諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【與那覇潤】【中国化する日本】「ネオ封建制」論の部分は正しいの?

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那覇潤「中国化する日本:日中文明の衝突一千年史(2011年)」の序文には本書で書かれている歴史像は私の独創というには程遠くて、むしろ斯界のプロのあいだでは新たな定説になりつつある研究視角や学問的成果を、メドレー形式にリミックスしただけといってもいい」とあります。
*逆を言えば、そもそも日本の歴史学には「日本史と世界史が全く独立してきた」という構造的欠陥がある。「メドレー形式リミックス」といいつつ、その部分は補完不可避で、まずそこが叩かれている。

特に中世王朝論や民衆心理史的への言及箇所は「メドレー形式リミックス」感が強いのですが、問題はこうした考え方の発展形として現れる「ネオ封建制」の部分。

與那覇潤「中国化する日本:日中文明の衝突一千年史(2011年)」
「父親殺しの章」の要約と補完

ウェールズ炭坑町の工夫一家の暮らしを描き、ジョン・フォード監督に三度目のアカデミー監督賞をもたらした「わが谷は緑なりき(1941年)」は、エミール・ゾラの実証科学主義文学のリアリズム路線を取り込みながら「故郷なき全世界の近代人に架空のノスタルジアを供給する」ハリウッド古典映画の作風を破綻させない奇蹟のバランスで成り立っている。

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  • 「兄が美人の嫁さんをもらって初めて末弟が女性を意識し始める」
  • 「ともに尊敬してきた父と兄の言い争いを目撃して始めて大人の世界の複雑さを垣間見る」
  • 「器量自慢の姉が相思相愛の相手を諦めて名家に嫁いだのが不幸な結婚だったと解って世間の厳しさを知る」
  • 「遠路はるばる通う学校で最初はお高くとまった階層の子供に虐められるが、謎の第三者の助けがあって次第に強くなり、最期は友情が生まれ一目置かれる存在となる」
  • 「怪我で障害を負ってふてくされていた子供が、親しい人達に励まされてリハビリの努力を開始し、やがて大自然の中で機能復活を果たす」

最期のは特に日本人好みのエピソード。フィリピン戦線を描いた阿部豊監督の国策映画「あの旗を撃て(1944年)」にほぼそのままの形で流用され「アルプスの少女ハイジ(1974年)」のクララ・ゼーゼマンを経て川原礫アクセル・ワールド(2009年〜)」における倉崎楓子らニューロリンカー達に継承される事になる(「絶対ナル孤独者(2014年〜)」とも重なる「健常者<身体上の障害や精神的トラウマを抱える人々<表面上は普通にしか見えないが心の奥底に闇を飼う選ばれし者達」という中二病御用達の世界観)。

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  •  阿部豊監督の国策映画「あの旗を撃て(1944年)」…アメリカ文化が浸透し、ハリウッド映画を見慣れていたフィリピン人を対象に戦時下(昭和18年(1943年)1月~昭和19年(1943年)3月)上映された40本以上の日本の国策映画の封切入場者数上位は「あの旗を撃て」(137770人)、「ハワイ・マレー沖海戦」(50165人)、「阿片戦争(47719人)」「支那の夜(47644人)」。どうやら現地親日派フィリピン人から「御前らの国策映画はあまりにつまらな過ぎて見たフィリピン人がどんどん日本を嫌いになっていく」とアドバイスされて「もうハリウッド映画をそのままパクるしか…」という流れで製作され、相応の成功は収めたものの関係者一同を複雑な気持ちにさせたというのが実状らしい。当時の文化人の多くが「日本人は武力方面より文化方面で圧倒的敗北を経験した」という信念を共有するに到ったのもこうした経緯から。
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  • スイスの作家ヨハンナ・シュピリの児童文学作品「アルプスの少女ハイジ1880年1881年)」…原題は「Heidis Lehr- und Wanderjahre(ハイジの修行時代と遍歴時代)」及び「Heidi kann brauchen、 was es gelernt hat(ハイジは習ったことを使うことができる)」。明らかにドイツの文豪ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(1796年)」および続編の「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代(1829年)」から着想を得た作品で教養小説(成長小説)とキリスト教信仰の回復譚という色彩が強い。「ヴィルヘルム・マイスター」の主人公は最期因襲からどうしても抜けられないドイツを見捨て新天地アメリカに移住していくが、「ハイジ」の主人公も最初は田舎(ドイツ語圏スイスの山村)を舞台としつつ後半は都会(ゲーテの生地でもあるフランクフルト)に舞台を移す。エレナ・ホグマン・ポーター「少女パレアナ(Pollyanna,1913年)」「パレアナの青春(Pollyanna Grows Up,1915年)」もまた基本的にこの路線を継承し「やっぱ田舎臭いのは駄目だわ」という結論に到達しかける。ただしやがて都会的ニヒリズムに幻滅し、最後は田舎に戻る。

