妖精譚の国際的伝播過程を複雑怪奇なものとしたのは「歴史のない国」にして「あらゆる隣国と歴史を共有してきた」フランス王国の存在。
伝承に拠ればメロヴィング朝フランク王国王室は精霊から特別の加護を受けていた。そうした精霊の王をフランス語圏ではオベロン(Oberon、Auberon)、ドイツ語圏ではアルベリヒ(albrîh、すなわち古高ドイツ語でalb(エルフ)+rîh(支配者すなわち王)を意味する)と呼んだ。
- エルフ(Elf、Alf)…一般的イメージは…トールキン「指輪物語」?
- オベロン(Oberon、Auberon)…一般的イメージは…シェークスキア「真夏の夜の夢」?
- アルベリヒ(albrîh、alberich)…一般的イメージは…ワーグナー「ラインの黄金」?
こうした起源譚には、出雲建国神話において少彦名神や大国主が次々と「根の国」へと姿を消していったのと同様の不穏さがつきまとう。メロヴィング朝王室を加護する精霊王もまた、いつの間にかフェイドアウトして消えてしまうのである。
「アーサー王伝説」の確立と伝播
8世紀ノーザンブリアで編纂されたラテン語文献「ベーダ教会史」には「バドニクス山(ベイドン山)の戦い(5世紀後半~6世紀前半)によってブリテン島のローマン・ケルト連合軍はとりあえず一旦サクソン軍の撃退に成功した」とあるだけである。
- 9世紀ウェールズで修道士ネンニウスが編纂したラテン語文献「ブリトン人の歴史」において初めてこの軍勢がアーサー王によって率いられていた事が記されたが、10世紀に編纂されたラテン語文献「カンブリア年代記」では早くも「サクソン族VSローマン・ケルト連合」という要素が排除され「518年にアーサー王とその不義の息子メドラウド(モードレッド)がカムランの戦いで激突し、双方とも討ち死にした」という内容に変質してしまった。「カンブリア年代記」は「ウェールズの伝承に基づいた結果」とするが、実際のウェールズの伝承におけるアーサーは「アンヌン(Annwn;ウェールズ人にとっての異界)」と縁深い魔法的な人物にして超自然的な存在や人間からブリタニアを守る屈強な戦士に他ならない。「(王権に迎合する形で生き延びた)オベロンやフレイの物語」や」(蓄えてきた財宝を奪われ、それに呪詛を込めるくらいしか意趣返しの手段がなかった)アルベリヒの物語」と異なりオリジナリティが維持されている。しかもそれはブルターニュ(ブリトン族の地)経由でフランスにも伝播。
- 1138年頃にジェフリー・オブ・モンマスが編纂し大人気となった荒唐無稽なラテン語偽史「ブリタニア列王史(Historiae Regum Britanniae)」によって初めてブリトン人以外に伝えられたアーサー伝説におけるアーサー王はサクソン人を撃退したばかりかブリテン、アイルランド、アイスランド、ノルウェー、ガリア(フランス)にまたがる大帝国を建設した人物とされており、さらにアーサーの父ユーサー・ペンドラゴン、魔法使いマーリン、王妃グィネヴィア、エクスカリバー、ティンタジェル城、モードレッドとの最終決戦(カムランの戦い)、アーサー王の死とアヴァロンへの船出といった基本要素が全て揃っていた。
かくして南仏プロヴァンスの宮廷と在野で最初の成功を果たしたトルヴェール(吟遊詩人)の欧州ロマンス(騎士道物語)文化は「ローマ物(シーザーなどの歴史的英雄の活躍を描く)」「スペイン物(イベリア半島におけるキリスト騎士とイスラム騎士の競り合いを描く)」に加え「ブリテン物」という新ジャンルを獲得。
- 当時のプロヴァンスはまだフランス支配下になく(名義上神聖ローマ帝国に臣従していただけで実際の拘束は皆無)、アーサー王伝説がフランス宮廷でも広まったのは12世紀フランスの詩人クレティアン・ド・トロワ(おそらくフランス北部トロワ(Troyes)の出身。1160年から1181年にかけてシャンパーニュ伯アンリ1世の夫人にしてフランス王ルイ7世とアリエノール・ダキテーヌの娘だったマリー・ド・シャンパーニュ、晩年にはフランドル伯フィリップのパトロネージを受けて宮廷に出仕)の功績であった。
