これまでも幾度か取り上げてきましたが英国人作家ウィーダの手になる児童文学「フランダースの犬(A Dog of Flanders、1872年)」って再読すればするほど、もうね…ところで巧みに胡麻化されてますが「(ネロ少年とパトラッシュが通う)ルーベンスが飾られた教会」って一つじゃないって知ってました?
「フランダースの犬」をロマン主義文学として読み解く為の最初の鍵。それは以下の文章の「叙述トリック」をどう見破るかにかかっている様な気がします。
マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー Marie Louise de la Ramee 菊池寛訳 フランダースの犬 A DOG OF FLANDERS
パトラッシュは、ほんとうに幸福でした。同じ炎天の下でも、同じ氷雪の路でも、昔と今では地獄と極楽の相違です。たとえひどく空腹をかんじ、足の傷がひりひり痛むこと があっても、おじいさんの親切ないたわりと、少年のやさしい接吻とは、すべての苦痛 をおぎなって余りあるのでした。パトラッシュはこの上 何をのぞみましょう。けれどもそのパトラッシュにたった一つ、不安と言えば言えるものがありました。それはこうでした。アントワープの都には、古代石造建築の名残りが、たくさん残っています。今 はもうアントワープは、俗っぽい商業地になってしまいましたけれど、それでも尊いお寺やお社が、昔の名残りを止めていました。
世に名高い大画家ルーベンスはこの町に生れたのです。アントワープが商業地以外に芸術の都としても世に知られるようになったのはひとえにこのルーベンスのおかげでした。彼の尊敬すべき偉大な魂は今もなおアントワープの町の上をさまよい、見守っているといえましょう。ほんとにアントワープ到るところにルーベンスを感じ、ルーベンスを感じることによって、この町のすべてが清められ深められるともいえましょう。
そのルーベンスの白い墓標は、アントワープの中央、セントジャック寺院内の、いとものしずかなところに立っています。そのしずけさの上を、時折、おだやかなオルガンの音と、讃美歌の合唱がながれていくのでした。芸術家の墓のうちでも、こんないい場所にこれほど立派に立っているのは少いでしょう。
*「セントジャック寺院(聖ヤコブ教会)」はバッハが設置を担当し、9歳のモーツァルトが演奏し「何人たりとも立ち入り禁止」の看板を掲げる事でナポレオン軍による略奪と破壊を免れたパイプオルガンでも有名。
さて、パトラッシュの心配というのはこれでした。この厳かにそびえている古びた石造建築の中に、時折ネルロの姿が消えてしまう。その暗いアーチ型の玄関の奥にネルロが吸いこまれてしまって、パトラッシュだけがぼんやり、敷石の上にとり残されるの です。パトラッシュは、一体どんな面白いものがあって、自分と離れたことのない仲よしをいつもいつもあの門内へさそいこんでしまうのだろうと、ふしぎでたまらないのでした。一二度、彼はそれを見きわめようとして、牛乳車をくっつけたまま、入口の石段 をガラガラのぼりかけたことがありましたが、その度、黒服に銀のくさりをつけた脊の 高い門番に一言の下に追いかえされてしまいました。パトラッシュは仕方なく、小さい御主人に変りがなければいいがと案じながら、じっとねそべって、ネルロが出て来るのを辛抱強く待っているのでした。
パトラッシュはどこの村の人たちも教会へ行くことを知っています。大ぜ い揃って、あの赤い風車のむかいの、古ぼけた教会堂へ出かけるのも見ていますから、ネルロが、お寺へ入るのが別に心配というのではありません。ただ気になるのは、その町の寺院から 出て来る時のネルロの顔いろなのでした。非常に興奮したようにあかくほてった頰を しているかとおもえば、またひどくあおざめている時もあって、そういう日にかぎっ て、家へかえってからも、ぼんやり夢みるような眼をして、すわりこんだきり 一向遊ぼ うともしないのです。そして運河の彼方に暮れていく空をながめては、いかにも、思い 沈んだかなしげな様子をしているのでした。
パトラッシュは、心配で心配でたまりません。これは一体どういうわけなのだろう、なんにせよ、こんな小さい子供が、こんな真面目くさった顔つきになるのは、普通でもないしよいことでもないと、パトラッシュは口にこそ出さね、気をくばって、ネルロの行くところは野といわず、市場の人混みといわず、片時もそばをはなれないことにきめたのでした。
