今回はこの話が出発点。

これは悲しかったことですが、救貧法の歴史を講義する際に「ジェームズ1世の時代には浮浪者に焼き印を押しつけたんです。可視化されたスティグマですね」と言ったら、「現代でいうナマポですねw」という反応をもらったことがある。本当に悲しかった。
— 大やま (@Solzhe_shimarin) 2022年2月16日
それにぶら下がったTweet.
その返答、「いま、俺ウマイこと言ったかも」感も漂ってきますね。
— 魚住まや@おーさむクラウド (@MayaWozumi) 2022年2月18日
悲しいなあ・・・
— Newうどんまき (@NewUDONMAKI) 2022年2月17日
その考え凄く分かる。
誰も好きで困ってる訳じゃないし、助け合えれば一番良いよね
わからないってそういう事なんです。
— 温泉ねこ裏 (@onsennnekoura) 2022年2月18日
裁判の傍聴に行っていると言う話をしたら「趣味なんですか?」と聞かれた事があります。
辛いですね。
やはり社会民主主義的な考え方を広めていかないなと…
— 霧名亜夜人(きりなあやと)。(財)銃火器講習支援センター第二分室。 (@araki_masahiro) 2022年2月17日
困窮者蔑視の通念を当たり前のことと見做してる学生達の蒙を啓かれますように。
— Norahchrome (@noracrow828) 2022年2月18日
そんなに繊細すぎでは学者や教育者に向いてないのではないですか?
— kondo29 (@lss49750) 2022年2月17日
そんな繊細さで社会福祉という厳しい分野の研究者が勤まるのでしょうか。頭のいい人はそれでも研究者になれるのだから、うらやましいですね。
— ベルりん (@belzedaro) 2022年2月17日
嫉妬乙
— 小太郎1225シモベは田上智樹 (@eqqKJ8zS9pbEEoP) 2022年2月17日
学生さんは「現代ではナマポという単語が焼印代わりに使われているのではないか?」と言いたかったのではないのだ?
— ST鎮守府の🦝アライさん提督(豆61) (@serast_km) 2022年2月18日
なかなか彗眼だと思うのだ。
救済策なのに利用すると焼印になってしまうと言いたかったのでは?
たぶんそんな考えで有れば、もう少し言葉を選ぶと思うであります。明らかに茶化してるし受給者を馬鹿にしてるであります。
— 食文化に詳しいプレーリードッグ (@opera_gohan) 2022年2月18日
笑わずにはいられないひどい状況という考えもあるのだ。
— ST鎮守府の🦝アライさん提督(豆61) (@serast_km) 2022年2月18日
実際に発言を聞いたわけじゃないからニュアンスはわからないけどねぇ。
大学で歴史を講義するほどの人間が、口述筆記でwを使うって事は、もう半笑いか何かで言ってるニュアンスと取れると思うであります。
— 食文化に詳しいプレーリードッグ (@opera_gohan) 2022年2月18日
自嘲だとしたら確かにそうだけど…その学生の真意が気になるであります〜
なんか生活保護に対する偏見が
— awawa33 (@awawa33p) 2022年2月18日
同じだと言ったのだろうと学生擁護するツイートあるけれど、「ナマポ」なんて頭の悪い表現を使っている時点でそれはないのではと思いました。 https://t.co/LAShaidqqx
ここに乱入。
大学の福祉科目の小テストで「ヴラド2世の時代のワラキアでは浮浪者を集めて腹一杯御馳走を食べさせた後で焼いたという伝承があります。同様の伝承はフランスヴァロア朝時代にもありました」と書いて0点をもらった事があります。それが「貧弱を視野から消す」福祉事業の始まりであってはならないから?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月18日
私は「マイノリティーが社会に認められる第一歩は、黙殺し切れなくなる事」と信じているので、コットンクラブの盛況にもそれなりの意義はあったと考える立場。そもそも19世紀まで欧種で続いた「黒人を一切絵に描くな」というレギュレーションの方が差別的なのです。https://t.co/fiodnEYydt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月18日
欧米では19世紀後半になってやっとマネが「オランピア」の背景に黒人召使いを描いたり、ボードレールが詩に黒人娼婦を読み込んで物議を醸しますが、日本だと普通に戦国時代絵巻に南蛮人や紅毛人が従えてる黒人従者を描いてた訳で。どっちの差別が根深いかというと… pic.twitter.com/LS9sFzxEf8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月18日
ちなみに「コットンクラブ」の話、かつてネットで出会ったアフリカ系米国人と話した事もありますが、その在り方がどれほど差別的だったかはともかく「ホリホリー」「ハリハリホー」が世界中に通じるのは嬉しいという結論でした。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月18日
