諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「江南左派や杉並左翼にもそれなりの勝ち方がある」?

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私が最高と推す映画の一つが「エリン・ブロコビッチErin Brockovich, 2000年)」なんだけど、あの公害訴訟の結果(運動家が儲けて)被害者もその分け前に預かるビターエンドを突き付けつつ、開き直って「これがハッピーエンドと信じられないなら、進歩主義はもう前に一歩も進めなくなる」と全体を統括する傲慢さこそが、むしろ所謂「江南左派」や「杉並左翼」が狙うべき人間的勝利なのかもしれません。間違いなく「どうして米国リベラルはトランプに勝てないのか」にも深く関わってくる話…

 あえて断言しますが「我々は一度も間違いを犯した事がない」なんて自己弁護に終始してる限り、絶対にこの領域に到達する事は出来ません。

まぁこれがこのブログの最初からの基本スタンスなんです。

ヘルムート・プレスナー(Helmuth Plessner, 1892年~1985年)「遅れてきた国民Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes、1935年)」より。

「ドイツ人の視点からすれば国家権力が国家を超えた理想を標榜するのは偽善と映る。大英帝国の問題は人類の問題などと英国人に涼しい顔で告げられたり、正義・平等・友愛といった美辞麗句を並べて上から目線で説教するフレンチ・エゴイズムに直面すると、それだけで虫唾が走ってしまうのである。しかし現実路線と国家理念に基づく正当化を並行させるやり方には、むしろ「誠実な」側面がある。仮面が仮面である必要がなくなるからで、実際アングロ・サクソン系国家においては政治上の対立構造と経済上の対立構造の不一致に苦しむという事がない。ある意味経済支配こそが政治支配であり、かつ経済力そのものが人道的な力、道徳的な力、民族結集力、政党脱却力と信じて日々の問題解決に取り組んでいるのである。」

こういう考え方も。

 ああ、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニーPolányi Károly/Karl Polanyi, 1886年~1964年)が「大転換(The Great Transformation, 1944年) 」の主題の一つに選んだフランス革命戦争/ナポレオン戦争当時の福祉体制たるスピーナムランド制度Speenhamland system, 1795年~1834年)…

むしろ、かかる流動性こそが英仏の近世貴族制を支えた訳ですが(ただしフランスのそれは次第に機能しなくなってフランス革命が勃発。こうした展開を反省したサン=シモン主義によるインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の再建が遂行される展開に) そこに見受けられるのは十字軍/大開拓時代(11世紀初頭~13世紀一杯)以来の欧州の伝統、すなわち「没落した貴族あるいは継ぐべき領土のない領主の次男三男や食い詰め浪人は起死回生を賭して新天地(領土拡大戦争の最前線や植民地)に向かう。逆転勝利を果たせず全滅しても口減らしにはなる」だったりする訳で。

さらにはこういう考え方も。

 ライシャワーEdwin Oldfather Reischauer, 1910年~1990年)「日本史(Japan The Story of a Nation, 1978年)」にあった以下の言葉を思い出します。「耳障りの良い業績しか残さなかった政治家なんて、所詮は人目を気にし過ぎてやりたい事が十分出来なかった三流に過ぎない。既存構造を破壊し尽くして新秩序を打ち立て、その足跡への賛否が後世になっても一向に定まらないくらいでやっと本分を尽くしたといえるのである」。具体例として挙げたのが蘇我馬子。明らかに彼の残した事績から耳障りの良い部分だけ抽出して「聖徳太子」なる架空キャラクターを創造して政治家の理想像とした伝統、その一方で現実の歴史を動かしていった「藤原氏の談合政治」への批判から生じた姿勢で、その是非はともかくシュテファン・ツヴァイクStefan Zweig, 1881年~1942年)が「評伝ジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché, 1929年)」と「評伝マリー・アントワネット(Marie Antoinette, 1932年)」によって示し、池田理代子が「ベルサイユのばら(1972年~1973年)」の世界観の叩き台に採用したフランス革命史観同様、(外国人の手になる)歴史観構築上のテンプレートとして興味深かったりします。

あえてこうした前提に立脚した上で、以下の話を吟味したいのです。

偽善も実践を続ければやがて善となる」?