諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】鳩山由紀夫元首相は「日本のシュレーダー元首相」?

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今回の投稿の発端はこのTweet

それに対してこんな反応が

ただしこういう意見も。

1998年新しい中道」をキャッチフレーズに、SPDの連邦首相候補として連邦議会選挙に再出馬して当選。この選挙で社会民主党が議会第一党を獲得、同盟90/緑の党との連立で16年ぶりの政権交代を実現し、ドイツ連邦共和国第7代首相に就任。「高級な背広に葉巻」というおよそSPDという労働者政党らしからぬ装いで「ボス同志」と揶揄される。

1999年、政策的に対立していた党内左派のオスカー・ラフォンテーヌ党首に代わって、SPD党首となる。この年前半のコソボ紛争でドイツ連邦軍は戦後初めて戦争に参加、激しい議論を呼んだ。また同年、環境税を導入した。

2000年2月IT技術者確保のためにグリーンカード制度を導入。首相お膝元のハノーファー万国博覧会(ハノーファー万国博覧会)を開催するが、大失敗に終わる。

20世紀最後の万博にしてドイツ初の大型国際博覧会でもある。世界中が地球温暖化等の環境問題に直面する中、テーマを「Mensch, Natur und Technik(人間・自然・技術)」と定め、環境万博を名乗った。

  • 会場面積は約160haで、既存の見本市会場で世界最大のハノーファー国際見本市会場の敷地を利用する形で行われ、万博後のメッセの機能向上や知名度向上が期待されていた。
  • 191の国や機関が参加(万博史上最多)することになり、ドイツがヨーロッパのほぼ中央に位置することから、人が集まりやすいと考えられ、目標入場者数もかなり多めに推定された。総入場者数は1800万人を記録したが、約24億マルク(約1200億円)の大赤字を生む結果となった。総工費が4000億円で赤字額が1200億円なので、結果的に5200億円を国とハノーファー市が半分づつ返済することに合意したが、立件された人物が誰もおらず批判された。

次の万博である2005年日本国際博覧会は、ハノーヴァー万博の課題を引き継ぐ形で計画が進められたがこちらはハノーヴァーのような予算の無駄遣いをしなかったため最終黒字を予想より多く計上して終わり、ハノーヴァー万博の失敗があったためか博覧会国際事務局(BIE)から高く評価された。

元曲はこれ。1990年リリース。ベルリンの壁崩壊(1989年11月)とソ連崩壊(1991年12月)の挟間の時期の作品。

なるほど…

2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件を受け、「アメリカ合衆国との無制限の連帯」を表明。ドイツ連邦軍の「不朽の自由作戦」参加を決定。ドイツ軍はアフガニスタンでの国際治安支援部隊(ISAF)の活動に、北大西洋条約機構(NATO)の一員として現在も参加している。11月、年金改革法案可決。12月、将来の原子力発電所全廃を決定。

2002年8月エルベ川が大洪水を起こし、現地に乗り込んで対策を指示。ドイツ再統一後も経済不振の続く旧東ドイツの開発重視は政策の一つでもあった。同月の連邦議会選挙で「ドイツの道」を提唱し、アメリカによるイラクへの攻撃反対を訴えて辛勝。首相に再任。

2003年3月、経済のグローバル化や成長戦略を視野に入れた改革プロジェクト『アゲンダ2010』を発表。その内容が新自由主義的であるとしてSPDの伝統的な支持基盤である労働組合から批判される。この年3月に起きたイラク戦争にはフランスと共に国連決議抜きでの開戦に反対し、派兵しなかった。

2004年、高い失業率や保険制度改革(削減)が不評で政権への不満からデモが頻発。SPDの支持率が低下したことを受け、3月SPD党首を辞任(後任は幹事長のフランツ・ミュンテフェーリング)。5月欧州連合(EU)が東欧までの25ヶ国に拡大し、EUの地理的・経済的中心国としてのドイツの役割が大きくなる。地方議会選挙の連敗で連邦参議院与野党逆転を許し、野党が擁立したホルスト・ケーラー大統領の当選を許す。7月、移民受け入れに関する新法を可決。

2005年、失業者が戦後最多500万人を突破。ロシアからバルト海を通ってドイツに天然ガスを送るという、物議があったノルド・ストリーム建設についてロシアとパイプライン計画に合意した。パイプラインによりドイツのエネルギー供給は、ロシア国営企業への依存することになる。地方議会選挙での連敗を受けて、7月に内閣信任案を与党に否決させ、連邦議会を解散。これによって9月18日に総選挙の投票が実施される。SPDは圧倒的に不利という事前の予想を覆して善戦したが、野党キリスト教民主同盟(CDU)側に4議席及ばず議会第二党へ転落。長い協議の末首相の座を退き、CDU党首アンゲラ・メルケルに譲ることになった。東ドイツで育ったメルケル新首相は東欧諸国を重視しており、(ドイツ語や英語に加えて)ロシア語も話せるが、シュレーダーの(フランスだけでなくロシアとの協力を重視する)「パリ-ベルリン-モスクワ枢軸」を外交政策の方針から削除した。11月29日には議員も辞職して政界から離れる。