ちなみに「ホリホリホー」「ハリハリホー」の元ネタ。この曲も知らずに「コットンクラブの恥ずかしい歴史なんて忘れよう」と呼び掛けた白人リベラルがネットで黒人アカウントからどんな目に遭わされたか思い出しました。https://t.co/ApAVChJQOT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月18日
そこにさらなる乱入。
根本的に福祉の意味が理解できてないからテストで0点にされて当然だし、リプライとしても0点だし、関係ない話を誰も聞いてないのに延々ツリーにぶら下げるの怖すぎる
— 酒乱⑨ (@shuram_Q) 2022年2月19日
普通の人が参照する範囲は限られてるので、残りはまさにこうして突っ込まれた時用なんですね。例えば「浮浪者が火炙りにされる話」が、授業における「東京オリンピックに際して貧困遅滞や赤線地帯が撤去された」話を受けての言及だった事とかが書いてある訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
それとか「救貧法対象者への烙印」の話は、一般の福祉サービス論におさまらず(資本主義的発展を奨励する主体でもある)福祉国家論への発展を余儀なくされる事とか。まぁ実際に想定通り突っ込みがあったので役立ってしまった訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
まぁ一言で言うと「備えあれば嬉しいな」?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
投稿全体のチェーンの長さに気付いて、それを「怖い」と感じた時点であなたは負けてたんですよ。ただそれだけ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
×あなたは負けてた○あなたは既に負けてた。ちなみに「スティグマ」の話、「アメリカでは積極的是正措置について黒人と女性の一部が(それを理由に学歴や職歴を実力で勝ち取った事を否定されるのに嫌気が差して)返上を考えてる(ネットで当事者から直接聞いた)」に広がり、グラムシの段階発展説に収束。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
まぁ、そこまで想定した上での「誘い受け」なんですね。まず第一段を踏み抜いて頂いてありがとう御座います(それで終わりとは言ってない)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
こう補足すると50%くらいの確率で「本当に気持ち悪い!! あんたみたいな差別主義者が「本当に困ってる弱者を助ける」崇高な福祉の理念を汚すんだ!!消え失せろ、ゴキブリ!!」と叫んでブロックするものですが、さて今回はどうなります事やら…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
こんな乱入も。
それのどこが福祉なんだ??? https://t.co/ASGXhn0oYx
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
00年代半ば「電車男」が話題になりアニメオタクを珍獣扱いする番組が増えて、しばらくして成人アニメ愛好者が「普通」になったみたいな話か?>「マイノリティーが社会に認められる第一歩は、黙殺し切れなくなる事」https://t.co/GDBuedFrG8
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
スラムツーリズムは貧困への偏見解消の第一歩になるのか?
大阪市のPR記事が炎上、「ホームレス」をエモいコンテンツにする問題点(2021.4.16)【ダイヤモンド オンライン】https://t.co/Kclq1NGXRX
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
Wikipedia「スラムツーリズム」https://t.co/KHwRTLMAal
マイノリティによる抗議へのバッシングや珍獣扱いも「マイノリティーが社会に認められる第一歩は、黙殺し切れなくなる事」なのだろう。
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
これ、黙殺放置でなく殺害対処に認定されたのだから権力者が貧困問題の認知したエピソードと言いたかったのか。まったく上から目線だ。https://t.co/hIQR6aCcWr
おやおや?「黒人に対してうっかり「コットン・クラブは一刻も早く黒人自らが否定すべき恥辱」と口走ってしまった白人リベラル」と同タイプが釣れた様ですぞ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
やはり実在するのか、日本にもこのタイプ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
ちなみに「オリンピック開催に伴う貧民街や赤線地帯撤去」の話までは授業に出たんですよ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
スラムの撤去を是とするんですかね。
— ちょろけん (@Higashiya_13) 2022年2月19日
完全放置と違って権力者がスラム問題を認知したからマシという考え方らしいです。
