諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【パプリカ】【HINOMARU】「認識可能範囲の外側を跋扈する絶対他者」への解釈違い。

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それにつけても、どうして「パプリカ」なんでしょうか?

この曲は「他の誰かを応援し、背中を押す歌」ではない。「大人になり虚無に襲われたときに自分自身を励まし奮い立たせてくれる、幸せな子供時代の記憶の歌」だ。

そして、もう一つ。

「パプリカ」のサビでは「パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種をまこう」と歌っている。そして「パプリカ」の花言葉は「君を忘れない」。

そういうところまで考えると、すごく深く美しい意味が込められていると思うのだ。

 一方、炎上騒ぎを引き起こしてしまったRADWIMPSの「HINOMARU2018年)」…

 これ究極的には「イスラム教徒がジハードを口にしたらテロリスト扱いが正しいか」という話になってくるんですね。

ジハード(جهاد jihād) - Wikipedia

アラビア語では「ある目標をめざした奮闘,努力」を指す語だが、『クルアーン』では「異教徒との戦い」をも指す。その語義から、「異教徒討伐」や非ムスリムイスラム教徒)との戦争である「聖戦」の意味に転じた。『世界大百科事典』では次の解説がある。

  • ジハード」は、アラビア語では「ある目標をめざした奮闘,努力」を指す語だが、『クルアーン』では「異教徒との戦い」をも指す。その語義から、「異教徒討伐」や非ムスリムイスラム教徒)との戦争である「聖戦」の意味に転じた。

『世界大百科事典』では次の解説がある。

  • イスラム法の理念では,世界はイスラムの主権の確立されたダール・アルイスラームでなければならない。まだその主権が確立されていない世界は,ダール・アルハルブdār al‐ḥarb戦争世界と定義され,そこではイスラムの主権が確立されるまでジハードが必要となる。 」ジハードの原義は「(神の道のために奮闘努力すること」であり、「聖戦」と訳すことは厳密には正しくないが、古くから「異教徒に対する戦争」と解釈されてきた。近現代におけるイスラーム反帝国主義イスラーム復古主義イスラーム原理主義においては、イスラーム世界防衛のため、「実際に武器を持って戦うジハード」が再び強調されている。

国際法学者の島田征夫の研究によれば、そもそもイスラームの世界観では、イスラーム世界は「イスラームの家ダールル・イスラーム)」であり、他は「戦争の家ダールル・ハルブ)」である。つまりイスラームから見て国際関係は、政治的統一体たる「イスラームの家」と、異教徒の諸集団からなる「戦争の家」とに分かれており、二つの世界()の間は常に戦争状態にある、とイスラームは考えている。

そしてジハード(聖戦)は、「努力する」という意味のアラビア語動詞ジャハーダ(Jahada)に由来しており、すなわち「イスラームを広め、世界平和を確立し、この地上を普遍的な平和で覆い包むための手段である」という。つまりジハードは一般的に、非イスラム教徒(ムスリム)に改宗を促す努力・行為のことであり、「ジハードは、ムスリムの永続的義務であるから、戦争状態がむしろ常態と考えられる」と島田は記している。

イスラームにおいての位置づけ

ジハードは本来、「努力」「奮闘」の意味であり、ムスリムの主要な義務である五行に次いで「第六番目の行」といわれることがある。ジハードの重要性は、イスラーム聖典クルアーンコーラン)』が神の道において奮闘せよと命じていることと、あるいはまた、預言者ムハンマド)と初期のイスラーム共同体(ウンマ)のあり方に根ざしている。

ジハードは、『クルアーン』に散見される「神の道のために奮闘することに務めよ」という句のなかの「奮闘する」「努力する」に相当する動詞の語根jahadaジャハダ、アラビア語: جهد)を語源としており、アラビア語では「ある目標をめざした奮闘、努力」という意味である。この「努力」には本来「神聖」ないし「戦争」の意味は含まれていない。しかし、『クルアーン』においてはこの言葉が「異教徒との戦い」「防衛戦」を指すことにも使われており、これが異教徒討伐や非ムスリムとの戦争をあらわす「聖戦」(「外へのジハード」)の意に転じたのである。したがって、「聖戦」という訳語は、ジハード本来の意味からすれば狭義の訳語ということができる。

私の個人的感想としては「あ、これは幼少時代を米国で過ごした野田洋次郎の帰国子女性が前面に出た作品だな」というものでした。2010年代前半のTumblrにおいて偶々PIXIV画像上の引用から「海ゆかば」に辿り着いたBlack Establishmentがいて「カデシュの戦い紀元前1274年前後において、それまで向かうところ敵なしと恐れられていたヒッタイトに立ち向かったエジプト兵の悲壮な覚悟を思い出す」とコメントしたところ、White liberalも「辺境に派遣され原住民との戦いで虚しく命を散らしていったローマ軍団の悲哀を思い出す」と触れてた事を思い出したものです。

移民国家アメリカにおいては、長年朝廷に仕えてきたのに政争に破れ黙殺されつつある(その鬱憤で暗殺やテロに走った)大伴氏のルサンチマンが他人事ではなかった様なのです。むしろ日本人である自分は、この歌にそこまで真摯に向き合った事があるだろうか? そう恥ずかしく思った気持ちが、そのまま野田洋次郎が日の丸に向けた真っ直ぐ過ぎる感情と重なったものです。まぁ「ラムセス軍団に本当に黒人兵が参加してたのか?」とか「ローマ市民権を得る為に徴兵に応じた異邦人集団たるローマ軍団の何人の設定なのか? というか、それどころか先祖が蛮族側だった可能性もあるのでは?」とか、色々疑問もあったのですが、そんな重箱の隅を穿る様な心配を吹き飛ばしてしまうほど「米国旗を身にまとうキャプテン・アメリカユダヤ系移民が生み出したアイルランド系移民のヒーロー)」は格好良いんですね。

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中国人にしたって自国旗に対する態度はこんな感じ。皮肉にもそれは韓国人も同じ。

ちなみに、米津律師が「無難に」日本的ヒーロー観を歌うとこんな感じに。

まぁ「理想への到達不可能性」を主題とする米津律師がヒーローについて歌うとこんな感じになる様で…