「アリとキリギリス」のキリギリス?どんなに上手に隠れても…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
「軽シン」は、80年代的な価値観を期せずして典型として反映していた「おはなし」設定にはなっとったんだわな……
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月3日
いわゆる「おとな」のいない世界というか。 pic.twitter.com/Mpfco6YJKv
当時の掲載誌『スピリッツ』の「あたらしさ」の内実、なども含めて。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月3日
「あるみかんばいおりんす」あったわ(はるか遅延) pic.twitter.com/DT7EOXs0nm
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月3日
( ´・ω・)プラスチックな絞殺死体
— あずぴん (@Bmwr65Take) 2022年9月3日
なんかあったな、それも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月3日
「プラトニックな恋愛したい」
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月3日
リアルな顔面と肉体の描写がデフォルメ(デザイン化)されたそれと唐突に入れ替わるのが新鮮でした。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月3日
今では極、ありふれた手法ですが。
少女マンガからの影響かもしれません。
70年代からのヒッピームーブメント、カリフォルニアブーム、暴走族ブーム、フリーセックス信仰。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月3日
いろいろなものを継承しつつ、斬新な作品。
車やバイクの蘊蓄や見事な描画は後のミリオタに繋がる部分もあり。一方でストーリーは実は70年代からの継承だったという印象があります。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月3日
キャラクターのデザイン化の与えた影響はとても大きいと思います。
キャラチェンジとデザイン化のテクニックと精密な小物・背景猫写で一足先に人気化してたのがあだち充でこちらからは性的な部分は丹念に消されていたので、表裏一体かも。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月3日
もう一つの大きな影響は「〇〇シンドローム」という定義されてない雰囲気用語を一般化したこと。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月3日
「大人の居ない世界」をかなりの程度現実に持ち込んだら、色々な集団が持たなくなり始め、みんなして大慌てしているのが現状ではないかと思ったりするッス。
— むっしゅ (@shohojin) 2022年9月3日
そして…
80年代の少年チャンピオンは、その少し前のチャンピオン全盛期に「少年」読者だった、大人になりきれない若者たちが支えていた雑誌だったってことがこれで理解できた。そりゃ、キン肉北斗の頃の競合他誌読者の少年たちには、チャンピオンなんて存在すら認識されないわけだわ。 https://t.co/ferDu6Hy9q
— DOLFIRE風間(CV:山口勝平) (@dolfire_kazama) 2022年9月4日
懐かしい。田口がいい味出してたっけ。 https://t.co/JFXjlceCl7
— ぐりあん (@GrianKay) 2022年9月3日
田口のオヤッサン……
— 萌旅調査官@グリーンエイジの交差点2020成功感謝! (@micky1359) 2022年9月3日
登場時は銭形警部的な大人ポジだったように記憶しているのですが、だんだん馴染んできて「仲間」みたいになっていくんですよね…… https://t.co/7z1tUyfdJK
懐かしい♪この「登場人物紹介」最初の頃はキャラクターの「生年月日」も紹介されていたような記憶がある。その点でもべったりと「その頃」に貼り付いていた「おはなし」だったんだよなぁ。 https://t.co/CDCecPdkcK
— 裃峠 歪 四回目接種済P.P.M.M. (@ibiz_camissimo) 2022年9月3日
ここに乱入
「軽シン(1981年~1985年」に初代Deepとして登場する世代、漫画「750ライダー(1975年~1985年)」の冒頭で暴れまくってた連中と重なるんですが、早々に引退して二度と「現場」に戻らなかったので、後の世代からは完全に正体不明の存在に…https://t.co/MMnps2JvEJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
私も実物と会って初めて「テンプテーションズに代表されるモータウン・ソールを聞いて踊ってた世代で、ジャクソン5登場には現役で衝撃を受けたが、ナイル・ロジャースのシックが登場した頃にはもう引退してたという話を聞きました。音楽トレンド的にもミッシング・リンク…https://t.co/wadBPL1gas
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
日本だとちょうどオイルショック到来による景気冷え込みでアニメも特撮も駄目になり、それまで馬鹿にしてきた「怪奇/オカルト/超能力/UFOブーム」に擦り寄らざるを得なくなった 時期。
ジャクソン5ブーム自体は日本に上陸しませんでしたが…
代わりにフィンガー5が大ヒット。
600人以上が大乱闘を繰り広げ、412人もの逮捕者を出した暴走族抗争「七里ヶ浜事件(1975年6月8日)」は、そういう殺伐とした空気を燃料に燃え上がったとも。
しかし衝突の都度多数の死者や逮捕者を出す様な激しい衝突はわずか数年で収束。暴走行為も抗争も当時と比べたら急激に穏便な方向に…奇しくもその展開はディスコなる新たな若者向けのフラストレーションの吐口の普及と歩調を合わせていた模様…
言われてみれば確かにこういう展開が「750ライダー」を「脅威の竜頭蛇尾展開」とし「軽シン」を「大人不在」で「シリアスモードとコミカルモード(2等身)に極端に分割された表現」としたのかも。で、後者表現が「それでも世界は美しい(2012年~2020年)」鬼滅の刃(2016年~2020年)」で復活。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