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
貧困問題の物理的な隠蔽が福祉の向上のきっかけになるとは思えません。
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
それ自体はその通り。ここで問題としているのはそれ以前の段階「人類は認識外の問題をどうやって認識してきたか」というメタ認識論なんです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
それを理解した上で批判しています。
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
人権概念が確立した現代社会では、認知の第一歩としての権力者による物理的隠蔽や官民による大々的なバッシングの段階を踏む必要はないでしょう。物理的隠蔽やバッシングを容認する今日的意義はありません。
「スラムを撤去しても問題は何も解決しない」「貧困ツーリズムは傲慢の極み」という話と「カソリック教会は異端狩りによって一貫性を保ってきたが、プロテスタントは殺しきれなかったので認めざるを得なかった」という話は共存し得るのですね。https://t.co/plscICBUYC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
「暴走リベラル」という言葉遣いにあなたのポリシーがよく現れていますね。
— ニュースクリップと化した無月庵(風月堂) (@MoonCottage) 2022年2月19日
と、突然ブロック。
なんか自分から喧嘩を売ってきてブロックして逃げたんですが、そちらで勝利宣言してたりします?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
ここから「ビスマルクはラッサール派と組んで福祉国家を目指す事により、収入制限選挙で議会を掌握するブルジョワ層と対抗しようとした」みたいな流れに持ち込もうとしてたんですが。https://t.co/3izULVvtvB
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
どうせ反論するなら「フランスでは絶対王政時代において既に貧者に向ける眼差しが存在した」みたいな方向で攻めてきて欲しかったですね。https://t.co/AoEoArmIdO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
18世紀後半のフランスは、啓蒙思想の影響下に、開明的な国王政府が統治秩序の転換をはかる諸政策を導入した、改革の時代として位置づけられてきた。救貧の分野に関しては、まず財務総監ラヴェルディが、一元的な物乞い対策の導入に政府として初めて取り組み、さらに新たに国王に即位したルイ16世により財務総監に任命されたテュルゴが、施しや施設収容より市場開放と就労による経済的自立を重視する自由主義的改革を試みた。しかし、これは従来の経済と統治の関係に大きな変更を加えるものであったがゆえに、地域社会を支配する聖職者・貴族の反発や、社会階層間の緊張関係を生み、テュルゴを失脚に追いやることになる。
歴史的背景
これらの改革の背景には、18世紀フランスの経済成長による格差の拡大があった。当時の農村では、富裕な貴族や上層市民が土地を集積して大規模な農業経営を展開する一方で、土地を失った農民は貧困状態に陥り、その一部は雇用を求めて移動する移民労働者、または物乞いとなって都市に集まるようになった。このような社会情勢のなかで、啓蒙思想家の間で新たな救貧観が醸成され、その影響下に国王政府は1764年から1789年まで経済や救貧の分野での諸改革を推進したのである。
啓蒙主義との関連。
フランスにおいて社会改革の胎動が感じられるようになるのは、カトリック改革の影響下に王権と教会の密接な結びつきにもとづく統治が行われていた18世紀初めのことである。この時期に、旧来のキリスト教的価値観と批判的に対峙し、理性による人間社会の進歩を志向する啓蒙主義が、フランスに伝わった。この新思潮が、世紀後半に展開した自由主義的な諸改革の思想的根拠をなしていたことを考慮するなら、ここで描かれた社会像とはいかなるものであったのかを確認しておく必要があるだろう。
ナントの王令の廃止により非カトリックへの迫害が広がっていたフランスでは、寛容を求める声が高まり、道徳を宗教から解放しようとする思想運動が広がった。1725年にサン=ピエール神父は、神への愛を動機としながらも、寛容の精神にもとづき他者を救済することを訴え、「善行(bienfaisance)」という言葉を初めて用いた。この新しい概念はキリスト教的愛徳と対立するものではなかったが、18世紀半ばになると、啓蒙主義者にとっての道徳とは社会的道徳のことを指すようになる。
まず、ヴォルテールは、この「善行」という言葉を社会的道徳として再定義し、助け合いによる社会全体の幸福の増進の重要性を説いている。「徳とは何か?同胞に善行を施すことである。…我々は社会のなかで生きているがゆえに、社会全体の幸福のみが、我々にとって真の幸福である」。また、ルソーは、人間は生まれながらにして、「寛大、仁慈、人間愛」といった憐みの情を持っており、この自然の感情が社会的道徳の源泉になると考えている。
