今だからこそ打ち明けられるのですが、以下の数理(Mathematical Things)と最初に邂逅した時には、なす術もなくたじろいで逃げ、ただひたすら忘れ去る事しか出来なかったものです。攻略再開が可能となったのは、たまたまブログの下書きに当時のメモが残っていたから。
なので、以下の投稿も、そういう形での「未来の自分」に向けたメッセージ。何しろ負けた…久しぶりに本格的に大敗を喫しました…
【2020年11月の退き口】「怪物」を数学する?
正規分布(Normal Distribution)概念の根底にある中心極限定理(CLT=Central Limit Theorem)をガウスはこう解釈した。
- 小さな誤差ほど比較的観測され易い。
- 大きな誤差ほど比較的観測され難い。
- 従って、一定以上の誤差を切り捨てる事によって観測精度(Observation Accuracy)を確定する事が出来る。
その具体的表現(Expression=数式化)が誤差関数(ELF=Error Function)と相補誤差関数 (ELFC=Complementary Error Function)となる。
ところで人間が超自然的脅威(Super Natural Menace)に対して抱く先入観もこの認識(Recognition)の制約下にあったりするのです。
①サイズ(Size)…人間界に紛れるタイプは人間サイズ(Human)か、紛れやすい小型(Lilliputian)。逆に最初から人の目に触れ難い場所に孤立して潜んでるタイプは巨人(Giant)とイメージされる事が多いが、人間同様社会生活を営んでるタイプは人間サイズ(Human)とイメージされる事もある。海中や地中や宇宙の様なサイズ制約が少ない地域には、さらに超巨大(Huge)な存在が潜み得る。また微小方向にはさらに昆虫(Insect)や肉眼では観測不可能な微生物(Microbe)や病原体(Pathogen)のサイズも存在する。
- 英語の「小人」表現はしばしばファンタジー文学由来(elf/elvesやdwarf/dwarvesやmunchkin)だったり解剖学由来(dowarfやmidget)だったり蔑称由来(pygmyやshorty)だったりする。どれも特定のイメージを引き摺っていて使い難いので、ここでは「ガリバー旅行記」由来のLilliputian(「小人の国」の住人)を採用。
②生息域(Habitat)…概ね制海権(Sea Control)と制空権(Air Control)と制宙権(Space Control)を樹立した上で地表上に展開する人界(Humanhabitat)を基準に、それ自体かその外側たる「地平線や水平線の向こう側(Overhorizon)」や「外宇宙(Outerspace)」や完全制服が難しい「地底や海底(Underground)」に潜む。
- 平原(Plain)よりは山岳地帯(Mountainous)や湿地帯(Wetland=淡水や海水によって冠水する、あるいは定期的に覆われる低地)、それよりは高山(Alpine)や孤島(Island)、さらには上空(Sky)や北極(Arctic)や南極(Antarctic)や成層圏外(Outside the Stratosphere)の方が人界(Humanhabitat)からの物理的距離が遠く感じられる。要するにそれ。
③脅威度(Menace)…とりあえず建造物などが破壊され犠牲者が出る襲来(Storming)と(しばしばその結果が死をもたらす)感染(Iinfection)の合算(Product=積)と考え、とりあえずその有無と程度で分類する。
- 英語の「Storm(嵐)」は動詞化したり形容詞化して用いる場合は、何らかの形での「嵐の様な激しさの顕現」を意味する。
- 吸血鬼や狼男の様な人界に潜むタイプの脅威は、さらに脅威感を煽る設定として感染力も備えている事が多いが、必然的にリチャード・マシスンのSF小説「I Am Legend(1954年)」や藤子・F・不二雄「流血鬼(1978年)」が提示した様に「全員がそれになってしまったら脅威としては消失するのでは?」なる疑問が付帯し、そこから「人類全員が感染したら人類滅亡と見做す」ゾンビ化世界終末(Zombie Apocalypse)イメージが派生した。また逆にむしろこれをある種の「進化」の比喩に採用したアーサー・C・クラーク「幼年期の終り(Childhood's End,1952年)」やグレッグ・ベア「ブラッド・ミュージック (Blood Music, 1985年)」の様な作品群も存在。
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原則として巨大怪獣は襲来するだけで感染能力は有さないが、ゴジラの様に現れた地域を放射能で汚染するケースも存在する。さらに「GODZILLA 怪獣惑星(2017年~2013年)」においては、地球に残留した全ての生態系がゴジラ細胞に感染。
予想通り「脅威度(Menace)」にまつわる概念は複雑過ぎて到底今の私の手に余る(当面の間「遊泳禁止地域」に設定する)。一方「サイズ(Size)」概念や「生息域(Habitat)」概念の背後には人間中心主義(Humanism)に立脚する人類普遍的なある種の心理距離体系が透けて見えるし、どうやらそれは誤差関数(ERF)といった数理の適用範囲内そうなのである。もしその一端でもこの手で切り取る事が出来れば…(手記はここで途絶えている)
手記はここで途絶えている!!
