諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】「ホビー数学」なる概念について。

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最近「ホビー数学なるジャンルは本当に存在し得ないのだろうか?」などと本気で考えたりしています。数学初学者として浅瀬でパシャパシャ遊んでると本当に楽しいんですよ。特に時々、波間に最初は愁傷に「なかまに なりたそうに こちらをみている認識可能範囲の外側を跋扈する絶対他者が現れ、次第に大胆に迫る様になって来て、遂には「私がお前の父親だ!!」と宣言してダークサイトに引き摺り込もうとする展開とかが。かといって数学初学者が出会す程度の絶対他者が本物の新発見である可能性なんて皆無に等しく、必死になって調べるうちに次第に全貌が明らかになってくる(現れた認識可能範囲外から現れた絶対他者が絶対他者出なくなっていく)サスペンス展開とかが。おや、ここでジャングル不等式は成立してるのか、してないのか…その辺の曖昧さも魅力の一つという…

  • 例えば長い事、視野の端をデルタ関数がチラつき続けている。こういうのは概ね死兆星みたいに「視えた時点で負け確定」なのだが、幸いまだ現時点でこれなしには解けない問題に取り組んでおらず、それほどの脅威とはなっていない。
  • この全体構造、何かに近いと思ったらスウェーデン出身のイングマール・ベルイマン監督映画第七の封印スウェーデン語: Det sjunde inseglet、英語: The Seventh Seal, 1957年)である。大昔、何かの特別企画で1回観た事があるだけで、内容もほとんど忘れてしまったが、雰囲気が大好きな映画の一つ。

    思えば私がこのスウェーデン音楽のMVに惹かれたのも、根は同じ…

  • そういえばこの映画で主人公の騎士にまとわりつく「死神」と、大今良時が現在連載してる漫画「不滅のあなたへ(2016年~)」で主人公フシにまとわりつく「観察者」の雰囲気が似ていると感じた。

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    そもそもこの映画の内容自体殆ど覚えていないのでどこまで正鵠を得ているか怪しい限りだが、私のイメージが正しければ多くの要素が対比関係になってるのが気になる。例えば「第七の封印」の死神は遍歴する主人公に同行しつつ究極的にはその魂を狙っており、一方主人公はせめて通りすがりの人々は助け様とする。それに対し「不滅のあなたへ」の観察者は主人公の生みの親でもあり、究極的には主人公の遍歴を通じて(そのままだとただ死して消え去る定めの)通りすがりの人々の魂を集めている。ならば「不滅のあなたへ」において観察者の対立存在として現れる「(身体を備えず、従って生きている実感もなく、生けとし生きる者全てを自分の側に引き摺り込もうとする)ノッカー」とは一体何者なのか?
    *そういえばスティーヴン・キング「トミーノッカーズ(The Tommyknockers, 1987年)」の「ノッカー 」でもある?

    物語はまさにこの辺りの謎を中心に展開していく。群論(Group Theory)的に両者が正元(Regular Element)と逆元(Inverse Element)の関係にあるとしたら、単位元(Identity Element)は一体どの辺りに設定されるのだろう? そして、もしかしたら両者は世界卵(World Egg)時間線において前者が未来方向へのベクトル、後者が過去方向へのベクトルと位置付けられるのかもしれない?

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とはいえこういう感情を共有可能なコミュニティというのが中々イメージ出来なくて…

「夢見る数学者日記」2013年1月13日(日)

最初の2年間は情報工学科で「まあ、こんなものかな」という感じだったが、 それから情報学科に改組されてからの6年間がキツくて「こんな所に居たら 潰される!」と思って、あちこちの大学教員採用の公募に応募したけど、 全部蹴られた。あちこちと言っても、当時俺サマがやっていた分野では そんなにポストがあるわけでもないので、応募したのは高々数回程度だけど。 それでもう「座して死を待つのみか」と思ってたら、奇跡的に数理科学科に 移籍できた。

数理科学科は、同じ大学でも情報学科とは全く文化の違うところ。 情報学科の時は「お前なんか計算機屋じゃない(あくまで彼らが 言う意味での”計算機屋”だけど)」)といって袋叩きの目にあったが、 数理科学科に移籍して最初の数年間は「お前なんか数学者じゃない」と いって何かと苛められていた。まあ、学際分野をやっていると往々にして そういう目に会いますな。

じゃあ、お前ら、俺サマが数学者になればイジメないんだな」と思って、頑張って数学者と認められるところまでこぎつけた。それで落ち着いてあたりを見回したら、今度は数学者のイヤラシイ部分が色々目につくようになり「あんなんと一緒にされたくない」ということで、 数学者呼ばわりされると、内心ちょっとむっとするようになった。

そんな調子だから、同じ職場で20年と言っても、退屈する暇は全然無かったわけで、半年間の京大数理研長期研究員、さらには 半年間のドイツ滞在も3回ほど行かせてもらって、 おおいに気分転換や学問上の飛躍もできたし、その意味では 「いろいろあったけど幸福な20年間だった」と総括しておこう。

 ネットで検索すると、こういう生々しい逸話まで出て来てしまう訳で。

ちなみに「ティンダロスの猟犬」問題に本格的に悩まされていた時期、同時に頭を抱えていた「45度問題」自体については、大分目処が立ちました。

要するに複素数表現(Complex Representation)などで共役/共軛(Conjugation)と呼ばれる現象と深い関係があったのです。背後で踊るは素数2^n族という基本構造…

詳しい話は以下続報とさせて頂きますが、2018年末に「数理を再勉強する」と宣言してからの全遍歴が記録に残っており、過去に一度でも疑問に感じた事から一切逃げられないのも面白さの一つという話…