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    そして第二次大戦後のハリウッド映画では「自然回帰派」が逆襲。舞台を第二次世界大戦中に移してナチスに傾倒していく「闇落ちした」クララとパルチザンに身を転じて八面六臂の活躍をみせる「自然児」ペーターを対比的に描いた(ハイジの「黒パン(田舎の象徴)を嫌って白パン(都会の象徴)に憧れる自然児」設定どこいった?)。宮崎駿風立ちぬ」も教養小説最高峰の一つトーマス・マン魔の山1924年)」の主人公カストルプを「永遠に反体制派として抗争を続けるベジタリアン」として描いた。
    *ちなみに「アニメ界のベジタリアン」といったら庵野秀明で決まり?

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  • 川原礫アクセル・ワールド」のハル「(東京タワー上で)貴方の重力の軛から抜けたい感情は大気圏を越え宇宙まで届いたんです」 
    *「家族間の甘え」や「都会と田舎」の対立といったありきたりの図式がリアリティを失った結果、問題意識が「飛行能力」や「宇宙への雄飛」といった次元に到達。

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そして切通理作宮崎駿の<世界>」によればアニメ「アルプスの少女ハイジ(1974年)」の成功によって最初の地歩を築いた映像作家・宮崎駿スタジオジブリ第一作「天空の城ラピュタ(1986年)」。この作品が前者へのオマージュとなるのは、冒頭の舞台がやはりウェールズの鉱山町をモデルにしているからだけではなく同様に「父親の不在ないし機能不全」を主題としているからだという。

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  • 「わが谷間は緑なりき(1941年)」…父親は家長として炭坑王と賃金交渉に及ぶも成果なく、長男達が家を出て労働組合を結成。映画は落盤事故による父親の死をもって幕を閉じる。

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    *そういえば「子鹿の殺処分」の場面で数々の日本人の心にトラウマを残したローリングス原作「子鹿物語(The Yearling、1938年、映画化1946年)」に登場する「父親(グレゴリー・ペック)」もただひたすら無力な存在として描かれ、それ故に同時代の父親の同情を誘ったとされる。

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  • 天空の城ラピュタ(1986年)…男主人公バズーの父親はラピュタの存在を主張した結果、詐欺師扱いされて学会から追放されて息子は鉱山労働者に零落。当人も自力では飛び立てずドーラという母親的存在の率いる海賊船で出立する(父親的存在はやはり不在)。飛行石の力で自力で飛べるが天涯孤独の女主人公シータがやっと巡り会った唯一の血縁者ムスカラピュタの王となる事を望むも、冷酷残忍でおよそ人の父となるに相応しい人物ではなかった。そこでラピュタの遺跡に案内されたシータはムスカに対し「ここはお墓。私達の間に未来など存在しない」と断言してバズーの許に走るも、二人の「最初の共同作業」はウェディング・ケーキのカットではなく滅びの呪文「バルス」の詠唱による「ラピュタ復活の可能性の完全抹殺」だったという訳である…

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    * 「風の谷のナウシカ(1982年〜1994年、アニメ化1984年)」に登場するナウシカの父も寝たきりで無力な存在だった。そういえば「幼少時王蟲の幼虫を殺される場面」「ナウシカの上の兄弟がみんな死んでる描写」などに「小鹿物語」の影響を見てとる向きも。

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要するに、英米では既に20世紀前半から察知されていた「父親的なるものの機能不全(および労働組合的なるものによる代替の必要性)」に日本人は半世紀以上気付かないまま(ないしは気付かない振りを通して)暴走を続けてきた。

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実際1898年の明治民法施行によって離婚が届出制となった事も相まって20世紀初頭以降日本人の離婚率は激減。太平洋戦争をまたいで1963年まで一貫して低下を続けた後、まさに「ラピュタ」が封切られた1980年末から上昇が始まるのである(湯沢擁彦・宮本みち子「新版 データで読む家庭問題」)。
*ここまで指摘するならディズニー長編アニメ「白雪姫(1937年)」における「継母と娘が命懸けの遣り取りをしていた間、国王=父親は一体何をしていたのか?」「相応の資産家ゆえに賄賂に目が眩む事はなく、地上のあらゆる権威に膝を屈しない存在である七人の小尾とが継母を崖っ淵に追い付けて粛清を敢行する事にどういう意味があったのか」についても語らねば?