- オウィディウスの「変身物語」を題材とする幻想物語と結婚生活の愛を描く事にかけては中世文学最高の作家であったこの人物は、その立場故に聖杯伝説、ランスロット、コーンウォールのマルク王やイゾルデといった新要素の提唱者となりながら「グィネヴィアとランスロット卿の姦通」「イゾルデを巡るコーンウォールのマルク王とトリスタンの三角関係」といった不義密通要素までは盛り込む事は出来なかった。
- とはいえそれはアイルランド神話における「フィアナ騎士団の英雄フィン・マックールとディルムッド・オディナの生涯を狂わせる魔性の女グラーニアの物語」にも見て取れる様にケルト系物語では必須の要素であり(原型はおそらく「バーラト(女主人)/バール(男主人)信仰」に基づいて夫を次々と乗り換えていく地母神)、そういう位相のズレもあってフランスのロマンス(騎士道物語)はアーサー王自体より円卓の騎士など他の登場人物にスポットライトを当てる様になっていく。
そしてアルビジョワ十字軍(1209年〜1229年)によって北フランス諸侯が南仏を蹂躙するとプロヴァンス宮廷の吟遊詩人達は当時神聖ローマ皇帝の王統だったホーエンシュタウフェン家支配下のイタリア半島南部およびシチリア島に逃げ込んだ。そしてホーエンシュタウフェン家が滅ぼされ、イタリア半島南部をシチリア=アンジュー家、シチリア島をイベリア半島のアラゴン連合王国の分家が支配する様になるとその影響はイタリア半島全体に拡散し、イタリアン・ルネサンスに俗語文学の展開を付加する事になる。
「ニーベルンゲンの歌」に登場するニーベルング族の族長アルベリヒ
13世紀頃、ライン川流域を舞台にブルグント族の興亡を描いたドイツの国民的叙事詩「ニーベルンゲンの歌」が成立。ここでアルベリヒはニーベルング族の宝を守る族長としてジークフリートにその財宝を奪われたとされた。ただしその財宝は呪われており所有者の寿命をを縮めてしまう。
- 「呪われた宝物」…もしかしたらアイオリス人がギリシャに伝えたケルト系伝承とドゥルガー神話が混ざりあって起源前7世紀にはパンドラ神話やエリピューレー神話を生んだのかもしれない。逆に北欧人の方がアイオリス人の神話の影響を受けた可能性もあるが。
- 「ドゥルガー(durga)神話」…4世紀から5世紀頃に成文化されたインド聖典「デーヴィー・マーハートミャ」の登場人物。アシェラ神族(阿修羅族)の躍進によって存亡の危機に立たされたディーヴァ神族(天部族)が総力を結集して美しき殺戮兵器ドゥルガーを完成させる。後に純粋な殺戮機械カーリーに進化。起源前7世紀時点で確認出来るのは(フェニキアのアシュタロテやギリシャのアフロディテの造形にも影響を与えた)カーリーだけなので、逆にヘレニズム時代におけるギリシャ神話の伝播がドゥルガーというキャラクターを生んだ可能性もある。
- 「パンドラ(Pandora)神話」…起源前7世紀頃成立のヘシオドス「神統記」「労働と日」に見える。プロメテウスの介入で神を越える可能性を孕む事になった人間の男達を牽制する為にオリンポスの神々が総力を結集して生み出した人間の男達を破滅させる妖女。
- 「エリピューレー(Eriphyle)神話」…テーバイ叙事詩環に見える。ハルモニアの首飾りや婚礼衣装に簡単に籠絡されてしまいテーバイ攻めの七将やエピゴノイ(後継者達)を苦しめて最期は復讐される姦婦。ちなみにハルモニアも子供が次々と無惨な変死を遂げる。トロイア戦争叙事詩環「キュプリア(起源前7世紀頃成立)」においてペーレウスとティーターン族の娘テティスの婚儀の席にエリス(争いの女神)が「不和の林檎」を投げ込んでヘーラー、アテーナー、アプロディーテーに喧嘩させる「パリスの審判」のバリエーションとも。
