諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

改めて「君の名は」とは何だったのか?① 「事象の地平線としての青春搾取ミュージカル」?

果てさて、自らの擁する悲壮な宿業を主人公に託して描き切りたい芸術至上主義者にとって「自分達の感性や存在の肯定にしか関心のない(逆にその条件さえ満たせば、後は結構自由にやらせてくれた」王侯貴族や聖職者達と「お気に入りのキャラクターのバッドエンドを決して許さない(飽きられるまで殺しても殺しても蘇らせ続けるしかない状況に追い込まれる)」大衆のどっちが残酷な主人なのでしょう…

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新海誠監督「ラストシーンは最初から決めていました。瀧と三葉の青春期はあの瞬間に終わり、その後はごく普通の男性と女性としての人生が始まるのだと思います」

ふと思い出したのが「欧州で最も危険な男」と呼ばれた「永遠の革命家オーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)の以下のスタンス。「革命とは青春であり、青春は永遠に勝利の栄光とは無縁な存在であり続ける。何故なら如何なる体制の転覆に成功しようとも、その瞬間から新たな反体制派への弾圧が始まるからだ」。19世紀フランスにおけるほとんどの革命に参加し、のべ33年余りに渡って収監され続けた本物のアウトサイダーだったからこそ到達し得た「事象の地平線としての絶対他者を巡って社会が繰り返す黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」についての卓見…
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まさしく「ロマン主義」と「ロマンティック」の狭間…
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  • この問題を最初に意識したのは、1980年代前半を席巻した「ハリウッド青春搾取ミュージカル」の先駆けともいえる青春映画「Times Square(1980年)」を鑑賞して以降。

    物語

    何かと問題を起こしては精神病院送りにされる反抗心の塊たるニッキーと、完璧主義者たる父親の統制化で繊細な心を病んでいたパメラが心療内科の病室で邂逅する。
    *社会的に成功したパメラの父親には、当初娘の苦悩が「高額の治療費さえ注ぎ込めば治療可能な難病=神が自分に与え賜もう新たな試練」としか感じられなかった。その意味ではこの物語は彼が「娘の自然」を受容するに至る成長物語でもある。


    二人は手を取り合う様に脱走を果たし、”スリーズ・シスターズ(がらくた姉妹)”と名乗り、パンク・ファッションに身を包んで自作の曲を歌い「高層ビルの屋上からテレビを落とすパフォーマンス」などによって若者達からカルト的人気を勝ち取る。その流れを後援したのは「面白いものなら何でも応援する」もう一人の主役、ディスクジョッキーのジョニー(『ロッキー・ホラー・ショー』のティム・カリー)だった。
    *時はまさに「金を産むものなら何でも歓迎する」商業至上主義が「カルト界の王子」デビッド・ボウイ、及び「エレファント・マン(The Elephant Man、1980年)」のデヴィッド・リンチ、「バットマン (Batman、1989年)」のティム・バートン、「スパイダーマン(Spider-Man、2002年)」のサム・ライミといったカルト映画監督などをメインストリームに引き上げ、マドンナやシンディ・ローパーの「フェミニズム路線」を応援した時代。だがこうした狂乱状態を商業側から統括しようとしたザック・スナイダー監督映画「エンジェルウォーズ(Sucker Punch、2011年)」は無残な失敗に終わる。 むしろ商業至上主義のこういう残酷な側面は「デス・レース2000年(Death Race 2000、1975年)」や「バトルランナー(The Running Man、1987年)」の方がきっちり描けていた?