おかしいことには、ネルロは村の教会へは行こうともしません。ただ行きたがるのはあの町の大寺院だけです。パトラッシュはその寺院の大門 のそとに取り残されて脊のび をしたりため息をついたり、はては大声に吠えたりしますがどうにもなりません。やがて門の扉が閉められる頃になってネルロはようやくつまみ出されるようにして 追い出さ れて来ます。そして、すぐ犬の頸に抱きついて、そのひろい鳶いろの額に接吻しながら、いつもきまったように、「パトラッシュ、僕は見たくって…一目 で いい。見さえ すれば…」と、きれぎれにつぶやくのです。それは一体なんのことであろう。パトラッシュは、思いやりのこもった目で、じっと少年の顔をみつめるのでした。
ある 日、門衛がいないで、扉があいたままにしてあるのをさいわい、犬は少年のあと を追ってこっそり内 へ入りこんでみました。少年はうっとりとして「 キリスト昇天」の画の前にうずくまっていましたが、うしろに犬の来ているのに気がつくと、立ち上っ てやさしく犬を胸のあたりまで抱き上げました。その顔は、涙にぬれていました。ネルロは、堂内の両側にかかげ てある二つの画をぴったりと覆った厚い布を指して言い ました。
「パトラッシュ、貧乏でお金がはらえないからあの画が見られないなんて、なんて情ないことだろう。貧乏人には見せられないなんて、どうしてあの画の作者が言うものか、 いつだって僕らに見せるつもりだったんだ、毎日見ててもいいと思ったにちがいない。 それだのに、こんなに覆ってしまうなんて、金持が来て、金を払わなけれ ば、いつまでも美しい画に光りもあてないなんて。ああ見たいな、見たいな見さえすれば 僕、死ん でもいいんだが――」
パトラッシュ ははじめて知りました。あんなにもネルロをひきつけ、さそい入れ たものが、この覆われた二つの大きな画だったということを。しかしパトラッシュにもどうすることもできませんでした。
「キリストの昇天」「 十字架上のキリスト」この二つの名画の見物料を儲け出すこと は、ネルロにとってもパトラッシュにとっても、丁度この寺院の高い尖塔によじのぼると同様全く思いもよらぬ難事だったのです。ふたりは、余分なお金など、それこそ一文 もありはしません。炉に焚く薪の一束、うすいスープの一 鍋さえ思うに任せぬあわれ な身ですもの。
しかしながら、ネルロの心は、このルーベンスの二つの名画を見たいというねがいを、 どうしてもあきらめることができ ず、いやますます燃えさかるのみでした。身は水呑百姓の子供のあわれな牛乳配達にすぎなかったけれど、ネルロの心は常に高く、大画家ルーベンスを夢見ていました。ひもじさ寒さも気にとめず、いつも心に描いてたのしん でいるのは、かつて見て知っている『キリスト昇天』のその神々しい顔つき、金髪を肩 に波打たして、その額に消えることなき栄光のてりかがやいている図でした。貧しい中 に育ち、何の教育も受けていないが、少年ネルロは、まさしく天才の素質を持っていた のです。もとより、誰一人そんなことを気づく者はなく、ネルロ自身も、そんなことは思ったこともありません。ただそれを知っているのは、ネルロのそばを離れたことのない犬のパトラッシュだけでした。パトラッシュは、ネルロがよく白墨で石の上などへ、 動物や植物などをいろいろと描くのを、また 一しょに枯草の床にねむる時など、そうしてそんな時のネルロの顔が、どんなにぱあっと輝いているかを見知っていました。ネルロが大画家ルーベンスの魂にむかって、いろいろな賛めことばや、思いつめた祈りを 捧げているのを聞きました。また、度々よろこび とかなしみとが混り合ったような、 なんとも言うことのできない涙が、この小さな子供の瞼からあふれ落ちて、パトラッシュの皺のよった、鳶いろの額へかかるのも知っていました。
アニメ版をご存知の方は比較してみてください。明らかに世界が違うのです。そもそも「児童文学」の枠で括って良いのかすら疑問。「ハリー・ポッター」でいうと…
I have a bad feeling about this. — In which Tom isn’t good at anagrams Based on this...