十字軍時代のフランス英雄詩に登場する「妖精の小人オーベロン」
フランス英雄詩におけるオベロンは9世紀にヴァイキング(北欧人の掠奪遠征)に立ち向かって戦死した実在の人物をモデルとするボルドー伯がイスラム圏のバビロンで繰り広げる冒険を援助する妖精の小人として描かれた。
- 13世紀前半に成立した『Les Prouesses et faitz du noble Huon de Bordeaux』という武勲詩では間違えて皇帝の息子シャルロを殺してしまって贖罪の旅を続けるボルドー伯爵セグワンの息子ユオンを妖精の小人オーベロンが手助けする。
- 背丈は低いが非常に端正な姿で、オーベロン自身の説明によると、彼の洗礼の際に怒った妖精が背丈に呪いをかけたが、後に怒りが和らいだ際に償いとしてすばらしい美しさを与えてくれたという。
現実のセグワンは839年にルートヴィヒ1世の元でボルドー伯になり845年にノルマン人との戦いで戦死した。禿頭王シャルルの息子である幼年王シャルル (Charles the Child) もまた、この物語のシャルロと酷似した待ち伏せ状況下でオーボワンという人物によって負わされた傷により866年に死去している。
湖の乙女(Lady of the Lake)あるいは「湖の貴婦人(Dame du Lac:ダーム・デュ・ラック)」
名前としては、ヴィヴィアン(Viviane)、ニミュエ(Nimue)、エレイン(Elaine)、ニニアン(Niniane)、ニマーヌ(Nimane)、ニニュー(Nyneue)、ニヴィアン(Nivian)、ニムエ(Nimueh)など様々な名前が当てられている。謎が比較的多く、「湖の乙女」は個人の名称だと考えるよりも、これら複数の人物をまとめて呼ぶときの呼び名と考えた方が説明がしやすいと思われる。
- 初期の騎士物語では水の妖精という不思議な存在だったが、後に魔術で作り出した幻の湖の中に立つ城で暮らしている美しく高貴な魔法使いへと変更された。
- 中世アーサー王文学の集大成たるトマス・マロリー「アーサー王の死(Le Morte d'Arthur、1450年代初期〜1470年、初版1485年)」では水の妖精と人間の中間のような存在であって、基本的に円卓の騎士の一人であるランスロットの守護妖精「ヴィヴィアン」で統一されている。
「アーサー王の死」における「湖の乙女」の行動は以下。
ペリノア王との戦いに敗北し、剣を折られたアーサー王に対し新しい剣(一般的にエクスカリバーと称される二本目の剣)を渡した。このとき、アーサー王に対し「将来、自分の願いをなんでもいいから必ず一つかなえる」と約束させたとするものもある。
ベイリン卿に殺害される
エクスカリバーをアーサー王に渡した際の約束に基づき、ベイリン卿、あるいはベイリン卿の剣を持ってきた乙女の首をアーサー王に要求した。「湖の乙女」に恩があるアーサー王が悩んでいると、この要求に激怒したベイリン卿により「湖の乙女」は首を刎ねられてしまう。詳細は不明だが、この「湖の乙女」は過去にベイリン卿の母親を殺害したことがあるらしい。また、これ以降も「湖の乙女」は相変わらず登場するため「湖の乙女」が一人であったと考えることは困難。
ランスロット卿の養育
父であるベンウィックのバン王の死後、彼に代わって18歳までランスロット卿を養育した。ランスロット卿の異名、「湖の騎士」はこれに由来している。ただ、版によればランスロット卿の母親から、ランスロット卿を強奪するというものもあり、まったくの善意から孤児を助けたというわけではないともいえる。
ペリノア王の冒険に登場
アーサー王とグィネヴィア王妃の結婚式のとき、唐突に「白い鹿」と、「猟犬」、「乙女」が登場し、消えた。そこで、「白い鹿」はトー卿が、「猟犬」はガウェイン卿が、「乙女」はペリノア王が探索に出かける。このときの「乙女」はマロリー版では「湖の乙女」であったということになっている。