    *日本においてはこうしたデス・ゲームの系譜は高見広春バトル・ロワイアルBATTLE ROYALE、1999年)」や川原礫ソードアート・オンラインSword Art Online、Web小説としての公開2002年〜2008年)」に継承され、スーザン・コリンズ「ハンガー・ゲーム(The Hunger Games、2008年2010年)」大ヒットという形で逆輸入を果たす展開を迎える。

    しかしながら今この瞬間を刹那的に生きるエネルギーに溢れたニッキーに、パメラは少しずつズレを感じ始め、最終的別離に至る。それはパメラは父親との和解を果たし、ニッキーは自分に熱狂する支持者達の懐に飛び込む形で為されたのだった…
    *まさに「事象の地平線としての絶対他者を巡って社会が繰り返す黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」そのもの…今から思えばある種(1950年代以降米国を席巻した)再版家父長制を「(父親に憎しみながら依存する神経症的な)息子側」から告発した「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)」に対するレクイエム的側面もあったのかも。

  • そして何故か当時の日本を席巻していたYMOのアルバム「BGM(1981年)」に収録された「Ballet」が、この映画「Times Square」のテーマそっくりで、しかもYMO「散解」ライブの熱狂をナチズムと重ねたプロモーション映画「プロパガンダ(A Y.M.O. FILM PROPAGANDA、1984年)」においてとんでもない形での映像化がなされる事になる。
    YMOはアルバム「BGM」の題名について「BGMとして聞き流せなかったら、恐ろしい真理の世界に覚醒して修羅の世界への転落を余儀なくされる」という意味を込めたと述べている。実際、ただ単に当時の流行に便乗して「Times Square」のテーマを採択したという感じでは全然なかった。

     

これは一体何なのか? そういえば日本においては2016年を席巻した「シン・ゴジラ」や「君の名は」はまとめて「ポスト東日本大震災映画」と呼ばれる事があります。以下の様な欧米文化史と照会するなら、そこに新たな意義が生じる事に?

  • 最初に「神の叡智の唯一性」に異議を唱えたのは「ユークリッド幾何学」に対する「ユークリッド幾何学」の如き「内的に無謬ながら既存知識体系とは全く異なる数理」の登場を予告したイベリア半島出身のアラビア哲学者イブン・ルシュド(Ibn rusd、ラテン語アヴェロエス (Averroes) 、1126年〜1198年)とされる。彼は優秀なアリストテレス文献の注釈者でもあったのでその発想は西欧に伝わり中世スコラ学を基礎付けたばかりかアヴェロエス主義(あるいは新アリストテレス主義)なる潮流を産み、最終的にはこれがイタリア・ルネサンス時代晩期のパドヴァ大学ボローニャ大学の解剖学部で勃興した「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを伴うので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突する。逆を言えば実践知識の累積が引き起こす如何なるパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なるイデオロギー勃興を経て「欧州科学実証主義成立=天動説の時代から地動説の時代への移行」を引き起こす。
    イブン=ルシュド/アヴェロエス
    パドヴァのアヴェロエス主義とアレクサンドロス主義 - オシテオサレテ

    コペルニクスの地動説を擁護したドミニコ会修道士ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年〜1600年)が火刑に処されたのは、彼が同時に「地動説にかこつけて教会の権威失墜を目論む革命家」でもあったから。むしろ科学実証主義はこうした過激思想に同調せず、当時の体制との衝突を回避して生き延びた英国の「驚嘆的博士(Doctor Mirabilis)」にして「帰納法の祖」たるロジャー・ベーコン(Roger Bacon、1214年〜1294年)、「それでも地球は回っている」発言で著名なパドヴァ大学教授ガリレオ・ガリレイGalileo Galilei、1564年〜1642年)や「法実証主義(legal positivism)の父」トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes、1588年〜1679年)」や「(幾何学と代数を同次元上で扱う)デカルト象限」の発明者ルネ・デカルト(René Descartes、1596年〜1650年)らによって準備される事になったのだった。

    人間が経験主義的方法論によって到達し得る限界」を乗り越える試みについて、これまでの投稿ではこんな具合にまとめてきた。

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    • 最初にデカルト象限が提言された時点では、その対象はこの空間における互換性が保証された幾何学と記号代数学くらいと考えられていた。

