とりあえずメモがてら。
今回の投稿の発端は以下のポスト。
ジュラシック・パークのみならず「行き過ぎた科学技術は害悪になる」という作品が溢れ、その後追いが溢れて価値観が画一化されてしまったのがSFの衰退の一因かと思ってる。やはり「科学技術の発達は人類を幸せにする」もちゃんと描かれてこそSFだと思うのよね。そういう希望のSFがいまこそ必要だよ。
— 翅田大介@わたし、美少女作家になります! (@DaisukeHaneta) 2021年9月3日
個人的には、技術が発達して生活が便利になる(≒楽になる)というのを忌避する傾向が意外と強いのが興味深い点かな..
— akuzya弐号 (@akuzya2) 2021年9月3日
〜古くはドラえもんもその傾向が強い且つそれでも批判意見があったらしいし...
自分も知能増幅やサイボーグ技術と言った人体拡張技術の普及について話したら反対意見が多かったなぁ涙
星を継ぐもの等の作者さまジェイムズ・P・ホーガン氏の初期長編がそんな感じだったのですが、晩年近くは作風変わったのが残念です
— こみかん (@komikan1) 2021年9月3日
時代の風潮もあるのかもですが、物語の作り方としては、行き過ぎた科学技術って、驚異として分かりやすいし、ドラマとしても盛り上がるんですよね。あらかたやり終えたSF作家からすると、そっちの方が作りやすかったのですかね……。
— 翅田大介@わたし、美少女作家になります! (@DaisukeHaneta) 2021年9月3日
そういえば量子宇宙干渉機を読み途中でしたw
もう古典になっている、アイザック・アシモフ氏のロボット三原則とかも、人によって作られた技術や創造物が人に反逆したり、破滅をもたらすってのもういい加減古くない?
— こみかん (@komikan1) 2021年9月3日
ってところから産まれたアイデアなんですけどねえ
70年も前のお話です