諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【暴力論】権力(フォルス)の実態は「党争至上主義」?

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ここで興味深いのが同時期、科学者としてはライバル関係にあった(今日なお「どちらが先に酸素を発見したか」について議論がある)英国の ジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley, 1733年~1804年)も祖国で迫害に遭ってる辺り。

ところで最近、若かりし頃の乱読期に一通り目を通しただけのジョルジュ・ソレル(Georges Sorel、1847年〜1922年)「暴力論Réflexions sur la violence、1908年)」を読み返しているのですが、世に喧伝されてる姿とあまりに乖離してるのに驚いています。

  • 実は当人は数学が得意な家系に生まれ、エコール・ポリテクニークを卒業し、退職まできっちりフランス政府の技監(社会インフラたる橋梁建設担当者)を勤め上げたガチガチのサン=シモン主義政策の申し子だった。それに救われた新興産業階層(プチブル)の一員として、可能な限り報恩義務を果たしてきたのである。プチブルとはいえ気位は高く、労働階層出身の内縁の妻とは「身分差」を理由に生涯結婚しなかったくらいだった。

    *「プチブルとはいえ気位は高く、労働階層出身の内縁の妻とは身分差を理由に生涯結婚しなかったくらいだった」…おそらくこのガチガチの身分意識抜きに同時代を席巻した「ポルノグラフィ(売春芸術)排斥運動」は読み解けない。

  • 実は20世紀後半欧州における科学万能主義や社会ダーウィニズムの横行こそサン=シモン主義の終着地点だった事について、状況証拠なら幾らだって揃っている。当時の記録に直接その事への言及がなく、そのニュアンスが後世に正確に伝わらなかったのはある種の言語統制と社会全体の自粛ムードのせい。

    完全コンピューター統制化の主権国家もしくは世界帝国」なるイメージはジュール・ヴェルヌ二十世紀のパリParis au XXe siècle、1861年)」辺りを初出とする。しかし時はまさに「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン三世の主導下、フランスへの産業革命導入が着々と進んでいた 時期であり、出版社はこれを「暗く荒唐無稽な作品」として出版しなかった。
    *特に当時の世相を反映してるのは「生まれつきの資質の測定結果によって(コンピューターが)送るべき生涯を勝手に決めてしまう」「(コンピューターの計算対象に出来ない)文学や哲学や宗教はすっかり衰退している」という辺り。 

    *その息苦しさに耐えかねて少なからぬ人数のインテリがオカルティズムに没入した様に、ソレルは「外国人預言者カール・マルクスの思想に惹かれ「自分だけがそれを正確に読み解ける」という核心に到達したのだった。正直、どちらも若者の発想ではない。そして実際ソレルも既に若いといえる年ではなかったのである。

  • ところで自らもフランス革命の暴走と破壊を直接体験したサン=シモンは、生涯に渡って(それが旧制度破壊に必要だった事までは認めつつも)当時に後世につながる価値創造があった事だけは決して認めなかった。ところが最終的にフランスを寡占支配下に置いた「権力に到達したブルジョワジーbougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」と呼ばれるインテリ=ブルジョワ=エリート階層は「(当時はむしろ一方的に大量虐殺された立場であったにも関わらず我々こそがフランス革命だった」と称する様になったばかりか、一番偉かったのはロベスピエールかマラーかといった些事を巡って激しい党争を繰り広げる様になったのだった。
    *要するに「俺がガンダムだ!!」を(そのガンダムに負け続けた)シャアの側が口にしたばかりは、以降は「最強のガンダムはどれか?」という話にしか耳を傾けなくなった様なもの。しかもその戦い方も「史料の破壊と改竄合戦」というえげつないものだったという。

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    *かくして「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン三世など単なる引き篭もりで何ら後世に実績を残さなかった事にされてしまう。これまで(同様の主張を繰り返してきた)カール・マルクスの影響と思ってきたが、歴史のその時点でマルクス主義はフランスに浸透していないから、完全なる並列的独自判断だった事になる。

  • 皮肉にもソレルが、かかるインテリ=ブルジョワ=エリート階層の党争至上主義に完全に愛想を尽かしたのは(今日では完全なる人道的勝利として語り継がれているドレフュス事件Affaire Dreyfus、1894年)への関与を通じてだったという。確かに最終的に当時フランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕されたのは冤罪と証明されたが、その過程でインテリ=ブルジョワ=エリート階層の論客達は「党争に勝利する為には手段を選ばないヒャッハーな政痴」たる実態を次々と暴露していった様にソレルの目には映ったのだった。
    ドレフュス事件(Affaire Dreyfus、1894年) - Wikipedia