    • 人文分野からこれに風穴を開けたのがナポリ出身の「近代歴史哲学の創始者」ジャンバッティスタ・ヴィーコの主著「新しい学 Principi di scienza nuova(1725年)」。「数学が無から仮説を積み上げた結果である様に、歴史は無から人間の行為事業を積み上げたものである」という観点が年表のデカルト象限へのマッピングを可能としたのだった。
      *最近、中国古典の記述から地名と年代のセットを抽出し、これをソートする事で湖南地方に起こった中華文明が周代(紀元前1046年頃〜紀元前256年)、春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)、戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)を経て「秦の始皇帝による中華統一(紀元前221年)」に至るまでどの様にその活動の中心地を遷移させてきたかを明らかにしようとするプロジェクトがあった。様するにこういうのが「実証的人文科学」の原風景。

    • そして以降は「史料批判やアンケート技法といった)観測結果をどうプロッティングするかに関する技術」や「(標準分布と比較や評価次元検出などといった)こうした観測結果の集合体から有意味情報を引き出す(統計)技術」について研鑽が進行。次第に実証主義的人文科学の体裁が整っていく。
      *「白衣の天使」にして「ミス軍務省」のナイチンゲールなどの活躍によってそれが国家経営に不可分な技術という認識が確立したのも大きいとも。

    • これはある意味、詩集「草の葉(Leaves of Grass、1855年〜1892年)」で有名な米国詩人ホイットマン、および「堕落論」によって敗戦後の日本を風靡したフランス文学坂口安吾などが奉じたある種の行動主義、すなわち「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるイデオロギーの顕現。ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」の中で主張した「(進化は時間と死の積み上げによってのみ達成される。すなわち)文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、権力がこれを妨げる事が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」式の思考様式の実践面といえる。
      *ところでここで述べている様な(欧州の貴族的功利主義を起源とする)行動主義は、その性質上欧州博物学の伝統に沿って独特の科学主義の源泉となる事がある。英国の進化生物学者ドーキンス(Clinton Richard Dawkins, 1941年〜)の利己的遺伝子の様な形で…

    • ただしジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico, 1668年〜1744年)が切り拓いた実証科学的人文科学には「(歴史に実際の足跡を残してきた)人間の具体的足跡そのもの」ではなく「(「厳格な史料批判を経た歴史史料」といった形での)言語化あるいは数理化された当人もしくは第三者による観測結果」しかプロッティング出来ないという本質的問題点が存在した。

      ヴィトゲンシュタインが「事象の総体としての世界は(一切の矛盾を原則論的に全て外部に追いやる事に成功した)言語空間として存立している」なる前提に立脚する論理哲学の分野を構想したのも、この矛盾に対する処方箋の一環。この世界には(その相互関係が必要にして十分なだけ記述可能である限り)「ユークリッド幾何学」と「非ユークリッド幾何学」が共存しても別に構わないという立場。

      *その一方で実証主義人文科学は「各個人の様々な評価のN次元上へのプロッティングする」多変量解析なる新たな統計分野も開拓してきた。こうした意味空間方面での数理の発展があったからこそ数多くの心理検査が発明され「(人間の判断を模した)人間の様に振る舞う(第二世代までの)人工知能」が実現したのである。
      *しかしながら1990年代以降のいわゆる「第三世代人工知能」は別にこうした歴史の延長線上に現れた訳ではなく、ここにある種のコペルニクス的展開がある。要するに「人間を模すのではなく、目的を達成する為の純粋な形での数理を追求する方が遥かに成果を出しやすい」という事実が周知される様になったのである。とはいえ人類はまだまだこうした新たな展開に全然追いついているといえない。
      第二世代人工知能の亡霊がもたらす”AIの冬” - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

    ところでデカルト象限(N次元)概念の完成者ガウス(Carolus Fridericus Gauss、1777年〜1855年)も「数学は科学の王女であり、数論は数学の王女である」と述べている。上掲の様な「デカルト象限(N次元)に何をどうプロッッングするのが正しいか」なる疑問の数学版が整数論なのかもしれない?