宗教上の問題に加え、当時の経済の状況も、キリスト教の救済観にもとづく社会関係を見直す契機となった。18世紀のフランスでは、経済成長と格差の拡大により、貧困を要因とする社会問題が深刻化していた。しかし、総合救貧院に物乞いを監禁する試みは各地で失敗に終わっており、大都市では物乞いが路地でたむろするようになっていた。このような状況において、キリスト教の慈善が物乞いを助長していると考えられるようになり、そこから社会全体の幸福を増進するうえで労働の価値が高められていく。
こうした思想を最もよく表しているのが、テュルゴが執筆を担当した『百科全書』の「寄付金(fondation)」という項目である。このなかでテュルゴは、救貧院などへの寄付金は、「寄付者の意向を永続的に反映させるために用いられる」のであり、多くの場合「寄付者の虚栄心を満たす」という利己的な動機に支えられたものであると指摘する。さらに、寄付金の有用性を問題にし、貧民への施しは、むしろ労働者を怠惰にさせ、勤労所得や農業生産の減少、食料不足、人口減少、貧困の拡大、物乞いの増加をもたらすとして、その弊害を批判している。以上のことから、人々は、慈善に依存するのではなく、自身の努力、すなわち「労働によって生活の糧を得るべき」であると主張する。このように農業生産を重視する立場から、健常者の就労と自立を奨励し、社会的弱者の救済に関しては、イングランドやオランダで見られたアソシエーションによる活動を提案している。要するに、テュルゴは旧来のカトリック型の慈善施設に代わるものとして、プロテスタント国で見られた個人の労働や民間団体の活動に重要な役割を与える救貧システムを想定していた。しかし、一部の啓蒙主義者は、国王の臣民に対する保護義務にまで踏み込んだ議論を展開した。例えばモンテスキューは、国家は民衆に「十分な食物、適当な衣服、健康を害さない生活様式」を保障する義務を持つことを主張している。
以上見てきたように、18世紀に旧来から教会の支配を受けてきた人間社会のあり方が問い直され、新たな人間相互の結びつきと統治の方法が模索された。こうして、寛容にもとづく善行、市民相互の助け合いと国の責任という考えが啓蒙主義の主張として現れ、このような思想運動を背景に、国王政府は統治手法の転換をはかる改革を主導することになる。
そう、まさに主題は歴史上「(国体を保つのに十分な火力と機動力を有した常備軍と実証主義法の法源としての警察力を中央集権的官僚制が徴税によって養う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)」と国民の中間者(Intermediate)として存在し、かつ存続しようと足掻き続けるインテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層から何が奪われてきたかだったりします。
これが英国においてはチューダー朝(Tudor dynasty,1485年~1603年)が修道院の土地を接収しまくった結果、それまでそれぞれの教区が担ってきた救貧対策も継承せざるを得なくなっていく流れと重なって来る訳です。
そもそもの出発点は仮に古代を「(神官団の奉ずる神が全てを全人格的に代表する)政祭一致体制に立脚して生産と消費を営む神殿宗教」、中世を「領主が領土と領民を全人格的に代表する権威主義体制」…https://t.co/RaHsong6yd
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
中世商工業を「それぞれのギルドが様々な生産-物流-消費サイクルの一環を全人格的に領土と領民を全人格的に代表する分掌体制」と置いた場合の、それらの解体結果としての「主権国家の国民」に私有が認められる範囲の拡大過程。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
その都度「信者」「領民」「ギルド構成員」「国民」などが「可視化」され、それぞれなりに保証された権利が次段階に継承され続け「人権」概念に到達すると考えたのがカール=マルクス「経済学批判(1859年)」刊行を後押しした…https://t.co/WizsRDpT8O
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
「社会民主主義の父」フェルディナント・ラッサール(1825年〜1864年)の法制史論あたりが由来。しかしそれは実はインテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層側からすれば「それまでの既得権益が全て奪い尽くされていく」理不尽な過程でもあったのです。https://t.co/MfeDTRDjsl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
インテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層はイデオロギーの左右を超えて存在します。ロジスティック方程式で考えると「問題を適正な次元数で掌握して粛々と解決を進める合理的範囲」に対し「解決すべき問題の次元数が合理的解決可能な範囲を超えている」https://t.co/qIggwhJbqt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