マーリンを監禁する
アーサー王とグィネヴィア王妃の結婚式に、突然白馬に乗って宮廷に現れ、「湖の乙女」に惚れたマーリンは、自分の知る魔法の全てを「湖の乙女」に伝える後、嫌悪ゆえか、彼女はマーリンを魔法で魔法の森や空中楼閣に監禁してしまう。これがアーサー王の国力を大きく削ぐこととなった。なお、このときどうして「湖の乙女」がマーリンを監禁したのか理由は不明。
ペレアス卿と恋人になる
あるとき、ペレアス卿は恋の仲介をガウェイン卿に頼んだのだが、ガウェイン卿はペレアス卿の意中の婦人と同衾してしまう。これに激怒し、悲しみのあまり放浪していたペレアス卿に恋をした「湖の乙女」はペレアス卿に接近し、恋人同士になった。ペレアス卿に恋するあまり、「湖の乙女」は彼に危険が及ばないよう、槍試合においてはランスロット卿と同じチームにつかない限り、試合場にたどり着けないとの魔法を掛けた。このような「湖の乙女」の保護を得てか、ペレアス卿は安楽な最期を迎えることができたという。
エクスカリバーの回収
カムランの戦いで瀕死の重傷を負ったアーサー王の代理人であるベディヴィアからエクスカリバーを回収した。このシーンが「アーサー王の死」を始めとするアーサー王物語の最後にかかわるシーンである。
アーサー王をアヴァロン島へ運送
アーサー王の死に際し、ヴィヴィアン、ニミュエ及びアーサー王の異父姉・モーガン(モルゲンや妖精モルガナ)が重傷を負ったアーサー王をアヴァロン島へ連れて行った。
妖精の女王ティタニアの「嬶天下」
英国ではルネサンス期に入った1590年代中頃になってやっとウィリアム・シェイクスピアが「真夏の夜の夢」においてオベロンを「森を支配する妖精達の王」とする一方で、その伴侶にオウィディウス「変身物語」に登場する「タイターニア(ティターンの娘達)」にちなんでティタニアという呼称を与え、「バーラト(女主人)/バール(男主人)信仰」でいうところの「夫を尻に敷く地母神的妖精女王」という役割が与えられている。これは以下の様な伝承へのルネサンス的意趣返しだったとも。
- 「エッダ」編纂に重要な役割を果たしたアイスランド同様にノース人の足跡が色濃い)アイルランド神話において英雄クン・フーリン(Cu Chulainn)が地母神モリガン(Morrigan)からの求婚を英雄として戦死するまで断り続けた伝承。
*古代メソポタミアにおいて、ウルクの英雄王ギルガメッシュ(Gilgamesh)が(アッカドの地母神)イシュタル(Ishtar)の求愛を拒み続けたエピソードを想起させる。実際の歴史上においてシュメールはアッカドに併合されたが、ウルクはそのシュメールにおける最有力都市国家。シュメールを統一してアッカドを逆併合する可能性があった最大候補でもあったのである。
- ブリテン島に上陸したアングロ=サクソン系諸侯が際限なく内戦を繰り広げたヘプターキー(Heptarchy、七王国時代、5世紀〜9世紀)。アーサー王伝説においてモーガン・ル・フェイ(Morgan le Fay)はその存在を地母神的立場から「守旧派を代表する頑迷固陋な王姉」にまで転落させてしまう。
かくして(アテネ公シーシアス(テセウス)とアマゾン国のヒポリタ(ヒッポリュテ)の結婚式が間近に迫った)アテネ近郊の森を舞台にとする「真夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream、初演1594年〜1596年)」が発表される。結婚問題で悩む2組の男女。養子(取替え子)を巡って仲違いする妖精の王と女王。妖精王の画策や妖精パックの活躍によってこれらが最終的に円満な結末を迎える喜劇だった。
*一方、当時の欧州中では伝統的集落の自立性に対する中央政権の介入が強まる。「妖精と人間が共存する牧歌的風景」そのものが地上から消滅していく。
英国における展開では、結構こうした文学的要因が大きいのです。
