諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「悠久の時間の流れを生き延びてきた古都のサバイバル術」について

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 京都での出来事。とっさに思い出したのが「五山文学」…

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【雑想】「この戦いに老人側の最終勝利はない」?

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こういう時、思い出すのは三味線の話。

  • 三味線の原型は蛇皮線で、そのエスニックな音色が好まれて日本に広まった。
  • 儒学者の様な保守派が何世代にも渡って執拗に「こんなヘンテコなもの受容したら、日本人が日本人でなくなってしまう!!」と排撃キャンペーンを繰り広げたが、かえって反抗期の若者体制不服派を飛びつかせてしまい、逆効果となった。
  • いつの間にか三味線は日本の伝統的楽器の仲間入りを果たしていた。

そう「保守派の排撃」はむしろ遊郭高杉晋作が三味線片手に「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」と都々逸を読むのを粋と感じる風潮を加速させただけだったのです。「子供は常に大人が大嫌いなものが好き」という事を忘れちゃいけません。

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【雑想】「自分にはまだまだ数理が足らない(もっともっと勉強が必要)」

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こんな面倒臭い事を考えるより、実際に有効なのは以下でした。

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【米国大統領選挙】共和党と民主党はどちらが平和的?

ふと思い出したのが古代オリエント史における以下の一コマ。

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  • 古代エジプト新王国(紀元前1570年頃~紀元前1070年頃)における第18王朝のファラオだったハトシェプスト女王(Hatshepsut, 在位紀元前1479年頃~紀元前1458年頃)やアメンホテプ4世(Amenhotep IV, 在位紀元前1353年?~紀元前1336年頃?)は一般に平和主義者と考えられている。しかし実は(それまでミノア文明の平和的商業立国路線を継承してきた)ミケーネ文明が重武装する様になり、(エジプト人ヌビア人まで雇った)精強な傭兵隊の組織と派遣でも名を馳せる様になるのは、まさにこの時代においてなのである。これは一体どういう事なのか?

  • おそらくハトシェプスト女王アメンホテプ4世は軍事遠征だけでなく制海権を確保し続ける為の治安維持活動まで差し控える様になり、その結果本土のミケーネ人や地中海沿岸を跋扈する商人は自衛力の強化を余儀なくされたのであろう。またミケーネ人が武装を強化したのは一般に(大国の軍事力庇護下にない)地域まで商圏を拡大したせいといわれるが、ハトシェプスト女王は商業振興の時代ともされ、国家の庇護を得た御用商人の跋扈こそが不利な立場に追い込まれたミケーネ商人を「商圏拡大」に向かわせたとも考えられる。そして宗教改革に熱中したアメンホテプ4世は明らかに予算削減と忠誠心の疑わしさから軍縮に着手する一方、ミケーネ人傭兵の雇用を積極的に遂行したのだった。

    ミケーネ社会からポリス社会への構造転換に関する統合的研究

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