日本における専業主婦の登場

第一次世界大戦特需は、主として重化学工業に従事する肉体労働に従事する'賃金を大幅に引き上げ、ノンキャリア公務員(当時の用語でいう判任官。ちなみにキャリアは奏任官、トップが勅任官)と同等レベルまで引き上げた。これにより大工場でさえ働いていれば基本的には旦那の稼ぎだけで奥さんと子供を食べさせていける「家族賃金」慣行が成立し、統計によっては大正末期(〜1926年)までに日雇い労働者の家庭ですら9割強が専業主婦化していたというデータまである(川東英子「日本的労使関係の源流」)。

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結果として江戸時代以降、都市部に流入して長屋住まいを強要されてきた農家の次男三男も結婚して家庭を持つ環境がゆやく整い彼らによる核家族化の形成が進む(坂本佳鶴恵「<家族>イメージの形成」)。戦争と軍需景気が「都会は(不要になった後継者予備たる)孫捨て山」という状況を緩和する事になったのだった。

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加えて昭和初期までは月給制のホワイトカラーだけが「うちの社員」であり、日給制で出入りの激しいブルーワーカーは「所詮余所者」扱い(現在の日雇い派遣状態)で退社時に所持品検査や身体検査を受けるなど猛烈な差別が存在したのだが、戦時下の産業報国時代には「同じ職場で御国の為に戦う仲間に貴賤はない」という発想(皇国勤労観)と企業別組合への包摂から会社村の正規メンバーへの認定が定着していく。

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この様に見ていくと都心部でも「イエ(核家族)」が構築可能となり、会社や工場の「ムラ」社会化が進んだ「日本式資本主義」、すなわち室町時代までの「職の体系」が江戸時代の「役の体系」を経て法人組織の基盤となっていく「江戸幕藩体制の再建」が前近代までの欠陥を補完した薔薇色のアップデート版と映るかもしれないが、そこには少なくとも二つの盲点が存在したのである。

  • ジェンダー問題…実はこれはナチス政権による「どん底状態にあったドイツ経済奇蹟の復活」なる手品の種の一つでもあったのだが「性労働者に家族全員が食べられるだけの給与を保証する事を最優先課題と考える」という認識は、裏を返せば「性労働者を単なる家系補助要員(生活の面倒は父親ないし夫に見て貰えば良いので、単身で自活出来るだけの給料を支払ってやる義理はない)」なる経営側の思惑と表裏一体の関係にあったのである。従って女性の賃金は相変わらず低水準に抑えられ、女性の社会進出は抑制され続ける事になる。これはむしろ「田分者」を軽蔑し女性や次男三男を遺産相続対象から外す前近代的封建主義の伝統残存というより、「女も男も一緒に野良仕事」が当たり前で「男は仕事、女は家庭」などという悠長な差別意識が育つ余地もなかった農本主義の時代にも、繊細な作業に向いた女工が繊維産業を支えた’明治期軽工業発展期にも見られなかった「ネオ封建制」の登場と見てとるべきなのである。
    *ちなみに産業革命期のイギリスにおける労働者は父親も母親も工場勤務なので同居する親世代が家事や子供の面倒を見る分業体制が成立したという。それでは親世代と同居してない夫婦がどうしてきたというと救護院から老婆を引き取ってきて代役に当てていた。

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  • ムラ社会」というセーフティネット崩壊に伴う親子心中の急増農本主義社会は複数の「イエ」の共働を前提としているので近世村落には「ユイ」とか「もやい」と呼ばれる相互扶助の慣行が存在していた(14世紀イスラーム世界において歴史哲学者イブン・ハルドゥーンが主張したアサビーヤ(硬直化すると部族間闘争の原動力となる集団内の連帯意識)に該当)。結果として例えば特定のイエに不孝があっても遺族の面倒をムラ全体で見たり、養育棄児(捨て子)を余裕ある他のイエが育てたりする風習があったのである(「子供は共同体全体で育てる」という意識も強かった)。ところが「疑似ムラ社会」たる会社においては同僚に不幸があっても、その妻子の面倒を同僚が見る状況が想像だに出来ない。ましてや女性が自力で稼げる賃金が低く抑えられていた関係から父なし子とともに残された未亡人などとても生きていけない。それで母子心中が急増する事態と相成ったのだった。’子供を残して死んでも後を託せる共同体が存在しないので「子供を殺して私も死ぬ」という形に追い付けられる女性が急増したのだった(岩本通弥「血縁幻想の病理」)。

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    戦後GHQが主導する形で結成されたPTAは「米国公認」のお墨付きを得て「何か」を復活させた。そしてとりあえず「漫画は子供の精神を汚染する」という主張で一致団結し手塚治虫の漫画を学校の校庭に積み上げて焼く。一体何を「復活」させたのだろうか?