フランスのコント(Contes)
シャルル・ペローが「寓意のある昔話、またはコント集~がちょうおばさんの話(Histoires ou contes du temps passé, avec des moralités : Contes de ma mère l'Oye、1697年)」を編纂。
*主にジャンバティスタ・バジーレ「ペンタメローネ(五日物語、Pentamerone、1634年)」などのルネサンス期イタリアの説話集にその供給を頼った。
これがユグノー亡命者経由でドイツのヘッセンに伝わり「グリム童話(Grimms Märchen、1812年〜1857年)」の一部として採択され、ドイツ・メルヒェン文学が花開く。
ドイツのメルヒェン(Märchen)
ドイツで発生した散文による空想的な物語。非常に古くて重要な文学形式の一つであり、英語ではフェアリーテール(fairy tale、妖精物語)、フランスではコント(contes de fée)と呼ばれるものに相当する。
- 15世紀に生まれたメーレ(Mär)と呼ばれる詩の文体の短い物語があった。これに「小さい」を意味する語尾chenが付けられてMärchenとなった。そして18世紀に入るとフランスの妖精物語や「千夜一夜物語(Arabian Nights Entertainments)」がドイツ語に訳され、これらをメルヘンと呼ぶようになった。
*「千夜一夜物語(Arabian Nights Entertainments)」…アントワーヌ・ガラン版はシリア写本に基づく1704年〜1706年全7巻、書店主がガランの訳出した別物語と別人がオスマン語の写本から訳出した物語を一つにした第8巻(1709年)、アレッポ出身のマロン派教徒ハンナ・ディヤープ(ジャン・バティスト・ディアブ)より伝え聞いた「アラジン」や「アリババ」といった元来は千夜一夜物語に含まれない伝承に手を加え再話した9巻〜12巻(1709年〜1717年)で構成される。またカルカッタ第二版を底本とするバートン版(1885年〜1888年)は本編10巻と補遺6巻で構成される。ブレスラウ版(アラビア語、欧州で印刷された唯一の原典版、チュニスから出た写本に基くとしている)、カルカッタ第一版、ブーラーク版や他の英訳本等で補足されてており他のどの版よりも収録物語数が多く「もっとも完備している」と言われる。- メルヘンが収集され文学的伝統が形成されていく過程では優れた語り手が寄与していた。それによって、メルヘン、メルヘン集の伝統が形成されることになった。有名なメルヘン(民話)収集者としては、フランスのシャルル・ペロー、グリム兄弟、エルンスト・アルント(1769年〜1860年)、ベネディクテ・ナウベルト(Benedikte Naubert, 1756年〜1819年)、ルートヴィヒ・ベヒシュタイン(Ludwig Bechstein, 1801–1860)、オットー・ズーターマイスター(Otto Sutermeister, 1832年〜1901年)の名前が挙がる。
*「千夜一夜物語」には既に東洋の御伽噺が収集されており、ドイツで最も早い収集例は、ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウス「ドイツ人の民間メルヘン(1782年〜1787年)」。そしてもちろん最初期の収集例としてジャンバティスタ・バジーレ「ペンタメローネ(五日物語、Pentamerone、1634年)」を忘れてはならない。元来は滅びかけたナポリ語を後世に伝える為に編纂された説話集だが、そこに収録された物語のモチーフのいくつかは、グリム兄弟の収集作品の中にも見受けられる。その比較研究は、19世紀のインド学研究者テーオドール・ベンファイによって始められた。1910年にアンティ・アールネが主な物語の内容を分類し、ここから現代でも国際的に重要な研究であるアールネ・トンプソンのタイプ・インデックスが作られている。ロシアの文言学者ウラジーミル・プロップは1928年、メルヘンの形態論について構造主義的研究--すべてのメルヘンには、その内容と独立した堅固な行動構造がある--で、文学、特にメルヘン研究への重要な貢献をした。この構造は、主人公の元型(ヒーロー、敵役、補助者など)が相互接続された多くの物語に該当する。しかし古い時代では、異なった理論基盤として人類学、オーラル・ヒストリー、異なった単一文献学や心理学、その他の調査が必要となる。
