ある意味「近世後期」概念の総括?
カール・ポランニーの話が出たついでに昔の投稿を投げて様子を見ておく事にします。https://t.co/OVCkRcaepe
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
この時代にはイタリア・ルネサンス期に続いて数理が発展。その負の側面も急浮上してきたのです。
後に「ロジスティック方程式(Logistic Equation)」なる概念の登場によって反駁される考え方ですが、同時代を生きた「暗黒のロマン主義者」マルキ・ド・サド(Marquis de Sade,1740年~1814年)は…https://t.co/aZCU9FWXpJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年~1849年)と並ぶ(自らの著作を広める為に事前に市場調査を徹底して行う近代的ニュアンスにおける)マーケッティング・リサーチの先駆的実践者の一人だったのです。https://t.co/oDFZHSx7NZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
「近代詩の父」ボードレールがは決して生前発表した唯一の詩集「悪の華(Les Fleurs du mal、初版1857年、禁断詩を削った第2版1861年)」でのみその評価を勝ち取った訳ではない。
二月/三月革命(1948年)以降、それまで「国王と教会の権威に対して永久に絶対的反逆を続けける」と固く誓ってきた政治的浪漫主義者達が「本当に国王と教会の権威が絶対的価値を失っていくプロセス」についていけず次々と自滅していく。所謂「小ロマン派壊滅の悲劇」もその一端として起こったと見なければならない。
そうやって日露戦争(1904年~1905年)における203高地攻略戦の如く死体の山が積み重なっていく最中、当時は詩人というより「エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年~1849年)のフランスへの紹介者」あるいは「マルキ・ド・サド侯爵(Marquis de Sade、1740年~1814年)の再紹介者」として名高かったボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821年~1867年)が「人間を感動させるのはある種の象徴体系であり、その扱いをこの二人は心得ている」という結論に到達。その啓示がマラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842年~1898年)の象徴詩、「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会いのように美しい」というフレーズでおなじみのロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautréamont, 1846年~1870年)やシュールレアリズム運動(仏: surréalisme、英: surrealism、1924年~)への道を切り開いたとされる。
理論上ベルヌーイやオイラーによる指数関数(Exponential Function)α^xや対数関数(Logarithmic function)Log(x,root=α)の発表(1683年以降)以前に遡れない指数関数的発散への懸念自体はそれ以前から有識者の間で囁かれており、だからこそまとまった理論として発表された時に読書階層が飛び付いたのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
「だから人間社会が存続するには(疫病の流行や災害や戦争や革命による)人口の定期的間引きが欠かせない」なる極論が密かに流行し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
それに依る形で、もしかしたら生涯に渡って戦争に明け暮れ上掲の「欧州列強間の衝突の激化」の台風の目玉となった「太陽王」ルイ13世(Louis XIII、1601年~1643年,在位1610年~1643年)もまた経験的に同様の結論に到達していたかもしれない可能性を指摘した訳です。https://t.co/qGmhdoJx6X
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage,1785年)」や「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え(l'Histoire de Juliette ou les Prospérités du vice,1797年~1801年)」といった後に禁書扱いを受ける問題作品群を執筆した訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
この人物があれほどフランス王政や革命政府やナポレオンに敵視されて生涯牢獄や精神病院に幽閉され続けたのもまた、その(多くの人が心の中で思い受けべるだけに留めた)恐るべき結論を探り当て、あえて公表し作品の主題に据えた大胆不敵な態度故だった訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
まさしく水木しげる画伯の様に「自分の好きな事しか書かないが、それを世間に認めさせる為にはどんな手口だって使う(実際、水木しげる画伯は自分の妖怪画を市場に売り込む為に第一次怪獣ブームを利用している)」タイプの変態大作家の代表例の一つ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
雑誌「講談倶楽部」への残酷通俗小説掲載によって1930年代日本を風靡し、かつその講談社の少年誌「少年倶楽部」への戦前の掲載を皮切りに光文社の月刊娯楽雑誌「少年」を通じて1950年代に「少年探偵団」シリーズをブレイクさせた江戸川乱歩などの眷属。https://t.co/n3aPZ41atD
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
エドガー・アラン・ポーも同種のエピソードに事欠きませんが、同時に「炎上マーケティング」に手を出して自滅した人だった事も忘れてはいけません。それでフランスのボードレール に再評価されるまで「忘れられた人」に零落してしまったのです。https://t.co/qZddtl4rG9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
インディアンやエスキモーの間で伝統的に遂行されてきたポトラッチ外交、「奴隷狩り大国」ダホメ王国や「人身供儀大国」アステカ王国の体制研究と併せて大々的な反近代論として展開し「ポスト・マルクス経済学」と褒めそやされてきたのです。ポストモダン全盛期には。https://t.co/qtyVBdj3ol
