2010年代後半に登場した新たな映画ジャンル?
シン・ゴジラもダンケルクも、人物達のバックグラウンドや人間関係の部分を切り捨てた新しい視点で描かれる作品が増える事は嬉しい。それを単純に感情が描かれていないとするのは違う。ドラマを望むなら既存の作品を観れば良い。
— バルログ † 深海に漂う (@BARUROGU) 2017年11月13日
切る事で生まれる新世界を心から歓迎する。
これは至極勝手な感想なのだけれども、『シンゴジラ 』は「大災害を怪獣に“擬獣化”してみせること」で人々の心から理不尽なわだかまりを凝縮してせたのに対し、『ダンケルク』は「戦争という人の営み」を「災害のように描くこと」で「戦争の理不尽さ」を露わにしてみせたように思う。
— 蝉川夏哉@11月7日のぶ文庫四杯目発売 (@osaka_seventeen) 2017年11月12日
絶望的な状況を上からの目線で俯瞰的に表現しようとしているのがシンゴジラ、現場目線で局所的に表現しようとしているのがダンケルク。シンゴジラ好きには是非観て比較してもらいたい映画でござる #シンゴジラ #ダンケルク
— zen (@zen_pancrase) 2017年11月13日
死をドラマチックに描かなかったり、叫び声なく死んでいく人の描写が節々に入っているのがダンケルクを思い起こさせてすごく良かった 死ぬのが他人事じゃないと叩きつける演出が最高に恐ろしくて現実的なのが素晴らしいんですよね #シンゴジラ
— ™ (@mei_tea_ENG) 2017年11月12日
ダンケルクもシンゴジラも群像劇だから惹かれるのだなあと。
— ほうじ茶おいしい (@osy_1110) 2017年11月12日
ダンケルク見てハマった人は兵士たちのように祖国に帰還できないままずっとダンケルクにいるし、シンゴジラはシンゴジラで沼具合に終わりがなくて東京湾に沈む💭
さらにはこんな意見も。
クリストファー・ノーラン監督は「怒りのデスロード」を観て普通の映画のようなストーリー運びがなく、クライマックス部分だけを一本の映画にしたような構成に衝撃を受けて「ダンケルク」を作ったというが、100年間劇映画を支配してきた3幕構成がついに終わりつつあるのかも。
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2017年11月17日
前にも呟いたがマッドマックス怒りのデスロード、シンゴジラ、ダンケルクは自分の中でつながっている。
— pasin (@pasinpasin) 2017年11月12日
2015年がマッドマックスFR、2016年シン・ゴジラ、2017年ダンケルクで、1年にひとつは心臓にガリガリ傷残すほどのとんでもない作品に出会ってる。それなら来年も同じく1本はそういう映画に出会えるかな
— teito(ていと) (@pursuitV8) 2017年11月15日
もしかしたら2012年以降顕著となった「スマートフォンのFirst Screen化」とか「人生のFPS(First Person Shooting)化」といった流れの延長線上に現れた現象とも。
そもそも「経験(Experience)」の概念そのものが変貌しつつあるのかも。