むやみやたらと戦線を広げると維持が大変です。なので、この話題への言及は最低限に留めたいと思います…
豊崎由美さんのTikTok書評批判は、50年くらい前に映画評論界隈で起こったことに似ている。「映画史や技術、社会や歴史の知識に基づく評論文が書けないのに雑誌に単なる感想を書き散らしテレビやラジオで感想をしゃべるだけの映画感想屋が増えた」と批判されるようになった。
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2021年12月11日
基本的な科学知識もSFの概念の教養も無いのに、そういう映画の批評もするとかですかね。 https://t.co/lm9XJgtul6
— エス・ペリカン (@skanpeli) 2021年12月11日
科学知識がないSF作家の巨匠や科学知識に基づかないSFの名作は山ほどあります。レイ・ブラッドベリ、フレデリック・ブラウン、みんなそうです。
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2021年12月11日
批評、評論する側の話ですよ。書く側や読む側は判らなくても面白ければ良いのです。
— エス・ペリカン (@skanpeli) 2021年12月11日
雑誌やテレビやラジオは、それを起用した編集者や出版社、プロデューサーやテレビ局の責任も問われるが。
— 喜多野土竜【⋈】腰痛持ち💉💉 (@mogura2001) 2021年12月11日
TwitterやTikTokやYouTubeは素人もプロもフラットな場だから、同列に論じられるかと言えば、疑問。
もちろん、そこには優れた書評もあれば、くだらない書評もあるが。 https://t.co/7xhwdvM6it
豊崎由美さんのいらだちは50年前に「映画感想屋」をクサした映画評論家たちと同じ、職業的プライドに根ざしていると思う。「批評や評論は、作品解読に必要な研究と、それをまとめる創造的な文章力を必要とする、ひとつの作品である」という誇りだ。でも、それを意識してない人達には、まるで通じない。 https://t.co/6b8zR7Qwot
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2021年12月11日
いつも首肯しないではいられない町山さんのお言葉ですが、これはどうでしょう。くだんの書評家はすでに「映画感想家」であって、ベンヤミンの評論に当たるものを書いたとはとうてい思えない点が、その発言への憤激を呼んでいるように思います。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) 2021年12月11日
要するに…
というか若い衆は、豊崎や小田嶋って誰?ってレベルで相手してない。
— もへもへ (@gerogeroR) 2021年12月11日
純文学かいてる奴が「なんで低俗な漫画がおれの100倍も売れるんだ。程度の低い漫画家など相手にしない」とかいっても負け惜しみにすぎない。 https://t.co/El9PWtmL40
それ「米国文学の太祖の一人」ナサニエル・ホーソーンが、当時売れに売れてた「女性作家による女性読者向けの低俗な女性小説」より原稿料が安いと文句を言ったら、編集者から「同じくらい売れたら、同じくらい原稿料払いますよ」と言われた話を彷彿とさせますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月11日
- ここでいう「女性向け廉価読本(Cheapeditions)」こそ「パルプマガジン黄金期」につながっていく「出版規模革命」が生み出した鬼子である。
「低俗女性小説」実際、後世ほとんど読み継がれなかった訳ですが、日本では尾崎紅葉「金色夜叉」の種本に選ばれたバーサ・M・クレー「女より弱き者」だけが異様に有名だったりもします。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月11日
ちなみに「女より弱き者」に登場する「悪女マリー」の射影として生み出された「毒婦」赤樫満枝って「ツンデレ」「ヒロインが武芸の達人」「御嬢様笑い」「バットエンドからのループ」といったラノベ系ヒロイン要素全部入りだったします。忘れ去るにはもったいない?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月11日
ちなみに、この「バッドエンドからのループ(夢オチにしてのやり直し)」のせいで「金色夜叉」は辿り着くべき結末を見失い、未完に終わったといわれています。何故かこの話、海外のアニメファンの方が詳しいという…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月11日
この話ですね。
- その背後ではさらに複雑な「女性像の変化」が進んでいたのである。
そして「女より弱き者」の「悪女マリー」からのほとんど唯一の継承属性だった「妾として買われながら高利貸しの母屋を乗っ取った成金毒婦(「日本作品初のお嬢様笑い」も「高利貸しの成金笑い」の模倣として誕生)」設定が「生まれつきの嫌味なお嬢様」設定に置き換わって人妻属性が消えた時、いわゆる「日本のラノベ系ヒロイン」の原型が誕生する事になった訳ですね。舶来要素が壊滅した完全オリジナルの形で…
- 「人妻属性」ただ時々先祖返り的に「真の愛に目覚めると見捨てられる許嫁」が登場。それはそれでE.M.フォースター「眺めの良い部屋(1908年)」やD.H.ロレンス「チャタレイ夫人の恋人(1928年)」の様な階級闘争的三角関係ロマンス(ヒロインが伝統的貴族の婚約者や夫を見限り、新興ブルジョワ階層/労働者の男に走る)を経て、さらにエンターテイメント性の高いロマンス小説的三角関係へと推移していく。
