の把握に熱心である。西洋近代の歴史におけるエピステーメーを考えるのであれば、変化の認識から検討する必要があろう。解析幾何以前は変化を捉えていない。小数の使用を始め数の普遍性の獲得、すなわち数の認識の時代である。17~18世紀の古典主義が空間の変化の認識であれば、18世紀末から20世紀初頭の「長い19世紀」は時間の変化の認識の時代になる。その後の現代では変化自身に認識が向かう。例えば、DNAの研究は生物における変化に関する考察である。こういった歴史区分もこれから検討される意義はある。

〈了〉
参照文献
赤木昭夫他、『科学と技術の歴史』、放送大学教育振興会、2001年
森毅、『数学の歴史』、講談社学術文庫、1988年
ミシェル・フーコー、『言葉と物』、渡辺一民訳、新潮社、1974年
デカルト著作集1』、青木靖三他訳、白水社、2001年

本格的検証には「科学と技術の歴史」「数学の歴史」の精読も必要そうですが「ミシェル・フーコーへの反駁」なる全体構造にある種の「20世紀らしさ」を感じます。ついでに以下も魚拓。

数の起源

要約

数とは何かという問題について歴史を遡ると、人類に最も大きな影響を与えたのは哲学者プラトンであり、「パイドン」の中で数学における基本的な概念である『等しさ』について、ソクラテスと弟子との対話として記述している。例えば等しく見える2つの石があったとしても、それは微妙に異なっており厳密には等しくない。人間が視たり触れたり出来る物の中には、完全に等しい物体は現実には存在しない。そこでソクラテスは「感覚のうちにあるすべての等しさはかの等しさそのものに憧れながら、それに不足している。」と語る。そうすると人間は『等しさ』そのものが何であるかという知識をどうやって得たのであろうか。続けてソクラテスは感覚によって知識を得たのでない以上、生まれる前に知識を得ていたのでなければならないと語り、だから学習とは想起に他ならないという。これを現代の生物学に基づいて考えると、生まれる前に得た知識とは遺伝的に与えられた知識、すなわちDNAに記録されたものであり、人間の神経系に最初から備わっているものと考えられる。さらに数学における基本的な概念は、『等しさ』そのものと類似した性質を持つので、その中で最も基本的と思われる概念について、生物学的な実体を探求してみる。

数の基本は自然数であるという点についてはあまり異論はないと考えられるが、無限に続く自然数の体系は文明の産物であり、未開の種族には2までしか数えられない種族も存在するし、文明社会における幼児も少ししか数えられない、それでも一対一の対応が理解できれば生活にそう不自由はしない。また言語能力がない人間の乳児や、人間以外の動物に関しても、数の能力は備わっていることが実験的によって示されている。こうした数の能力の基本は一対一の対応であるが、それは1の基本的性質によって成立すると考えられる。そうすると1の概念そのものこそが最も基本的と考えられる。

この1の概念についてプラトンは、「国家」の中で1について「この道に通じた玄人たちにしても、彼らは、1そのものを議論の上で分割しようと試みる人があっても、一笑に付して相手にしない。君が1を割って細分化しようとすれば、彼らの方はその分だけ掛けて増やし、1が1でなくなって多くの部分として現れることのけっしてないように、あくまでも用心するのだ。」と述べており、また「そのひとつひとつは、どれをとっても互いにまったく等しくて少しの差異もなく、それ自身の内に何ひとつ部分というものをもたない」とも述べている。これらから、1はお互いに等しく、分割できないものであると定義できる。

原文

数とは何かという問題について歴史を遡ると、人類に最も大きな影響を与えたのは哲学者プラトンであり、「パイドン」(1) の中で数学における基本的な概念である『等しさ』について、ソクラテスと弟子との対話として記述している。例えば等しく見える2つの石があったとしても、それは微妙に異なっており厳密には等しくない。人間が視たり触れたり出来る物の中には、完全に等しい物体は現実には存在しない。そこでソクラテスは「感覚のうちにあるすべての等しさはかの等しさそのものに憧れながら、それに不足している。」と語る。そうすると人間は『等しさ』そのものが何であるかという知識をどうやって得たのであろうか。続けてソクラテスは感覚によって知識を得たのでない以上、生まれる前に知識を得ていたのでなければならないと語り、だから学習とは想起に他ならないという。これを現代の生物学に基づいて考えると、生まれる前に得た知識とは遺伝的に与えられた知識、すなわちDNAに記録されたものであり、人間の神経系に最初から備わっているものと考えられる。さらに数学における基本的な概念は、『等しさ』そのものと類似した性質を持つので、その中で最も基本的と思われる概念について、生物学的な実体を探求してみる。

数の基本は自然数であるという点についてはあまり異論はないと考えられるが、無限に続く自然数の体系は文明の産物であり、未開の種族には2までしか数えられない種族も存在するし、文明社会における幼児も少ししか数えられない、それでも一対一の対応が理解できれば生活にそう不自由はしない(2)。また言語能力がない人間の乳児や、人間以外の動物に関しても、数の能力は備わっていることが実験的によって示されている(3)。こうした数の能力の基本は一対一の対応であるが、それは1の基本的性質によって成立すると考えられる。そうすると1の概念そのものこそが最も基本的と考えられる。

この1の概念についてプラトンは、「国家」(4)の中で1について「この道に通じた玄人たちにしても、彼らは、1そのものを議論の上で分割しようと試みる人があっても、一笑に付して相手にしない。君が1を割って細分化しようとすれば、彼らの方はその分だけ掛けて増やし、1が1でなくなって多くの部分として現れることのけっしてないように、あくまでも用心するのだ。」と述べており、また「そのひとつひとつは、どれをとっても互いにまったく等しくて少しの差異もなく、それ自身の内に何ひとつ部分というものをもたない」とも述べている。これらから、1はお互いに等しく、分割できないものであると定義できる。ただし問題を単純化するために、扱う数の範囲を自然数に限定する。

