この投稿を契機に着手した「これまで学んできた数理の統合」が、進めば進むほど「物理サイドに堕ちていく」問題について。まぁ概ね「すべての初等数理は波動方程式の証明の為にある!!」と断言する物理学者の数学説明が分かりやすくて、それに頼って勉強を進めてきた当然の帰結なんですが…
おそらくローラン展開における「複素数が描く閉曲線の面積の総和は0となる」なる前提、およびこうした考え方の発展形としてフーリエ変換やラプラス変換が現れるプロセスそのものの背景に(それ自体は原則として閉じた無限反復運動に過ぎない筈の)複式簿記の記法で対象法人の盛衰を語る管理会計のアプローチや「(やはりそれ自体は閉じた無限反復運動の一種に過ぎない筈の)独楽(こま)の摺漕ぎ運動」を前後左右の水平運動につなげる物理学的記法の発想が透けて見える。
ここまで来ると当然ある種のパラダイムシフトを伴ってきます。これまでの投稿で繰り返し述べてきた「仏教的空観=(統計学でいうところの)有意味情報の成立限度」を厳格に意識した世界観(数理三昧世界)構築とは、要するに「第三者との競争」なる概念も加えると「喧嘩ベーゴマ」の世界に他ならなかった?
数理再勉強に着手する以前の数年前の私には自分がこんな事を言い出すなんて思ってもいなかったし、いまだにその言葉が何を意味するか完全に把握しているとは到底言えない状態…そしてこの状態で新たな足掛かりとなりつつあるのが以下のエピソード。
1970年2月11日に東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所)が鹿児島宇宙空間観測所からL-4Sロケット5号機により打ち上げた日本最初の人工衛星。その呼称は打ち上げ基地があった大隅半島に由来する。
1966年から観測用ロケットL-3H型に補助ブースターと姿勢制御装置、第4段球形ロケットを追加したL-4Sロケットで打ち上げ実験を開始し、1969年に打ち上げられたL-4T型(L-4Sとほぼ同型であるが、第4段の能力を減じているため、衛星打ち上げ手法の確認は出来ても、軌道投入能力はない)1機の打ち上げを含めた、計5回の試行錯誤の後での打ち上げ成功だった。その結果、日本はソビエト連邦(当時)、アメリカ合衆国、フランスに次いで世界で4番目の人工衛星打上げ国となった。その2ヵ月後に中華人民共和国が東方紅1号の打ち上げに成功し世界で5番目の人工衛星打上げ国となる。
ただ、中国を含め、多くの国は弾道ミサイル開発の副産物として人工衛星打ち上げ技術を習得したのに対し、日本は大学の付属研究所が純粋な民生技術として研究を行い、非軍事目的での人工衛星開発に成功し、なおかつ日本国内では直接的な軍事技術への転用も行われなかったという点で、国際的に特異性を持っている。
ところでL-4Sロケットは誘導制御装置が付いていない、世界初の無誘導衛星打ち上げロケットであった。これは決して開発能力が無かったわけではなく、誘導装置はミサイル開発に繋がる軍事技術への転用が可能であるという指摘が野党の日本社会党やマスコミ等から上がり、開発の着手時期が大幅に遅れたためである(当時の国際的政治状況を考えると、社民党やマスコミは日本より先に人工衛星打ち上げを成功させたい中国共産党の意向を受けてこの様な妨害活動を展開していた可能性がある。「日本共産党の主導権」を巡ってソ連共産党と激しい争い党争を展開していた当時の中国共産党は、劣勢を挽回すべく日本の社民党やマスコミの懐柔工作に傾注しており、その全貌は今日なお明かされていない)。