19世紀出版革命の徒花「女性作家による女性読者向けの低俗な女性小説」を代表するバーサ・M・クレー「女より弱き者」に登場する「悪女マリー」は、主人公を振って性的魅力に乏しい金持ちと結婚する一方で、主人公との交際を続ける事で愛情方面を満たそうとします。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
最終的に主人公は「悪女マリー」の誘惑を振り切って幼馴染と結婚するのですが(この説明、最後のわずか数行)、その影の薄さがこの作品を種本として選んだ尾崎紅葉「金色夜叉」のお宮に伝染してしまった様です。https://t.co/3XFPq3bTrk
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
実は「金色夜叉」本編で大暴れするのは、むしろ「悪女マリー」の遺伝子を多分に継承した「自分を妾として買った高利貸しの母屋を乗っ取った成金毒婦」赤樫満枝の方。https://t.co/NN6bqE4zIf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
「没落士族の娘で小太刀の達人」「その「高利貸しの成金笑いの模倣」過程が「日本作品初のお嬢様笑い」として国際認定されている」「凄腕の高利貸しなのに寛一の前でだけ奥手(「助六」揚巻に並ぶツンデレ元祖)」と、後のラノベ 系ヒロイン要素を明治時代にして一気に積み上げる偉業を残したのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
最終的には「聞こえないふり(これもラノベ 定番)」を繰り返す寛一に業を煮やし、得意の小太刀を振り回してお宮を殺そうとしたり、寛一に無理心中を迫ったりして修羅場を発生させてしまいます。当時の想像力では「西洋型ロマンス」の完遂はまだまだ難しかったのでしょうが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
それにつけても江戸時代残酷物の展開そのまま過ぎ。仕方なくそれを夢オチとして物語をやり直したものの(「バッドエンド・ループ」物語文法元祖)以降は迷走して未完のまま終わります。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
かかる赤樫満枝の毒々しい出自設定を「生まれつきの意地悪なお嬢様」に弱毒化すると現代日本のツンデレ武芸達者ヒロインとなる訳です。例えば小太刀をレイピアに持ち替えるとSAOのアスナに。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
オリジナルの「悪女マリー」からの唯一の継承点となる「人妻属性」自体については「(主人公との真の愛に目覚めると見捨てられる)許嫁がいる」という形で先祖返り的に復活する事もある様です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
これが祖国に里帰りした姿が例えばRUBYのワイス・シュニーと考えると中々感慨深いものがありますね(物語が進むうちどんどん増えていく「過去から継承した邪悪要素」)。そんな感じで以下続報…https://t.co/67LZgnwJgZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
そして…
女性作家…ではないのですが、フェミニズム的側面を持った「低俗・ふしだらな女性」を描く小説としては、ショスタコーヴィチのオペラにもなったニコライ・レスコフの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が挙げられると思います
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
あらすじとしては所謂帝政ロシアの「富農」に嫁いだ女性が、家父長的な義父と愛のない夫からの抑圧に反発し、下男と不倫(ですがこの文脈だと「自由恋愛」とも取れる)し、遂には義父と夫を手に掛けるも、その事がバレ、最後は不倫相手にも裏切られ、シベリア流刑の途上で入水自殺するというものです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ソ連に生まれ、ソ連の音楽アカデミーで育ったショスタコーヴィチ、紆余曲折あったにせよ最後まで共産党員であり、特にプラヴダ批判前は寧ろ共産主義を積極的に支持していました
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
このオペラを、ショスタコーヴィチは封建的で家父長的な帝政ロシアの体制に立ち向かうソ連的で近代的な強い女性という非常にフェミニズム的な捉え方をしていたと言われています
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
つまり女性を抑圧する帝政ロシアの旧弊的な体制の批判と女性を自由で社会的に責任ある存在へとしたソ連への称賛だったわけ
しかし皮肉なことに、正にこのオペラによってショスタコーヴィチは共産党による粛清一歩手前の絶体絶命の状態にまで追い込まれてしまうことになります
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