【2020年11月の退き口】未来の自分宛てメモ
「おや、あの手はなんだ、窓に!! 窓に!!」と書き残す間もありませんでした。
①出発点は以下の過去投稿。
車道と鉄道と汽船の交通網が世界の大半を覆う様になってから、世界と隔絶したユートピア世界が人里離れた山脈や孤島に発見される確率は極端に激減する事になった。レーダーでも人工衛星でも捕捉不可能なバリアー機能を備えた、(ワンダーウーマンの故郷)セミッシラ島や(キングコングの故郷)髑髏島や(ブラックパンサーの本拠地)ワカンダの様な、ごく一部の例外を除いて。そして併せて文明レベルの対称性(人類の同レベルの知性と邂逅する可能性)も失われていく。
- かくしてパルプマガジン全盛期(1920年代~1930年代)に発祥した「宇宙的恐怖(Cosmic Horror)」ジャンルではインスマンス人の故郷ルルイエが海溝の奥に位置し、深きものども(Deep Ones)の遺跡が南極で発見され、さらにその残党の一部はヒマラヤ山中に潜むとされた。そしてティンダロスの猟犬が異次元の向こう側から襲い掛かり、古きものども(Old Ones)は宇宙の彼方から飛来する。文明レベルの対称性を維持しようとする最後の努力…
穴居人伝説に至ってはもう…
- 吸血鬼や狼男が「人跡未踏の森林地帯」を喪失して以降、人界に紛れて潜む様になる一方で「異世界は異次元の彼方にある」なるコンセンサスが広まり「(夢を通じてしか辿り着けない)幻夢境カダス」の様な場所への「往復方法」の重要性が急増。
- ダンセイニ卿の様に創作神話に励む人物も現れたが、これに熱狂した当時の心理は当時の「創作文学の役割は神話の欠損分を補う事である」とした19世紀的歴史ロマンティズムや19世紀ポルノ論争に垣間見られる「神話や聖書挿話に擬えられていないエロティズムは売春婦文学/芸術」なる激烈な二分論を踏まえてないとちゃんとした形では味わえない。
かくして大航海時代と産業革命の時代を経て人間が「既知世界の何処にも存在しない場所」を想像するのは大変困難になっていったのだった。
②最近私が展開してきた以下の考え方との親和性が見えてきました。
- 「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」の潜む空間を、とりあえず「原始座標系=時間や距離や角度の概念が存在し得ないN次元空間」と置く。我々の座標の取り方によってそれは点(線の両端)/円弧/球面と映る。
- 原始座標系はある意味仏教でいうところの「縁起の世界」すなわち全ての要素が複雑に絡み合って個別に扱えない状態にあり、これに立脚する限り粗雑な代数構造しか扱えない。逆をいえば、それから完全に切り離して考えられる数値(Data)や数理(Mathematical Things)にのみ立脚した世界観を構築していこうとする実証科学的態度は哲学上、ある種の「解脱を求道する精神」と置かれる事になる。
③しかしながら、こうした問題をオブジェクト指向プログラミングの概念を導入によって整理しようとした途端、いきなり「奴等(The Things)」すなわち上掲の表現だと「原始座標系にしか棲めない粗雑な代数構造体」の猛反撃が始まってしまったのです(同じ事を試みた人のほとんどが同じ目に逢うと思われる)…何と奴らは他のどこでもない、私自身の頭の中に巣食っていたのでした!!
とはいえ何の成果もなく退却した訳でもなく、以下が見えてきたのです。
- まだまだ自分には距離概念(Distance Concept)を扱う数理が致命的に欠けている。再勉強して出直しだ!!
- オブジェクト指向プログラミングの概念の導入はもっと単純なモデル、例えば「テストの成績と偏差値概念導入による人間の序列化」構造みたいなものから始めるべきで、その為の前準備すらまだまだ全然たりてない。
とにかく当面はこうやって安楽椅子探偵でなく、ハードボイルド探偵の方法論、すなわち「犬も歩けば棒に当たる」精神を貫き続けるしかない様です。
そんな感じで以下続報…