山本義隆「少数と対数の発見(2018年)」によれば、中世までの数学と近世以降の数学の境界線を真の意味で引いたのは「10進法の父」シモン・ステヴィン(Simon Stevin、1548年〜1620年)との事。というのも書籍上において「数は不連続量では決してない(NOMBRE NEST POINT QUANTITE DISCONIUTE)」と断言して古代ギリシャ・ローマ時代から形而上学者が継承してきた数秘術的諸概念を全否定した初めての人だから。
フランドル(現:ベルギー)ブルッヘ出身の数学者、物理学者、会計学者、オランダ軍主計将校。フランドル(現:ベルギー)ブルッヘ出身の数学者、物理学者、会計学者、オランダ軍主計将校。
イタリアの天文学者、哲学者、物理学者であるガリレオ・ガリレイよりも早く落下の法則を発見し、また、ヨーロッパで初めて小数を提唱したとして名高い。また、力の平行四辺形の法則の発見者としても名高い。
若い頃のことは詳しくわかっていないが1548年にアンソニー・ステヴィンの私生児としてブルッヘに生まれ、少年時代を母親の手ひとつで育てられていること、1577年時点で、生まれ故郷ブルッヘの財務局に勤めていることなどが知られている。その以前はアントワープで簿記会計の仕事についていたとされたり、1571年ごろから10年ものあいだポーランドやプロシア、ノルウェーと各地を旅していたともされる。この説によって、アルバ公による宗教迫害が放浪の契機となったと考えられている。
ステヴィンが北オランダに住むようになってから以降の動向は記録により比較的はっきりしている。1581年にライデンに移住しており、地元のライデン大学に在籍。このころ工学分野に関する研究を精力的に行う。1584年には浚渫と排水システムについての考察を実証するべく、デルフト市の当局と交渉をおこない、オランダ議会からその考察に対する特許を与えられている。 その後同地では数学の家庭教師をしていた。
1585年に著した『十進法(蘭: De Thiende, 仏: La Disme)』で十進数による小数の理論を提唱した。現在、19.178と表す小数を「19⓪1①7②8」のように表した。また、ステヴィンは他にも加算や減算を表す+や-のように様々な記号を導入した。
1586年には古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、天文学者、発明家のアルキメデスの研究を発展させ『吊り合いの原理(蘭: De beghinselen der weeghconst)』を著した。これには力のベクトル合成の理論、水圧について述べ、てこの原理の証明、数珠を用いた思考実験により永久運動の不可能と斜面の法則について証明して力の平行四辺形の法則の発見に至った。なお、『吊り合いの原理』の付録にはステヴィンが行った実験で、重さが10倍異なる2つの物体を落下させるとほとんど同時に落下すると言う実験結果が示されている。
同年『水の重さの原理(De Beghinselen des Waterwichts)』を著し、容器の形に関係なく水面は地球の球面と変わらず水の平衡状態に関して力の法則を導いている。
1588年、水力学における発明の実用化をめぐり、当時世界的に有名な法学者であるグロチウスの父、ヨハン・コルネッツ・デ・フロートと共同関係を結ぶ。彼らは新しく考察したシステムに従って既存の水車を数多く改良した。
オランダ総督のマウリッツと親しくなり、1592年に運河や水門に関する工事を監督して認められて後に軍に勤務した。1594年には要塞建設に関する本を出版、これによって要塞技術における第一人者としての地位を確立する。その後は財政監督官に任ぜられることになるが、以降は頻繁に防衛と航海に関する調査を委ねられた委員会に加わる。
1600年にはライデン大学工学部創設のための委員長となる。その技術学校ネーデルダッチマティマティークの組織化をはかる一方、教育ではラテン語ではなくフランドル語で講義を行う規定をつくった。
1603年には、マウリッツの推薦により、オランダ陸軍主計総監となり、1620年に亡くなるまでその職に就いた。
