「リング(原作1991年〜、映画化1998年〜)」シリーズの貞子、何故か国際的には「13日の金曜日(FRIDAY THE 13TH、1980年)シリーズ」のフレディとカップル認定されてたりして…
妻は「貞子じゃなくて貞公って言うと猫みたいだよね」って言ってる。ブラウン管からかわいいの出てくるの。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) April 23, 2019
毛玉だらけに
— タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった (@TATukoma1987) April 23, 2019
わーいw
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) April 23, 2019
バラエティ番組に出てくるようなヌルヌル階段とかを、貞子の現れるテレビの前に設置したらどうなるのかな?とか
— 佐藤 正 (@manngakaki) April 23, 2019
仔猫を沢山テレビの前にはなしておけば貞子も癒されるのに、とかしょーもない事考えてしまいますwwwww pic.twitter.com/Ps04TEsgdI
わはは、これはいいですねーww
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) April 23, 2019
こんな指摘も…
かなり前に『リング』の貞子がテレビから出てきた結末には笑ってしまったことがあるが、パソコンの画面から出てくる貞子はいないのだろうか。パソコンにある画像をクリックすると、それが貞子状の何かになりパソコンから出てくるというものだ(笑)。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) February 8, 2019
リングの続編映画の貞子3Dではパソコンからも出てきます。
— 第壱壱肆伍壱肆年帝國フューラー@明星騎士保猛@一人閑 (@SEIGINONINGEN) February 8, 2019
何故当時はこうした存在があんなにもアンヴィヴァレントな敬意を込めて恐れられたのか、基本概念そのものが失われて久しい?
だから「キャプテン・マーベル(Captain Marvel、2019年)」が凡庸な駄作に終わるのは仕方がないと最初から思ってました(もちろん映画館で鑑賞したけど)。ヒロインがナインインチネールズのTシャツを着てても、それだけではカバー出来ない何か…そしてあの時代独特の殺伐とした閉塞感が想像も出来なくなる事自体は社会にとっても良い事かも。
その分、無駄に頑張っちゃったのがフラーケン?