諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【米国大統領選挙】共和党と民主党はどちらが平和的?

ふと思い出したのが古代オリエント史における以下の一コマ。

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  • 古代エジプト新王国(紀元前1570年頃~紀元前1070年頃)における第18王朝のファラオだったハトシェプスト女王(Hatshepsut, 在位紀元前1479年頃~紀元前1458年頃)やアメンホテプ4世(Amenhotep IV, 在位紀元前1353年?~紀元前1336年頃?)は一般に平和主義者と考えられている。しかし実は(それまでミノア文明の平和的商業立国路線を継承してきた)ミケーネ文明が重武装する様になり、(エジプト人ヌビア人まで雇った)精強な傭兵隊の組織と派遣でも名を馳せる様になるのは、まさにこの時代においてなのである。これは一体どういう事なのか?

  • おそらくハトシェプスト女王アメンホテプ4世は軍事遠征だけでなく制海権を確保し続ける為の治安維持活動まで差し控える様になり、その結果本土のミケーネ人や地中海沿岸を跋扈する商人は自衛力の強化を余儀なくされたのであろう。またミケーネ人が武装を強化したのは一般に(大国の軍事力庇護下にない)地域まで商圏を拡大したせいといわれるが、ハトシェプスト女王は商業振興の時代ともされ、国家の庇護を得た御用商人の跋扈こそが不利な立場に追い込まれたミケーネ商人を「商圏拡大」に向かわせたとも考えられる。そして宗教改革に熱中したアメンホテプ4世は明らかに予算削減と忠誠心の疑わしさから軍縮に着手する一方、ミケーネ人傭兵の雇用を積極的に遂行したのだった。

    ミケーネ社会からポリス社会への構造転換に関する統合的研究

 そして現在…

 その政権が「平和的」か「好戦的」かは単純なパラメーターで定まるもんじゃない?