私が最高と推す映画の一つが「エリン・ブロコビッチ(Erin Brockovich, 2000年)」なんだけど、あの公害訴訟の結果(運動家が儲けて)被害者もその分け前に預かるビターエンドを突き付けつつ、開き直って「これがハッピーエンドと信じられないなら、進歩主義はもう前に一歩も進めなくなる」と全体を統括する傲慢さこそが、むしろ所謂「江南左派」や「杉並左翼」が狙うべき人間的勝利なのかもしれません。間違いなく「どうして米国リベラルはトランプに勝てないのか」にも深く関わってくる話…
あえて断言しますが「我々は一度も間違いを犯した事がない」なんて自己弁護に終始してる限り、絶対にこの領域に到達する事は出来ません。
まぁこれがこのブログの最初からの基本スタンスなんです。
ヘルムート・プレスナー(Helmuth Plessner, 1892年~1985年)「遅れてきた国民(Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes、1935年)」より。
「ドイツ人の視点からすれば国家権力が国家を超えた理想を標榜するのは偽善と映る。大英帝国の問題は人類の問題などと英国人に涼しい顔で告げられたり、正義・平等・友愛といった美辞麗句を並べて上から目線で説教するフレンチ・エゴイズムに直面すると、それだけで虫唾が走ってしまうのである。しかし現実路線と国家理念に基づく正当化を並行させるやり方には、むしろ「誠実な」側面がある。仮面が仮面である必要がなくなるからで、実際アングロ・サクソン系国家においては政治上の対立構造と経済上の対立構造の不一致に苦しむという事がない。ある意味経済支配こそが政治支配であり、かつ経済力そのものが人道的な力、道徳的な力、民族結集力、政党脱却力と信じて日々の問題解決に取り組んでいるのである。」
こういう考え方も。
近代イギリス史を見ると、労働者と資本家の格差がおそらく日本の近現代全体よりさらに巨大で、マルクスがイギリス社会から階級闘争史観を考えたのもよく分かる。しかし、革命はついに起こらず、WW2後に福祉国家に移行したわけで、その過程はまだ理解してないが人類の理性に希望を持たせる話と思う。
— Sz73 (@Sz73B) 2020年2月7日
まあ言うて結局、イギリス人にとって福祉国家はついに性に合わなかったというべきか、オイルショック後に新自由主義が台頭して、サッチャーが福祉国家路線を否定して、現在のイギリスでは福祉が破綻したみたいだが、それはまた別の話。
— Sz73 (@Sz73B) 2020年2月7日
ただ、イギリスが福祉国家路線に移行する際におそらく決定的な役割を果たしたのは、ほぼ間違いなくWW1とWW2という二度の大戦だとは思うが。
— Sz73 (@Sz73B) 2020年2月7日
ああ、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー(Polányi Károly/Karl Polanyi, 1886年~1964年)が「大転換(The Great Transformation, 1944年) 」の主題の一つに選んだフランス革命戦争/ナポレオン戦争当時の福祉体制たるスピーナムランド制度(Speenhamland system, 1795年~1834年)…
ブレグジットがらみ見てると19世紀に何とかしないといけないことを
— 相沢タツユキ (@Tatsuyuko) 2020年2月7日
後回しにした結果今ツケ払いの請求書が来てるように見えますよな
EC〜EUの歴史を全然把握してないですが、加盟直後からイギリスでは離脱の動きがあったみたいで相当根が深いですね。
— Sz73 (@Sz73B) 2020年2月7日
そもそも植民地帝国で半永久的好景気ウハウハだった時代に貧困層だらけって時点でいろいろおかしかったわけですからねえ
— 相沢タツユキ (@Tatsuyuko) 2020年2月7日
現代の貴族も18~19世紀に何らかの手段で爵位手に入れた人がほとんどを占めるみたいですし
サクソン系の貴族はノルマン・コンクエストで大概死んだようだし、ノルマン系の貴族も薔薇戦争で大概死に、それでも残った貴族もイングランド内戦で壊滅したので、イギリス貴族って案外古いのは少ないんですよね。
— Sz73 (@Sz73B) 2020年2月7日