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
こうした全てがルソー(Jean-Jacques Rousseau,1712年~1778年)に遡る訳です。https://t.co/Lx6kIDD2jJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
彼はリスボン地震(1755年)の衝撃からいかにもスイス人らしい結論を引き出しました。「被害が深刻なものとなったのは、あまりに多くの人々が都市の小さな一角に住んでいるせい」であり…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
「この地震は神罰ではなく文明のおごりが起こした人災。都市への集住など一刻も早く禁止し、人類はより素朴で自然な生活様式に戻るべき」としたのです。https://t.co/OBFvUT2Xgk
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
一方、かかる大災害を契機に神の善意を疑問視する様になったヴォルテールに反駁して神の摂理を弁護。「この地震は被害に遭った人達にとって不幸でも、神にとっては全体の幸福のためのなんらかの目的があったと考えるべきであり「すべては善」ではなくても「全体にとっては善」が為されたとは言える」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
で、フランス革命の時代には「ルソーの血塗れの手」すなわち、かかる理論の実践者が現れます。ジャコバン恐怖政治指導下、マルセイユとトゥーロンで大虐殺を遂行したポール・バラス(Paul François Jean Nicolas, vicomte de Barras, 1755年〜1829年)。
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リヨンでそれを遂行したジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché, 1759年〜1820年)。九月虐殺(Massacres de Septembre、1792年)参加者でもあり、ボルドーでそれを遂行したジャン=ランベール・タリアン(Jean-Lambert Tallien, 1762年〜1820年)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
当時はまだ絶滅収容所のガス室の様な文明の利器は存在しなかったので、人を大量に殺すのには大砲の霞玉が使われました。当然死体の処理技術も未熟で、まとめて川に流すしかなかったのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
同じく王党派の抵抗が根強かったヴァンデには「地獄部隊 (Colonnes infernales,1794年1月〜5月, 後背地の集落を片っ端から襲撃して「妊婦の腹を裂き、赤子を竈に放り込む」民族浄化作戦を遂行した民族浄化部隊)」が投入されました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
その結果どうなったか? フランスへの産業革命導入を軽く半世紀は遅れせ、19世紀における大英帝国の単独覇権を準備しただけだったのです。こうした振る舞いを神聖視して再現したのがカンボジアで自国民(特に経済的に恵まれていたベトナム系市民)への大量虐殺を遂行したクメール・ルージュ政権。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
フランス革命からナポレオン戦争の過程ではたった国民の1/5が死んだだけですが、クメール・ルージュ政権下では国民の1/3が殺されたとされています。それでもルソーが理想視した原始共産制には回帰出来なかった訳ですから、まだまだ虐殺が全然足りていなかったといえましょう。https://t.co/bqoGfPKjni
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
確かシモーヌ・ヴェイユでしたか。「格差是正を最優先課題に据えた政権は尽く自滅してきた」と看過したのは。1960年代~1970年代の学生運動家なら「アナ・ボル論争」のアナ=アナキズム(無政府主義)要素とイメージするかもしれません。https://t.co/M3aqUPiWhM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
一方、数理的には、こうしたマルサス「人口論」のもたらした認識上の混乱は「ロジスティック方程式」の発見によって回収される結果を迎えました。今日の機械学習理論の根底にある「シグモイド曲線上の均衡点の模索」イデオロギーの出発点ですね。https://t.co/5j7YQnildl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
こういう意味合いにおいて機械学習理論は21世紀における必須教養となり、それを習得出来ない人々を「反知性主義者」に引き摺り落とす峻別点になったとも考えられます。そういえば2010年代TumbrではKPOPファンの女子が「KPOPアイドルの尻の振り方が全て同じ」と言う指摘を受け…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
それが1960年代にセックス・シンボルとなったエルヴィス・プレスリーの慎ましやかな尻の動きと、1980年代にセックス・シンボルとなったプリンスのエロ過ぎる尻の動きの中間くらい、すなわち1970年代にセックス・シンボルとなったミック・ジャガーの尻の動きに対応する事を突き止めました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
これもまた21世紀の必須教養「シグモイド 曲線上の均衡点模索」の実践例の一つ。そしてそれは、そうした考え方の出来ない如何なる暴走リベラルの言動や行動より遥かに知的な段階への到達を示しているのです。Bururururu!! https://t.co/aS7a8LaRom
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
書き始めに想定していたそれより過激な結論に到達してしまいました(機械学習理論の面白さは、別の形で極限を追求する「イプシロンデルタ論法」と排他的関係にある様に見える事であり、現在はそれがどうやって統合されるのか調べてる最中)。そんな感じで以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月19日
そんな感じで以下続報…