その一方で19世紀には「ドイツロマン主義の時代」が到来。
当初ロマン主義は「ギリシャやイスラム圏といった(同じ地中海文化圏ながら)遠い外国への強烈な憧憬」として始まった。
そして19世紀にはドイツ・ロマン主義の外国への「輸出」が本格化。 その過程でドイツ・ロマン主義は次第に必ずしも「ドイツ人によるドイツ人の為の」ドイツを舞台とする物語とは決め付けられなくなっていく。
- E.T.A.ホフマン「砂男(Der Sandmann、1817年)」…幼少時から目を抉られる恐怖に脅えてきた青年が、両眼を象嵌されてない人形への恋や高台より望遠鏡で覗ける景観との遭遇を経て完全に発狂にし自殺を遂げる」悲劇。江戸川乱歩の「押絵と旅する男 (新青年掲載1929年)」や「蟲(1929年)」はこうした悲劇の別バージョンの模索。一方、フランスのロマン派作曲家レオ・ドリーブの手になるミュージカル「コッペリア(Coppélia、 ou la Fille aux yeux d'émail 、1870年初演、舞台はポーランド農村に変更)」において、人形師コッペリウスが産み出した「被造物」コッペリアは本当に単なる人形に過ぎない。しかも途中で中身が主人公を恋い慕う村娘に入れ替わり「恋敵」のコッペリアを破壊してハッピーエンドとなる。
- 「ラ・シルフィード(La Sylphide:1832年)」…三大バレエブラン(Ballet Blanc:白のバレエ)の一つ。舞台はスコットランドだが、欧州人の想像力においては「ドイツの森」と「スコットランドの森」にイメージ互換性がある(要するに「キリスト教の威光も届かぬ闇の奥」といったイメージ)。望まぬ結婚に風の精シルフィードが割り込んできて新郎を誘惑。相思相愛となった上で森の奥で心中を果たす。残された新婦は本当の思い人と結婚するという筋書きだが、他二作同様ここにも「神秘的な白衣の乙女=若くして未婚で死んだ娘が転じた森の怨霊」という含みが見て取れる。
*ちなみにロシア・バレー団の演目「レ・シルフィード(Les Sylphides;初演1907年)」はショパンが深夜の森に出現した風の精シルフィードととりとめもなく語り合うという芸術家とインスピレーションの関係をモチーフにしたバレーで、直接の関係はない。
- 「ジゼル(Giselle、1841年)」…三大バレエブラン(Ballet Blanc:白のバレエ)の一つ。ティオフル・ゴーチェ(Theophile Gautier)が脚色を担当。主人公が死装束で踊る唯一のバレエ作品で、元話とされるのはハインリッヒ・ハイネがフランスに伝えたオーストリア地方の伝説。それによれば結婚を目前にして亡くなった娘達は妖精ウィリとなり、夜中に森に迷い込んできた男性を死ぬまで踊らせるのだという。
