諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【今は亡きTumbrの思い出】「自らの性欲の飼い慣らし方」?

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私がこれまでの投稿に用いてきた「内側から込み上げてくるムズムズした感じ」なる性欲表現、実はジェームズ・テプトリー・Jr作品からの借用です。その彼女は日記の中でこれを少女の手を握る時に感じ、自分がバイセクシャルでペドフェリアでもある可能性を疑い、その事にとてつもない後ろめたさを感じていた様です。「私は一部の男性はとても好きだが、何も知らないころから私に火を点けるのはいつも少女や女性だった」。言われてみれば確かに彼女の代表作「愛は定め、定めは死(Love Is the Plan the Plan Is Death,1973)」「接続された女(The Girl Who Was Plugged In,1974)」「たった一つの冴えたやり方(The Only Neat Thing to Do,1985年)」は全て性欲と死の連続についての物語だったりするのです。老人性痴呆症が悪化した夫とショットガン心中する最後を迎えましたが「ペドフィリアは全員死すべき」と主張するウルトラ・フェミニストはこういう事でも快哉を叫ぶのでしょうか? 「当然の帰結として、また一つ悪が滅んだ」と。

一方、エロ画像なら飽和するほど溢れていたTumblrの世界に屯する女性アカウントはboner(勃起)なる表現を「危険が迫るとアドレナリンが分泌されて反撃や逃走に備える」生理的メカニズムと結び付けて用いていました。ちょっと奥ゆかしさに欠ける印象がないでもありませんが「くすぐったさ」に立脚するメカニズムが「他者がもたらす意外性」を必要とするのに対し、完全に自己完結的に語り得てしかも線形表現が可能な辺りが当事者にとっては重要である様に見受けられました。なんたる「男性的」な考え方!!

今から思えば、彼女達の間で流行した「二口女」のイメージってそういう事だったんだ…まぁこちらの主題は「性欲」でなく「食欲」だった訳ですが。

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こういう「自らの性欲を視覚化して客観視し飼い慣らそうとする」第三フェミニズムの世界を目の当たりにしてしてきた立場からすれば、以下の様な考え方は「全失格」になってしまいます。

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まどか★マギカ」+「ホスト」といったら、もう「あの話題」しか思いつきません。

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とりあえず、以下続報…