このオペラの主人公が下男に強姦されるシーンがこのオペラを見たスターリンの逆鱗に触れ、後日プラヴダに掲載された所謂「プラヴダ批判」でショスタコーヴィチは党からのほぼ名指しでの批判を受けてしまったのです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
最終的に交響曲第5番という社会主義リアリズムの傑作を生み出した事でショスタコーヴィチは再びソ連の名作曲家としての地位を取り戻しますが、以降ショスタコーヴィチは共産党と時勢、そして自分の体勢内での権力を秤にかけたギリギリの表現を続けることを余儀なくされることになります
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
長らくショスタコーヴィチはソ連体制におもねった作曲家として軽んじられて来ましたが所謂「証言」の発掘により、今度は反体制的な作曲家としての評価が定着するようになってきました
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
しかし近年「証言」が偽書である事は学会でも定説となりつつあります。真実はこの中間にあったと考えるべきでしょう
忘れてはいけないのはラフマニノフなどとは違い、ショスタコーヴィチは旧貴族ではなく、寧ろシベリア流刑にされた曽祖父と技術者の父を持つシベリア生まれの平民の子であり、寧ろソ連だからこそ音楽家になれた人間だったという事です
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
また彼はナチスによる事実上の市民軍民を問わぬ完全な殲滅戦が意図されたレニングラード攻囲戦でもレニングラードに留まり続けました。共産党により話が盛られた可能性はありますが、彼は軍に志願し、目が悪いので断られた後は音楽学校の消防隊に参加し、またラジオで市民を鼓舞しました
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
…確かに彼が1960年に共産党に加盟したのは、自発的なものであった可能性はかなり低いですし、プラヴダ批判以降彼が共産党に対してかなり屈折した思いを抱いていた事は事実でしょう。ですがプラヴダ批判以前の彼の作品は寧ろ積極的に共産党を支持し、そして生涯彼は亡命の意志を示しませんでした
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
僕はショスタコーヴィチが共産党、特にスターリン体制に対して好意的だったとはとても思えませんが、同時に彼がソ連の全てを憎んでいたとも思えません
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
若き日の彼は「ソ連の今モーツァルト」であり、その生涯に渡って「ソ連の」名作曲家でした。彼はソ連という「祖国」を愛していたと僕は思います
スターリン自身は「大量虐殺で手を汚した独裁者」らしく「英雄は運命に突き動かされてそうした汚れ仕事の遂行者になる事もある」と考えたがった様ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
日本の伝統芸能にも造詣が深かった「戦艦ポチョムキン」のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督に歌舞伎や人形浄瑠璃の形式的表現を総動員させて「イワン雷帝(1944年)」を撮影させています。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
この話ですね。
まぁその出来が気に食わず(イワン雷帝が虐殺を手掛ける決意を固める場面を全て運命のせいにしきれなかった)、結局エイゼンシュテイン監督は干されてしまう訳ですが…江戸時代の小娘の共感を受けた「(放火魔としての)八百屋お七の人形振り」がソ連の独裁者の心も捉えたかと思うと感慨深いものが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
まさしく多くの芸術家がこの独裁者のマクベス夫人の如き「何度手を洗っても血が落ちない」症状の巻き添えを食らったという話…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
そういえばジブリのHPによればソ連アニメ映画大作「雪の女王(1957年)」において(春にその座を譲って退去する)雪の女王って、スターリン死去の隠喩だったらしいですね。https://t.co/EdhGpZV20s
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
自分のしたい表現と共産党のさせたい事とのバランスのとり方、という点でショスタコーヴィチは中々の技術を最終的に身につけるに至ってて、例えば交響曲7番は「レニングラード」と華々しく題され、自身もその只中に居たレニングラード攻囲戦を描写しているんですが、これがよく聞くと明らかに駄作で
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
でも共産党のお偉方は馬鹿だから手放しにそれを称賛して「ソ連の大作曲家の大傑作!」と褒めちぎるわけですね。そうしてその後出された交響曲第8番こそ、戦争の恐怖と痛みを抉り出す大傑作なわけですが、共産党のお偉方は「陰気過ぎる」と批判しますが、前作の評価のお陰で致命傷にはならんわけです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
