諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【20世紀的アカデミズムの残照】力学系の諸概念の社会系への応用?

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最近ネットで少し話題となってたこの件。刊行日は2017年11月15日?

エルゴード理論(ergodic theory) - Wikipedia

ある力学系がエルゴード的(ある物理量に対して、長時間平均とある不変測度による位相平均が等しい)であることを示す、すなわちエルゴード仮説の立証を目的とする理論。

この仮説は、SinaiらのDynamical billiardsの例などで正しいという証明が与えられているが、統計力学の基礎とは無関係である。また、物理学でのエルゴード性を抽象化した、数学における保測変換の理論をそう呼ぶこともある。

長時間平均(統計的、事象的、観察結果)と位相平均(計算論的、収束するもの、あるいは一定のサイクルに収めることの出来るもの、全事象等確率的として推察できるもの)の2つの平均が同じような値(あるいは関数)を得られるものについて、エルゴード的ということが出来る。

「エルゴード性」について

「時間」・「空間」 に対して均質である事象は結構思い当るんではないでしょうか。例えば、鋼材のヤング係数はどの材でも平均は同じでしょうし、時間が経っても恐らくそれ程大きく変動しないでしょうから、「エルゴード性を有する」と結論付けられます。

エルゴード仮説とこれに対する数学と物理学の立場

長い時間尺度 (time scale) でみると、微小状態からなる位相空間内で同じエネルギーをもった領域に費やされる時間は位相空間でしめる体積に比例するというもの。すなわち、そのようなすべての実現可能な微小状態は長い目で見ると等しい確率で起こるということ。さらに言いかえれば、時間平均と、統計力学でいうアンサンブル(起こりうる微小状態の数だけある系のレプリカの集まり)内での平均は等しくなるということ。

  • 証明されていないため仮説の域は出ないものの、この仮説を採用してシミュレーションを行うと現実を非常にうまく説明できることを疑うものはいない。その意味で特に工学分野において、証明を必要とする「仮説」の字を避けエルゴード仮設と呼ぶことがある。

  • その一方で統計力学の基礎としては的を外しているという主張も専門家によってなされている。

 数学におけるエルゴード理論上記エルゴード仮説との直接の関係はない。確率論にもとづいた力学系の一つの分野である。 物理へのみならず数論など数学の他分野への応用も多い。

物理学におけるエルゴード理論…物理学、特に量子力学において、エルゴード理論をパイを作るときの混合で説明している。

アトラクター(attractor) - Wikipedia

ある力学系がそこに向かって時間発展をする集合のこと。 その力学系において、アトラクターに十分近い点から運動するとき、そのアトラクターに十分近いままであり続ける。

アトラクターに含まれる軌道は、そのアトラクターの内部にとどまり続けること以外に制限はなく、周期的であったり、カオス的であったりする。

研究の動機

力学系は一般的にひとつあるいは複数の微分方程式あるいは差分方程式により表される。これらの方程式は短い時間区間における力学系の挙動を記述するので、より長い時間区間における力学系の挙動を決定するためには、その方程式を積分する必要がある。このためにしばしばコンピュータが効果的に用いられる。

  • 実世界における力学系は散逸的であることが多いであろう。すなわち、もし力学系に運動の駆動力が無ければ、運動は停止するものと考えられる(そのような散逸は、様々な原因による内部摩擦や熱力学的損失、物質の損失などにより生じうる)。

  • 散逸と駆動力が組み合わさることにより、初期の摂動を鎮め、その力学系の振る舞いを典型的なものへと落ち着かせる傾向にある。そのような典型的な振る舞いに対応している力学系からなる位相空間の一部分はattracting section または attractee と呼ばれる。

アトラクターに似たような概念として、不変集合や極限集合が挙げられる。

  • 不変集合とは、ある力学系に対して、その集合自身に時間発展するような集合のことである。アトラクターは不変集合を含むことがある。

  • 極限集合とは、力学系の軌道の各点から、時間が無限大に向かうときに近づく点の集合である。

アトラクターは極限集合であるが、アトラクターではない極限集合も存在する。ある種の力学系において、いくつかの点においては極限集合から外れる摂動を与えられた時にも収束するが、他のいくつかの点では「はねとばされて」二度とその極限集合の近くに戻らないことがありうる。
*減衰振子を例に考える。減衰振子は「最も高い位置」と「最も低い位置」の2つの不変集合(不動点)を持ち、 軌道は「最も低い位置」に収束するが、振り子の振動が減衰せず、エネルギーの散逸がなければアトラクターにはならない。