まさしくダースベーダーのマスクの残骸に「あなたが始めた事を、私が終わらせる」とか誓いかねない危うさ。それを承知の上で「命の恩人」の恩に報いる為に最後まで忠節を尽くし抜こうとするパトラッシュ…この作品が「ロマン主義文学」としても読めるのはこうした要素のせいだったりします。
そもそも「どこまでが原作者の意図か分からない」あたりが、この「叙述トリック」の厄介さ。そう、これはあくまで「中二病の世界」の話であり、作者も登場人物も人格的成熟段階を目指す事なく自らの正義を貫こうとするのみで、死屍累々の展開が不可避。まずはそういう物語だと覚悟を決めて読み始めねばなりません。
*というか作者自身が色々混同してた可能性まであったりする。
- まず日本人として引っ掛かるべきなのは訳者の名前。菊池寛(1888年〜1948年)といえば文藝春秋社を創設した実業家であり、太平洋戦争中に文芸銃後運動を発案し、翼賛運動の一翼を担った為に戦後は公職追放の憂き目に遭い「我々は誰にしても戦争に反対だ。しかしいざ戦争になってしまえば協力して勝利を願うのは、当然の国民の感情だろう」と自己弁護しながら昭和23年(1948年)に失意のうちに狭心症で没した人物。しかし彼にはルーベンスにこよなく心酔したネルロ少年の如き「後継者」がいた。朝日新聞の印字工から坂口安吾や木々高太郎の引き立てによって大抜擢され「社会派ミステリー」というジャンルを創設して「戦前文学のうち再読の価値があるのは田山花袋と菊池寛だけである。それも分からない推理作家は全員死ね!!」と言い放って目論見通り日本推理界を一時期壊滅状態に追いやった松本清張(1909年〜1992年)。後に自らの引き起こしてしまったホロコーストに戦慄し「私に(日本推理界を一時期壊滅状態に追いやった)責任は一切なかった」と自己弁護を始めますが(ある意味、戦前からあった「変格派に対する本格派の粛清願望」が実現した結果、大衆との接点を完全喪失しただけという側面もあり必ずしも嘘ではない)実際に大衆レベルで推理小説が復興を果たすのは(角川春樹が関与してから加速した)江戸川乱歩や夢野久作や小栗虫太郎や横溝正史がリバイバルを果たす1970年代に入ってからとなる。
*ボローニャ出身のパゾリーニ監督が1975年の遺作で提示した様に、ロマン主義運動の根底には常に「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマが見え隠れする。「決して互いに相容れる事のない複数の正義が拮抗している状態を究極の民主主義とするなら、そのうち一つが最終的勝利を収め残りを粛清し尽くして将来の禍根を断つ事にまで成功した状態を究極の独裁という」という訳である。引用文中のネルロ少年だって(同じく画家の卵出身だった)ヒトラー同様、社会的成功を収めたら一端の独裁者になっていたであろう雰囲気を十分漂わせている。
田山花袋 蒲団
横溝正史エンサイクロペディア・松本清張による横溝正史批評(?)-「お化け屋敷」-
- それではこの物語におけるパトラッシュの役割とは? 一言で言うと「主人公の中二病を一切批判せず、一緒に死んでくれる至高の理解者」。「フランダースの犬」の世界では、主人公たる中二病少年ネルロの天才性を際立たせる為、彼に好意を寄せるジェハン爺さんもアロアも本当に大事なものが何か分かってない俗物の象徴として次々と切り捨てられていき、最後に消耗品として廃棄される直前に救われて以降、全面的盲従を誓うに至ったパトラッシュのみが残されるのである。そして後には原作者自身も「生活の宛てなくイタリアに渡って30匹以上のパトラッシュに囲まれて孤独死」という同様の最後を遂げる事に。
*「もしこの引用文の叙述者がアロアだったら、最後に聖母アントワープ大聖堂で中二病少年ネルロと一緒に凍死していたのもアロアだった(ただし同じ女性としての嫉妬心から原作者はアロアにそんな名誉を与える気には到底ならなかった)」としか考えられない展開。
- それでは日本人も大半が振り回された「叙述トリック」とは? それはこの文章中には「アントワープ聖母大聖堂」という言葉もの「(そこに本来飾られている筈の名画)キリスト降架」という言葉も存在しないという事。しかもそこに描かれているキリストは、実際には金髪ではない。
