諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「ユダヤ人の近代迫害史」と「産業革命遂行のための国家近代化」の密接な関係について。

そもそも「東欧におけるポグロムの歴史」、米国史と思わぬ連動性が…

①「(国家予算の六倍以上の戦費を投じて継戦不可能というギリギリの線で日本が辛勝した)日露戦争(1904年~1905年)」を成立させたウォール街を代表する投資銀行家の一人ジェイコブ・シフ(ドイツ系ユダヤ)。彼の関心の焦点はあくまで「(ポグロムを推進する)帝政ロシアへの嫌がらせ」にあったと考えられている。

ジェイコブ・H・シフと日露戦争

②だから実際、ウォール街の関心はやがてロシア革命(1917年)によって成立したソ連へと推移していったのだった。

世界の歴史をカネで動かす男達

ロシア革命を大規模に金銭的に支援したのはウォール街の国際銀行家である。クーンローブ商会ボルシェビキロシア革命の資金として約2000万ドルを拠出した。そのことは、1949年2月3日のニューヨークジャーナルアメリカン紙でジェイコブ・シフの孫が証言している。また、1918年から1922年にかけてレーニン6億ルーブル以上に相当する金をクーンローブ商会シフの会社に送ったという。

③しかし独ソ不可侵条約(1939年)締結によってニューヨークのユダヤ人が共産主義を支持する時代は終わり「ニューヨーク知識人」を代表するリチャード・ホフスタッターアメリ共産党を脱退。マルクス主義に依らない米国発展史観を樹立する。

④だが「ホフスタッターの米国進歩主義史観」が通用したのはせいぜい「黄金の50年代」まで。「アメリカの反知性主義(1963年)」が発表された時点で既に(完全視野外だったヒッピー運動や黒人公民権運動の高まりを目の当たりにして)全面的改定が不可避であるという認識が垣間見られるが、ホフスタッター当人はそれを発表する事なく1970年に亡くなる。そしてそれに代わって台頭したヒッピー世代が、よりによってとっくの昔に賞味期限の切れたマルクス史観アメリカに復活させ様と試みる。

で、こういうのが登場。反米を標榜するJリベラルのバイブルに。

そして現在…

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これがこういう話と繋がってくる訳ですね。

ポーランド王が商工業の育成のために招聘したユダヤ人が13世紀から多数ポーランド王国に移住してきました。彼らの中心地は南ポーランドのクラカウでした。ユダヤ人の多くは商工業に携わってポーランド王国の交流に貢献する一方、南東部のガリツィア地方ではポーランド貴族によるウクライナ人農民の支配を番頭のような形で助けてきました。ポーランド分割の結果、ユダヤ人の多くが住んでいた地域はオーストリアとロシアの領土になりました。オーストリアに併合されたガリツィアではウクライナ民族主義者の独立運動が続けられました。(拙著「ウクライナを理解するため」を参照)エカテリーナ女帝は当時未開の土地が残っていたウクライナの土地をユダヤ人に与えましたが、農業にあまり関心がなかった彼らは農地を放棄して次第に1791年にロシアが建設した南西部の都市オデッサに移住し商業を営むようになりました。この模様が映画になったのが「屋根の上のバイオリン弾き」です。後にオデッサからはユダヤ系の有名な音楽家が多数輩出します。1881年から1884年にはポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害行為)が起こり、1903年からはユダヤ人の海外脱出が増えていきました。日露戦争の資金がなかった日本政府から派遣された高橋是清がニューヨークでの資金調達に失敗した後に、ロンドンでHSBCのロンドン支部長であったキャメロン(キャメロン首相の高祖父)を中心とする金融団から目標額1億円の半分(500万ポンド)の融資取り付けに成功しました。そのお祝いの夕食会で偶然高橋の隣に座ったのがニューヨークのユダヤ系のクーン・ローブ商会代表のジェイコブ・シフでした。翌朝シフは残りの資金の調達に応じることを連絡してきました。戦争期間中総額2億円をシフは調達してくれましたが、後に高橋がシフに会った際にシフが言ったのは、融資の理由はポグロムを始めとするロシアの反ユダヤ主義に対する報復であり「ロシア帝国に対して立ち上がった日本は神の杖である」とシフの回想録では書いています。なお、クーン・ローブは1977年リーマン・ブラザーズに合併されました。

今回の投稿の発端は以下のtweet

ここに乱入

ヘッセンとかユダヤ人の財力を積極活用していた地域が何故に?」といった疑問がこの分析によって解ける様です。オランダに隣接する経済的先進地域だった南ドイツのライン川流域でも、実際の生産活動の主体だった労働者は(農奴解放によって故郷から離れた)経済的後進地域出身だったりして…

中東、アフリカ、アジアの後進国で流行した「第三の道」路線などまで視野に入れると「社会主義瘡蓋(かさぶた)」に。

そんな感じで以下続報…