しばしば私が「Twitter上における読書体験実況」に興味を引かれるのは、それが数理(Mathematical Things)における以下の条件を満たしているせいかもしれません。
- 数列そのものではなく、それに対する特定の演算の結果たる演算結果集合(Operation Result Set、特に周期単位と添字単位導入によって桁表示を可能とする剰余演算の結果)に注目する態度から出発する。この発想から整数列(Integer Line)などの基本単位を導出する過程をコンパクトにまとめたのが群論(Group Theory)における群定義(Group Definition)となる(この事自体を疑うと数理自体が始められない)。
ここで重要となってくるのが(それ自体は観測不可能な)0と無限遠(Inf(inity))の間に加算かつ有限な形で分布する観測結果集合(Observation Result Set, とにかくこれが演算結果集合とぴったり重ならないと演算自体が成立しない)から、無限小(-Infあるいは1/Inf:=0)や無限大(Inf)を(加算可能範囲に原点を提供する)加法単位元(Additive Identity)0や乗法単位元(Multiplicative Identity)1を中心とする対称展開の極限と置き、これをデカルト座標系(Cartesian Coordinate System)や極座標系(Polor Coordinate System)すなわち互いに直交するN次元評価軸の重なりに拡張する規約へのパラダイムシフト。
ある意味伝統的な等差数列(Arithmetic Sequence=算術数列)や等比数列(Geometric Sequence=幾何数列)の自然かつ自明の場合(Trival Case)としての概念拡張であり、この認識を原点として現代数学は再出発を果たす。かくして行列(Matrix)とこれを扱う線型代数(Linear Algebra)が基礎教養となる新しい世界が始まる訳である(というのが、2021年1月時点における私なりの数理理解)。
それ自体は「(カンブリア爆発期に生物が視覚とその情報を処理する脊髄を備えた事から発祥した)原始座標系(Primitive Coordinate System=左右前後上下を峻別する距離と方向の感覚)」に由来する「(生物の脳内にのみ広がる)形相(Eidos)の世界」「質量(hyle)の世界」
- かかる添字集合(Index Set)の任意の元(Element)からの演算結果の累積過程を(微積分による解析すら通用しない条件下でも)計算する、ある種のマルコフ連鎖モンテカルロ法(MCMC=Markov chain Monte Carlo methods)的アプローチの実現。
ここで重要なのが観測者の態度が「そこで記述される状況説明が、自らが証明したい条件の牽強付会に終始しない事」。
それは「観測者の観測範囲が、状況説明と自らが証明したい条件の内積客観視(測定結果のリアルタイム表示)にまで及んでいる」事と同義と見做せそうです。
- 科学的には直交=内積0が望ましいとされるが、本当に無関係ではそもそも「観測を思い立つ動機」自体が存在しない事になってしまう。
- その一方で宗派を問わず瞑想を教義に取り込んでいる宗教体系は尽く(時に「色即是空空即是色」概念を中核に据える仏教的神秘主義は特に)、まさに望み通りの桃源郷に到来した瞬間こそ「魔境に落ちた」可能性を最も強く疑うという。
こういう事を、以下に紹介する「ベルクソンの足跡を追う過程で、フランスの社会学におけるデュルケーム派や歴史学におけるアナール派について大雑把に解説する読書実況Tweet」を読みながら感じたという話…
総力特集:アンリ・ベルクソン 続き。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
田原音和(1993)『科学的知の社会学:デュルケームからブルデューまで』
藤原書店https://t.co/gMVNMg7UJb
これも電子化してあった。ベルクソン登場箇所は、76, 85-6, 244, 327 の四回だけ。
「はじめに」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
認識論なる語を使いたがる社会学者、理論と方法論と認識論の関係についてなかなか述べてくれない。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
切断て言い過ぎ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
1ページに5回くらい出てくる
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・この章ではブードンとブルデューを取り上げるよ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「一」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
◆ポール・ニザン(1932)『番犬ども』https://t.co/GgVcaNURNH
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・実存主義と英雄的マルクス主義が制覇した時代、その裏ではアメリカ風経験主義が軽蔑されながら蔓延る
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
フランスもたいへんだな。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・バシュラール革命:認識論を個別科学に解放して哲学の多元化に道を開いた
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・これは、30年代から続いていた仕事に、60年代に入ってからようやく注目が集まったということでもある。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
20世紀初頭に活躍したガストン・バシュラール(1884-1962)は、当時革命期にあった物理学や化学の分析をおこなった哲学者であり、エピステモロジー(épistémologie)と呼ばれるフランス系科学哲学の代表者として知られている。また、バシュラールは詩に関して多くの著作を残した人物でもある。伝統的な四元素を主題に展開されたその詩論は、のちのテーマ批評の先駆けとなった。セールは高等師範学校時代にバシュラールの教えを受けており、初期の仕事の多くにバシュラールの深い影響を見て取ることができる。
フランスの現代的認識論
フランスには、デカルトに端を発し、実証主義の祖オーギュスト・コントらが引き継いだ大陸合理主義・啓蒙主義の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、イギリス経験論を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。
ミシェル・フーコーによれば、フランスの哲学的伝統は、ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して、ガストン・バシュラール、ジョルジュ・カンギレムらによって代表される「知識、理性、概念の哲学」と、サルトル、メルロ・ポンティらによって代表される「経験、感覚、主体の哲学」の二派に分かれた。
フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って構造主義が台頭し、更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる。
エピステモロジー