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かくして家父長制的生活保障システムの限界にいち早く気付いて代替システムの模索を始めた英米と、ムラ社会化した企業と旧来以上に再強化された「イエ」に己を託した日独の対応は極めて対照的なものとなった
* ドイツにおける展開も家父長制の強いクルップ社の企業風土「ヘム・イム・ハウゼ(家の主人)」思想や、工業団地に入植させた労働者の家族に家庭菜園や家庭牧場を営ませて失業期間も囲い込む独自制度の発達など興味深いのだがここでは割愛。

ちなみに国際的には以下を結びつけて一つの時代区分と考える仮説も存在する(総力戦体制論)。

  • 欧州先進諸国が第一次世界大戦(1914年〜1918年)期の総力戦で被った痛手の大きさは、当時激減した自由商品貿易が総生産額に占める割合が1970年代までそれ以前の水準に復帰する事はなかった」という統計的事実…日本の戦国時代でいうと「小氷河期到来に伴う全国規模での略奪合戦の激化」。

  • この時期における「万国の労働者が国境を越えて連帯しようとする世界革命志向と各国も成立した労働者主導主導型政権が政府の力で市場を制御下に置こうとする国家主義志向の衝突」…日本の戦国時代でいうと一向衆などの惣村土一揆の全国ネットワークと各地国人一揆の対立と共働。

  • 世界恐慌発生に伴って1930年代に進んだブロック経済化」…日本の戦国時代でいうとスケールメリットを追求する小田原北条家の様な新世代戦国武将の台頭と楽市楽座による御用商人選定過程。

  • 「冷戦発生に伴う世界の二分化」…日本の戦国時代でいうと織田信長包囲網の構築と挫折。

そしてこの仮説では現在を「既にその軛から脱しているが、次に目指すべき体制が見つかってない過渡期」と考える。

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*逆を言えば割と最近まで(すなわち1970年代を過ぎてもソ連が崩壊する1990年代くらいまでは)「聡明な政府が市場を制御下に置いて総需要を管理し、人々に仕事を割り当てる」状況の継続を前提にそれを肯定するケインズと「それは自由意思を放棄し全てを権力に委ねてしまう怠惰な国民を生む」と批判したハイエクの論蠟がそのまま通用した。今なおそうした時代が継続していると錯覚したままの有識者達の「最期の悪足掻き」が新時代のパラダイムへの移行を一掃困難としているとも。

 論点をまとめてみましょう。

  • 江戸幕藩体制そのものは明治維新期、「版籍奉還(1869年)」「廃藩置県1871年)」「藩債処分(1872年)」「秩禄処分(1876年)」「不平士族鎮圧(1874年〜1877年)」といった一連の政策によって完全に解体され二度と復活することはなかった。当時世界を唖然とさせた急進的政策だったが、とっくの昔にシステムとして破綻しており(年々赤字を増大させていくだけの泥沼状態の藩が大半)藩主も家臣団も喜んで手放したケースが多かったともいわれている。これが「日本の封建制」だったのだろうか?

    *他の学者はむしろ「上物たる政体がどんどん入れ替わってもムラ社会的伝統は存続を続け、企業文化にまで継承された」というスタンスを取っている様に見える。そして敗戦直後のGHQ占領期(1945年〜1952年)になら、確かにこうしたムラ社会的伝統は「封建制」と呼ばれ「家父長制」同様、解体目標に設定されたが、そもそも実態把握が粗雑だったせいもあり大した効果は上げてない(戦前より官僚が練ってきたが、財界人や皇族・華族といった地主層の抵抗が強く実施できないでいた案をGHQの威を借りて強行した農地改革(1947年)などの役には立った)。共有地概念に至ってはむしろその後再評価されたりもしている。
    入会権 - Wikipedia
    入会地 - Wikipedia
    コモンズの悲劇 - Wikipedia

