一般に 4枚の三角形を面とする四面体(tetrahedron)は空間充当(Space Filling)性を備えていないと考えられていますが、三辺比2:sqrt(3):sqrt(3)の比になってる二等辺三角形を混ぜると隙間なく積み上げる事が可能となります。sqrt(3)=1.732051ですから、外観もそれほど著しく損なわれる訳ではありません。
とはいえ「数理的に正しいもののみが生き延びる」とは限らないのがこの世の習い…
三角型のパックは正式には「テトラ・クラシック」といいます。『テトラパック』というスウェーデンの企業が1952年に開発したもので、シンプルな形状で製造がしやすく、必要とする材料をムダなく利用できるので世界中で使われるようになりました。低コストで製造できることから、飲料だけでなくお菓子のパッケージなどさまざまな商品で今もよく使われているデザインです。
日本乳業協会に取材したところ、日本には1956年に紹介され、すぐに協同乳業が製造を開始しました。しかし、当時はまだ冷蔵庫が普及しておらず導入が早すぎたそうです。
その後、1964年の東京オリンピックの選手村で提供され、1966年に鳥取県で給食に導入されました。そこから全国に広がったそうです。またスーパーマーケットの登場も紙容器の普及につながったといいます。
しかし、三角パックの牛乳はその特殊な形状から積み上げることが難しく、また搬送するのに六角形の専用ケースが必要になるなど、輸送効率の悪さが大きなネックでした。そのため1980年頃に現在多く見掛けるブリックタイプ(四角い形状)の牛乳が広く使われるようになり、三角パックの牛乳は給食から姿を消しました。
給食で使われなくなってからもテトラ・クラシックの飲料は製造され続けてきましたが、2004年ごろに完全に製造中止となりました。その理由は、機械のメンテナンスが不可能になったことです。実は1999年にメーカーが機械の製造を終了しており、これ以上部品の供給や機械のメンテナンスが続けられないということで、最後まで生産していた3社が同時に中止したのだそうです。
まさしく今年のこのブログの裏テーマの一つ「アノマロカリス(Anomalocaris)も久しからず」にぴったりの題材。
ルネ・デカルト(René Descartes、1596年〜1650年)やイマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年〜1804年)は「(人間が認識可能な情報の集大成としての)物(独Ding、英Thing)の世界」と「(その外側に「原則として」人類に不可知な形で拡がる)物自体(独Ding an sich、英thing-in-itself)」の世界を峻別しつつ、人間はある種の直感能力によって後者と直接結びついている筈とした。歴代の芸術家や科学者達が啓示を受けてきた領域…
その大源泉をとりあえずカンブリア爆発期(Cambrian Explosion、葯5億4200万年前〜5億3000万年前)に左右相称動物(Bilateria)が生物史上初めて獲得した「眼と視覚情報を処理する脊髄」に仮託する。「天からの声」はそのさらなる奥から我々に届いているのかもしれないが、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考(独Logisch-Philosophische Abhandlung、英Tractatus Logico-philosophicus、1918年執筆、1921年刊行)」の中で述べた様に「語り得ない事については、沈黙する他ない(Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.)」のである。
実際、それは映画「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey、1968年)」に登場するモノリスの如く劇的に作用した。以降(これを備えない)放射相称動物(Radiata)が進化面で遅れを取り始める一方、この新たな能力を捕食動物として初めて有効活用したアノマロカリス(Anomalocaris、約5億2,500万〜約5億0,500万年前)が「(当時の生物としては破格の大きさまで成長する)地球最初の百獣の王」の座に躍り出たのである。
しかしその一方で、種としてのアノマロカリス自体は自らの系統を一切残す事なく絶滅している。
- 一説によれば皮肉にもこの捕食性動物は、その奇跡的成長ゆえに「(棘や殻や毒で自衛した)食えない連中」のみを淘汰によって残し、それが食べられず餓死したのだという。
- また別の説によれば、同種の生存戦略をより洗練させた魚類や甲殻類の先祖が登場し、それに生存競争で敗れたのだという。
正解はもちろん不明だが、こうした「史上初めて現れ(良い意味でも悪い意味でも)引き出し得るポテンシャルの全てを引き出し切って歴史的役割を終えた後に跡形もなく消滅」という全体像を俯瞰して「あらゆるビジネスモデル(歴史的事象)の先例」と看做す向きもある。まさしく「平家物語(13世紀前後成立)」の冒頭「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ」の世界…
とはいえ左右相称動物(Bilateria)にも後にせっかく獲得した目と脳を捨てた系譜が存在し、その恩恵は必ずしも万能ではない。個体の存続に有用でなければ、その種ごと淘汰されていく。知識やMeme(文化遺伝子)といった諸概念も記録に残されず、いや例え記録には残されたとしても誰もそれについて想起も言及もしなくなれば自然に消え去っていく。そうまさに雨の中の涙の様に…そして、だからこそ逆説的に群論(group theory)の様な「数理そのものの純粋かつ恒久的な記述方法」の登場は歴史的画期となったといえよう。いうなればそこには既存概念全てを疑って掛かったオーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui, 1805年~1881年)やガロア(Évariste Galois, 1811年~1832年)の様な(政治的には成功し得なかった)フランス急進左派の置き土産という側面も存在するのである。
文系的感性からすれば、ホメロス「イリアス」でアキレウスが仇敵ヘクトルに叩きつけた台詞「パトロクロスでさえ死んだのだ!!」もいい感じに嵌まる?
