2010年代がこういう時代だったとしたら…
2020年代はこういう時代に?
話はさらに複雑な領域に足を踏み入れます。
Pythonを触って驚いたのが、そのベン図作画ライブラリが閉世界仮説を採用していたという事です。「あらゆる集合を包括する全体集合の補集合は必ず空となる」まぁこう決めておいた方が数理としての扱いが格段に楽になるのも事実。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
要するに「それ以上外側を想定する必要がなくなった時、閉じた集合が得られたと考える」方便ですが、ある意味まさにこの前提こそが2010年代Tumbrにおいて「物語シリーズ」が必須教養となった理由でもあったのでした。要するに「羽川翼-ブラック羽川-火虎」「千石撫子-蛇神-押入に封じ込められた何か」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
「第三世代フェミスト」を名乗る海外のネット論客は、しばしば日本のアニメや漫画の名台詞を引用します。竹宮ゆゆこ「とらドラ!」の「私の幸せは…自分の手で掴み取る…何が自分にとって幸せかは…自分で決める!!」とか。まさしく「第三世代フェミスト」の立場の代弁になってますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月4日
今日の検索で西尾維新「物語シリーズ」の名台詞もこれに追加されてる事を知りました。「お前の事を一番よく知っているのはお前だ。だからお前の事を大切に出来るのもお前しかいない…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月4日
…お前の夢を叶えられるのもお前しかいないんだ。」ですね。これもまさに「第三世代フェミニスト」の立場を代弁してる台詞という…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月4日
当時「二口女」に「ダイエットなどによって強引に押さえ付けられた食欲の顕現」なる新たな意味が付加されて流行した事とも重なってきます。「良い娘」であり続ける事の強要が第二人格としての「悪い娘」を育て、しかもこの二つを統合してなお外側に何かが残る構図…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
これは古代ギリシャの哲学者がイデア論において「むしろ有限概念に捉われないそちらこそが本質」と断言し、大数学者オイラーがネイピア数e(2.718282…)と単位円を表す公式を発見するまで数学の世界ですらうっすら常識とされてきた「永劫回帰は実在し得る」なる信念の崩壊と関わってくる話です。
実際、オイラーが発見した単位円表現式もまた、ネイピア数e(2.718282…)の近似精度の限界から無限にそれを描き続ける訳ではないのです。
ところで交代級数の表現式に虚数を代入すると式となり、これを一般化した表現式もまた単位円を描きます。ところが(おそらく同様にネイピア数eの近似精度の限界から)こちらも一応はその軌跡全てが単位円の範囲内に収まるものの、独特の分布の周期的遷移を示すのです(数学的語彙が足らなくて、まずこういう現象をどう呼ぶか自体が分からない!!)。
かかる「閉世界仮説の崩壊」に二連続で邂逅しながら(むしろそれゆえにより強固な)自己再統合に成功する奇跡を成し遂げた羽川翼は「世界を股に掛けた冒険家」に、千石撫子は「本能剥き出しのエロエロ少女漫画家」になる道を選びました。そう、どちらも「良い子」をただひたすら演じていた頃に志向していた筈の堅気の地道な生活には戻らなかったのです。その一方で、もし「三度目」に邂逅したとしても、彼女らならきっとこれまでの経験を総動員して何とか乗り越えていく事でしょう。
そういえばハリー・ポッター・シリーズの世界においては「キラキラ自力で輝く人同士が結婚しても互いに衝突して不幸になるだけ。だから私はそういうキャラは地道なサポート役に徹せるタイプと結婚させる」なる結婚観を著者のJ.K.ローリング女史が示したせいで「ルナ・ラブグッドこそハリー・ポッターの伴侶にふさわしい」派が粛清される陰惨な「ルナ・ラブグッド村殲滅戦」が2010年代前半(2011年だったか2012年だったか記憶が曖昧)に起こっています(私のTumbrアカウントも危うく焼かれる所だった)。その後女史は芝居版「ハリー・ポッターと呪いの子(Harry Potter and the Cursed Child,2016年)」において「(堅実なサポート役)ロンと結婚しなかったハーマイオニーがどれだけ不幸な未来を迎えるか」示した上で、新シリーズではそのルナ・ラブグッドが嫁いだスキャマンダー家の詳細を描いている訳ですが、果たしてこの論争にどういう考え方を付加する展開となるのでしょうか。ある意味こちらも形を変えた三重展開となりそうで楽しみです。
正直この三重性にまで目が届いたのが日本のコンテンツの強みだったとも。例えば「バットマンとジョーカーの二重性」論なども有名ですが、アメコミはこの属性を備えた女性ヒーロー/ヴィランまでは提供してない訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
まぁそれはそれで十分面白いのですが、アメコミ的分業体制から「ヒーローを倒し切る最凶のヴィランが、本当の望みは漫画家になる事と看過されて廃業する」なんて展開はなかなか望めないのではないでしょうか。その一方で日本においてそうした展開はフィクションの世界だけに限りません。最近も「荒魂」と化していた「玉袋ゆたかママ」が「和魂」に鎮魂される一幕がありました。これはもう文化の違いとしかいい様がないのですね。
そういえば、第三世代フェミニズムの世界ではメトロイドのサムス・アランについてすら「女性解放には男性側の理解より技術の進歩が貢献した。だから彼女はメトロイド を滅ぼす事が出来なかった」みたいな位置付けが与えられてました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
「(母権制に立脚する)古代社会の方が女性は幸せだった」とする環境派やウルトラ・フェミニズムの主張への対抗理論ですね。かくして「ミッション・インポシブル:ローグネーション」みたいに「囚われの姫=腕っぷしの方はからっきしのエンジニア」みたいな物語が支持される様になったりする訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
以前の投稿で、アメコミ好き女子に限って女性ヒーローについてはヒロアカの蛙吹梅雨ちゃんを選ぶ現象について言及しました。同時に彼女らは「それでも(どんなに非力でも)」自らの人格統合の核は「良い娘」たるべきとも考えている訳です。プロフェッサーXが決してマグニートを切り捨てない様に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
アベンジャーのリーダーが、例え最強でなくとも必ずキャプテン・アメリカでなければならない様に。ならば「エターナルズ」をどう見たかというと…「主夫となってアンジェリーナ・ジョリーの為に楽しそうに料理するマ・ドンソク」のイラストとか回覧してますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
「マ・ドンソクといえばエプロン姿」日本でも割とコンセンサスになってる模様…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
ところで追加でこんな質問が寄せられたのです。
そういえばアベンジャーズのシビルウォーと南北戦争の関連性ってどう捉えられてますかね?自分もちょっとした南北戦争オタなので…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月3日
アメリカでは完全に「シビルウォー=内戦」で一般語化してますからね。「(産業革命本格導入に先駆けた)新体制側による旧体制側の解体」みたいな、日本における西南戦争みたいな位置付けからの発言すら見た事がなくて。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
「(家父長制や奴隷農場制の伝統を守る為に中央集権的官僚制への編入を拒んだ)ジェファーソン流民主主義の敗北」というファクターも同じ。それはDCコミックスのジョナ・ヘックスとか映画「アウトロー」もそうなので、ある意味一貫してるとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月4日
なんか久しぶりに映画「ラスト・サムライ」に感じた違和感を思い出しました。それにつけても、何処にでも顔を出す「不老不死の」トム・クルーズとガトリング砲…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月4日
そんな感じで、以下続報…