私が「地獄から帰ってきた懐かしのアライさん」に言わせた「教養で文明と戦わなくなったインテリなんて、ネズミを獲らなくなったイエネコと同じなのだ。人類に可愛いと思われなくなった途端、このアライさんと同じで駆除指定生物の仲間入りなのだ(You,Intelligentsia…are house cats no longer catch mice, if you no longer fight civilization with your cultivation. And you will join vermin lank like us, if they are no longer considered you Kawaii.)」なる台詞って…
元来は軍国主義に傾斜していった大日本帝国において何の存在感も示せなかったどころか、むしろ利用されてしまった(アーネスト・フェロノサや岡倉天心の美術論に端を発する)国粋日本画(1880年代~)や白樺派(1920年代~)の戦争責任問題辺りを出発点としてる訳ですが…
さらなる大源流を辿るとフランス教育界におけるリベラル・アーツ教育と「官僚や経営者や政治家の頂点」グランゼコール(Grandes Écoles)や「理系の頂点」エコール・ポリテクニーク(École polytechnique,通称X)の対峙に辿りつくのかもしれません。
「人が持つべき技芸(学芸・技術)の基本」と看做された自由七科・自由学芸、すなわち文法学・修辞学・論理学の三学(トリウィウム)、および算術・幾何学・天文学・音楽の四科(クワドリウィウム)を指す。
ルイ14世の絶対王制以降に中央政府が多くの専門的技術者を必要としてきたため、主に理工系専門技術者の養成校として設立された。一般教養の涵養ではなく、社会発展に直接寄与するテクノクラートの養成を目指す。
発端はこの投稿。
個人的メモ。Twitterでのやりとりを契機に以下の投稿をまとめてみましたが、新たに踏み込んだ領域も多く、改めて世界の広さを体感した感じがします。https://t.co/cPSGDRjnaG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
それにつけても厄介なのが「実証主義(英Positivism,仏Positivisme,独Positivismus)」なる言葉の用法。一般には「形而上学に頼らず、きっちりエビデンスを揃えて論を展開する」といったニュアンスで軽く使われますが、そもそもの発祥地たるフランスでは…https://t.co/FJGberEoFp
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
ガチで「閉世界仮説に従うなら本来は空たるべき全体集合の補集合に次々と現れる新要素を一貫したスタイルで捌く」意味で使われるのです。おそらく「ローマ法との峻別を必要とした」法学の分野が最初ですが、料理研究の分野すらガチガチでこの有様。https://t.co/rndjFICLtU
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
「フランス料理とは、次々と追加される食材や料理法、及びそれに組み合わせる酒のマリアージュを一貫したスタイルで捌いてきた伝統である」。ついにはこうした概念をコンピューターに扱わせるのに向いた述語論理言語Prologまで開発してしまいます。https://t.co/JL9OQm4HtE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
このPrologなる言語、第二次人工知能ブーム(1980年代中心)の頃に学生だった私はしばしば触っていたのですが、その後追加された確率論的揺らぎ範囲の演算とか機械学習過程みたいな新要素の扱いを苦手とする部分も含め「フランス人によるフランス人の為のフランスの言語」という感じ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
かかるフランス流実証主義の立場からすれば、(太平洋戦争に突き進む末期第日本帝国において有効な発言が出来なかった)和辻倫理学や(ヒッピー運動やコロンビア大学争議や黒人公民権運動を予見できなかった)アメリカ社会学の無力さが身に染みる訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
まぁならばフランス社会学が自国のステューデント・パワー運動に適切に対応出来たかというと、別にそういう訳でもなさそうなんですが。https://t.co/tDaltHHZp6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
というか、考えてみればこれまでの投稿におけるフランス人インテリの扱い、米国人インテリのそれより酷かったりしますね。世界中のインテリに喧嘩を売っていくスタイル?https://t.co/gxZb0vs3Oj
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
改めて読み返してみると、本当に酷い事しか言ってないですね…https://t.co/xdcbaJobPn
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
ちなみに今調べて日本の東大や米国コロンビア大学に加えてイタリアのボローニャ大学も巻き込まれていた事を初めて知って驚愕。なるほど「それぞれの国の最高の権威を誇る教育機関において矛盾が噴出した」とか、そういう感じ?https://t.co/F706V3ory9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
とにかく米国社会学の実証主義的アプローチ不足の批判に重きをおいてしまうのは、まさにその事を、ヒッピー運動や黒人公民権運動を手をこまねいて傍観してるだけの米国インテリの傲慢と怠惰をホフスタッター「アメリカの反知性主義(1963年)」が告発してるから。https://t.co/KY3x6vHGlg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
とはいえ、ここで一敗地に塗れたとはいえ「(パーソンズの構造機能主義に代表される)米国社会学の実証主義的アプローチ」の厳密主義そのものが無効となった訳ではない訳です(おそらくフランス構造主義もその影響で生まれた)。そこまで明らかに出来た時点で以下続報…https://t.co/l1V1ju28rx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
そして…
あちゃー「機能主義(Functionalism)」は「関数主義」とも和訳出来て、要するにこれが世界の多様性を扱い切れなくなって、レヴィー=ストロースがブルバキと組んで群論とか持ち出す訳ですか。当時の日本のニューアカ、全然こういう流れフォローアップ出来てなかったんですね。https://t.co/pKpalPz2tT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月20日
そんな感じで以下続報…