「それを扱う知恵は伝統の内にのみ存在する」と主張して何も変えたがらない因循姑息な伝統主義者を「暴走コンサバ」と呼ぶとしたら、対応意義のある課題が尽きてなお改革者の立場に留まらんとして暴走を続ける改革主義者は「暴走リベラル」とでも…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
呼ばれる存在になり果てる事でしょう。ちなみにマンハイム「保守主義的思考」は同じ人物が立場によってこの三つの次元を使い分ける事もある(というよりむしろそれが常態)としています。まぁこれが私の中の「暴走リベラル」のイメージという次第。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
ここで興味深いのが「古代ローマ帝国を滅ぼした」ゲルマン諸民族の末裔が「我々こそは古代ローマ帝国文化の継承者」と自慢し、「自らが若い頃打倒を目指した筈の家父長制の体現者に成り果てた」元ヒッピーが「今でも抵抗を続けている若者」の気分に浸ったままでいる様な記憶の恣意的改竄問題。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
アーサー.C.クラークが披露した笑い話「奴隷制時代の人間の方が今より幸福に生きてた」「その頃には大半の人間が奴隷側だったが」を思い出します。これも「可視化」論のバリエーションといえなくもなさそうです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
そして…
ちなみにこの投稿のブランチであったやり取り。私を人種差別者と決めつけた上で「コットンクラブにも存在意義はあった」と考えるのは「キモオタが今や世に認められてる誤解してる馬鹿の考え」と諭されました。まぁ日本にもこういうタイプはいる、と。https://t.co/SuM0aonbsB
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
日本のリベラルには「米国白人リベラル層」が黒人公民権運動のカウンターとして展開した「汚らしい黒人を一切メディアに登場させるな!!」を日本でも展開した原罪を負っています。まぁ当時の日本の様々なメディアにおける黒人の扱いが酷かったのも事実ですが…https://t.co/XvD3r3eSmY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
「煩方が騒ぐから黒人は一切登場させない様にしよう」なる当時のメディア側の自粛は、やはりそれはそれで人種差別への屈服に他ならなかったのです。まぁ当時は「黒人のリアルをちゃんと日本に紹介しょう」は難しかったにせよ。https://t.co/KI95TtwILR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
モンド映画や児童向け怪奇図鑑の流行もあって運動は不完全に終わったとも。とにかく「暴走リベラル特有の行き当たりばったりの運動」に過ぎなかったので道徳的成果なんて一切上がらなかったのは事実。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
こんな投稿も。
キム・ノヴァック島の場面について、さらに詳しく調べてみたところ、セリフの方が「土人」→「原住民」→「住民」へと改変されていることが分かりました。
— ひら (@hira282828) 2021年11月19日
逆に黒人描写の方はオリジナルに戻っています。
うーん、いやはやなんとも・・・。(^^;
#鉄人誕生編 pic.twitter.com/qpA3FJavh9
かつては「土人」「くろんぼ」ご出てくる童話も「めくら」「つんぼ」が出てくる小説もあった。
— 城之内みな🌺 (@7Znv478Zu8TnSWj) 2019年10月11日
なぜ、この世から排除・抹殺されたのか?
差別だとして出版社へ猛烈で執拗な抗議活動を展開していた一派がある。この一派はやがて、テレビ局や新聞社にも同じ手法を使い、手打ちとして入社枠を獲得に至る。
「モスラ対ゴジラ」には、全身真っ赤っかの土人が、出てくる。
— 三一十四四二三 (@31104423) 2022年1月7日
顔を黒く塗って黒人を演じることが禁じられるようになり、我が国の怪獣映画に土人が出てくる機会が減ってしまったのだが、この赤い土人なら問題ないのではないか?
こんな人いないし。 pic.twitter.com/2RNryq7PFA
手塚治虫、細かいポリコレポイントもだけど、黒人、土人描写で結構没後ぐらいの時点ですらアウト判定一応出てるから、角川の文庫の末尾には時代性を考慮してみたいな文言ついてるわけで。。。。 https://t.co/ZDtNTdcvO4
— 魚か (@naakass) 2021年8月14日
これはこれで、どう考えるべきか難しい問題。
それはそれとして大元の投稿にある「怠惰者に押される焼印」問題、カール・ポランニー「大転換(1944年)」で紹介されてるスピーナムランド制度との兼ね合いもあって「福祉国家とは何か」について、さらなる闇を垣間見させてくれるのですね。https://t.co/8Zmz48WzNk
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月19日
そんな感じで以下続報…