諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【限りなく「数学ロマン」に近い雑想】「フランス科学」を数理する?

アニメ実況専用Twitterクライアント「アニプラ」 アニメ好きが開発 ...

しばしば私が「Twitter上における読書体験実況」に興味を引かれるのは、それが数理(Mathematical Things)における以下の条件を満たしているせいかもしれません。

  • 数列そのものではなく、それに対する特定の演算の結果たる演算結果集合(Operation Result Set、特に周期単位と添字単位導入によって桁表示を可能とする剰余演算の結果)に注目する態度から出発する。この発想から整数列(Integer Line)などの基本単位を導出する過程をコンパクトにまとめたのが群論(Group Theory)における群定義(Group Definition)となる(この事自体を疑うと数理自体が始められない)。

    ここで重要となってくるのが(それ自体は観測不可能な)0無限遠(Inf(inity))の間に加算かつ有限な形で分布する観測結果集合(Observation Result Set, とにかくこれが演算結果集合とぴったり重ならないと演算自体が成立しない)から、無限小(-Infあるいは1/Inf:=0)や無限大(Inf)を(加算可能範囲に原点を提供する)加法単位元(Additive Identity)0乗法単位元(Multiplicative Identity)1を中心とする対称展開の極限と置き、これをデカルト座標(Cartesian Coordinate System)や極座標(Polor Coordinate System)すなわち互いに直交するN次元評価軸の重なりに拡張する規約へのパラダイムシフト。

    f:id:ochimusha01:20210114104118p:plain

    ある意味伝統的な等差数列(Arithmetic Sequence=算術数列)や等比数列(Geometric Sequence=幾何数列)の自然かつ自明の場合(Trival Case)としての概念拡張であり、この認識を原点として代数学は再出発を果たす。かくして行列(Matrix)とこれを扱う線型代数(Linear Algebra)が基礎教養となる新しい世界が始まる訳である(というのが、2021年1月時点における私なりの数理理解)。

    それ自体は「(カンブリア爆発期に生物が視覚とその情報を処理する脊髄を備えた事から発祥した)原始座標系(Primitive Coordinate System=左右前後上下を峻別する距離と方向の感覚)」に由来する「(生物の脳内にのみ広がる)形相(Eidos)の世界」「質量(hyle)の世界」

  • かかる添字集合(Index Set)の任意の(Element)からの演算結果の累積過程を(微積分による解析すら通用しない条件下でも)計算する、ある種のマルコフ連鎖モンテカルロMCMC=Markov chain Monte Carlo methods)的アプローチの実現。

ここで重要なのが観測者の態度が「そこで記述される状況説明が、自らが証明したい条件の牽強付会に終始しない事」。

それは「観測者の観測範囲が、状況説明と自らが証明したい条件の内積客観視(測定結果のリアルタイム表示)にまで及んでいる」事と同義と見做せそうです。

  • 科学的には直交=内積0が望ましいとされるが、本当に無関係ではそもそも「観測を思い立つ動機」自体が存在しない事になってしまう。
  • その一方で宗派を問わず瞑想を教義に取り込んでいる宗教体系は尽く(時に「色即是空空即是色」概念を中核に据える仏教的神秘主義は特に)、まさに望み通りの桃源郷に到来した瞬間こそ「魔境に落ちた」可能性を最も強く疑うという。

こういう事を、以下に紹介する「ベルクソンの足跡を追う過程で、フランスの社会学におけるデュルケーム派や歴史学におけるアナール派について大雑把に解説する読書実況Tweet」を読みながら感じたという話…

バシュラールとセール ―エピステモロジーの一系譜―

 20世紀初頭に活躍したガストン・バシュラール(1884-1962)は、当時革命期にあった物理学や化学の分析をおこなった哲学者であり、エピステモロジーépistémologie)と呼ばれるフランス系科学哲学の代表者として知られている。また、バシュラールは詩に関して多くの著作を残した人物でもある。伝統的な四元素を主題に展開されたその詩論は、のちのテーマ批評の先駆けとなった。セールは高等師範学校時代にバシュラールの教えを受けており、初期の仕事の多くにバシュラールの深い影響を見て取ることができる。

フランスの現代的認識論

フランスには、デカルトに端を発し、実証主義の祖オーギュスト・コントらが引き継いだ大陸合理主義・啓蒙主義の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、イギリス経験論を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。

ミシェル・フーコーによれば、フランスの哲学的伝統は、ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して、ガストン・バシュラールジョルジュ・カンギレムらによって代表される「知識、理性、概念の哲学」と、サルトルメルロ・ポンティらによって代表される「経験、感覚、主体の哲学」の二派に分かれた。

フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って構造主義が台頭し、更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる。

エピステモロジー

現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」(仏: Épistémologie) とよばれ、科学哲学と分野が一部競合している様相を示している。

エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては、上で挙げたバシュラールカンギレムらがいる。

エピステモロジーは、科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。

  • 皮肉にも「フランス科学のイギリス経験論への抵抗」は機械学習における過学習問題(統計国における最尤推定問題)によって正当化された側面も。

 

ポイントは、今までは「同じように似ている」として分類したからメチャクチャになってしまうのであって、「違いかたが似ている」という、違いの類型化にポイントがあった。

特定の演算結果集合に包括される分散範囲は、その演算そのものに由来する特定の構造を見出せる事もある(ただしあくまでその観測手段そのものに由来する相関関係を示唆するだけで、因果関係や構造の実在を示唆するとは限らない)? さらには「カメラを向けられたから寄ってきた」「マイクを向けられて初めて考えをまとめて語った」的観測問題も存在する。

富の生産を促進することが社会の重要な任務であり、したがって産業階級は貴族と僧侶よりも重要な要素である」なる近代資本主義的観点から出発したサン=シモン伯爵産業者同盟(Des Industriels)構想オーギュスト=コントテクノクラシー(Technocracy=科学的専制主義)を連想させますね。

 そんな感じで、以下続報…