現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」(仏: Épistémologie) とよばれ、科学哲学と分野が一部競合している様相を示している。
エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては、上で挙げたバシュラール、カンギレムらがいる。
エピステモロジーは、科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。
「二」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
【話法】
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「Aか、それともBかということは、それ自体として重要ではあるが、さしあたりは問題にしなくてもよいだろう。」
これなかなかすごいのでは。
・ルソーとベルクソンはトーテム住人だった説(『今日のトーテミズム』)
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
ポイントは、今までは「同じように似ている」として分類したからメチャクチャになってしまうのであって、「違いかたが似ている」という、違いの類型化にポイントがあった。
特定の演算結果集合に包括される分散範囲は、その演算そのものに由来する特定の構造を見出せる事もある(ただしあくまでその観測手段そのものに由来する相関関係を示唆するだけで、因果関係や構造の実在を示唆するとは限らない)? さらには「カメラを向けられたから寄ってきた」「マイクを向けられて初めて考えをまとめて語った」的観測問題も存在する。
88 ブルデュー先生曰く:
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「社会学では、経験主義が、いま、この国で、認識論的危険度から見てその頂点を占めている。」
認識論的危険度・・・
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
89 フランス社会学が置かれた状況の知識社会学的素描:
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・これは社会学的職業の普及にともなって組織と技術の分化が進み、社会学者を官僚制的自動装置のなかに組みこんでしまったために生じた。
・調査用テキストの過剰生産、大学における管理運営・教育・研究の分離からくる業績主義の進行、研究の職業化がもたらした資金運用の機会増大、研究者ポストの操作、研究集団の創出等々が、科学的操作の自律化というイデオロギーを生み、
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・それが社会学的研究=実践の独自性にさえなってきたということ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
ここには、
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・大勢の研究者が無意識に使用するパラダイムの切売り、仮説と検証の辛抱づよい往復運動の省略(認識論的警戒の省略)、研究将軍と調査歩兵の分離、要するに研究の自動装置化がきそって盲目的な経験主義か無統制の理論かという選択に社会学者を追いこむという現状がある。
遅れて登場した社会学が、だからこそ他学科に先駆けて専門化し、だからこそあれこれの罠に嵌ってしまったという話は面白いね。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
加えて。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・厳密科学モデルに対する劣等感を裏返した方法論的壮挙をあおりたてる社会学教育の欠陥
・研究小集団への分離とそれに由来する職業的イデオロギーとしての社会学の正当化
社会学あるあるだね。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
しかしテクノクラシーって、そりゃフランスにはあっただろうけど他にはどこにあったんですかねぇ。まともに稼働したやつ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「富の生産を促進することが社会の重要な任務であり、したがって産業階級は貴族と僧侶よりも重要な要素である」なる近代資本主義的観点から出発したサン=シモン伯爵の産業者同盟(Des Industriels)構想やオーギュスト=コントのテクノクラシー(Technocracy=科学的専制主義)を連想させますね。
「五」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
93
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「前述のブードンの認識論に比してはるかに根本的であり、より認識論的であるとさえ言える。」
より認識論的・・・
・バシュラール・ビジョン:科学は誤謬を発見し、それを解く新たな努力、不断の理論的修正という理性的営みによってはじめて実現される。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
ひたすらブルデューの議論の紹介してるだけだな・・・
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「おわりに」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
とりあえず田原先生がベルクソンにはまったく関心がないということまでは分かった。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
この本、あんま読んだ記憶がないんだけど全体にわたってかなり熱心に読んだっぽい書き込みがある
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
7-1「問題──デュルケーム の提言をめぐって」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
この論文は結構長いな
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
まぁいいか。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
切断て言い過ぎ
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
デュルケム先生曰く
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「社会学と歴史学とは対立関係にあるどころか、両者はともに相手の方におのずと近づいてゆくのであって、両者が一個の共通した学問に融けあうようになり、そこでそのそれぞれを構成する諸要素が結びあい、統合されるようになるのである。」
なんで社会学つくったんですか。
重ねて曰く
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「われわれが歴史についてとりわけ多くを語ったのは、現代的状況のなかで、歴史こそは社会学的探究の主要な源泉だからであり、他方で、比較法の使用にとりわけ抵抗があるのは歴史学だからである。」
歴史学者に文句があると。
