「民草」なる言葉にAvexが手を出した時に生じる独特の「洒落臭さ」について。おそらくそれは同じ言葉にSMEがステマで到達しようとした時の「胡散臭さ」と交代級数をなしている。要するに「中心からの半径は同じ」という事…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
「前衛」や「尖端」といったもの言いが流行るようになっていたことは、同時に〈それ以外〉の部分、それらから疎外された「遅れた」「通俗な」領域というのが強く意識されるようになっていたがゆえ、でもあり。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「流行」「世相」といった認識の仕方も、共に。
「大衆」「民衆」系の表象が、単なる記号としてだけでなく、そこにどういう内実を伴わせて世間一般その他おおぜいの気分も含めた領域に合焦、結像していったのか、その経緯来歴について。#わけのわからないことを言う
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「一般的に、「大衆社会」は「アメリカニズム」「モダニズム」と紐付けて理解されることが少なくないですし、また事実、大衆社会的な現実は、そこに宿る〈リアル〉も含めて、戦前からの「アメリカニズム」「モダニズム」を大きな下地とした枠組みの上でしか、われわれは認識できずにきたらしい。}
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「しかし、それは大文字の言葉でものごとを一括して一望しようとする際の、言わば上澄みであって、それらの水面下に拡がっていた多様で個別具体の現実においては、眼前の事実をどのようにとらえて認識してゆくかについて、知られざるさまざまな動き方もあった。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「以前、自分は、巷間「無法松の一生」として知られる物語が、元の小説から映画、舞台その他、さまざまに作りかえられ、同時代の情報環境を介して「伝承」されてゆく過程を追いかけてみることで、本邦世間に宿っていた「男らしさ」をめぐる想像力の転変を跡づけようとしたことがあります。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「その際、戦後上演されるようになったバージョンでの新劇の舞台、原作になかった役回りとして加えられた松五郎に心を寄せる芸者の、これもまた絶対に原作にはあり得なかったはずの「みんな、松さんが好きなのよ」というせりふ……」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「……その「みんな」が戦後の「無法松の一生」にかなり決定的な屈折を与えていたらしいことに気づかされ、嘆息しました。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「そのような「みんな」にうっかり担保されるようになった「民主主義」が、どのようにわれわれの想像力に、それこそ「民俗」レベルも含めての、いわば「聖痕」を残してきているのか、それ以降、眼前の事象を考えようとする時には考えざるを得なくなりました。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「「戦後民主主義」などとひとくくりにされ、一時期からは軽侮嘲笑の対象にもされていたものの内実は、しかしその嗤い飛ばしの勢いごかしに、つぶさに自分ごととして「歴史」の位相で省みる契機も吹き飛ばされてしまい、だから、役立たずになったものをきちんと成仏させることもできなかった。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「結果、その形骸だけが、それこそゾンビのように、いまの本邦のwebも含めたこの新たな情報環境に浮遊しています。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
それではゾンビ化したのは一体何だったのか? 大日本帝国時代、なまじそれ自体は不可能な「大衆救済の悲願」から出発してしまったが故に、登場当初から未完となる事を運命づけられた尾崎紅葉「金色夜叉(1897年(明治30年)~1902年(明治35年))」や中里介山「大菩薩峠(1913年(大正2年)~1941年(昭和16年))」の様な「未来永劫青臭いままの」大衆救済小説の世界観ではなかったか?