むしろ、かかる流動性こそが英仏の近世貴族制を支えた訳ですが(ただしフランスのそれは次第に機能しなくなってフランス革命が勃発。こうした展開を反省したサン=シモン主義によるインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の再建が遂行される展開に) そこに見受けられるのは十字軍/大開拓時代(11世紀初頭~13世紀一杯)以来の欧州の伝統、すなわち「没落した貴族(あるいは継ぐべき領土のない領主の次男三男や食い詰め浪人)は起死回生を賭して新天地(領土拡大戦争の最前線や植民地)に向かう。逆転勝利を果たせず全滅しても口減らしにはなる」だったりする訳で。
さらにはこういう考え方も。
ファシズムを悪であり批判すべき犯罪的なものとすれば、その責任の一端はマルクスにある。マルクスがヘーゲル左派を否定し、ドイツからいわばトンずらしたことがそれだ。なぜならマルクスがドイツには思想の現実がないと考えてふけたとしても、何であれ現実のドイツはそこにあるからだ。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) 2020年1月31日
ライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer, 1910年~1990年)「日本史(Japan The Story of a Nation, 1978年)」にあった以下の言葉を思い出します。「耳障りの良い業績しか残さなかった政治家なんて、所詮は人目を気にし過ぎてやりたい事が十分出来なかった三流に過ぎない。既存構造を破壊し尽くして新秩序を打ち立て、その足跡への賛否が後世になっても一向に定まらないくらいでやっと本分を尽くしたといえるのである」。具体例として挙げたのが蘇我馬子。明らかに彼の残した事績から耳障りの良い部分だけ抽出して「聖徳太子」なる架空キャラクターを創造して政治家の理想像とした伝統、その一方で現実の歴史を動かしていった「藤原氏の談合政治」への批判から生じた姿勢で、その是非はともかくシュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig, 1881年~1942年)が「評伝ジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché, 1929年)」と「評伝マリー・アントワネット(Marie Antoinette, 1932年)」によって示し、池田理代子が「ベルサイユのばら(1972年~1973年)」の世界観の叩き台に採用したフランス革命史観同様、(外国人の手になる)歴史観構築上のテンプレートとして興味深かったりします。
あえてこうした前提に立脚した上で、以下の話を吟味したいのです。
韓国でパラサイトの話題の一つは、韓国映画業界は労働権がめちゃくちゃで、ちゃんとした契約書や労働時間など守られないのが日常だけど、パラサイトは標準契約から法で決められた労働時間までちゃんと守って作って、今まで「無理しないとうまいもんは作れない」て言ってたおっさんたちを黙らせたこと。
— かも仮面@3月からお仕事募集 (@sangsilnoh) 2020年2月12日
https://t.co/OHR78PTLXG 「スノーピアサー」と「オクジャ」など、アメリカで労働基準に合わせて8年間映画を撮ったおかげで、韓国でもちゃんと労働基準法のとおり仕事するのができた という記事。
— かも仮面@3月からお仕事募集 (@sangsilnoh) 2020年2月12日
映画界は結構よく守られているらしいけど、他分野の労働界には(主に経営者層が)生産性を理由で隙あらば労働基準を揺さぶろうとしますからねぇ<韓国の労働事情
— 잉크(반생반사 흑우)/インク (@zpdldlfrkwl) 2020年2月13日
韓国の映画製作環境、羨ましいなぁ、と思う反面、韓国って日本以上のネオリベ競争社会だから(パラサイトでも大卒でも警備員になるのが難しいという台詞がある)、ここに残ってるのは、エリート中のエリートだよね。
— 千川兄弟【ミスター・ロボットS4中】 (@bonkuratv) 2020年2月13日
「偽善も実践を続ければやがて善となる」?