こういう文句は「比較しないと」が説得力を持つ限りで説得力を持ち、それが説得力を持たなくなるところで意味を失うね。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
そしてデュルケームは、その点についてたぶん一度も考えなかった。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
比較の権化にして亡者である。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
190
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「デュルケームの歴史学に対する挑戦的な社会学者としての自己主張は、のちにみるように、歴史学者の無視するところであったどころか、それから一〇年の歳月の間、社会学者と歴史家との間に激しい論戦を展開するところとなった。
「社会学の側では、こんどは若きフランソワ・シミアンとモーリス・アルヴアックスがその論争の主役となる。そして、歴史学はといえば、文献誌学によりかかってきた伝統史学に対する批判がいっせいに火を噴きだし、
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「やがて四半世紀後にリュシアン・フエーヴルとマルク・ブロックの名とともに記憶される「アナール学派」の誕生を促すところとなった。デュルケームの上記序文は、その後のフランス史学の潮流を大きく旋回させる口火になったという意味でも、注目すべき役割を担ったのである。」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
はい。
7-2「状況(一)──19世紀末のフランス歴史学界」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
そこから始めるのか・・・
そりゃ長くなるわ
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
シミアンとセニョーボスの論争について。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
シミアンこの時(1903)30歳。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・論争の舞台になった『歴史学総合評論』は、人間諸科学の総合を目指して創刊されたばかりの雑誌でした。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
勉強になるお話が続いておりますが、これ読んだ記憶がないなぁ
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
これ、滅茶便利な論文だ
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・歴史学のアグレジェが法的に承認されたのは1885年
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・アグレガシオンの受験資格である学士号が、文学士一本から文学士・哲学士・史学士の三つに分化するのは1880年
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
→フランスにおける歴史学は、19世期末の大学改革によってはじめて独立の学問分野として公認された、ということ。
・1886年からスタートする全国15の総合大学の文学部に、複数の歴史学講座とその派生である人文地理学講座が必置となった。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・それ以前の旧制度での地方大学では、歴史学の全分野と地理学とをたった一人の教授が担当していた。
7-3「状況(二)──ドレフュス事件と歴史家の世代交代」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
202
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「当時の歴史学の学問的価値とこの国家的価値とは、いったいどこで折り合っていたのだろうか。ルベリウーによれば、あの第一世代が確立してきた徹底的な文献批判によって史実の確定が可能だという「歴史的方法」への信仰が、この学問を基底から支えるひとつの世界像を作り上げてきたと言う。
「
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
第一に、辛苦に満ちた文献解読という難行への献身が、きわめて謙虚な知的労働への賛美の念を生み出したこと
第二に、批判という認識論的警戒の絶えざる要求、そして
第三に、歴史研究が若い人びとに特有の「軽信」を癒す絶好の訓練であることから由来する確かさ、
がそれである。
「歴史は、こうした真理への渇仰──したがってまた正義への賛美──を教えこみながら、これらの学問的精進の価値を共和主義の徳へと価値転換することを可能にする、つまりは、「歴史研究という実践は、それ自体が市民的であり、自由人を創造する」と言うのである。」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
盛り上がってきた。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
歴史学、やはり特別かつ不思議な学問だと言わねばならぬ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・近現代史と古代・中世史との対立
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
ようやくドレフュス事件にたどり着いたがもはや社会学と歴史学の論争とかどうでもよくなってるな
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
ここで「第三世代」と呼ばれてる人たちになると急に知ってる名前ばかりになるのだが、おそらくわたくしの情報の摂取の仕方に問題がある。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「文献批判に基づくスタイルが歴史学の中心に定着しました」と「歴史学はもはや文献批判だけではやっていけなくなりました」の間がせいぜい二世代くらいしかないんだけど展開早すぎでは
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
7-4「セニョーボスの歴史理論と社会科学」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
ようやくセニョーボスに帰ってきた
これ、読んだ記憶がないのは、読んだときに登場人物をほとんど知らなかったからだろうなw
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
この節、全部引用したい
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
(しません
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・セニョーボス&ラングロワ『歴史研究入門』が1897
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・セニョーボス『社会科学に応用される歴史的方法』が1901
この間にドレフュス事件が起きている。
セニョーボス&ラングロワは読んだけど後者には邦訳ないよね(?)