- そしてこの「未来永劫青臭いままの何か」にまつわる話はELP「タルカス(Tarkus,1971年)」の話にも繋がっていく。
そうまさにリチャード・バック「かもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull,1970年)」、石ノ森章太郎「仮面ライダー(1970年~1973年)」、永井豪「デビルマン(1972年~1973年)」「マジンガーZ(1972年~1974年)」が立て続けに登場した時代の落とし子。
ここに乱入。
「皆の衆」が1964年、ビートルズ初来日が1966年ですねえ。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年6月7日
そのあたりから、「若者向け=進んでいる」の印象が、少なくともマスメディアの表ヅラには浸透していたような。
「若者」と言いつつ実質は〈おんな・こども〉のところが実は大きかったんだとおもとります。そのへん、近年ずっとちみちみほどこうとしてはいるのですが……
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
「広告・宣伝」という要素が、対「世間」≒「大衆社会」状況の認識に介在してきて、そこに「市場」と「消費」の関数によって合焦、結像していった新たな「主体」としての「若者」≒〈おんな・こども〉というざっくり見立てで当面、作業してきてはいるのですが……
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
そういえば、歌の歌詞が1960年頃から急激に傾向がシフトしていったような気がします。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年6月7日
風景→光景→情景→内面の語り
意志や気構え→展望→願望→感傷
詩→物語
抽象→具体
ザックリ言うと「女々しく」なった。
2000年をちょっと超えたあたりから若干揺り戻しがきている感じがします。
その「女々しく」ってのは、個人の内面orおキモチありきになった、といった感じも含めてですかね。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
定型としての「こころ」「気持ち」でなく、個人の情緒ありありな表出として、というか。
定型に乗せない/乗せることのできない内面orおキモチの領分ってのは、そもそも「なかったことにする」のが「そういうもの」だったみたいで、少なくとも「うた」に乗せる表現のたてつけとしては。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
いわゆる流行歌ではないですが、アイルランド民謡の「ダニーボーイ」の訳詞のバリエーション見ていると、「歌詞にのせていいもの」の変遷を見る感じがするんですよね(元の歌詞とのずれのずれっぷりも含め)。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年6月8日
妹尾幸陽https://t.co/X4PxmGZ4ia
近藤玲二↓
津川主一https://t.co/fwsr5iyi3e
水島哲(1961)https://t.co/4CyhiVZBlX
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年6月8日
加藤登紀子https://t.co/W9ZS7ufDc9
なかにし礼https://t.co/z66pbNCSVy
(歌:岸洋子)https://t.co/PoYvC1vsh6
平原綾香https://t.co/5gGSvQslFH
元の歌詞も、田舎の母→戦地の息子といった、たてつけなんですが、昭和初期→平成の間に、お気持ちののせ方がダイレクトになってきたなあと。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年6月8日
そして…
世相本、1970年代から増えて80年代まで飽和状態の印象で、特に新書の増加と平行してた印象で…点数も多いせいか今では古書市で二束三文でついつい買ってしまいます
— 白頭度 (@pq_lew) 2022年6月7日
「流線」「流線型」ってのもありましたね。
— koh (@koh1970) 2022年6月7日
70年代のフォークソング何てまだ高度成長都市化が郊外に及んでくるかどうかの一方都心部は乱雑にごちゃごちゃしだした頃なので”海よ””空よ””草原よ”みたいなのが決め台詞なのばっか
— misahohayato (@misahohayato) 2022年6月7日
「歌詞」を糸口にするのはご参考程度ではあるんでしょうが、商業音楽としての流行歌の類をつくる側の世代が変わってきたことで、歌詞のたてつけがそれまでと違うものになってきた、っていう事情はあったと思います。たとえば、阿久悠なんかが一気に台頭していった経緯とか。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
歌詞の世界観を大分類として
— lazykitty (@caazzy) 2022年6月8日
・叙事詩的
・叙情詩的
に分ける事が可能と思っていて。
阿久悠は前者であり。流しのギターにマッチしていた。
(琵琶法師的なもの。ポータブル劇団)
ニューミュージック以降は後者が主流となった。
という個人的認識があります。
「歌詞」そのものを「書かれたもの」的に対象化することは自分自身の作業としてはあまり前向きではないのですが、阿久悠が「流しのギターにマッチ」という感覚は、逆に新鮮というか、自分的には「ああ、そう聞こえたりもするのか」という「発見」がありました。自分の耳からはとてもそう思えないので。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
まあ、阿久悠自身、多才多方面な御仁ではありましたし一筋縄で語れないのですが、ただ「津軽海峡冬景色」の時点であれ、すでにキッチュ化した演歌みたいなところあったわけで、出発点は「反・演歌or既存の歌謡曲」な人だったのは明らかではあるかと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
そして…
