諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【敗戦直後の日本】「チラリズム」の起源について

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昭和25年(1950年)に女優の浅香光代が率いる一座が浅草に進出。剣劇芝居の立ち回りを行う際にチラリと見える太ももが醸し出すエロティシズムを新聞記者が表現したのが最初で昭和26年(1951年)の流行語となった。
浅香光代 - Wikipedia

実は「女剣劇ブーム」自体は戦前からあった。まずは不二洋子(1912年~1980年)が昭和11年(1936年)6月に東京・浅草に進出してこれを始めると最初のブームに火がつき、二代目大江 美智子(1919年~2005年)が昭和17年(1942年)も浅草に進出すると黄金時となって雨後のタケノコの様に以降、女剣劇と名乗りを上げる者が続出したという(実は2人とも1934年段階で既に東京でこれを披露しているのだが、その時は話題にもならなかった)。大江の様の『雪の丞変化』における早替わりの様な十八番のなかった浅香光代が、数多くの競争者に打ち克つ為に用いた武器が「チラリズム」だったというのが正解なのかもしれない。
不二洋子 - Wikipedia

あれ? 手塚治虫先生の回想によれば、GHQ占領時代には「チャンバラ活劇」は禁止されていたのでは? だから当時のエンタメ業界は(モーリス・ルブランの「泥棒紳士にして名探偵のルパン・シリーズ」にインスパイアされながら)非現実なレベルで銃弾を撒き散らす多羅尾伴内の様な「赤本探偵物」、そして フリッツ・ラングメトロポリス1927年)」やフライシャー兄弟スーパーマン1941年〜1943年)」の衣鉢を継ぐ「空想科学冒険物およびコナン・ドイルのチャレンジャー教授物やH.R.ハガードのアラン・クォーターメイン物などの衣鉢を継ぐ秘境探検物)」一色に染まっていたのでは?

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 戦後混乱期だけあって、当時の状況についての解釈には諸説ある様です。

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  • 太平洋戦争末期には既に禁止されるまでもなくチャンバラ活劇そのものは廃れていた米国の論文で見掛けた説)」…実際「鍋釜まで徴用された上で本土決戦に備え、紙を貼り合わせたり竹で編んだりした芝居の小道具みたいな鎧を身に着けて竹槍訓練をさせられていた庶民にチャンバラ活劇を愉しむ精神的余裕があっただろうか?」という設問は無碍に否定出来ない。で、その反動が戦後の多羅尾伴内物における「バレット・タイムクライマックスにおける無制限に銃弾を注ぎ込んだ銃撃戦)」であり、空想科学冒険物におけるドラえもん的超技術の惜しみない投入であり、ヌードに餓えた男達を誘蛾灯の様に引き寄せた「額縁ショー」や「入浴ショー」の延長線上に現れた「チラリズム活劇」だったという立場。

  • GHQ”(アメリカが独立する数百年前から規制と戦ってきた歌舞伎の民主主義化”など到底不可能と早期に見切りを付け、それ以外の現代ドラマなどを活性化する事によって民主主義浸透をはかろうとしたこれも米国の論文で見掛けた説だが、実際1948年までに「歌舞伎の演目制限」などはすっかり全廃されていたとか)」…祖国にハリウッドを擁するアメリカ人だけあって「大衆を魅了するスターが現代劇で民主主義の看板的活躍をするのが普及に最も効果的」と割り切ったとも。実際当時のスターだった片岡千恵蔵多羅尾伴内シリーズで「(所謂「赤本探偵」そこのけの活躍をみせる義賊だった過去を悔いる名探偵」、金田一耕助シリーズで「(近代化以降も根強く残る日本の因襲を裁くアメリカ帰りで米国流の洒落た流儀を身につけたソフト帽に背広姿の紳士」、日本刑事ドラマの出発点ともいえる「にっぽんGメン」シリーズ(1948年~1951年)では「犯罪組織に潜入する囮捜査官」を演じている。ここで興味深いのがGHQ統治が終わっても1950年代末までこのスタイルを続けた事。

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    *確かに時代劇が解禁されて以降はそっちにも出演してるのだが、内田吐夢監督の戦後復帰第1作でブルーリボン賞大衆賞を受賞した「血槍富士(1955年)」で演じたのは酒のいさかいから主君を殺されて仇討ちを果たす槍持ちで、どちらかというと封建制度の理不尽さを描いた作品だし、同じく内田吐夢が監督した「大菩薩峠(原作1913年~1941年、映画化1957年~1959年)」に到っては「おれは人を斬りたいから斬るのだ。助けてくれと悲鳴を揚げるのをズンと斬る、ああ胸が透く、たまらぬ」「歌うものは勝手に歌い、死ぬ者は勝手に死ぬ」と豪語する殺人狂のニヒリスト剣士(盲目の美男子という事で世話を焼こうとする女が次々と現れるが、その多くが非業の最期を遂げる。丹下左膳眠狂四郎座頭市らの元祖)。遠山の金さんを演じた「いれずみ判官」シリーズ(1950年~1962年)もまた単純なチャンバラ活劇とは異なる。GHQは一体何を警戒していたのか…

どだいGHQごときニワカに徳川政権300年の支配との抗争で鍛え上げられてきた「(統制を強めるほど、その裏をかかんとして「(男女の絡みを禁止されれば)触手や河童による海女強姦物」「(それさえ禁じられたら)男の娘物」と変態性をレベルアップして対抗してきた筋金入り」の日本が何とか出来る筈もなかったとも? その一方で当時の日本人の姿も現代とはずいぶん異なっていた様なんです。