なんたる処世術!! 共産主義時代の話はどうしてもそんなのばっかりになりますね。北朝鮮が日本や韓国の特撮スタッフを招聘して撮影された「プルガサリ(1962年)」の結末が「民衆の願いによって怪獣が去る」だったのとか思い出しました。https://t.co/UdJlc2SeT6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
またその後大祖国戦争戦勝記念!そして第9!と散々期待されて出てきた交響曲第9番は、なんかジャズみたいな軽やかで楽しい軽妙な作品で、これこそ共産党から大批判されるんですが、上手いもんでこの後ソ連の植林事業を称賛する「森の歌」というオラトリオを発表して上手い具合に評判を取り戻します
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
余談ですが、自分はタコ9が単なる共産党への挑発だとは思わないんですよね。確かこの曲についてショスタコーヴィチは「戦争が終わり、重苦しい雰囲気が晴れ、ようやく文化的で楽しい暮らしが出来るようになったではないか。この曲はその歓びを表した曲なんだ」と言っていたはずです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
そしてこの曲には、確かにショスタコーヴィチにありがちな鋭く、攻撃的で、皮肉なパッセージが全然出てきません。無論この曲を出すことで共産党のお偉方が怒り狂う可能性を彼が予想していなかったとは思いませんが、一方でこの曲が彼の純粋な喜びを表しているという言は素直に取るべきでしょう
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
そして後半生になると、スターリンも死に、専制的な雰囲気も弱まってきたソ連国内で、長らくソ連音楽界の重鎮として君臨してきたことで自らも確固たる権力を得ることに成功したショスタコーヴィチは、今度こそ共産党の目をあまり気にせずに好き勝手に自分の書きたい曲を描き始めます
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
交響曲第13番は詩人エフトゥシェンコによるともすれば反体制的な詩を歌詞として採用し、体制側からの歌詞の完全改定を跳ね除け、鉛筆での但し書きのみに留めさせています
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
また14番では十二音技法というバリバリの現代音楽にすら挑戦し、最後の交響曲となった15番では正に好きな物を自由に書いています
なるほど、音楽方面では「スターリンの死=雪解け」はそういう具合に現れたんですね。https://t.co/EdhGpZV20s
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
無論、の長い体制による抑圧を経験したショスタコーヴィチの音楽がプラヴダ批判以前の伸びやかな音楽に戻ることは二度とありませんでした。ですが、彼の歩みは、単なるソ連の体制作曲家でも反体制作曲家でもないもっと複雑でニュアンスのあるとても魅力的な作品ばかりだと自分には思えますね…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ああ…
交響曲第13番の歌詞に採択されたエフトゥシェンコの詩「バビ・ヤール(1961年)」…ああ、結局ウクライナが出てきちゃうんだ。ただでさえ最近のロシアの軍事展開のせいで脳内にムソルグスキー「展覧会の絵」の「キエフの大門」が鳴り響いてるのに。https://t.co/BFJYXUQbeA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ムソルグスキー「展覧会の絵」、ロシア人の深層心理に深く深く踏み込んで行ったら(ウクライナにあった)キエフ公国にたどり着いてしまったというヤヴァいない様ですからね。「怪僧ラスプーチン」…https://t.co/PUXu4shhLS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
「モスクワの月」などで知られる1970年代末~1980年代初頭のディスコ音楽の「ロシアブーム」の「ロシア」もやはりウクライナ音楽で…https://t.co/eXNbso2HUp
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
スティングの「ロシアン」もそうでロシア公演に際して完全に別アレンジにされてしまい、スティングが思いっきり不服そうに歌っているという…https://t.co/GA1c2mYRBB
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
さらにいうと「フランス・シャンソン界の革命児」セルジュ・ゲーンズブールもウクライナ移民で、要するにその革新的要素とはウクライナ音楽要素で、日本人はそれをフランス音楽として受容しちゃったややこしさ。https://t.co/QHwhw5G1AS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
まぁ日本音楽でいうと「ドリフのズンドコ節」からYMO「中国女」を貫くあのズンドコ・ベースとかですね。もう何がオリジナルやらですが、ロシア人のナショナリズムは鋭くそこにウクライナ要素を嗅ぎつけると言う…https://t.co/uPhtPNxzH4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