  • それが「日本の封建制」だったにせよ、オーストリア=ハンガリー帝国や、ロシア帝国や、オスマン帝国を行き詰まらせ、第一次世界大戦(1914年〜1918年)の遠因の一つとなった「領主が領民や領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」と一緒くたに扱える概念なんだろうか?
    *「領主が領民や領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」がまだまだ根強い段階で貨幣経済流入すると「宮廷ユダヤ人(欧州後進地域を暗躍した御用商人)」ばかりが儲けたり、領主が既得権益をフル活用して新興ブルジョワ階層の台頭を押さえ込んだり、貧富格差の拡大を放置したりして致命的段階に陥る事がある。こうした地域の多くが後に共産主義国家となり、その後これを放棄して「(共産主義段階を資本主義段階への準備期間と位置付ける)共産主義瘡蓋(かさぶた)論」に到達したのも故なきことではないのである。

  • 実は「専業主婦の登場」なる現象自体は「総力戦体制論」において日本同様「勝ち組」となったアメリカにも起こっており「黄金の1950年代」に一つの文化的ピークを迎えている。アメリカでComic Code運動が過激化すると悪書追放運動が盛り上がる様な状況にあった日本がその影響を受けない筈がないとも考えられる。さてこうした流れも「封建主義化の一環」と位置付けているのだろうか?
    *ただアメリカにおける黄金の1950年代が父権再建につながったのに対し、日本における高度成長期は「父親の長時間職場拘束」によって、むしろ家庭崩壊を招いた点が異なる。

  •  日本の中世学者は室町時代までの「職の体系」が、江戸時代の「役の体系」に継承された点までは認めているが、これが近代以降の日本の法人組織の基盤となったとまでは主張してない。というよりもむしろ明治維新期に大きな断絶があり、その断絶の意味と「本当に断絶しかなかったか」探る事こそが重要な研究課題の一部となっているくらいなのである。
    *「人間の働き方に対する伝統みたいなもの」が現代まで連綿と続いている印象自体は、誰もが何となく抱いている。しかしながら、どうしてそうなったか史料を駆使して証明出来なければ科学たりえず、それが大変難しいから苦戦を強いられている模様。
    れきしのおべんきょうφ(.. )メモメモ 尾藤正英「江戸時代の社会と政治思想の特質」を読む(1)

    *そもそも欧州の近代化過程と異なり「領主財産権の継承」そのものがなかったのだから断絶は生じて当たり前。しかも「藩債処分」によって御用商人の身分特権も同時消滅している。新たに明治政府に取り入る政商なども現れたが、全体的に見て大日本帝国の臣民達は(少なくとも表面上は)過去をほとんど引きずらず近代資本主義の世界に突入していったといえよう。むしろ江戸幕藩体制後も引き続いて賞揚され続けた「臣民(Subject)意識」をどう扱うかが問題で、これの「市民(Citizen)意識」への転換に手こずる事になる。ただしこの問題は日本だけでなく当時の欧州諸国の多くも抱えていて、単純に「前近代的問題」に分類してはならない。

    *まぁこの辺りの機微を理解してない人間が「未だに君主制を敷き続ける英国や日本は未だ前近代状態のまま。政治的先進国たるフランスや中国や韓国の足元にも及ばない」なんて杜撰な粗雑な主張に飛びつく訳である。

そもそもネットで検索しても「ネオ封建制」論に関する話題なんて全く引っ掛かりません。やはりこの本、純粋なる「メドレー形式リミックス」の部分しか信用ならない?
*「ネオ封建制」…もしかしたら感覚的には大航海時代到来に伴って欧州経済の中心が地中海沿岸から大西洋沿岸に推移した16世紀以降、ヴェネツィアや東欧諸国やロシアで発達した「再版農奴」の「再版」的ニュアンスなのかもしれない。ところで、そもそも「最初の封建制」って一体何時の時代の何を指すのだろう?
再版農奴制

むしろこうしたファクターから問題を掘り下げるなら、こうした結論に到達する方がはるかに説得力がありそうです。

いいですか、日本に必要なのは「マネジメント(management、経営工学、(目標)管理、目的を達成するために必要な要素を分析し、成功するために手を打つこと)」なのです。技術者は十分に育ってるのです。マネジメントがクソだからみんな逃げ出したり死んじゃったりしただけなんですよ。

「自称リベラル派」がいつの間にか保守主義者を通り越して守旧派に転落してる事に気付かない限り「これが正解」という結論に到達しない事こそが問題なのです。

それに気づくまで「堂々巡り」は永遠に続く?