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・後者にはデュルケーム 『方法規準』からの影響が見られるよ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・セニョーボスが「社会史」という名称を使い始めたのも後者から。
・「社会史」という名前は、歴史学が、歴史学と社会諸科学との接点を用意しようとしていることを意味したよ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・でもセニョーボスは「社会史ってありうるよね」と言っただけで、歴史学の変革を志向していたわけではありませんでした。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
興奮してきた。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
213
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
・セニョーボスの謂う社会史は、今日の通念と比べると狭いです。
「では、なぜ彼は社会史の扱う社会的諸事実を人口・経済・経済理論というような限られた事実に限定したのであろうか。この著作の「序論」で、彼は社会科学や社会学のもつ合意の時代的変遷をきわめて簡略に触れているが、
「フランスでは、18世紀にルソーの「社会契約論」にみるように、社会的という用語はなお政治的という用語と合意において同一であった。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
合意→含意
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「だが、19世紀前半では、政府によって直接に組織された制度その他を示す意味での「政治的」に対して、「社会的」という用語は前者の公的な世界に対する私的な世界──たとえば家族。所有・階級区分など──を意味するようになる。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「さらに一九世紀後半では、人間社会についての新しい研究分野が次つぎに出現して、神学や哲学、法学、修辞学、美学といった包括的な学問は、宗教史・哲学史・法制史・文学史・美術史というように分化を遂げ、
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「社会そのものについての研究は最後に残され、いわば残余範疇の学問として社会科学と称されるようになったと言う。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「そして、起源を異にする三つの研究領域、すなわち人口を扱う統計学、経済的事実を扱う経済学、哲学史や科学史では扱いきれない経済政策やその理論の歴史を問題とする経済学説史が、しだいに収敏して狭義の社会諸科学を構成するようになったと言うのである。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
「このくだりの説明は簡略にすぎて要を得ないが、それはむしろ伝統諸学の分類にあてはまらない、まったく新しい科学としての社会諸科学の学問的位置づけに当惑しがちな学界の混乱を、セニョーボス自身が反映していたからと見るべきだろうか。」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
興奮してきたぞ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
長えと思ったらこれ紀要論文なのか。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
50ページある。
確かに紀要にしか書けないわな。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
残念ながら社会学部紀要の36は公開範囲外でした。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月16日
田原『デュルケーム とデュルケミアン』はブクオフってしまった模様(つらい
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
昨晩から
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「フランスでは学問の王様だかなんだか知らないが、この日本じゃなぁっ(略)」
という台詞が伊武雅刀の声で繰り返し再生されて困っている。https://t.co/QDZy0zIVoD
昼食へ。総特集:アンリ・ベルクソン、続き。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
田原音和(1990)「世紀の転換期におけるフランス社会学と歴史学」
in 『科学的知の社会学』、藤原書店、1993年https://t.co/gMVNMg7UJb
7-4「セニョーボスの歴史理論と社会科学」
ここは読んだか。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
・セニョーボスとシミアンの論争はアナールの登場を準備したけど、セニョーボス自身はアナール的ではなかったよ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
7-5「シミアンの歴史学批判」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
シミアンの「歴史的方法と社会科学」は邦訳なしですか。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
最初の一歩から理解し難いテーゼ来た。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「シミアンの総括的な問題提起は、こうである。その本質からして、歴史的方法とは間接的な実験的認識の過程である。」
「すなわち、歴史家とは、もうひとり別の精神(史料の作者)の媒介によって得られた事実の認識過程の実践者である。」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
なにも「すなわち」じゃないよ
これ、絶対加わりたくないタイプの論争だな
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
7-5-2「セニョーボスの命題(二)」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
こういう話するときに「実体」みたいな形而上学的範疇を経由すると無駄に対立が先鋭化するし、特に訓練の足りない人はついついしなくていい議論をし始めちゃうからやめたほうがいいよ(tips)
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
シミアンうざいなこれ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
これはウザい。