ローレンツアトラクター

もし大気がカオスであるとすると、天気予報が当てになるのはせいぜい短期的な予測のみであり、長期予測などとても望むべくもない、ということになります。

これは「システムに働く力とその初期状態がわかればシステムの将来は予言できる」というそれまでの物理の常識に反するものであり、大きなインパクトを社会に与えました。

有名な「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークの天気が変わる (バタフライ効果)」という言葉は、大気の運動は初期値鋭敏性を持つカオスではないかと仮定した上での言葉です。なお、この言葉はローレンツが 1972 年に行った講演の副題「ブラジルの蝶のはばたきはテキサスでトルネードを起こすだろうか?」に基づいているようです。
*あ、これマイケル・クライトン(John Michael Crichton、1942年〜2008年)の「(事態が進行する都度、計算の狂いがどんどん大きくなっていく)科学パニック小説」の基本理論…

全体的にフラクタル理論やホログラム理論が流行した第二次AIブームの頃を想起させる様な内容です。科学史的にどういう位置付けになるかというと…

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  • 最初にデカルト象限が提言された時点では、その対象はこの空間における互換性が保証された幾何学と記号代数学くらいと考えられていた。

  • 人文分野からこれに風穴を開けたのがナポリ出身の「近代歴史哲学の創始者」ジャンバッティスタ・ヴィーコの主著「新しい学 Principi di scienza nuova(1725年)」。「数学が無から仮説を積み上げた結果である様に、歴史は無から人間の行為事業を積み上げたものである」という観点が年表のデカルト象限へのマッピングを可能としたのだった。
    *最近、中国古典の記述から地名と年代のセットを抽出し、これをソートする事で湖南地方に起こった中華文明が周代(紀元前1046年頃〜紀元前256年)、春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)、戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)を経て「秦の始皇帝による中華統一(紀元前221年)」に至るまでどの様にその活動の中心地を遷移させてきたかを明らかにしようとするプロジェクトがあった。様するにこういうのが「実証的人文科学」の原風景だったのである。

  • そして以降は「史料批判やアンケート技法といった)観測結果をどうプロッティングするかに関する技術」や「(標準分布と比較や評価次元検出などといった)こうした観測結果の集合体から有意味情報を引き出す(統計)技術」について研鑽が進行。次第に実証主義的人文科学の体裁が整っていく。
    *「白衣の天使」にして「ミス軍務省」のナイチンゲールなどの活躍によってそれが国家経営に不可分な技術という認識が確立したのも大きいとも。

それはそれとして実際には歴史哲学は、こうした「観測結果の集合体」の背後に何を見て取るかについても問われてきたのです。

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  • 革命家に成功などない。体制転覆の成功は常に新たなる反体制への弾圧の始まりである」とまで断言した「永遠の革命家」オーギュスト・ブランキは、天体の動きの如き永劫回帰的世界観を提唱。
    オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』書評:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online
    *この考え方、このサイトで提唱している「事象の地平線としての絶対他者に対する拒絶・混錯・受容(受容不可能な部分の切り捨て)のサイクル」の母型でもある。

  • フロイトユングは無意識の向こう側に時空を超越して存在し続けてきた普遍的な象徴体系が存在すると夢想したが、ジャックデリダはこれに異議を唱える形で「(決して機械論的な因果関係や決定論には左右されない)機械状(Machinique)」の概念を提唱。

    *このサイトでは、ここでいう提唱している「機械状(Machinique)」の概念をオブジェクト指向プラミングや仏教における「縁起の世界」の概念と結びつけた。

  • アメリカの詩人ホイットマンフランス文学坂口安吾は「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なる行動主義を打ち出した。要するに行動の積み重ねは(パラダイムシフトなどを引き起こし、新たなカテゴライズを発生させる事で)思考の限界を超越する。

  • そして20世紀後半には次第に「自然現象の多くが科学的事実に従っている」なる認識が広まり、これに便乗する形でフラクタル理論やホログラム理論がもてはやされ、第二次AIブームが勃発。
    *ただしこうした科学主義(Scientism)的態度は1990年代に入るとあっけなく崩壊。第三次AIブームはむしろ「個々の数理の組み合わせから如何に有用なアルゴリズムを得るか」なる原点回帰によって達成される事になる。

上掲の書籍のコンセプトとこうした展開の関係は以下の記述から明らかです。

「社会秩序の起源」あとがき

本書の主タイトルは『社会秩序の起源』だが、これは私が大いに影響を受けたカウフマンの『秩序の起源―進化における自己組織性と選択』(Kauffman 1993)に示唆されている。カウフマンのこの本のタイトルは、ダーウィンの『種の起源』を意識したものだろう。ダーウィンが考える「起源」は、突然変異と自然淘汰である。だがランダム性から秩序がなりたつことは、不可能ではないが現実的ではない。それゆえに、高度のパタンが存在するなら、形態形成の力を考えるべきである、というのがカウフマンの『秩序の起源』の思想であり、本書の前提でもある。したがって『社会秩序の起源』の「起源」とは、モーフォジェネシスの力を意味している。