数の始まりには自然界にある物体を利用して一対一の対応によって数えたと思われ、小石は一般的である(5)。そこで例として、子供たちがそれぞれに小石を集めて、個数を競い合っているところを想定し、具体的に小石を数えることを考えてみる。これはよく考えると難しい問題を多く含んでいる。数える方法としては一対一の対応を用いるとして、最初に何をもって一個の小石とするかを規定する必要がある。まずは石の大きさだけに絞って考えてみる。極端に大きい石は、持ち運べないので除外されるべきであり、次に極端に小さい石も、砂粒と区別できなくなるので除外しなくてはいけない。ところが、その両方の境界をどこに定めるのかは、かなり恣意的な判断となり論争の元になる可能性がある。さらに難しい問題として、使用している石が二つに割れてしまった場合、どうするかという問題もある。それらを解決した後に、色や形態などの石による性質の違いをどうするかという問題もある。全てについて多数の子供の間で合意を得るのはかなりの時間を要するであろう。このように物体はダイヤモンドといえども、分割することが可能で大きさもまちまちであり、どこまでを1とするかの定義が困難である。

それに対して数える対象として人間を選んだ場合、上記のような困難はほとんどない。小さくても大きくても一人となり、男性でも女性でも老人でも子供でも一人である。病的状態を除くと、人間は自分自身が一人であるという意識を持っているのが普通であり、他の人間も自分と同じ一人と認識する。また一人の人間を分割すると、その人間は重傷を負い、体の一部を失って回復するか、死んでしまうかのどちらかであり、元来シャム双生児であった場合以外は、二人になるということはあり得ない。すなわち怪我をしても病気をしても、生きている限りは一人であり、中間の状態はあり得ない。この人間を一人とする認識は強固なもので、生後かなり早い時期に生じるように見える。最初は自分自身を一人と認識し、次に母親それから他の家族も、一人として認識するようになるのはないか。

次に子供の段階では人間以外にもペットの犬や猫なども一匹として認識する。さらに大人は広い範囲の動物や植物を一個の生命として認識する。このように人間は生命を1として認識する傾向があり、高等動物では個体を1として考えられる。しかしプラナリアのように分割しても再生する動物もあり、粘菌のように多細胞と単細胞の両方の時期のある生物もあり、個体を生命の単位とすると困難が生じる。また高等動物でも、マクロでは分割不能に見えるが、個々の細胞を単離して培養することは可能である。このように、全ての生物は細胞から構成されており、細胞は最小の自己複製単位であるので、学問的には細胞が生命の単位とされている。

全ての細胞が多くの特徴を共有している。全ての細胞はDNAに遺伝情報を収納しており、DNAから複雑な翻訳過程を経てタンパク質を合成する。この過程は全ての生物で共通である。また全ての細胞は細胞膜に包まれている。このような共通性から考えて、全ての生物は共通の祖先から分岐して進化したと考えられている。遺伝子からみても生物界の3大ドメインである細菌、古細菌、真核生物の中から、太古から保存されてきたと思われる239の遺伝子ファミリーが見いだされている。そうすると細胞は同じ祖先を持つという点ではお互いに等しいと考えられる。

次に細胞を分割する実験を考えてみる。細胞は分裂直前でない限り、分割して二つになることはなく、分割されて一部を失っても生存すれば、自己修復しようとする。ここで細胞がホメオスタシスを保とうとする時、その細胞は生命を持っていると考える。ホメオスタシスというのは細胞が一定の状態を保とうとすることをいう。例えば内部のpHや電解質濃度や浸透圧を一定に保とうとし、細胞の一部を破壊された場合は修復しようとする。ところが分割されて細胞が死んでしまうと修復されない。それは生命が無くなった状態であり、細胞は分解されてしまう。このように考えると、細胞には生命を持っている状態か、生命を失った状態しかなく、一個の生命そのものは分割不能である。そして全ての生命が互いに等しいとすれば、プラトンの1の定義は生命の定義となる。すなわち数の起源は生命そのものと考えられる。

参考文献
(1) プラトンパイドン岩田靖夫訳,岩波文庫(1998)
(2) B. Butterworth: The Mathematical Brain, Macmillan(1999)
(3) S. Dehaene: The Number Sense, Oxford University Press(1997)
(4) プラトン:国家, 藤沢令夫訳,岩波文庫(1979)
(5) ミッドハット・ガザレ:<数>の秘密,小屋良祐訳,青土社(2002)
(6) B. Alberts et al.: Molecular Biology of the Cell 4th ed., Garland Pub(2001)

こうした論調にしばしば登場する「」概念こそが、私がしばしば使うオイラーの原始量(Euler’s primitive sweep)概念の大源流。そして上を読みながらふと気が付いたのですが「」の概念の大源流もまた「眼と視覚情報を処理する脊髄」を獲得した左右相称生物(魚類やエビやカニの祖先)の進化速度が、あえてその道を選ばなかった鈍重な放射相称生物(クラゲやウニやイソギンチャクの類)を圧倒する様になったカンブリア爆発期(Cambrian Explosion、5億4200万年前〜5億3000万年前)にまで遡るのかもしれません。そう、両手が備わって左右の感覚が発生するからですね。「直径は半径の2倍」なる先験的直感も、少なくともこの時代までは遡り得るという次第。しかし当時はむしろ「手足がそれぞれ1対しかない生物」が珍しかったとも…まさかこれがN次元概念の起源?