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    *そういえば1898年にドレフュス大尉を弁護する「我弾劾す("J'accuse")」に始まる公開状を「オーロール」誌に寄稿して再審を決定付けた(1906年に無罪確定。ちなみに当人は罪に問われ英国への一年の亡命を余儀なくされている)エミール・ゾラ(Émile François Zola1840年〜1902年)は、以降政治活動に没入するあまり断筆を余儀なくされ、1902年パリの自宅で一酸化炭素中毒の為に死亡した際にも反対派による暗殺説が流れている。
    エミール・ゾラ(Émile François Zola、1840年〜1902年) - Wikipedia

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    *要するにこの事件で証拠の改竄や偽造、偽証言などを積み重ねて社会的権威を大いに失墜させたのが軍部側だけではなかった様なのである。その事がユダヤ人の間に「こんな連中に大切な命は預けられない」なる不信感を生み出し、かかる不信感の芽生えが後のイスラエル建国へとつながったとも。不幸にも彼らの予感は当たってしまった。フランスがナチス占領下に入るとユダヤ人は容赦無く彼らに引き渡されていったのである。まさしくCheese-eating surrender monkeysの二つ名に恥じない働き…

  • こうした「フランス人の現実」に鑑みた結果、ソレルは一つの結論に達する。①そもそもジャコバン派の恐怖政治に至るフランス革命の過程、及びそれがもたらした展開全てが現実に現実的に展開した結果というより同様の「党争に勝利する為には手段を選ばないヒャッハーな政痴」達の殴り合いに国民や外国が巻き込まれただけである。②そして今日フランス国民が継承すべきはむしろかかる権力(フォルス)の暴走にリヨンやトゥーロンで片っ端から霞玉で挽肉にされ、ヴァンテで「見つけ次第、妊婦の腹を裂き赤子を竃に放り込んで民族浄化を達成しようとした」地獄部隊 (Colonnes infernales)に蹂躙されながら徹底抵抗(ヴィヨランス)を続けた王党派の信念といえる。③かかる信念はおそらく(対話を通じて更新される可能性を秘めた)理論というより(一切の対話を拒む)神話の形態を採る。
    *もしかしたらレーニン民主集中制にも影響を与えている?

    *当時急進共和派が王党派をどうしても倒せなかったのは後者の数が(殺されても殺されても一向に数が減らない)圧倒的多数だったからであり、その差は(それまで急進的政策の最大支持層だった)サン=キュロット(浮浪小作人)階層が従軍の恩寵で自作農化して報恩精神からボナパリストに変貌して離脱してしまうとさらに広がってしまったのだった。

日本のリベラル階層の間ではしばしば「ソレルはあらゆる権力への抵抗を絶対正義と認めた」と言い伝えられていり「ヒトラー安倍とナチス自民党を地上から駆逐しない限り世界に平和は訪れない」なる言い伝えと合わせ強力な「神話」を構成しています。

*最近流行の「見た目上一切関係なく、実際に両者を結びつける証拠が一切出てこない状態こそが情報統制の徹底してる動かぬ証拠。だからこそ、絶対に許すな」論。この観点からすれば「新潮45の真の黒幕はヒトラー安倍とナチス自民党なのだから、新潮45廃刊が安倍辞任と自民党解散につながらないのを全日本国民は絶対に許さない」となる。 

そう、これこそがまさにソレルいうところの「神話」であり、それを金科玉条の様に守り続けている限り決して敗北は存在しないのです。唯一の欠陥は「現実問題に対処する能力が一切備わってない」辺りで、実際王党派は選挙の都度組織票で圧勝するのですが「何もしない」あるいは「些事に拘泥して党争に明け暮れる」以外の政治的選択肢を備えていないので「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン三世に政権を奪われてしまったのですね。

その一方で「党争に勝利する為には手段を選ばないヒャッハーな政痴」達は党争に勝利する事しか眼中にないのでラヴォアジェは処刑され、プリーストリーも国外逃亡を余儀なくされる展開を迎えたという次第…