7-5-3「セニョーボスの命題(三)」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
・社会現象はたしかに存在し、それとして識別される。だがこれらの現象はつまるところ個人的起源しか持ち得ないものである。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
人はいつ、そして何故、誰かに対して こうした主張をわざわざ述べたくなるのか。
そちらの方について論じていただきたい。その方が近道だよ。
シミアンくそウザい。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
対立点についてどっちが正しいかを論じようとするまえに、それぞれの仕事において その仕事の従事者が 何がわかると嬉しいのか・何を知ると嬉しいのと考えてるのかかについて確認した方がいいよ(tips
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
制度と出来事を対立させて捉えてる男の人って・・・
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
7-5-6「セニョーボスの命題(四)」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
7-5-7 来た。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
226 シミアン「歴史家部族のイドラ」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
①政治的イドラ
②個人のイドラ
③年代記のイドラ
総特集:アンリ・ベルクソン
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
田原音和(1990)「世紀の転換期におけるフランス社会学と歴史学」
in 『科学的知の社会学』、藤原書店、1993年https://t.co/KAnEqD5f8u
7-6「論争(一)──シミアンとセニョーボス」つづき。
ベルンハイム、『歴史とは何ぞや」しか邦訳ないの?https://t.co/wLq02w8pQg
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
フランス哲学会、歴史学vs.社会学で三回もシンポ開いてるのね
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
因果的説明にあらざるもの説明にあらず、という勢いだ。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
ぜったいに関わりたくないタイプの論争だ
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
7-7「論争(二)──デュルケームとセニョーボス」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
この節は、1908年に、ついにデュルケーム を招いて開催された3回目のシンポについて。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
デュルケーム50歳ですね。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
まことにロクでもない論争だが、そうなってしまった理由は、社会学者による歴史学批判が充分に社会学的ではなかったからであるように思われる。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
239 ジャック・ルヴェル、1979年に回顧して曰く
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「1903年の[シミアンの]テクストを読み返してみると、その後の『アナール』には、まことにシミアンのプログラムをそのまま再発見することができるだろう。
「そのプログラムとは、問題史の優先、モデルの探究、人間諸科学の収斂といったことであり、さらには来るべき修史という事業に重要な役割を果たすようになった、調査研究における集団的作業への誘い、ということである。」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
244にようやくベルクソンの名が!
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「哲学の危機、あるいは大学における哲学教育の危機の時代に、一見して、その客観主義的方法のゆえに思弁哲学と最も対立する立場にあるとみられていたデュルケーム の社会学は、
「その研究対象──たとえば世俗的道徳・宗教現象・思考の範疇など──の積極的な発掘によって、従来の実践哲学や認識論が十分に解明し得なかった領域に新しい科学的な光を照射し始め、
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「さらにはしばらく放置されてきた形而上学の世界にさえ、社会学の側から新しい基礎づけを試みる期待感を学界に与え始めていた。デュルケーム社会学は、必ずしも新しい哲学を志したわけではないが──そのことはやがてアンリ・ベルクソンによって果たされることになろう──、にもかかわらず、
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「哲学が思弁的方法で長年取り組んできた右のような根本問題に、社会学は科学の立場から解決を提示して見せたのである。その結果、デュルケーム社会学は期せずしてアカデミー哲学に重要な地位を占めるようになる。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
「第一次大戦までに、デュルケミアンがベルクソンとフランス哲学界を二分したと称せられたのも、けっしてゆえなしとしない。」
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
フランス哲学会、「会員資格の排他性」をもって知られているそうです(学び)
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
フランス社会学派のスタイル、「こういうやり方すると誰からも嫌われるぞ」というののオンパレードなので、みんなもっと学ぶべきである。
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
・歴史学は人文学なのか社会科学なのか問題
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
シミアンの仕事、ほとんど訳されてなくてウケるな
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
・君臨する哲学と歴史学
— 縮限 (@contractio) 2020年6月17日
・没落する哲学と興隆する歴史学
・そこに割って入ったが哲学側に割り振られた社会学
この構図は面白いね。──ベルクソン本では使えそうにないけど。
そんな感じで、以下続報…