1616年に結婚、四子をもうけ、ハーグに居を構えた。1649年に息子のヘンドリックによって編纂された民生問題についての本は、軍事と行政の問題に関する8つの論考のうち、都市構造についてと住宅とその付随部分の構造にする論については父シモンが生前出版に漕ぎ着けなられなかった文の一部である。
シモン・ステヴィンは、『Van de Spiegheling der singconst(1605)』という書きかけの原稿で、西洋で初めて2の12乗根に関する平均律について述べている。これは、彼の死から300年後の1884年に出版された。しかしながら、計算の精度は悪く、彼が算出した値の多くは正しい値から 1~2 単位ずれていた。ステヴィンは、ジョゼッフォ・ツァルリーノのかつての弟子であったイタリア人リュート奏者で音楽理論家でもあるヴィンチェンツォ・ガリレイ(ガリレオ・ガリレイの父)の著作に触発されたようだ。
今日なお「(直接計算の対象と出来ない)実数(仏nombre réel, 独reelle Zahl, 英real number)」の概念に拒絶感を覚える人は少なくない様です。確かに考えてみれば、とりあえず計算可能な有理数(rational number)と、かろうじて定数扱いで計算に組み込める円周率πやネイピア数eや平方根sqrt(x)といった無理数(irrational number)の組み合わせと「実は全部連続している」という考え方の間には若干の飛躍がある訳で…
質問(意味を取りにくい用語)
— 結城浩 (@hyuki) 2019年3月8日
少しびっくりしました。用語の意味を取りにくいということはよくありますが、嫌悪感を抱くことはないですねえ。(続く)#結城浩に聞いてみようhttps://t.co/QQFoWCQlhD pic.twitter.com/5mZsN3IgUa
用語に対して嫌悪感を抱くことはないですが、自分の理解力の少なさに無力感を感じることはあります。
— 結城浩 (@hyuki) 2019年3月8日
用語の意味を取りにくいときは、その用語の意味を理解してない状態なのですから、ちゃんと理解する以外に方法はないと思います。やさしい言葉で言い換えることができるのなら、それは理解しているのではないでしょうか。
— 結城浩 (@hyuki) 2019年3月8日
平易な言い換えをして慣れるのは、その言い換えが本当に正しい言い換えならば悪いことではないです。でも、そうでないなら理解を妨げる恐れがあります。「〇〇って、結局〇〇ということだよ」という言い換えは適切な場合とそうでない場合があるということ。
— 結城浩 (@hyuki) 2019年3月8日
たとえば「実数というのは結局のところ数直線上の点だよ」という言い換えをしたとします。これはある側面においては正しい言い換えですし適切ですが、これが実数の全てだと思うと誤解です。いろんな側面を持っている複雑な概念を「実数」という二文字で表しているのです。
— 結城浩 (@hyuki) 2019年3月8日
「実数」という用語をいくら眺めても、その意味はわかりません。実数をめぐる諸概念や主張などを学んで理解することで始めて「実数」の意味を知ることができます。平易な言い換えが悪いわけではありませんが、それは自転車の補助輪のようなもので、いつかは外す前提のものなのです。
— 結城浩 (@hyuki) 2019年3月8日
思わぬ場所で「方便」の概念が登場してきましたね。
正直私はオイラーの公式(Euler's formula)e^θi=Cos(θ)+Sin(θ)iの特殊形に過ぎないオイラーの等式(Euler's identity)e^πi=-1も「三角関数アレルギーを抱えた人達」を説得する為に発明された「方便」の一種じゃないかと疑っています。ガウスとかが流布した話が残ってますが「ほら円周率だってネイピア数だって定数と考えれば怖くない。虚数だって同じくらい怖くないんだよ。みんな仲間だ、友達なんだ」と宥めてるイメージがちらほら…
どうにも掴みどころのない仏教哲学の要諦「大衆を善導する清らかな方便」なる概念は、案外こんな辺りが大源流とも?