    *しかし結局「天動説」の本丸、すなわち「慈悲深い神が監督する我々の「最善の可能世界(le meilleur des mondes possibles)」においてすべての出来事は最善である(悪は存在するにせよ、他のさまざまな善が存在するために必要なかぎりの悪である)」なる楽天主義に支えられた神義論(theodizee)そのものがその絶対権威性を喪失するのがリスボン地震(1755年11月1日)以降。これを契機に欧州中に「物(独Ding、英Thing)の世界(人類の認識上の限界)」と「物自体(独Ding an sich、英Thing-in-itself)の世界(その向こう側に広がる絶対他者の世界)」を峻別するカント哲学などがコンセンサスとして広まる事となる。

  • 最終的に「経済(国民からの徴税によって常備軍と宮廷の経営を支える中央主権的官僚制)は究極的には国王が戦争と浪費に興じる原資を稼ぎ出す為に存在する」なる結論に至った(コルベール派(英Mercantilism)や官房学(独Kameralwissenschaft)に代表される)絶対王政期の経済から「産業革命がもたらした大量生産・大量消費スタイルが消費の主体を王党派(王侯貴族や聖職者といった伝統的インテリ=ブルジョワ階層)から庶民(資本家や工場経営者といった新興産業階層とこれに雇用されるホワイトカラー(中間管理職やエンジニアや法律家)やブルーカラー(未熟練工や肉体労働者)、及び自営業者)に推移させた」近代経済への移行期。その間だけ時代の徒花として燃え盛ったロマン主義運動。なまじ「国王や教会の伝統的権威に対する永遠闘争」を宣言したが故に、資本主義経済の台頭が(それまで身分制社会の維持を正当化してきた)その絶対権威性の完全否定に成功すると対消滅の如く一緒に亡び去った。

    *「究極的には国王が戦争と浪費に興じる原資を稼ぎ出す為に存在する中央主権的官僚制」…大航海時代到来によってスペイン帝国が欧州に新大陸から略奪してきた金銀を無制限に流通させる様になると所謂「価格革命」が勃発。収入の固定されたランティエ(Rentier、王侯貴族や聖職者や領主といった地税生活者)の没落と商業や工業に従事する産業者(Industriels)の躍進が始まる。

    *日本でも江戸幕藩体制下で同様の経済構造の変革を経験していたからこそ明治維新後の版籍奉還(1969年)、廃藩置県と藩債処分(1871年)、秩禄処分(1876年)といった江戸幕藩体制の解体(及びフランス郡県制の如き中央集権体制)への移行がスムーズにいった側面がある。

    *皮肉にも「戦争や富裕層の贅沢が経済を回す」「(地税生活者の没落を招く)インフレ抑制の為、徴税によって国内経済を引き締める」といった絶対王政時代経済学の基本原理そのものは、後世においても有効であり続けている。例えば第二次大戦下の米国防省ウォルト・ディズニーを招いて戦争募金キャンペーンを大々的に繰り広げたのも、戦争特需がもたらしたインフレ加熱を抑制する為だった。
    重商主義 - Wikipedia


    *こうした絶対主義的経済体制から産業至上主義的経済体制への推移は、王侯貴族や聖職者といった伝統的インテリ=ブルジョワ階層のうち(次世代にも通用する本物の資産と人脈を保有する)本物の新興産業階層へのシフトを促する一方、そうした流れに加われなかった転落組の大衆への合流、およびそれに伴う大衆文化の大幅な底上げという現象を引き起こしたともされている。

    *日本においても「不平士族の反乱(1874年〜1877年)」の残党が自由民権運動流入し伝統的富農・富商層に合流していく流れが見られた。こうした流れの一環として「処女厨元祖」北村透谷や島崎藤村の日本浪漫主義は勃興している。

