自衛隊日報が面白くて文学だという声と、あれは過大なストレスの重圧を示すものだという声がありますが、優秀な人間をひどい境遇に置くのがいちばん効率的な文学の生産方法なので…
— ななよう (@nanayoh) 2018年4月18日
このTweetを読んでとっさに脳裏に浮かんだのが以下の3人。共通点は、その全員が第一次世界大戦(1914年〜1918年)に従軍し、悲惨な塹壕戦を経験しているという事。
- 前期には「論理哲学論考(独Logisch-Philosophische Abhandlung、英Tractatus Logico-philosophicus、執筆1918年、初版1921年)」の中で「語りえないことについては、沈黙するほかない(Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.)」と宣言し、後期には死後出版された「哲学探究(Philosophische Untersuchungen、1953年)」の中で「言語ゲーム(Sprachspiel)」の可能性を追求したルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン( Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年〜1951年)。
- 「カント哲学でいう物自体(ギリシャ語Noumenon(考えられたもの)、独Ding an sich、英: Thing-in-itself)は主観的誤謬と区別がつかない領域においてしか体験し得ない(何らかの証拠として採用する事は不可能)」、「戦争なる絶対他者こそが人類を発展させてきた」とするエンルスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895年〜1998年)の魔術的リアリズム文学。
- 第二次世界大戦(1939年〜1945年)前夜からその最中にかけて黙々と当時の世相を覆う実存不安との対峙を描き続けたウォルト・ディズニー(Walt Disney, 1901年〜1966年)のアニメーション。
その一方で第二次世界大戦後、旧世代価値観の代表者としてマルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年〜1976年)は、「集-立(Gestell=ゲシュテル)システム(特定目的の為に手持ちリソース全てを動員し様とする総動員体制)」を嫌悪し、「真理(Aletheia、自然状態では自ずと露わになる「あらゆるイメージの源」)」への到達を渇望する立場から、科学や技術や資本主義の集立性について反駁を試みました。現代社会における「反近代主義」や「反資本主義」の大源流の一つ。
*同種の議論は既に第一次世界大戦集結段階においてアヴァンゲール(avant-guerre=戦前派)とアプレゲール(après-guerre=戦後派)の対峙として存在した。「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(Fantastic Beasts and Where to Find Them、2016年)」や「ワンダーウーマン(Wonder Woman、2017年)」といった映画にはこれを扱った作品という側面が存在する。共通するのは独特の「失楽園(Paradise Lost)」感…
現代科学は、こうした試練も経ながら新たなる世界観を獲得してきた?
語り得ることを語り尽くすことで語り得ぬことの輪郭を浮彫りにすることこそが、科学の本懐だと考えている。そして標準的量子力学の一部分は既にその輪郭にタッチしている。観測者である自分の意識の存在は、科学としては語り得ぬことであり、導かれるものではなく公理として扱われるべきものだからだ。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2018年4月19日
語り得ることと語り得ぬことの境界に触れている量子力学のこのあたりの側面は、いわゆる多世界解釈の批判からも浮き彫りになる。例えば以下のブログ記事も参考になるとおもう。https://t.co/WoW0xfqS9E
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2018年4月19日
AIは自立した意識を獲得し得るのか。また人間もAIと延長線の存在に過ぎないのか。この問いの重要な部分は、確実に物理学が担うべきものだ。若い人達の今後の活躍に期待している部分でもある。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2018年4月19日
こういう側面において人類史上、最も重要な発明は「コンピューター」だったとも。
- そもそも世界宗教が成立し得たのは、いかなる宗教も「観想(自己の心情についての真の姿をとらえようと、心を鎮め深く思い入る行為)」を共通要素を持ち合わせていたからと考えられている。
*ユダヤ教でいうとカバラー(ユダヤ教神秘主義)やハシディズム(超正統派)、仏教でいうと禅や密教、イスラム教においてはスーフィズム(イスラム神秘主義)に該当。キリスト教においては修道士の修行要件に内包されてきた。
- ある意味一貫して根底に存在し続けたのは、新プラトン主義の流出論に起源を有する「神の叡智そのものは無謬だが、流出の過程で誤謬が蓄積して、最後には絶対矛盾まで現出する」なる思考様式。あるいは操作者が「操作されるもの(コンピューター・アーキテクチャーでいうところの「CPUあるいはOSカーネル」)」に対する「特定の働きかけ(コンピューター・アーキテクチャーでいうところの「コンピューター言語」)」によって「世界そのもの(コンピューター・アーキテクチャーでいうところの「任意の接続デバイス」)」に介入するという言語神秘主義的世界観。
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「コンピューターの発明」は、ここでいう「後期ヴィントゲンシュタインいうところの"語り得ないものについては沈黙する"言語ゲーム(Sprachspiel)」や「言語神秘主義的アーキテクチャー」を実践可能とする事で実証主義科学の対象とした。何たるコペルニクス的展開。今や「語り得ぬもの」はコンピューター側から見た場合の「モニターとキーボードやマウスやテッチパネルの向こう側」すなわち操作者の側の領域に放逐されてしまったのである。
*「実証主義科学の対象」…カール・ポパー(Sir Karl Raimund Popper、1902年〜1994年)の反証主義(Falsificationism)によれば①ある理論・仮説が科学的であるか否かの基準として反証可能性を選択した上で②反証可能性を持つ仮説のみが科学的な仮説であり、かつ③厳しい反証テストを耐え抜いた仮説ほど信頼性(強度)が高いとする考え方。
かくして21世紀には科学と文学がさらなる接近を果たす展開を迎える?