何事にも始まり自体はあったのです。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
「パパとママは子どもの頃どのユーチューバーが好きだった?」
— なのふな (@nanofunya) 2022年7月2日
と聞かれて──夏──
ちっっっちゃい画面で画質がザラザラして動きがカクカクしてすぐ止まってた頃のYouTubeの話をしてやろうか…(村の長老の声で)
— なのふな (@nanofunya) 2022年7月2日
みんなはYouTubeの黎明期、何を見てた?
— なのふな (@nanofunya) 2022年7月2日
私はフィギュアスケートの海外大会(まだNHK杯と五輪くらいしかテレビで見れなかった時代)とか、バレエのコンクールとか見てた。カクカクでも嬉しかったなあ。
ここに乱入。
1990年代前半、ローリング・ストーンズのライブがQuickTime1.0の技術を用いて320×240の粗々画質で配信された時、ミック・ジャガーは「何だいこりゃ?と思ったろ?始まりとは常にそんなもんなんだ」とコメントしました。そう、そうして全てが始まったのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年7月3日
そして2010年にヒカキンが「将来、職業Yotuberと名乗れたら嬉しいな」とTwitterでtweetします。未来は常に最初は最先端を生きる人々の想像の中に現れるのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年7月3日
「パリピ孔明」の孔明「なるほど、どうやら2006年におけるaws公開が動画再生トラフィックの爆発的拡大の契機となった様ですね」。 https://t.co/dNbbVCV0WP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年7月3日
そんな感じで以下続報…