諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】First Screen化したスマホがさらなる進化?

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思い返せば、こういった記事を投稿してたのが4年前…

そして…

 多分もう「(時間間隔を含めた)身体意識からして違っちゃってる?

中世までの科学と近世以降の科学を峻別するのが「常用対数表」ら諸表の有無という…

  • 測量分野や天文学分野で必須となる莫大な計算負荷を省くべく、史上初めて「(乗除算を加減算に置換する魔法で天文学者の寿命を 2 倍にした(by ラプラス)」常用対数表(Common log table)の作成に取り組んだスコットランド男爵ジョン・ネイピアJohn Napier, 1550年~1617年)は事実上その計算に数十年も費やす事になった上、選んだ計算上の(base)が0.9999999と特殊だったせいであまり広まらなかった。

  • ネイピアに常用対数表作成を思いつかせたのは、当時の天文学者間における「計算省略法」競争過当の不毛さだったとも推測されている。なにしろ当時を代表する天文学者の一人たるポーランド貴族ティコ・ブラーエTycho Brahe、1546年~1601年)でさえ、自らの発案した三角間関数の独自の計算方法の「盗用」を巡って裁判を起こしているくらいないである。

    要するにまだまだ当時の欧州の数学は世界中の他の地域同様に(個性的な秘術の発見こそが飯の種になる)数秘術的伝統から完全には足抜け出来ないでいたのだった。

  • 底に10を選べば常用対数表の利用難易度が一気に下がる」と気付いて常用対数表をゼロから作り直したのはイングランド人数学者ヘンリー・ブリッグスHenry Briggs、1561年~1630年)だが、彼自身は再計算に数年も要してない。

    その後、対数の概念は急速に欧米全域に広まったが、それは英国人技師たるエドマンド・ガンターによる対数尺の発明(1620年)、ウィリアム・オートレッドによる計算尺の発明(1632年)があって建築現場や冒険的航海にそれが必須となったからこその展開だったといえよう。イタリア・ルネサンス(15世紀初頭~16世紀中旬)や大航海時代15世紀中旬~17世紀中旬)を契機とする欧州の国際的大躍進の背景には、そういう動きも存在したのである。

  • 「(底を0.9999999とする)ネイピアの不思議な対数」の謎を解いて自然指数関数e^x自然対数関数log(x)や有名な公式e^θi=Cos(θ)+Sin(θi)を次々と発表したのはスイスの数学者ヨハン・ベルヌーイJohann Bernoulli, 1667年~1748年)とその弟子レオンハルト・オイラーLeonhard Euler, 1707年~1783年)だったが、実際に複素数の概念が普及するのはドイツの数学者ガウス独Johann Carl Friedrich Gauß 羅Carolus Fridericus Gauss、1777年~1855年)が1の累乗根root of unity)の巡回性(全ての解が複素平面における半径1の基本円の弧上に存在する)を発見し、あらゆる正多角形がコンパスと物差しの援用なしに描ける様になって以降となる。

    実際、このサイトで描画されるありとあらゆる正多角形がこの発見の恩恵に預かっている。感謝感激雨霰!! としか言い様がない。
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    山本義隆小数と対数の発見(2018年)」が古代から(少数表記と対数概念が固まる)こうした時代の前夜までを扱ってましたが(ルネサンス以前には碩学者間の交流網自体が未整備だった事もあって)時間の流れがさらに緩慢となります。こういうのも各時代固有の身体性の一環といえそうなんです。

 現代の若者の感覚では、こういうエピソード全体がもばや遺跡発掘レベルの古代史?