要するにここまで巻き添え。全ては「ウクライナ系フランス人」セルジュ・ゲーンズブールの呪い…でももう完全に日本人の血肉に入っちゃってますから、今更どうしろと言われても…https://t.co/TbKwaajkWP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
そして…
ムソルグスキーとショスタコーヴィチにも面白い話がありますね。具体的にはムソルグスキーの未完のオペラ「ホヴァーンシチナ」のショスタコーヴィチによる補筆完成版についての話です
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ムソルグスキーってのは、ロシアのクラシック史上でも最高クラスの天才の一人で、正に時代の一歩二歩先をゆくような作品を生み出し続けた人だったんですが、それ故に当時は殆ど評価されず、彼自身がとても繊細な人であった事もあり、最終的にアル中になって早死してしまうという悲劇の人でもありました
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
その結果、彼のオーケストラ編成の完成曲は殆ど無く、大量のピアノ曲と未完成のオケ曲が残される事になりました
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
その管理の大半を任されたのが彼の親友であったリムスキー・コルサコフだったんですが、彼のムソルグスキーのオケ曲の補筆完成版と言うのは総じて評判が悪い
彼の補筆完成版は総じて大量の削除や改作、そしてロシア的風情が完全に欠落したワグナー風の重厚壮麗なオーケストレーションによって特徴付けられます。悲しいかな、一番の親友ですらもムソルグスキーの天才性を理解できていなかったのです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
(だからこそ彼は死なざるを得なかったのでしょうが…)
また、もう一つムソルグスキーの有名な作品として、フランスの作曲家ラヴェルによる彼のピアノ組曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲版があります。未だにしばしば演奏されている、あの「展覧会の絵」ですね
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ラヴェルはクラシック音楽史上でも最高クラスのオケ編曲の名人として知られていますが、一方で彼の編曲がムソルグスキーの原曲のロシア的なアンニュイさ、そして滲み出る闇を全く表現できてないという批判は今に至るまで燻っています
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
(例えば有名なのだと指揮者のストコフスキーによる版など)
まあ、ここまでは前座で、ここからが本題です
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ホヴァーンシチナもムソルグスキーが残した未完のオペラでした。コレ自体ピョートル大帝に対する反乱を描くものである以上、帝政ロシアの体制下ではロマノフ朝の人物を登場させる事が出来ず、筋がパッと見わかりにくくなってるという政治的側面があります
そして、これも例によってリムスキー・コルサコフが補筆完成させて居るのですが、例によって不出来な補筆完成版でした
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
そこで立ち上がったのがショスタコーヴィチでした。彼自身も嘗て時代の最先端を走った前衛作曲家として、ムソルグスキーを敬愛し、その先進性を誰よりも高く評価していたからです
またホヴァーンシチナがピョートル大帝への反乱を描いているという政治的側面も、ソ連体制下では寧ろ好都合なものでした。そうして完成したショスタコーヴィチの補筆完成版は、今ではこの曲の事実上の標準版として扱われています
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
しかし、問題はそのエンディングでした。ショスタコーヴィチ版のエンディングは、現代の研究では恐らくムソルグスキーの意図とは異なるものであったという考えが主流です。なぜこの結末部をショスタコーヴィチが選択したのかは諸説あるものの、どうやらコレは共産主義の考えに従ったものだったらしい
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
やはり話は物騒な方面に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
これ故に、現代の指揮者達は、ホヴァーンシチナの最良の補筆完成版の結尾部が、恐らくはムソルグスキーの本来意図とは異なるものであったというジレンマに苦しめられています
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
現状、結尾部だけ指揮者が別途編曲し直す等の手段で対処しているようですが、この厳しい状態は当分続くと見ていいでしょうね
どう考えても「フランスとロシアの根深い因縁関係」辺りにに世界が巻き込まれてるとしか…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ムソルグスキーさん「え、ロシア文明の原点はキエフ大公国でしょ?」北欧人「そうです、要するにヴァイキング…おっと誰か来た様だ(手記はここで途絶えている)」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ヴィザンチン帝国さん「いいえキエフ大公国はそのヴァイキングと戦ったヴァリャーグの末裔が建てた国ですよ…おっと誰か来た様だ(手記はここで途絶えている)」モンゴル帝国さんとオスマン帝国さん「そしてオレ達の時代が…(手記はここで途絶えている)」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