- 冷蔵庫普及で日本全国に広まったのは。牛乳だけではない。朝食に納豆や生卵が普通に添えられる様になったのもこれ以降である。
- さらに遡るなら、冷蔵インフラの普及は英国人女性作家ウィーダの児童文学「フランダースの犬(A Dog of Flanders, 1872年)において「天才」ネロ少年と「親友」パトラッシュから牛乳運びなる伝統職を奪って自殺同然の死に追いやったり、The American Perilと恐れられた新大陸からの安価な農産物や畜産物の大量流入(これに伴う市場価格暴落に連動して発生したDie Pest aus dem Osten、すなわち東欧諸国の領主の借款返済の為の飢餓輸出急増が混乱に輪を掛けた)によって欧州を大不況(1873年〜1896年)に追い込んで貧民がアメリカに移民せざるを得ない状況を生み出したりもしてきた。ただ単に英国人労働者がFish&Tipsにありつける様になっただけの穏健な歴史的イベントではなかったのである。映画「エデンの東(East of Eden, 1955年)にも「氷で冷やしたレタスの鉄道輸送」が近郊農家が生き延びる為の必死の賭けとして重厚なドラマの背景に埋め込まれている。
一方、米国のヒッピー世代は「卒業(The Graduate, 1967年)」で、大学卒業間際の主人公に「プラスチックこそこれからの有望産業」と説く旧世代を冷笑したが、最後に勝ったのは一体どっちだったのか?
とりあえず、ここでテトラパックに勝利したのはブリックパック(brick pack)…
“煉瓦状の包装物”の意味で、一枚の紙を直方体に折り曲げて成形された箱型紙容器のこと。日本においては「ブリックパック」が明治乳業の登録商標(日本第2692744号)であるため、同社の製品以外には許可なく使用できず、そのため一般名詞的に「ミルクカートン」や「紙パック」といった呼称・表記が使われている。
- 厚手の紙にポリエチレンフィルムでラミネートすることで防水性を持たせた耐水紙を折り曲げて直方体とし、重なる部分を接着して箱型の容器としたものである。基本的に一枚の紙で構成されており、接着部分を剥がして折線を元に戻せば立方体の展開図としての一枚の長方形となる。この構造ゆえ、軽量・低コスト・省資源にも関わらずある程度の耐久性のある容器とすることができ、使用後は開いて畳むことで容積を減らすことができる。
- ポリエチレンの他にアルミ箔を容器内面側に用いたものもあり、ある程度の長期保存がなされるものや、光や温度の変化に弱いものを内容物とする場合に用いられている。
- 牛乳を始めとして飲料を販売するための使い捨て容器としてよく用いられる。牛乳のほか、食用油や日本酒、ワインといったアルコール類の販売容器としても使われ、後者には内面アルミ箔のタイプが使われていることが通例である。
- 家庭用の他、業務用食品のパッケージとしては、ゼリーや羊羹といった半生食品の容器としても用いられ、家庭向けでも豆腐のパッケージとして使われているものがある。
- 変わったところでは、アメリカでは22口径の小型拳銃弾がブリックパック方式の包装容器の中に詰められて販売されている。
1962年にドイツのPKL社(Papier- und Klebstoffwerke Linnich)が開発した耐水性箱型紙容器の商品名「blocpak」(ドイツ語 block paket の略、積木状の容器の意味)に由来する。1930年にギュンターマイヤー・ヤーゲンベルク(Günter Meyer-Jagenberg)が特許を取得した耐水性紙容器「perga」の技術に基づき、積み重ねし易く改良したもの。後に開発された無菌充填システム「combibloc」と併せてPKL社の主力商品となった。ちなみにPKL社は1989年にスイスのSchweizerische Industrie Gesellschaft社 (SIG) に買収されている。
19世紀末以降、高価で重く、取り扱いしにくいガラス瓶にとってかわるものとして、研究が行われるようになった。初期のカートン紙のコーティングにはパラフィンが使用された。
効率的なカートン用無菌充填包装システムは、1961年、スウェーデンのテトラパック社によって開発された。その後、各メーカーが後を追い、SIG社の「コンビブロック」システムなどが開発された。
2001年から500ml以上の牛乳パックにだけ上部に「切欠き」と呼ばれるくぼみができたが、これは視覚障害者でも牛乳であることを判別できるようにするためである。
もちろん「美しき生存競争」などある筈もないのですが、その一方でエンルスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895年~1998年)の様に「無論戦争は理不尽で残酷なだけだが、それ故に人類を進化させてきた」と断言する人も現れてくるという次第。