ラディカル・フェミニズムいうところの「本質主義」と「構造主義」を対峙させる思考様式には、には人間社会における関係性を単純化しすぎて(行列式を0にして次元を潰してしまう事で)かえって解決不能としてしまう側面が…
今回の投稿の発端は以下のTweet
おそらく男女の性格に生得的な差は乏しく、異性に期待するものが生得的に違うので、集団生活すれば「生得的かつ後天的に」男女差が現れてくる。ここにトリックがある。したがって「男に媚びる女」が自ずと発生するのは、男性優位社会の結果であって原因ではないから、これを叩いても差別は減らない。
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2022年4月7日
仮に「男らしさ」「女らしさ」がそれら自身に刻まれているなら、男女を分離した環境では男はより男らしく、女はより女らしく純化されるはずだ。だがそうではなく現実は逆だ。これは思想や価値観ではなく反証性のあり得る話だ。
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2022年4月7日
そう考えると、女性が社会進出した国で男が女々しくなっていくように感じられるのも至極当然のことで、つまり「異性からの要望をはねのける主体性」みたいなものが国民全体で共有されているなら、男女合わせてニュートラルに近づくはずであり、女が男に近づくようなモデルを思い描くべきではない
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2022年4月7日
極端な例を挙げよう
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2022年4月7日
中国の女に纏足を施したのは女
アフリカの女に女子割礼を施すのも女
なぜなら男の目を気にしているからだ https://t.co/Eu0RKTSM3I
なるほど、まず律法(トーラー)には女性割礼なんて書かれていないもんなぁ https://t.co/0DoyTSnVIa
— ほくりん@受難節 (@U40) 2022年4月7日
ここに乱入。
女子校育ちの女性が凛々しくなるのと同じ原理?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月7日
それ
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2022年4月7日
そんな感じで以下続報…