先週「SPYxFAMILY」「パリピ孔明」「シンウルトラマン 」をまとめて摂取して「2020年代がやっと形を為してきたな」という感触を得たんです。
今回の投稿の契機は以下のTweet
というかシン・ウルトラマン、いろんな人が頑張って難癖つけようとしてるけどどれ一つとしてまともな批判にもなってないのこれ本当に化け物映画だな……
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年5月21日
よく「シン・ゴジラ」と比べて見劣りするという意見があるけど、筋が違うと思う。ゴジラには先の戦争の惨禍が濃密に乗っかっており、だからこそ個人が国家に戦争を仕掛ける緊迫したテロリズムに翻案できた
— Tar Sack (@tar_sack) 2022年5月21日
ウルトラマンはプロレスに代表される昭和の大衆文化の産物であり、あれ程の大胆な翻案は難しい
んー、でもウルトラマンの持つテーマをしっかりと現代に翻案してたと思いますがねえ。ウクライナの人々が大国ロシア相手に戦うのは「自分たちで自分たちのことを決めるため」とはよく言われますが、まさにそれが問われた作品でしたし
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年5月21日
ウルトラマンにあった「孤独な防人」というキャラ設定を全面に押し出した事で、「シン・ゴジラ」の基本フォーマットを上手く導入できたのが、今回の面白さだと思います
— Tar Sack (@tar_sack) 2022年5月21日
超越的な個人と国家が対峙して暴力が行使される時、人々はどう対応して、本性が露になるのか、庵野秀明が描きたいのはそこなんです
まあそうかもしれんすなあ。
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2022年5月21日
ここに乱入。
まだまだ試行段階ですが、私の場合「シンウルトラマン」と「SPYxFamily」と「パリピ孔明」を並べ(それまでの累積が実って)2020年代に入ってとうとう新たな物語文法が現れたと考えてます。「こんな人類が生き延びてよいの?」なる問い掛けに、深淵の側から「いいんだ」と答え返してくる様な世界構造。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
逆に「シンゴジラ」が登場した2016年段階ではどの部品が足りてなかったのか、とか考えていく必要があるかと。そして「そんなに人間が好きになったかウルトラマン」なる決定的発言にどんなバリエーションがあり得るかとか。https://t.co/raD6C5zBuW
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
とりあえず上掲3作品に共通するのは覗き込んだ深淵の深さ。「シンウルトラマン」における(ザラブ星人の策謀すら届かないほど何もかも疑い抜く)公安、「SPYxFamily」における(東西内戦の地獄だけは繰り返すまいと考える)東西スパイ。実は一番厄介なのは「パリピ孔明」で…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
三国志ファンならおそらく「馬謖を切って北伐を推進した孔明」辺りを底と見定めそうですが、表面上軽く扱ってる様に見える音楽史の部分「イビサ島のMIAからテーラー・スィフト裁判に至る(これまで客観的に総括された事のない)ガチの暗黒史」だったりして。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
こうしてあえてグループ化して考えた場合「シンウルトラマン」の個性として際立つのが「覗いてる深淵の深さ」。それ自体については他の人も指摘してますね。私個人としてはなまじ「シンゴジラ」以降の「怪獣ならなんとか対応可能」なる楽観ムードからの外星人登場がこの絶望感を生み出したかと。 https://t.co/Ci5w5I37oL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
「シンゴジラ」が発表された2016年には「日常が思わぬ方向から避けて深淵が侵入してくる」作品が集中して現れましたが、上掲3作品に共通するのは「既に深淵による包囲網は退けたものの次の一手を模索してる」感じ。で「SPYxFamily」と「パリピ孔明」では奇しくも「混沌=戦争」なる定式化が成立するも…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
「人類の未来」を守ろうとする態度、「ゴジラの未来」を守ろうとした牧五郎博士の態度と重なってくるんじゃないかと。この辺りはまだまだ考察を深めないといけませんが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月21日
最初期の文章化例なので色々と荒いですが、とりあえずメモがてら…