    北村透谷 処女の純潔を論ず (富山洞伏姫の一例の観察)
    北村透谷 厭世詩家と女性
    初恋 島崎藤村

    *ただし、こうした「底上げ」は(自らが滅ぼしたにも関わらず)伝統的インテリ階層に加わりたいと考えた新興ブルジョワ(成金)階層のスノビズムを反映して一時的後退を余儀なくもされている。フランスのポルノグラフィ(売春婦)論争にVictorian Code of Morality…そして「恋愛御法度」ルールゆえに日本の少女漫画界に革新をもたらしたスポ根ブーム…

  • その一方で当時における(ベル・エポックの栄光などに代表される)西欧での経済規模急拡大は(再版農奴制の因習性から未だ逃れられず健全な資本主義的発展とは無縁の状態にあった)東欧やオスマン帝国ロシア帝国との経済格差を絶望的なまでに押し広げ第一次世界大戦(1914年〜1918年)勃発の遠因の一つとなった。そしてこの惨禍がもたらした1970年代までの欧州低調がアメリカやソ連や日本といった「欧州周辺文明」に台頭を許す事になる。その間に「世界の金融センター」の地位はロンドンからニューヨークへと推移。さらに米国経済の中心が東海岸から西海岸へと推移。

    船戸与一「神話の果て(1985年)」

    アメリカ合衆国の政治を左右するのは民主党でも共和党でもない。大統領がどっちの党から選ばれるかなどほとんど重要ではない。問題はどっちの地域から選ばれるなのだ。

    第35代大統領J.F.ケネディ(任期1961年~1963年)が暗殺されてからワン・ポイント・リリーフのG.フォード(任期1974年~1977年)を除いてL.ジョンソン(任期11963年~1969年)、R.ニクソン(任期1969年~1974年)、J.カーター(任期1 1977年~1981年)、R.レーガン(任期1981年~1989年)と全て南部諸州から選出されている。

    アメリカ合衆国を建国以来支配してきたのはシカゴからボストン、ニューヨークに到る東部エスタブリッシュメントだったが、今やそれは南部諸州にとって替わられた。政治、経済、文化を含めた壮大な権力移動(Power shift)が完了したのだ。南カリフォルニアからテキサスを経てノースカロライナに到る南部諸州を支えているのは農事産業、軍事産業、電子技術産業、石油・天然ガス産業、不動産・建設産業、観光・レジャー産業で、これらは六本の柱(Six pillars)と呼ばれている。
    *「六本の柱(Six pillars)」…ギリシア語の「プロナオス(pronaos、寺院正面) )」を起源とするポルチコ(イタリア語:Portico)様式玄関が起源。そのうち6柱式は古典ギリシャ時代の紀元前600年〜550年頃からペリクレス時代(紀元前450年〜430年)の間に正統派ドーリア様式として定着し、ギリシア諸都市の南イタリア植民を契機としてエトルリア人にまで広まり、古代ローマに継承され、ボンベイ再発見(1748年)を契機として広まった新古典主義建築の影響でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンやアメリカ合衆国議会議事堂の正面玄関に採用された。最近はあまりこれを南部諸州の「六柱」とする表現は見ない。

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    1. その後アメリカ大統領はテキサス州出身のG・H・W・ブッシュ(1989年〜1993年)、アーカンソー州出身のビル・クリントン(1993年〜2001年)、同じくテキサス州出身のG・W・ブッシュ(2001年〜2009年)と南部諸種出身者がが続いてきたが、最近ハワイ出身で東部イリノイ州上院魏委を経たバラク・オバマ大統領(2009年〜)が就任し、このパターンが崩れた。実際ブッシュ大統領の賛成派と反対派の論争には確かに「東部エスタブリッシュメント VS 南部諸種」の代理戦争みたいな側面も見受けられる。

