思い返せば、こういった記事を投稿してたのが4年前…
そして…
今日レジ並んでたら、中学生くらいの女の子がiPhone版クリスタで指オンリーで結構本格的な漫画描いてるのを見かけた。すげえな。もはやiPadとかApple Pencilすらいらんのか。スマホと指さえありゃそこがアトリエか。レジ待ちの時間すら創作かやべえな新世代。
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2020年2月2日
僕が精々Twitterしかしてない隣でなんて生産的なことをしているんだこの子は。大人として僕はそれでいいのか。ああ恥ずかしい。なんたるザマだ。という内容のツイートをする。
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2020年2月2日
昔、東京BABYLONの頃のCLAMP先生の背景が潰れた写真のモノクロコピーだったのを見て「それはあんまりだろう」と思いましたが、今は写真を加工して背景に使う人もたくさんいるし、特に違和感なく読めるようになって時代は変わるってマジだったんだという気持ちになります。
— ドニーళ్లుだこう (@itaintme83) 2020年2月2日
そう思えることが、まだ若い感性をもってらっしゃる証拠なんですよね。
— Se.Ra@瀬良 (@Seven_SeRa) 2020年2月2日
年寄りだと、“こんなところで…”とか言ってしまいますから。
通勤中によく見かけてた男子高校生がスマホでエンブレムのデザインを手で描いていたのを思い出しました。
— ムジカ (@musica0830) 2020年2月3日
ズームしたり、回転させたりしてたのを見て「通学中の電車もアトリエになるんだ、すげぇな10代!」と感銘を受けましたね。
iPadでプログラム組んでる人ならスーパーでたまに見かけますね。時代は進みますねー
— 無貌の神ニャルラトホテプ⭐️❕ (@kaguraiyotuba) 2020年2月2日
スマホや携帯で小説が書ける時代から更に進んだねえ……
— Ssg.蒼野 (@AonoGensou) 2020年2月3日
多分もう「(時間間隔を含めた)身体意識」からして違っちゃってる?
中世までの科学と近世以降の科学を峻別するのが「常用対数表」ら諸表の有無という…
- 測量分野や天文学分野で必須となる莫大な計算負荷を省くべく、史上初めて「(乗除算を加減算に置換する魔法で)天文学者の寿命を 2 倍にした(by ラプラス)」常用対数表(Common log table)の作成に取り組んだスコットランド男爵ジョン・ネイピア(John Napier, 1550年~1617年)は事実上その計算に数十年も費やす事になった上、選んだ計算上の底(base)が0.9999999と特殊だったせいであまり広まらなかった。
- ネイピアに常用対数表作成を思いつかせたのは、当時の天文学者間における「計算省略法」競争過当の不毛さだったとも推測されている。なにしろ当時を代表する天文学者の一人たるポーランド貴族ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe、1546年~1601年)でさえ、自らの発案した三角間関数の独自の計算方法の「盗用」を巡って裁判を起こしているくらいないである。 要するにまだまだ当時の欧州の数学は世界中の他の地域同様に(個性的な秘術の発見こそが飯の種になる)数秘術的伝統から完全には足抜け出来ないでいたのだった。
- 「底に10を選べば常用対数表の利用難易度が一気に下がる」と気付いて常用対数表をゼロから作り直したのはイングランド人数学者ヘンリー・ブリッグス(Henry Briggs、1561年~1630年)だが、彼自身は再計算に数年も要してない。
その後、対数の概念は急速に欧米全域に広まったが、それは英国人技師たるエドマンド・ガンターによる対数尺の発明(1620年)、ウィリアム・オートレッドによる計算尺の発明(1632年)があって建築現場や冒険的航海にそれが必須となったからこその展開だったといえよう。イタリア・ルネサンス期(15世紀初頭~16世紀中旬)や大航海時代(15世紀中旬~17世紀中旬)を契機とする欧州の国際的大躍進の背景には、そういう動きも存在したのである。
- 「(底を0.9999999とする)ネイピアの不思議な対数」の謎を解いて自然指数関数e^xや自然対数関数log(x)や有名な公式e^θi=Cos(θ)+Sin(θi)を次々と発表したのはスイスの数学者ヨハン・ベルヌーイ(Johann Bernoulli, 1667年~1748年)とその弟子レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler, 1707年~1783年)だったが、実際に複素数の概念が普及するのはドイツの数学者ガウス(独Johann Carl Friedrich Gauß 羅Carolus Fridericus Gauss、1777年~1855年)が1の累乗根(root of unity)の巡回性(全ての解が複素平面における半径1の基本円の弧上に存在する)を発見し、あらゆる正多角形がコンパスと物差しの援用なしに描ける様になって以降となる。
実際、このサイトで描画されるありとあらゆる正多角形がこの発見の恩恵に預かっている。感謝感激雨霰!! としか言い様がない。
山本義隆「小数と対数の発見(2018年)」が古代から(少数表記と対数概念が固まる)こうした時代の前夜までを扱ってましたが(ルネサンス以前には碩学者間の交流網自体が未整備だった事もあって)時間の流れがさらに緩慢となります。こういうのも各時代固有の身体性の一環といえそうなんです。
現代の若者の感覚では、こういうエピソード全体がもばや遺跡発掘レベルの古代史?