金髪なのはセントジャック寺院(ルーベンス家の「菩提寺」聖ヤコブ教会)のキリストの方なのである。ルーベンスが亡くなる直前に自らの冥福と子孫繁栄を祈って描き上げた「聖家族(諸聖人に囲まれる聖母)」。この絵に描かれたキリストは幼児で、それを囲む様に聖母マリア(死別した先妻イザベラ・ブラントの投影)、鎧姿の聖ゲオルグ(中央の老人を含めルーベンス自らの投影)、マグダラのマリア(後妻エレーナ・フルマンの投影)が配置されている。「キリスト昇天図」ならぬ「ルーベンス昇天図」。もしこの描写の主体がパトラッシュでなくアロアだったら、爽やかな笑顔を保ちつつ髪の毛全てが蛇に変貌していたかもしれない。
*ここで念頭におくべきは「古代ギリシャ時代からの伝統の継承」と称して欧州男子達が好んで依存してきた「女性を聖母か売春婦に二分して敬ったり蔑んだりする姿勢」への女性側からの嫌悪感。逆の例を想起してみれば明らかだが、これは当事の人格に対する全否定に他ならない。ロマン主義運動の歴史でいうとパーシー・シェリーが自らの屋敷で正妻と愛人を引き合わせ「三人で仲良く暮らせば無問題じゃないか」と提案したものの「いや、それだけはない」と二人から拒絶された事件を思い出す。結局(ルーベンス同様)先妻病死後、愛人が後妻に収まるのだが、それだけでは腹の虫が収まらなかったらしく「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The Modern Prometheus、1818年)」なんて傑作が生み出される事になる。そのメアリ・シェリーもパーシー・シェリーに惚れるくらいだから相応に中二病を患っていたらしく、フランケンシュタイン博士の婚約者も、その被造物たる怪物の伴侶も作中で原型も止めないほど粉砕され尽くしてしまう。シャーロット・ブロンテ「ジェーン・エア(Jane Eyre、1847年)」に登場する「ヒロインの恋敵」バーサ夫人も最終形態は「原型も止めない消し炭」だった。C.L.ムーア「ノースウェスト(Northwest Smith)シリーズ(1933年〜1940年)」に登場する(原作者のお気に入りイケメン主人公を誘惑する)美少女ゲストも概ね最後は原型も残らない惨殺。「当時の女性作家はどうして女脇役を惨殺し続けたのか?」を専門に研究する文学者が現れても不思議でない風情なのである。
そもそも大人になってからこの作品を再読した人間は「(娘についた悪い虫を引き剥がそうとする)コゼツの旦那(アロアの父)」に一番共感を感じたりする様です。まさにロマン主義的展開。油断してると尻の穴まで抜かれてしまう…何せ吸血鬼の先祖になった人までいますしねぇ…
「あれは天性のヒモだ」
その夜コゼツは「あの子供をあまりアロアと遊ばせちゃいかんね。あとできっと 心配事 起って来るよ、あの子供は 今年15だし、娘は12だ。それにあの子は、ちょっとした顔つきでもあるし。」とおかみさんにはなしかけました。
おかみさんは、ストーヴ の上におかれ たさっきの絵につくづく見入りながら「それにまじめな子で、一本気の ようでもございますしね。」と言いました。
「そこじゃて。それをわしはおもうのじゃ。」と、コゼツはたばこをつめながら言いまし た。「ほんとにそうでございますね。あなたのお考えどおりになります。」とおかみ さんは口ごもりながら 「大そう結構のように思われますわ、娘だってこの財産をつぎ ますればふたりの一生は安楽ですし、それに越した二人の幸福はありませんわ。」
「だから女は困るというのじゃ、ばかな。」と、主人はパイプをテーブルに打ちつけて「あの子供が何じゃ、乞食じゃないか。おまけに画家になろうなどと自惚れているから なお始末が悪い。これ、よく注意して、もう決して遊ばせてはならんぞ。」
おかみさんは、ネルロを可愛がっていましたが、気の弱い人だったので、そのままだまって、主人のいうとおりにすることにしてしまいました。
*大人が読むとコゼツの旦那はアロアの肖像画を(手切れ金を含めた)銀貨1枚で買い取るのを拒絶した時点で「中二病少年」ネルロの本質を発見した様に見えてならない。ちなみに小泉八雲「雪女」でも主人公は雪女から「美少年だから殺すの勿体無い」と告げられて生き延び、しかも後に当人が嫁入りしてくる(よほど気に入ったらしい。しかも約束を破ったのに結局殺されない)。イケメンは何かと得だ?