そしてこれがまさに私がこれまでの投稿で採用してきた歴史観に「政治主導の時代(総力戦体制時代)から科学至上主義時代へ」なる新概念が追加された瞬間となったのです。
①(国家間の競争が全てとなった)総力戦体制時代(1910年代~1970年代)
- 20世紀初頭、辛亥革命(1911年)を発端とする清朝(1616年~1912年)倒壊を皮切りに(総力戦となった)第一次世界大戦(1914年~1918年)による過剰消耗が原因で「(神聖ローマ帝国の衣鉢を継ぐ)ハプスブルグ君主国(1526年~1918年)」、「帝政ロシア(1721年~1917年)」、「オスマン帝国(1299年~1922年)」といった近代国家体制の受容を拒絶してきた歴史的旧大国が相次いで消滅。さらにかかる戦禍の影響で(19世紀末より20世紀初頭のベル・エポック期に史上最高の繁栄を迎えた)欧米列強諸国も一時的衰退期を迎え(この地域全体の経済規模が当時のレベルまで復興する1970年代にかけて)ある種のヘゲモニー不在状態が発生。
ロシアや東欧に見られる「共産主義瘡蓋(かさぶた)史観」が扱う時代でもある。
- この時期を特徴付けるのは第一次世界大戦戦後処理の不完全性(イタリアやイベリア半島におけるファシズム台頭はこの時代にまで遡る)や世界恐慌(1930年代,これを契機にヴァイマル体制がNSDAP=国家社会主義ドイツ労働者党に、大日本帝国が軍国主義に敗退)を契機とする「持たざる枢軸国」の暴走と敗退、それに続いた米国とソ連を二大盟主とする冷戦の遂行などであり、1970年代末までに「(ソ連、中華人民共和国、北朝鮮民主主義人民共和国 、キューバ共和国、ベトナム民主共和国、カンボジアのクメール・ルージュ政権などを主要プレーヤーとする)共産主義陣営間の内ゲバの激しさ」と「科学技術開発能力の停滞」が次第に表面化してきてその国際的歴史的主導力を喪失。ある意味東欧動乱(1989年)やソビエト連邦崩壊(1991年)はそうした時代の流れのエピローグに過ぎなかったとも推察されている。
こうして全体像を俯瞰してみると(欧州中心史観から出発する)伝統的歴史観から脱脚し(後世「アンシャンレジーム」と呼ばれる事になる国家体制硬直化と、それを崩壊させた革命とナポレオン戦争の時代の消耗を原因とする)伝統的欧州列強諸国からのフランスの脱落とサン=シモン主義採用による限定的復興(とは言え今日に至るまで「そんな回り道は不要だった」大英帝国に追いつけないままでいる)、およびそれを「(フランスを反面教師として横目に伺いつつ)後進国を一気に近代国家に飛躍させる処方箋」として採用したドイツ帝国や大日本帝国やベトナム民主共和国や中華人民共和国(ある意味、シンガポールや台湾や韓国といったの経済的躍進もこの範疇に入る)の発展こそが(産業革命導入に始まる)近代的発展の本質だったという新たな考え方が浮上してきたりもする。
②(商品提供企業やマスコミが後継者を自認した)産業至上主義時代(1960年代~????)