    2. ケチャップをたっぷりかけたポテトフライやトマトソースを乗せたピザをヘルシーな野菜と言い切る農政の横暴」とか「国を貧しくしてまで続けてきた戦争で儲けたのは軍事産業だけ」とか「製造と組み立てを外国にアウトソーシングする様になった電子技術産業」とか「サウジアラビア王家と癒着しつつイスラム過激派の資金源となっているラディン・グループと親しいブッシュ一族」などについてアメリカ国内からすら批判される様になったのも南部諸州弱体化のせいかも。そういえばハリウッド映画もクリエイティブ面ではオーストラリア勢やヨーロッパ勢の力を借りる機会が増えた。

    3. ニューヨーク起源のFacebookが西海岸に移転してきたのを記念して「The Social Network(2010年)」なんて映画を撮っちゃう辺りにも劣等感すら感じる。その一方で若者層はニューヨークに残ったTumblrに奪われちゃうんだから世話はない。その結果最近は「南部諸州文化はダサい」がトレンドに? 映画「The Great Gatsby(2013年)」も舞台はニューヨークだった。
      *でもPizzaはイタリア料理で「鰻を食う文化」を温存してきたのもニューヨークのイタリア系。彼らはどちら側にもいる。

    そういえば一昔前までパニック映画といえばロサンゼルスばかり襲われてたけど、最近はニューヨークばかり襲われてる気がする。

  • その一方で第一次世界大戦の残禍は「語りえないことについては、沈黙するほかない(Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.)」と宣言し形而上学の可能性を否定したウィトゲンシュタインの「論理哲学論考(独Logisch-Philosophische Abhandlung、英Tractatus Logico-philosophicus、執筆1918年、初版1921年)」や「(カント哲学などによって示された)直感でしか到達し得ない世界の事象は、現実世界においては主観的誤謬と区別不可能な形でしか顕現し得ない」なる諦観に立脚するエンルスト・ユンガーの魔術的リアリズム文学の様な新機軸開拓に成功する。

実は宇野常寛母性のディストピア」を読んで、そこにこうした考察がすっぽり抜け落ちてるのが気になったのです。 そもそもの躓きは反米意識に凝り固まるあまり「1980年代前半の日本文化がどれほど当時ハリウッドが量産した青春搾取ミュージカルの強い影響下にあったか」完全黙殺を決め込んだ辺りから?
*当時のハリウッド製青春搾取ミュージカルで繰り返された「退屈から死の誘惑に魅了され勝ちな田舎のブルジョワ娘の前に都会のプロレタリアート青年が現れる」構図…「君の名」にも採用されたこの物語文法、日本においてはおそらくそれ以前まで遡れない。何故なら「伊勢物語」の時代からこのかた「故あって都落ちした貴種が田舎者と結ばれる物語」の方が人気だったから。というよりアメリカにおいてすらこの構図がもてはやされる様になったのは「経済の中心が東海岸から西海岸に移行した」影響で、しかも最初の祖型は(Times Squareがある)ニューヨーク発だったという…その一方、作品の舞台に選ばれたのは何故か「保守的で時代遅れな」シカゴが中心…

*そしてもちろん大映ドラマの存在を忘れてはならない。

フェミニストが脚本監修を手掛けた「マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road、2015年)」は、あえてこの「田舎娘が都会からの流れ者に精神的に依存する構図」を雛形に採用しながら、完全なる換骨奪胎に成功していたのが見事でした。

一方「君の名は」の方は、祖型こそ(おそらくは五十嵐大介海獣の子供(2006年〜2011年)」の影響を受けて)「(20世紀を生きた)母二葉と(21世紀を生きた)娘三葉の二世代物語」として成立したものの、高度なトリミング技術によって後者だけが残された印象。

宇野常寛「母性のディストピア」がこうした分析に足を踏み込めないのは、まさにこうした当時の状況を「自ら記憶からトリミングしてしまった結果」とも。