小泉八雲 田部隆次訳 雪女 YUKI-ONNA
「怠け者が感染る」
ネルロは男らしく、しずかで 感じ易い少年 でし た から、もうそれ以後はあきらめてたといひまがあっても、丘の上の赤い風車の 方へは、足をはこばなくなったのでした。
なにがあんなにコゼツの旦那の気にさわったのか、ネル ロには分りませんでした。ただ大方、牧場でアロアを写生したことがいけなかったんだろうと思っていました。で、時として、アロアが彼をみつけてとんで来て、手にすがりつくことでもある と、彼はかなしげにほほえんで、いろいろとなだめるのでした。
「ね、アロアちゃん。 お父さんの御きげんを悪くしないで下さいね。お父さんは、僕があなたを怠け者にでもするようにおもっていらっしゃるんだからね。だから僕と一しょに遊ぶのがお気に入ら ないんでしょう。でもお父さんはいい方で、ほんとにあなたを可愛がっていらっしゃる んだから、僕たちは、御き げんを損ねるようなことをしてはいけない。ね、アロアちゃん。よく分っ たでしょう。」
とはいえそれは、かなしさ、さびしさをおさえぬいた言葉でした。
*ネルロはネルロで、コゼツの旦那の目に自分がどう映っているかちゃんと理解しているの様である。
「僕は偉くなる」
ネルロはやさしく少女に接吻してそして、深く胸の中に決心したことをささやくのでし た。
「ね、アロア ちゃん、僕もいつかはきっとえらくなってみせますよ。やがて時が 来れば、お父さんが持っていらっしゃる僕の描いたあの松の板ぎれだって、あの大きさの銀を出しても買えない程な値が出ますよ。そうなったら、お父さんだって、戸を閉め て僕を入れないようなことはなさらないでしょう。ただ、アロアちゃん僕を忘れないでね。忘れないで 下さいね。僕きっとえらくなる から――」
「まああたしがあんたを忘れるって言うの、そんなこと言うならいいわ。」と愛らしく 泣きぬれたアロアは、頰をふくらしてすねたように叫びました。その眼には、まごころ があらわれていました。
少年はそれをみると胸がせまって、いそいで目をそらしまし た。遥か彼方には、宵闇にほの白く、あの旧教の大伽藍がそびえ立っていました。少年 の顔には一瞬間、何か崇高なかがやきがひらめきました。アロアはちょっとこわくなっ たほどでした。
「僕 はえらくなる。」 と、少年は深い息をして呟きました。
「アロアちゃん、えらくなれなかったら、僕は死ぬ。」
「死ぬんですって、じゃあたしを忘れてしまうのね。」と、アロア は少し苛立ってネル ロを押しのけまし た 少年 は頭をふって、ほほ笑み、脊丈ほどもある、黄色に熟れた麦 のかげを、家の方へかえって行くのでした。少年の目には幻が浮んでいました。…いま にきっと幸福になれる時が来る。名を成して再び故郷にかえって来て、あらためてアロアのお父さんに挨拶したら、その時、お父さんはどんなに僕をよろこびむかえてくれる だろう。村の人達も僕を見ようとして集まって来て、あわれだった昔のことなど思い出し、よけいその成功をよろこんでくれるだろう。その時が来たら、ジェハンおじいさん には、あのセント・ジャック寺の中に描いてあるえらいお坊さんのように、毛皮や紫の 着物を着せてあげて、その肖像を描いてあげよう。それから忠犬パトラッシュの頸には 金の頸環をつけてやり、自分のすぐそばへおいて、 集まって来る人々に、「この犬 が、前には私のたった一人の友達だったのです。」