さて、今度の展開はいかなる存在の「不在」を示唆してるんでしょうかね?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
さよう「2010年代における(シリアスとギャグの差が極端な)二項分布作品の復活」…
そういえば1980年代、チェッカーズや舘ひろしのバックにほのかに感じた(ロカビリーだけでない)チャールストンっぽさ」こそが「本当の第一世代証」で、以降の校内暴力世代の暴走族が失っていく何かだったという…https://t.co/gSztGU5oy6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
「鬼滅の刃」は物語展開構造としては「鋼の錬金術師」とよく似ているのでしばしはこの両者は比較対象となりますが、最大の違いは後者を隙間なく彩る「自らの無力を自覚しつつ、子供世代の負荷を少しでも軽減しようと命を投げ出す現役の大人達」の姿が前者にはほとんど皆無な事。さぁて、逃げたの誰? pic.twitter.com/yofnUAJuJ6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
そういえば五十嵐大介「海獣の子供(原作2006年~2011年、劇場映画化2019年)」で「ママが海底の超自然的存在との約束を破ったから代わりにヒロインが狙われる様になった事」について、ママが自分の責任を認めようとせず(ただ苦しんではいるのでアル中になってしまった)…https://t.co/TlnQckf7aI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
しかもその秘密を自分の胸だけにしまって終始被害者面を貫く点を指摘したら、とある若者から「親に何勝手に期待してんですか?あんなの子供を時として暴力まで用いて言いなりにして、その一切の責任を取る必要がないと許されてる、そんな距離を置けたら置けただけ勝ちの災厄に過ぎませんよ」と…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
そんな指摘を受けたのを思い出しました。考えてみれば「太古の因縁が現世代の子供を直撃するが、大人は守ってくれるどころか、異変が起こってる事すら認めず、相談すればするほど事態を悪くする」みたいな物語文法事態は20世紀から存在してるですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
ある意味、このジレンマを逆手に取ったのが新海誠監督映画「天気の子(2019年)」で、こちらでは「選ばれた子供達が生贄にされ続ける事で守られてきた既存社会の秩序」の継承を子供達側が継承するのを拒絶した結果関東平野が水没してしまうけど、https://t.co/LN9fmaE1JY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
実は「世界を最大幸福状態に保つ為、そういう展開をあらかじめ察知して予防する国家機関や秘密結社」なんて空想の中にしか存在せず、だから誰も気にせず「関東平野の水没」を現実として受容した日常が続いていくという話。https://t.co/rlEXgY9WV6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
そしてこちらは、歴史のその時点ではまさか自分に「天気の子」で作中に「無責任な大人の代表」役が回ってくるとは思ってもないスガシカオさん…今から読み返すと「自業自得」感も?https://t.co/rqsyijcSY1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
このインタビュー、本編鑑賞後読み返すと「ああ、だからあそこがああなったのか」と納得するところ多数。ところで「天気の子」ではセブンスは鳴ったの?答え合わせが是非欲しいところ… pic.twitter.com/9o0bgY3SdW
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
1980年代~1990年代のアメリカには確実に「ヒッピー運動全盛期には反権力と反家父長制に陶酔した」若者達が、実際に社会に出て家庭を持つ様になったら「ただの権力的で家父長制な大人」にしかなれなかったルサンチマンみたいなものが鬱積してたけど…https://t.co/8xuiKosf7K
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
(要するに映画「青い珊瑚礁」に登場する無垢なカップルは、なぜ実社会に復帰するの拒み心中する問題)、日本のその筋の方々は「神田川」や「いちご白書をもう一度」を歌って一通り涙を流し軽く流してしまったツケが今更の様に、しかも取り返しのつかない形で回ってきた感じ?https://t.co/CAygz6M4fa
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
その結果、アメリカで「本当にヒッピー理念と心中して反権力を貫いていたら危なかった」なる自己憐憫に流れたベクトルが「本当はどうなるか、やってみなきゃわからないじゃないか」に流れた側面も?https://t.co/3TyCJSVxtN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
まぁそれが「AKIRA」であり、オウム真理教であり、その流れを何とかアメリカに持ち込もうとした流れが「Big Hero 6」であったと?https://t.co/nejxSBPz0i
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
オリジナルは何しろ「滅ぼされたアイヌ民族の怨霊を召喚する最後の末裔」VS「(自分が忘れ去られ消え去る事が許せない)原爆犠牲者の怨霊」という絶望の構図…
20世紀末に垣間見えた「日常の裂け目の向こう側」…
なるほど「(挫折した大人達が先鞭をつけた道が)やってみれば何とかなった」が「鋼の錬金術師」だったとすれば、「最初の世代」と「今の世代」の中間が存在意義を消失したのが「鬼滅の刃」、そして「そもそも誰も大人になんてなれないよ?」の域まできたのが「メイドインアビス(特に成れ果て村以降)」?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
そんな感じで以下続報…