1980年代といえばもはや四半世紀も昔…覚えてる人が少なくなるのも当然?
まずはこれ。
1980年代の音楽文化といえば、読者は何を連想するだろうか。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月7日
-中略-
MTV(Music Television)に象徴される音楽の映像化を抜きにしては語れない。
-中略-
80年代には洋楽のミュージックビデオを紹介するテレビ番組が数多く放映され、マイケル・ジャクソンやマドンナといった新たなスターが台頭して
きた。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月7日
ミュージックビデオとその紹介番組は、それまで縁遠い存在だった外国人アーティストを、身近に感じることができるメディアとして社会に登場したのである。
つまり1980年代とは、私たちと洋楽との距離が一気に縮まった時代といえる。
それは日本に限らない。
80年代の折り返し地点に相当する
85年は、音楽を介して「世界がひとつになる」期待を人々に抱かせた点で画期的だった。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月7日
これを象徴するイベントが「ライブ・エイド」であり、80年代を代表する英米のミュージシャンらが一堂に会し、12時間にわたって行われた本公演の模様は、世界84カ国で中継され、録画も含めれば140カ国以上で
放送されている。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月7日
-中略-
1980年代を「洋楽の黄金期」と呼ぶことがある。
今日であれば洋楽に興味をもたない人でも、当時は洋楽を聴いていたし、そうした人にも音楽は特別な価値をもっていたとする歴史認識のことだ。
南田勝也『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』2019
プリンスが好きでした🤠。
— ロゴ·ダウの異星人 (@zt4P8zfmxGy5f3j) 2020年12月7日
実際、ミュージックビデオについて語るには、この曲が欠かせません。
Queen - Bohemian Rhapsody (1975 Video)
一方でこういうのもありました。
二十世紀百年分のコラムを担当する私にとって、最も書きにくい時期は、この1980年代中頃である。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
膨大な量の風俗的ディテールが登場して、そこに新しいものが一つもない。
そういうものは、1980年代の初頭までにすべて出尽くしている。
文化の質の変化である「重厚長大から軽薄短小へ」を代表する「昭和軽薄体の文章」は、1970年代の末に登場している。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
1980年のマンザイ・ブームをきっかけにして、テレビはお笑いの時代に入った。
「おもしろCM」と言われるものが、日本人の硬直した思考を揺さぶり、テレビに『笑っていいとも!』が登場した1982年からは、プロとアマとの境を消した「シロートの時代」になる。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
変革は既に終わり、1980年代の中頃は、単なるモデル・チェンジの繰り返しである。
橋本治『二十世紀』2001
こういうのも。
1985年は、新風営法施行に伴う客離れとボッタクリの悪循環、ならびにテレクラ誕生の年だ。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
テレフォンクラブ--通称テレクラ--は、新風営法対策として急浮上することになった。
ここに始まる「電話風俗」は、ローティーンの少女たちをも巻き込みつつ、NTT伝言ダイヤル、Q2ツーショットのブームを経て
今日の裏ツー、プリペイドツーショット、Q2伝言、H系伝言ファックスにまで繋がることになる。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
いずれにせよ、ここにはほぼ4年にわたった80年代前半の「ニュー風俗」の嵐が一段落する。
しかし、「使用前」と「使用後」とでは、性的コミュニケーションに恐るべき変化がもたらされた。
いったいこの期間の「ニュー風俗」の嵐は、何によってもたらされ、何をどうのように変化させてしまったのだろうか。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
最初の重要な変化は、「フツーの」専門学校生や大学生が風俗で働き始めることで[プロ/アマ]の境界が消え、「社会の裏面」というイメージが中和されたことである。
このことが風俗の敷居を下げ、「フツー」の女の子の参入をますます容易にすることになった。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
それについては、ニュー風俗の先陣を切った「ノーパン喫茶」が果たした役割が重大である。
まず、昼間も勤務が可能で、衣装だけで接客技術が不要なことが、親と同居する素人学生でも働ける条件を整えた。
80年代に入って「企業社会の即戦力」として専門学校が林立、昼間から街をブラつく学生が増えたことも条件の一つだった。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
さらに77年以降、急速に上昇した「新人類文化」が性の敷居を下げたのみならず、
そこでの消費能力と対人制御能力の結合が、消費--ブランド、ディスコ、車…--への強いドライブを駆け、金銭へのアスピレーションを触媒したことも忘れるわけにはいかない。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年12月11日
宮台真司・他『増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在』1993
こういう話は「月賦屋」マルイやサラ金の躍進とセットで語らないと説得力が薄まります。「若者への物欲の刺激」が経済を回していた暗黒面。
そして…
「パパ活」的空間のこと。「セックス(すること)」が最終目的というリニアーな展開でもなく、それ「も」あり得る、という程度にぼやかした、しかしその分〈それ以外〉の領域も漠然と含めた対価≒「商品」化の対象になってしまっている状態。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2020年12月12日
一緒に一対一で「いる」ことからすでに対価が発生するという事態は、警察系由来の「個室」に対して法的な網をかけてくる視線とも重なっている。「つがい」が公然と世間に存在し、視線にさらされる状態に附される意味や解釈の歴史含めて。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2020年12月12日
オンナである(≒そういう性的存在である)ということ、そのような属性の個体が、個人として一対一で「いる」状態から対価が発生し、それはその先、散歩であれお茶であれメシであれ一杯呑みであれホテル行きであれ、全部その対価の範囲内に包摂されている、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2020年12月12日
戦前の「ステッキガール」的なたてつけと表層的には地続きではある。「自由恋愛」というもの言いの適用範囲とその歴史なども、また。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2020年12月12日
ただ、これは「売春」ではすでにない。タテマエも含めて。「セックス(すること)」に特化した対価の発生の仕方ではないから。そこに至る過程全部含めて対価が発生する。だから法的な視線からの網のかけようがとりあえずない。少なくとも困難である。だって「個人」の「自由」だから。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2020年12月12日
だが、それら「個人」の「自由」前提の領域の殆どに対価が発生する状態。そして、その内側で起こり得ることも全部「自己責任」で、かつての管理売春とその延長線形態のように「業者」による中間搾取はあり得ない。だからその分、リスクも含めて全部「自己責任」になる。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2020年12月12日
ウーバーなどと同じである。
「うちはぷらっとふぉーまー」という言い方で責任から(銭やら管理やら)から逃げて金儲けを企むたてつけはつまり「テレクラ屋」
— 空気の人その3 (@Aoi_oxo) 2020年12月12日
とりあえずメモがてら。内容の吟味はそのうちに…