1960年代末のザ・バーズ辺りを皮切りにしたカントリー・ロックにおける「都会はダメだ、田舎に帰ろう」ブームの日本的翻訳が「海よ山よ草原よ」だったのでしょう。なお、日本で最も早く田舎回帰を打ち出したのはGSのダイナマイツです。1967年。https://t.co/vZwgZWWilE
— 「山本ニュー」 ,Must (@MeshiMazuMonika) 2022年6月7日
「草原」「高原」的なイメージ自体は、それまでもある種のモダニズム的な下地の上に「戦後」の過程で散発的に刷り込まれてはきてたようではありますが……確かに、その外来洋楽系の影響というのも、その60年代末の時期にはあったでしょうね。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
高原列車は行く 岡本敦郎 https://t.co/jQ7Zhf6PVt
そうでしたうっかりしていました。いわゆる「青春歌謡」における草原・高原は、プラトニックラブを指す定番タームでもありました。というわけで、歌手時代の阿木譲氏。 pic.twitter.com/zqbWFhChgF
— 「山本ニュー」 ,Must (@MeshiMazuMonika) 2022年6月7日
( Д ) ゚ ゚
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
ですです。「童心主義」的な幻想が戦後、商品音楽にうっかり反映されたところも複合して、「どこにもない清らかな世界」的なファンタジー空間のシルシみたいになっていった経緯、あるとおもとります。70年代に最も煮詰まった形になって後「トロピカル」「リゾート」w系に分解していったのかな、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月7日
あと、戦後の男女共学に伴う「健全な交際」w の雛型のひとつに「ハイキング」ってのがあって、そのへんの原体験&イメージもどこかで関係しとるように思いますです。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
新潮文庫の100冊にも入ってた「チップス先生さようなら」で、チップス先生が当時流行していたワンダーフォーゲルで結婚相手と出会うエピソードを思い出しました。奥さんが「ブルマー履いて自転車に乗る」進歩的女性だったりするあの感じ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
リアルタイムで明治時代夏目漱石とかも書いてましたし「ハイカラさんが通る」っぽさもありますが、「カニ族」時代にも何か影響を与えてた?https://t.co/8ElqMNB3h2
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
ユースホステル運動、とかともつながっていたところはあったでしょうね……
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
戦後、本邦のユース運動は、「馬喰一代」の中山正男が中心になっていたはずで。下中弥三郎なんかをケツ持ちにして。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
一応1961年から加山雄三の若大将シリーズも始まってる訳ですが、現実の若者にとってはまだまだファンタジーの世界に過ぎなかった?https://t.co/XxJ9Z2NoXt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
ああ、加山雄三のそのへんの「大学生」「キャンパスライフ」wイメージは、まだ世間一般的にはファンタジーというか、戦前の旧制教育的な大学生とは違うものの、現実にどれくらいあるものかいまひとつようわからんディズニーランド?みたいな感じだったのではないですかね。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
「カネ持ちのドラ息子」としての「大学生」という新たな定型っぽいもの、が醸成されていたんだろうな、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
横溝正史の推理小説に出てくる「旅先で地域の因襲ベッタリの連続殺人事件に巻き込まれるカニ族」とのギャップが凄い上、割とその存在、どう見ても「終戦直後、帰るべき場所をなくして放浪する復員兵」の置き換えに過ぎないという(どちらも道具的過ぎてあまりリアリティはない)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
横溝が描く「カニ族」ってのはそれ、角川に再発見(失礼)されてからの最晩年に書いたものに、ですか?
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
あ、ありがとうございます。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年6月8日
実を言うとそれが私にとって「カニ族」という単語を知った最初だったんです。時間があったら探してみます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
ああ、あまりに昔の話過ぎて記憶が混乱している!! 割と大きな比率で扱われていた印象があった描写が遺作「悪霊島(1979年~1980年)」第二章「なんでも見てやろう」で見つかりました。時期的には1967年(1967年)頃とされていて、ここ自体には「カニ族」の文言はないです(探索続行)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
とりあえずKindle版からの抜き書き。https://t.co/NxHW2SqyLZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
ヤバい。記憶にある「何ですか、あの若者?」「ああいうのカニ族っていうんですよ」が本当に横溝正史作品自体の記述だったかも怪しくなってきた…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月8日
そんな感じで以下続報…