2006年3月、ロシア国営天然ガス会社ガスプロムの子会社「ノルド・ストリームAG」の役員に就任。バルト海底を経由してロシア・ドイツ間をつないだ天然ガスのパイプラインであるノルド・ストリームノルド・ストリーム2の取締役を2017年時点でも長期にわたって利益を得ていることに批判の声がある。そのほかにスイスにあるロスチャイルド投資銀行のヨーロッパ支部相談役、スイスのRingier出版相談役を務める。同年自伝を出版したが、在任中からロシアとの癒着が疑われ批判された。ロシアでビジネスキャリアを積み、ノルド・ストリーム社の株主委員会の会長を務めている。

2007年5月中華人民共和国外交部顧問に任命。伝統的中国医学を世界に宣伝する役割を負う。成長著しい中国市場を重視し、首相在任中は毎年訪問してリニアモーターカー(上海トランスラピッド)の売り込みなどをしていた。同年9月チベットダライ・ラマ14世首相官邸に招いて会見したメルケル首相を「中国国民の感情を傷つけ、両国の友好を損ねた」と講演で批判している。

2008年8月メルケル首相が参加しなかった北京オリンピックの開会式に出席。

2014年4月28日ウクライナのクリミア危機でロシアがクリミア半島併合した中、ロシアのかつての首都であったサンクトペテルブルクの宮殿で70歳の誕生日をウラジーミル・プーチン露大統領と抱擁して祝った。クリミア半島併合が原因でロシアの国営石油会社ロスネフチに科された経済制裁などロシアへの経済制裁自体に反対を表明してきたことでも物議を醸した。

2015年9月、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に参加。

2017年8月11日、欧米による経済制裁の対象になっているロスネフチの取締役にドミートリー・メドヴェージェフ露首相の署名により指名されていたことが、ロシアで公開された文書により発覚した。ドイツのメディアはシュレーダーの行為を一斉に批判した。同月30日シュレーダーはロシアの国営石油会社ロスネフチの取締役に就任することを認めたが、所属するドイツ社会民主党(SPD)で2014年欧州議会選挙の結果、欧州議会議長に就任後に2017年に党首になったマルティン・シュルツ9月24日投票のドイツ連邦議会選挙に打撃を与えた。メルケル首相率いるドイツキリスト教民主同盟(CDU)政権打倒を目指しているショルツ党首は取締役候補に指名された時点でシュレーダーとは距離を置き「自分ならそのようなことはしない」と批判した。ロシアのインテルファクス通信によるとロスネフチの取締役会長なると報道された。ジョンズ・ホプキンズ大学米国現代ドイツ研究所のジャック・ジェーンズ所長はヨーロッパへ悪影響を与えると懸念を示した。メルケル首相も大衆誌『ビルト』による生中継インタビューにて自身は政界引退後に民間企業の職に就くことは考えていないことやシュレーダーロスネフチ取締役就任は不適切だと批判した。

  • こうした言動から、西側諸国の政財界要人がロシアに篭絡されることを揶揄する「シュレーダリゼーション」という造語が生まれた。
  • 日本の鳩山由紀夫元首相の様な振る舞いを英語ではこう表現する訳である。

2017年9月11日大韓民国の首都ソウル特別市にある「ナヌムの家」を訪れたシュレーダーは、自伝の韓国語版の売り上げのうち1000万ウォン(96万円)を寄付し、「日本政府が慰安婦に対して謝罪する勇気を持てないでいる」と述べ、元日本軍慰安婦ノーベル平和賞候補に推薦する事に支持を表明した。シュレーダーは現職前職を含め外国の元首級の人物がナヌムの家を訪れた初のケースだった。

  • 当時投稿した記事がこれ。

2017年9月11日から2泊3日で自叙伝の韓国語版出版に合わせて韓国を訪れたが、この自叙伝の韓国語版の監修を行い、通訳として同行もした25歳年下の韓国人女性キム・ソヨンと、5度目の結婚をすると報じられた。2016年に離婚したドリス元夫人がフェイスブックで離婚原因としてキム・ソヨンを挙げている。キムの前夫はキムと「シュレーダーと別れるなら離婚する」と約束して離婚したがキムは端からシュレーダーと別れるつもりも約束を守る意志もなかったのに離婚のために自分を欺いたこと、シュレーダーも家庭を持つ人妻という事実を知っていたのに不倫して自分に耐えがたい精神的苦痛を与える違法行為を行ったとして提訴した。その後2018年10月5日にベルリンで挙式。

2021年2月5日には、ロシアの国営天然ガス会社ガスプロムの取締役に指名される。

2022年に勃発したロシアによるウクライナ侵攻に関連し、3月11日モスクワでロシアのプーチン大統領と会見している。

ドイツサッカー連盟(DFB)はプーチンと親交があり、かつ同国の国営企業の取締役を歴任しているシュレーダーに対し、国営企業での職務放棄かDFBの名誉会員を自ら辞するよう要請していたが、シュレーダーはこれに応じなかったため、DFBは名誉会員資格を剥奪した。

こうして全体像を俯瞰すると、このコメントの含蓄が深そうです。

こうした展開全ての裏側において、一体ドイツで何が起こっていたのでしょうか?