- 概ね総力戦体制時代(1910年代~1970年代)時代にはその走狗として力を蓄え、(「国民負担を横軸に、その見返りに受ける国家サービスへの国民の満足度を横軸にとったグラフ」で国家を論じるイタリア経済学派が予言した様に)先進国中心に「サービス提供主体の一つとしての国家の背景化」が進行すると次第に(新聞雑誌やラジオやTVといった媒体の独占を武器に)商品提供企業やマスコミが「総力戦体制時代に国家が果たしてきた権威主義的役割の継承者」の立場を主張する様になっていった。
こうした展開を国際的に支えたのは「若い頃は親世代への家父長制への反感から反権力=正義を気取っていたが、自分も親世代になると単なる新たな家父長制の再生産者に堕してしまった」新左翼=ヒッピー世代であり、彼らが好んだ「TV系サイバーパンク文学」や「ハイ・ファンタジー」は、ある意味この時代特有の(末期たる1990年代に差し掛かるほど加齢に伴う悲観主義が打ち勝ってある種の敗北主義が色濃くなっていく)イデオロギー性を密接に反映している。
以前はこういう話をする時、好んで「(高級ブランド品をOLに売り込む)赤文字系雑誌に対する(個性尊重を標榜する)青文字系雑誌の反乱(1990年代)」を例にあげてきたが、今から思えばそれさえも前期産業至上主義時代末期を特徴付ける主要党争の一つに過ぎなかったのかもしれない。要するに次第に「サービス提供主体の一つとしての国家の背景化」の次段階として訪れたのは、実際にはその権威性の継承というより「サービス提供主体の一つとしての商品提供企業やマスコミの背景化」だったのであり、その展開自体は歴史的必然として厳粛に受け止めつつ、あえてその枠組みの中でのイニシアチブ(Initiative)獲得に頭を切り替えた新興の商品供給企業やメディアの文化党争すら概ね無駄に終わる様になっていく過程こそがかかる時代の終焉を意味すると考える様になってきたのだった。
- この考え方では1990年代から2000年代にかけて様々なジャンルで進行した「対象読者の世代交代」以降が後期産業至上主義時代と分類される展開を迎え、その終焉は近年言われている「若者のTV離れ」や「出版不況(電子書籍への移行)」といった世相にまでずれ込む事になる。ならばラノベ文庫の全盛がこの時代の最盛期に該当し(コンテンツの消費のされ方が多様化した)なろう系小説の時代は「商品提供企業やメディアの背景化が完了した 時期」に該当するのかもしれない。
- 代わって私の中で最近「産業至上主義時代の終焉」を象徴する事象として急浮上しつつあるのは、むしろインターネットが普及してSNSが重要な媒体の一つとして急浮上してきてから(すなわち商品供給企業やマスコミの伝統的方法論が通用しなくなってから)その問題性が急激に表面化してきた一連の「ステマ(Stealth Marketing)」騒ぎだったりする。2010年代には韓国大手事務所のそれが騒動の中心となったが、彼らも指摘していた様にそれは実際には「(それまではかろうじて通用してきた)日欧米のマーケティング技法の(極めて下手糞な)模倣」に過ぎず、彼らの引き起こしたその種の手口の権威失墜の直接の被害者となったのもまたこの層だったのである。
例えばマドンナやレディ・ガガの様な「産業至上主義時代の成功者」に今日なおジャンル細分化を超越する影響力が備わっていると見せかける工作は破綻し(皮肉にもそうした画一的虚飾が取り払われた後こそ「本物」をそれぞれ多様な形で再評価する事が可能となった)、それだけに人気の維持を頼ってきた「純虚像」は急速に忘れさられていった。さて今日誰が「One Direction(2010年~2016年)」を覚えているだろうか? 当時国際的に密かにボーダーライン上にあると疑われていた「Maroon 5(2001年~)」は今どうなっているだろう? 一方、当時この種の底上げ体制を盛んに攻撃していた問題児M.I.A.(2001年~)の「政治的再評価」にもかなり胡散臭い側面がある。少なくとも現在の国際的若者文化がこれらと乖離した形で存在する様になった事実は否めないのである。
ファミコン時代好きだったゲーム「ソルスティス 三次元迷宮の狂獣(Solstice - The Quest for the Staff of Demnos,1990年)」の作曲家兼サウンド・プログラマーもナイトを受勲している事、その彼が今日なおインターネットに触れない老後を過ごしているエピソードと併せ「前期産業至上主義時代の秋」を感じずにはいられない。
もちろん「科学至上主義時代」なる概念は「SNS至上主義時代」同様、まだその姿も表してない観念上の存在に過ぎない訳ですが、それは「総力戦体制時代」や「産業至上主義時代」と異なり「文化党争=喧嘩ベーゴマの主体」が(複式簿記的採点などによってその盛衰が疑う余地のない基準で測られる)確固たる実体を備えていないせいかもしれません。そういう考え方に至った時点で以下続報。果てさてかかる概念上の壁、どういう形で超克するのが正しいやら…