- ワーグナー楽劇「ニーベルングの指環(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen"、1848年〜1874年)」…ヒロインのブリュンヒルデ(古ノルド語Brynhildr、英語Brunhild)はワルキューレ(Walküre)の一人。神々の長にしてヴァルハラ城の主人たるヴォータン(Wotan)の娘とされるが、元来は式神の様に人間らしい魂など一切備えぬ人馬一体の存在で、父に命じられるまま戦場の勝敗を定め、死者を特定し、亡くなった王侯や勇士の魂魄(エインヘリャル)を選り分けてヴァルハラに運びもてなすだけの存在にすぎない。だがある戦場で間違った側を勝たせ、死すべき運命にあった身重の女を逃してしまう。罰として炎の壁(ロキの化身)に囲まれた牢獄内で眠らされるが、逃した女が生んだ英雄ジークフリート(Siegfried)に救出され、恋に落ちて結婚する。とはいえ実はそうした展開自体が全てヴォータンが始めた「大いなる計画」の一部だったのであり、その一環として夫のジークフリートは命を落とす。あまりの理不尽に怒り狂うブリュンヒルデ。それで夫を葬る荼毘に愛馬グラーネ(Grani)共々自らの身を投じ、炎(ロキの化身)と洪水(ラインの娘達)の助力を得てヴァルハラ城に捨て身の特攻を敢行。その結果、ヴァルハラ城はあっけなく崩壊するが、それこそまさに「大いなる計画」の目指す最終目標だったのである。
*全体的に曖昧で多義的解釈の余地があるこの物語を巡る有名な解釈の一つ。そして伝承によれば元来ワルキューレは天女の様な白鳥の羽衣を持ち、それを身にまとうことで白鳥に変身したりもする(これを男に奪われるエピソードも存在する)。以外と「白のバレエ」と類型的に重なる部分が多い。
- チャイコフスキー「白鳥の湖(Лебединое озеро;1877年初演)」…三大バレエブラン(Ballet Blanc:白のバレエ)の一つ。ワーグナーのオペラ「ローエングリン(Lohengrin;1850年初演)」からの影響が指摘されているチャイコフスキー作品。ドイツの作家ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウスによる童話「奪われたヴェール」が元話で物語の舞台はE.T.A.ホフマン「くるみ割り人形」と同じくドイツ。ジークフリート王子は深夜山奥の白鳥湖において悪魔ロットバルトに白鳥へと姿を変えられた娘オデットに出会い、彼女を助けようと思い立つが彼女と瓜二つの悪魔の娘オディール(概ねオデットと一人二役)の奸計に阻まれる。以降の展開は版によって異なるが、初版含めジークフリートもオデットも助からない悲劇的エンディングが多い。
*悲劇的結末が多いのは、もしかしたら白鳥湖が冥界の暗喩で、オデットは突然死のせいでまだ自分の死を受け容れられてないだけの小娘で、物語全体が「生者と死者の恋」だからかもしれない。
- チャイコフスキー「くるみ割り人形(露: Щелкунчик, 仏: Casse Noisette, 英: The Nutcracker、初演1892年)」… 筋立てはホフマンの童話に基づくデュマの小説「Histoire d’un casse-noisette(1844年)」準拠。大元の「くるみ割り人形とねずみの王様(Nußknacker und Mausekönig、1816年)」は、ドロッセルマイヤー老人の画策で幼女マリーが「夢の国」から逃げられなくなってしまう不気味な話だが、バレエ版は(日本では「(ポルトガルのコンフェイトーが語源の)金平糖の精」と訳されてきた)女王ドラジェの精を筆頭とするお菓子の精達による歓迎の宴をクライマックスとし、劇末はクララがクリスマスツリーの足下で夢から起きる演出と、そのままお菓子の国にて終わる演出がある。
「不気味の谷の境界線上を彷徨う自動人形」に「ドッペルゲンガー」に「(目撃者を死に誘う)人里離れた森や湖に集う精霊(未婚のまま死んだ乙女達の死霊)」…これはもはや妖精譚ではない? しかも「消費の主体が王侯貴族や聖職者から庶民に推移した影響」に次第に屈していく。
そして20世紀に入ると改めてドイツ表現主義映画の時代が到来。ピクチャレスク体験の重要度が再び高まる。
もちろん(中国古典からの流入組が存外多い) 日本の妖怪同様、物語の世界における妖精の国際伝播は民間伝承にまで影響を与えてきました。これでややこしくならない筈がないのです。