諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2020年代的雰囲気】腐女子とトランスジェンダーの野合

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今回の投稿の発端は以下のポスト。

セーラームーンには、主人公の設定として、

  a①美少女だが出来は良くない。
  a②特別の能力を付与されてもあまり効果をだせない。
  a③第三者に助けてもらう。

という三要素が見出せる。しかし普通のパターンでゆくと、

  b①普通の少女だが、心は優しい。
  b②特別の能力を授けられ、平和のために問題を解決する。
  b③サブキャラが陰から援助する。

となり、①→②→③という一連のストーリー展開が視聴者を納得させる構成となる。しかるに、セーラームーンでは、問題の解決は主人公ではなく、陰の存在でなければならない第三者サブキャラが行なっている。つまり、主人公こそが「問題解決」においては、「刺身の妻」なのである。奇しくも第13回放映の「女の子は団結よ!ジェダイトの最後」の巻で、悪役のジェダイトが「泣け!わめけ!男がいなければ、なにもできない、あさはかな女たちよ」と哄笑している。

これはいったいどうゆう設定なのか。

ようするに主人公「うさぎ」はa①のためだけに存在しているのである。そしてa①の要素とは、まさに現代の少女像にほかならない。

それは、学校の成績もたいしてよくなく、かといって何か特別なことに一生懸命というわけでもない(a①)。他人が助力しようとしても、それを真剣に受け止めないため、結局、身に就かない(a②)。そして自分を好きになってくれる人の全面的援助を大胆に受け入れる(a③)。都会の彼女たちには、ブルセラ・モデルや援助交際が、大金の入手方法として呈示されている。

そこには人権問題など吹き飛んでしまうほどの現実が、ごく限られた空間と時間と交流の中において存在してしまっている。

しかし考えてみれば、女性を「美少女」という「ものさし」でしか計らない風潮を我々は認めてしまっている。たとえば、最近のコマーシャルである。
エステティックのCMで「わたし、身体もすごいんです」という台詞がある。これは「身体も」ということの前提として、「顔は当然いいんです」というのがある。会社の先輩女史に対して、若さと美貌を武器に男を味方にすることを全面肯定したCMである。

かつてミスコンが女性を表面的な美でしか判断しない、男中心の勝手な差別行為として非難されたことがあった。では、このCMはなんなのだ。男性が主催するものは否定するが、女性のために少しでもためになるものならば(美容という点で)、許されるというのであろうか。

いやそうではないであろう。ようは女性の人権を真剣に考えている人数よりも、自分の美を高めようとだけ考えている人の数のほうが圧倒的に多いということにすぎまい。
これ以上、人権問題に踏み込むことはよそう。問題はセーラームーンが生み出されたコンセプトである。

主人公「うさぎ」は、バカでも無能力でもよいのである。制服が似合って、プロポーションがよければそれで、現代のヒロインになれるのである。

つまり、正義=美(顔と身体)という公式が成り立ちさえすればよいことになる。

これは女児・少女が自ら求めるキャラクターでは、けっしてない。では誰の求めるキャラクターなのか。それは、女子中学生をブルセラの対象とし、コギャルを性のはけ口にしようとする大人の求めるキャラクターにほかならない。

セーラームーンは子どものためのキャラクターではなく、大人のためのキャラクターなのである。

実はこの問題提起、実際に

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男性キャラはしっかり防具をつけ、女性は無防備に無意味な露出をしているという図。多くの人々が「あーあるある、ありがちだよねえ」と思うかもしれない。

本当にそうだろうか。

実際にこのような「鎧を着込んだ男性」と「ビキニアーマーのような露出の高い女性」をキャラクター選択画面で提示されるゲームのタイトルを1つでも2つでも挙げられる人はいるだろうか。少なくとも俺には思い当たらない。せいぜい80年代のドラゴンクエスト3の戦士キャラくらいのものである。そのドラゴンクエストでも最新作である11では8人の主要人物のうちマルティナとカミュという男女2人が露出高い担当であり、やはり男女の偏りはない。マルティナの露出に関しては以前に書いたこともあるのでそちらも参照して欲しい。

だいたいいまどきのゲームは初期装備はシャツとパンツがあるくらいで、いきなり立派な鎧を与えられてスタートするゲームなんて普通はないものだ。

記事中でも言及されているビキニアーマーは古典どころか当時から「防御力はどこにあるのか」といったツッコミが多数あり、80年代中にはもはやネタ的なものでしかなかったはずだ。1992年に発行された「スレイヤーズすぺしゃる ナーガの冒険」ではビキニアーマーを着た白蛇のナーガという人物の時代錯誤というか狂乱っぷりが笑いたっぷりに描かれている。

そしてここに乱入。

そんな感じで以下続報…