とりあえずメモがてら。
今回の投稿の発端は以下のポスト。
きわめて主語のでっかい話なので「傾向としては」を頭につけておく
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月16日
徳島の女子高校生暴行事件への反応などを思い返しても、「暴力的なアプローチをされると怖いし咄嗟の対応に困る(異性として見られて良かった、みたいな事にはならない)」ラインでも紛糾する辺り、そのへんの体感にはかなり大きな隔たりがあるのだなあ、と
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月16日
「モテによって人権を得る」ことへの渇望>>>>異性から性暴力を受けたり、妊娠する危険性
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月16日
とは、女性はあんまりならないですよね。モテはないならないでいいやってなる人のほうが多いと思う。虐待経験などでそのあたりがバグる人、単にモテ志向の強い人もいるだろうけど。
海外の第三世代フェミニズムの姉様達はニンフェット世代(女児が成長速度で男児を抜く小学生高学年から再び抜き返される中学生までの少女)に「貴方達の攻撃性の主体になる場合もあり得るのを忘れないで」と諭してましたね。まぁイジメが一番酷くなる年代でもあるので。https://t.co/DhoxrYBkax
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
×「貴方達の攻撃性の主体になり得る場合もあり得るのを忘れないで」○「貴方達も暴力性の主体になり得る場合があるのを忘れないで」。これで大半の問題は発展的に解消してた印象が。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
確かに、それこそ「フェミニズム」として訴えることが必要な課題にも思えます。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月16日
この世代の「同世代のまだ幼いままの男子への嫌悪感」って本当に酷いので「貴方も差別する側に回り得るのですよ」という教材に最適なんですね。そういう手管に精通するのが本来のフェミニズムなのでは?とかつい思っちゃう訳です。https://t.co/L5a4QbnifT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
多分女性の「非モテ系への嫌悪感」って概ねこの辺りが起源かと。素人意見で恐縮ですが、是非ご検討下さい。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
ちなみに不幸にも「同世代の少女から幼く見えて忌避される少年」の代表格に選ばれてしまったのが「ハリーポッター第1作のロン」。(最終的には彼を伴侶を選ぶ)ハーマイオニーが最初から可愛くしっかりしてるのにこの差…しかもそれがフィクションでなく現実という次第。https://t.co/7D1xYoQfTt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
第三世代フェミニストの姉様達「いいですか、イケメンとゴールインする「出来る女」は、この段階でその将来性を見抜いて選んでいるのです」。ニンフェット軍団「ずぇったいムリです!!」。第三世代フェミニストの姉様達「だからお前達はまだお子ちゃまなんだよ!!」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
「鋼の錬金術師」のウェンリー&「それでも世界は美しい」のニケ「同意しかない」。エルリック&リヴィウス王「そうかオレたち「先物買い」の対象だったのか」…こういう観点が抜けたら、そりゃまとまる話もまとまりませんわ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
とどのつまり「身長171センチ以上の男性しか視野に入らない」と豪語する女性は、自らかかる「先物買い」戦争の敗者と認めている様なもの。教材に日本の作品も含まれてるというのに、一体何周遅れの議論なの? 今や最前線はさらに難易度が高い「成長後どうなるか示されない」竈門炭治郎の時代…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
「進撃の巨人」のエレン・イェーガー「そう目の前の「未成熟なチビ」が将来どう育つか見抜ける様になるのが成熟なんだよ(おそらく史上最大級の外れ値)」。こう実例を並べると「(女性が本来論ずべき、自らを魅了する)男性(少年)の暴力性」の正体が自ずから…https://t.co/KJQaTXyBSN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
「チェザーレ・ボルジア優雅なる冷酷(1970年!!)」の著者である塩野七生「この話題のタネを最初に撒いたのは私(実際ジュネ派に10年先行する)」!! 日本はコンテンツ供給国としては世界最先端なのにそのフェミニズムの成熟度は最後尾近い不思議な国…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月16日
「#魔女集会で会いましょう」タグを思い出しました。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月17日
140文字世界において多くの人々をワルプルギスの夜へと誘ったハッシュタグ。略して「魔女集会」とも呼ばれる。
2018年2月8日に、九頭さんという人物による、「#魔女集会で会いましょう このタグで、『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』の絵を描きますので、誰か描きたい方いらっしゃればこのタグつけて好き勝手に・・・」
というつぶやきが発端だが、これが人々のあらゆる性癖と創作意欲を刺激すると、イラストのみならずテキストなども創作され、瞬く間に広まることとなった。
Before = 魔女と子供の邂逅。
After = 子供が成長した、その後の結末。の2つの場面で構成され、それだけを踏まえていれば魔女と子供のキャラ設定やストーリー展開は作者の好みに合わせて自由に創作ができ、同じく140文字世界でのつぶやきが発端となった「童貞を殺す服」とは違って、受け取る側を選ばないのが特徴。
ちなみに海外でも広く知られているようで、「#LetsMeetAtTheWitchAssembly」という英語版のタグと共に、140文字世界では多くの作品が投稿されている。
「ハリーポッター第一作目のロンは誰も選ばない」問題、真面目に取り組めば取り組むほど「黒の船歌」が聞こえて来るばかりという…https://t.co/hPAGQF2YIM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
トレンドの「モテは暴力」に関しては「鋼の錬金術師」において(エルリックの凶暴性発揮に義手義足技師として加担しつつ「壊すと怒る」恐怖で縛った)ウェンリーさんと(マスタング大佐への炎術の伝授側にして背後で狙撃銃を構える)リザさんの二重設定で…https://t.co/nhwA9DLLDh
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
「暴力性が男だけのもので、それに女性が一方的に振り回されるとしか考えられない女は二流。一流は躊躇なく自分も暴力を振るう側に回れ、かつそれを完全制御下に置く」という結論が出てて国際的にも認知されてるので「モテは暴力」とか考える余地もないというのが私の立場ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
「それでも世界は素晴らしい」に至っては、そもそもヒロインが「生ける核爆弾=世界を滅ぼしえる力そのもの」で、「どの国がその力を制御下に置くのが正しいか」という政治サスペンスなのにヒロインがふらふら浮気したり拉致される恐るべき展開で…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
そのヒロインが「モテは暴力」と勝手に思い込んでる男どもを「私にとって何が幸せか、私以外の誰にも決めさせない‼︎」と宣言して次々と物理的に殴り倒していく物語でした。まぁこれが21世紀フェミニズムの最前線…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
そして…
荒川弘作品に「暴力はモテ」と誤解する女性が登場しないの「いつ襲って来るか分からない究極の暴力」熊との共存を強要される北海道人「イデオロギー(日常生活を包括的に説明する哲学的根拠)」のせいかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
当人も上京して(熊を警戒する必要がなくなって)数年が経ってそれが薄らぐまで、自分にそういう構造が内在していた事に気付かなかったというのが面白い辺り。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
国際的には「北海道人イデオロギー」の方が優勢らしく、海外ネットでは牧場の娘が「私も本当は奈良の公園で可愛い鹿の首を抱きしめたかった。こうやって牧草地を荒らす害獣を狩るんじゃなくて」とコメントして鹿の生首写真を投稿する「鹿の生首」事件とかありました。自称「銀の匙」ファン…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
最近「牛を神聖視するインド人は牛肉を食べないが、春日大社が神の使いと崇める鹿はジビエグルメ鹿肉カレーの具材にされてしまう」という話を聞いて「日本人にとっても自然との共存とはそういうものなのだ」と改めて思った次第。要するに「暴力はモテ」心理の背後にあるのは自然からの乖離?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月17日
そんな感じで以下続報…