諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「仁義なきお嬢様バトル」?

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一方、これまで見聞した範囲ではフローベール の写実小説「ボヴァリー夫人(Madame Bovary,1856年発表,1857年刊行)」とトーマス・ハーディ自然主義小説「ダーバヴィル家のテス(Tess of the d'Urbervilles,1891年)」の女性への不人気が群を抜いてます。どうやら「愚かな女がその愚かさ故に自滅していく様子」を実証主義=形而上学すなわち揺らぎ幅の一切を剥ぎ取られた「習性の連鎖だけで全ての説明がつく昆虫の生態観察」あるいは「(全てが明文化された)プログラムの動作確認」として描き切った辺りが嫌われる原因となった模様。

同様の指摘は「(日本では池田理代子ベルサイユのばら」原案として名高い)マリー・アントワネット(Marie Antoinette,1932年)」でも耳にしましたが、こちらは「ジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché,1929年)」と合わせて「フランス革命二部作」を為しており、その全体像において彼女は「(フランス革命勃発の原因の重要な一つとなった)欧州貴族の軽薄気周りないロココ気質」の体現者の一人として登場するに過ぎないのです。

今回の投稿の発端はこのTweet

日本でもこんな話が。

そんな感じで以下続報…