この考え方は、自然を受動的な機械ではなく形態形成的な場として理解するものであり、社会秩序、たとえば文化も広い意味における自然現象であると考えることになる。通常、われわれは自然と文化あるいは社会をまったく別のカテゴリーで考えており、文化を自然現象であると考えることはない。だがそのような考え方は単なる常識的な憶断にすぎない。文化は脳の産物である。脳の機能はすべて自然の秩序に従っているのであり、その産物である文化や社会も自然現象と考えるのが唯一の整合的な見方であるはずだ。別の表現をすれば、この広大な全宇宙がすべて自然であるのに、その中で人間とその文化だけが自然の秩序を免れているというのは、信じがたい自己中心主義だろう。複雑性科学からすれば、モーフォジェネシスという自然法則が文化も生み出したのだ、と考えられるだろう。

ランダム性から秩序がなりたつことは、不可能ではないが現実的ではない。それゆえに、高度のパタンが存在するなら、形態形成の力を考えるべきである」?「通常、われわれは自然と文化あるいは社会をまったく別のカテゴリーで考えており、文化を自然現象であると考えることはない。だがそのような考え方は単なる常識的な憶断にすぎない。文化は脳の産物である。脳の機能はすべて自然の秩序に従っているのであり、その産物である文化や社会も自然現象と考えるのが唯一の整合的な見方であるはずだ」?

形態形成形態形成(Morphogenesis:モーフォジェネシス) - Wikipedia

生物の形態が形成される過程。細胞の成長と分化と並ぶ、発生生物学の基礎的な三つの見方の一つに挙げられる。

  • 組織、器官、生物全体の形と様々に特殊化した細胞形式の配置に関連する事項を扱う。細胞の成長と分化は細胞培養やガン細胞でも起こりえるものであるが、そこでは普通の生物で見られる正常な形態形成は見られない。

  • 胚発生の期間においては、細胞の空間的配置の組織化が調節され、それによって組織、器官の特徴的な形態が、そして全体的な解剖学的形態が作られる。形態形成の研究は、その過程を理解しようとする試みである。

  • ヒトの胚では、胞胚の段階では殆ど同じ細胞の集まりであるが、原腸の形成後には組織と器官が構成される様になるが、これは遺伝的な「プログラム」によって調節され、さらに環境要因により変わり得るものである。

なおmorphogenesis(形態形成)という用語は胚の段階を持たない単細胞生物の発達や分類群での体の構造の進化に関しても使われる。形態形成の反応はおそらくホルモンによって、そして同様に他の生物により生産された物質から有毒化学物質に及ぶ環境的化学物質または汚染物質として放たれた放射性核種によって生物へ誘発されうる。

  • 最初期の、どの様に物理学的及び数学的な過程と束縛が生物学的な成長へ影響を及ぼすかの考察のいくつかがダーシー・トムソン(D'Arcy Wentworth Thompson)とアラン・チューリングAlan Turing)によって書かれている。それらの研究は化学的信号と、拡散、賦活、非活性化の様な物理化学的過程の存在を細胞と生物の成長において仮定していた。実際の生物に関する機構の完全なる理解をするにはDNAの発見と分子生物学と生化学の発展が必要であった。

  • 形態形成期においてとりわけ重要な分子がいくつかある。モルフォゲンは可溶性の分子であり、拡散して、細胞分化を濃度に応じて決定する信号を伝達する。通常は特定のタンパク質受容体への結合を通じて働くものである。

形態形成に関与する分子で重要なものは転写因子タンパク質であり、DNAとの相互作用によって細胞の運命を決定する。転写因子は主要調節遺伝子によってコード化され、他の遺伝子の転写を活性化したり不活性化したりする。こうして生じた二次的遺伝子は、制御カスケード内のさらに別の遺伝子の発現を調整することもある。

形態発生に関わる分子として、細胞接着を制御する分子も挙げられる。例えば、原腸胚形成期では、幹細胞の凝集塊が細胞間の接着を無効化して遊走性となり、胚内で新たな場所を占めて特定の細胞接着タンパク質を活性化し、新たに組織や器官を作る。

*そういえば1980年代は「カンブリア爆発期」を現代と重ねるのが流行した時代でもあったのである。少なくともそこには形態形成形態形成過程をダーウィンの進化論における「適者適存」「性選択」理論と整合させようという意思がはっきりと感じられた。

あらゆる情報の断片から全力で科学主義(Scientism)の匂いが漂ってきます。あるいは民族生物学(Ethnobiology)と呼ぶのが正解?

科学主義(Scientism) - Wikipedia

未読なのであえて論評自体は避けますが…日本における社会学研究って今一体どうなってるの?