発端はこんな話…
ぼくが最初に「言葉狩り」について違和感を持ったのは、小学校の頃に先生から「『百姓』は差別的だから『農民』と言うように」と言われた時で、その頃は周りの大人たちも普通に使ってた言葉だったので「何でだろう」と思うくらいだったんだよな。
— No-Marcy@フラットウッズの森のパブリックエネミー (@NoMarcy1225) 2022年1月24日
史学をやるようになって「『百姓』じゃないと色々と解釈や理解が歪む」って言うのを学んで、それ以来歴史用語や過去に使われてた言葉の言い換えには基本的に反対のスタンスを取っている。
— No-Marcy@フラットウッズの森のパブリックエネミー (@NoMarcy1225) 2022年1月24日
「差別的」だろうが何だろうが、そうでないとその時代についての理解に支障があるんだから仕方ない。
他の「差別的」な語にも言える事だが、その言葉を「悪いもの」として消し去るよりも、残した上で「なぜ差別的とされるのか」をきちんと教育する事こそ、本当の意味での問題の解決に繋がると思う。
— No-Marcy@フラットウッズの森のパブリックエネミー (@NoMarcy1225) 2022年1月24日
「なかったこと」にするのは、問題の隠蔽・先送りであって解決ではない。
そもそも最近は「百姓は農民」でよかったのかって問題まで浮上してますよね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
「百姓=農民」って解釈だと、例えばWikipediaの百姓の項目のように、「庭訓往来」の「刹は今の公家也。波は武家、毘は商人、殊は百姓也。」の部分について「職人が出てこないのが注目される。」てな理解になるんですよね。https://t.co/9rTCFo8zOF
— No-Marcy@フラットウッズの森のパブリックエネミー (@NoMarcy1225) 2022年1月24日
とりあえず、メモがてら…