と紹介しよう。住む家は、あの大寺院の塔のみえる丘の上へ大理石の宮殿のようなのがいい。そこへ多くの貧乏な淋しいそして大きな望みを抱いている少年たちをあつめ、明るくたのしい生活を与えてやって、 彼らをはげまし、もし彼らが自分の名をほめたたえるようなことがあれば「いや、私に 感謝する程のことはない。ルーベンスに感謝しなさい。もしルーベンスがなかったら、 私はなんにもなれなかったろう。」と言おう――こんな空想が、全く清らかにあどけなく、ほほえましく少年の胸を掩いつつむのでした。
*「セントジャック寺院(聖ヤコブ教会)」再び。こっちの絵は見放題だったらしい。それにしても本当にネルロのダメ男っぷりが半端ない。実はジブリの同名映画の原作として名高い角野栄子「魔女の宅急便(1985年〜2009年)」にも同タイプが沢山出てくる。
そもそも物語のタイプ自体が完全に以下の系譜なんですよね。
- ゴーティエ「ある夜のクレオパトラ(Une nuit de Cleopatre 1838年)」…「もう充分でございます(死)」パターン元祖。政治的浪漫主義の世界から足を洗ったゴーティエが後に打ち立てる高踏派(芸術至上主義)の先駆作として「薔薇の精(Le Spectre de la Rose、1838年)」と並び称される作品で、どちらも後にバレエ・リュスがバレエ化している。さらに米国滞在期のラフカディオ・ハーンが英訳し米国幻想文学界に大きな影響を与えた。後には「雪女」も伝わったが、アーサー・マッケン「パンの大神(The Great God Pan、1894年)」のエロティズムが叩かれた反省から、そういう要素を一切抜いたCosmic Horrorが発達。後の「クトゥルー神話」の馴れ初めとなる。
*ちなみに「雪女」の元話が取集されたのは19世紀調布…当時の日本は小氷河期を迎えていた?
「或る夜のクレオパトラ」ゴーティエ著、田邊貞之助 訳|サーシャのひとり言
小泉八雲 田部隆次訳 雪女 YUKI-ONNA
アーサー・マッケン パンの大神 - アンデルセン「マッチ売りの少女(Den lille Pige med Svovlstikkerne、1848年)」…フランスではエミール・ゾラ「ルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart、1870年〜1893年)」や「グラン・ギニョール劇場(Grand Guignol、1897年〜1962年)」の時代になってやっと「貧民街の悲惨さ」が文学や芝居で取り上げられる様になったが、最初期には当局が「祖国の醜悪な部分をあえて世に知らしめるとは反体制運動そのもの」と判断し取り締まろうとした(リアリズムを目指した「グラン・ギニョール実験劇場」がエログロ路線の「グラン・ギニョール恐怖劇場」に看板替えしたのもそのせい)。それを思えば十分意義ある先行例? そういえば「フランダースの犬」発表から程なくしてエミール・ゾラの「居酒屋(L'Assommoir、1876年)」「ナナ(Nana、1879年)」が国際的ヒット作となる。
マッチ売りの少女
調べれば調べるほど「当時の時代性の落とし子」だった事実が明らかになりますが、全部が中途半端。「ええとこどり」のつもりが「悪いところ集め」になってない? そこがまさに「中二病」の「中二病」たる所以?