クラッシック素人なので「展覧会の絵」が「ラヴェル編曲」とセットでしか思い浮かべられないんですよね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ピアノ原曲を聞くことを強くお勧めしますね
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
その正当さかつわかりやすさ、そしてムソルグスキーのスラブ性を存分に楽しめるスヴィアストラフ・リヒテル(ドイツ系ウクライナ生まれのソ連の天才ピアニスト(後に西側に亡命))の演奏が特にいいですね
本来のピアノ曲はもっとおどろおどろしいですよ
英国「わーい、ロシアもバイキングが建てた国仲間」フランス「うちは家臣にしたけどな」。で、今がああなってる訳ですよ。文字通り「史上最大のややこしさ」。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
キエフ/ウクライナとモスクワ/ロシアの対立というのは、要は京都と東京の対立だと誰かが言っていましたね…そりゃあまあ拗れるでしょうなw
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
典型的なのがコンスタンディヌーポリ全地総主教庁が虫の息となりつつある今、正教会の首座総主教となるのはモスクワかコンスタンディヌーボリかという論争が、コンスタンディヌーボリがモスクワから独立したウクライナ正教会を独立正教会として認知してしまった事で一気に表面化した事でしょうね…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ロシアの「とにかくヨーロッパの一部にだけはさせん!! させんぞ!!」なる強い思いの裏側にあるドロドロ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
そう、この分析が以下の「現状のまとめ」には欠けていたのが気になっていたんです。そこで言及されているプーチンの論文からも滲み出てるアレ…https://t.co/WtkJtif1fQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
とは言え、小泉先生は今のTwitter界隈でもトップクラスに物事をバイアスなくクリアに見れてる人だと思いますし(マクロン師匠の言ですが)例え見逃してる部分があっても、僕はそれでも十分素晴らしい分析だと思いますけどねコレは…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
まぁそれには感心しつつも「ロシアの本気は怖いぞ。下手したらロシア人全体が大祖国戦争を再び戦う覚悟を決めてるぞ…」と戦慄してる次第なのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
そして…
今のロシアとウクライナの問題について言えば、ウクライナの西半分は実はロシア語とウクライナ語のバイリンガル…というか文字通りの混合語が話されてる地域なんですよね…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ロシアとベラルーシ、ウクライナの差と言うのは、本質的にはモスクワ大公国とポーランド・リトアニア連合の支配域の差だと…
おっと×西半分→○東半分でしたな…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
そして今ロシアとウクライナの係争地帯になっているクリミアと東ウクライナも、クリミアは元々クリミア汗国でテュルク語地域だし、東ウクライナは「ノヴォロシア」と呼ばれて、元々遊牧民の放牧地だったとこにコサックやらが移民して成立した地域(要は「北海道」)
余談ですが、僕の好きなロシアのYouTubeチャンネル「Life of Boris」のホストBorisがウクライナ語に挑戦してみた時に「みんなロシア語に似てるって聞いたからやってみたけど、語彙が全然違うぞ。これはロシア語って言うよりポーランド語に近い…」って言っていたはずで、正に答え合わせって感じですナ
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
すごい、ロシアには思うより表現の自由があるんだ…まさかポーランドについてそう触れて行方不明にならずに済むなんて思っても見た事がありませんでした(ドイツと違ってガチにロシア征服に成功した事がある国)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ああ…まあロシアには常に「ヨーロッパは我々を野蛮な敵扱いしている」という意識があって、それがロシア内戦と大祖国戦争で完全なパラノイアに陥ってしまってる感があるんですよね…誰も自分達の事は好きじゃない、だからなるべく我々が安全で居られる為の生存圏を確保しなければならないと言う…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
そして大祖国戦争という文字通り民族消滅の危機に立ち向かい、人口ピラミッドが半壊するほどの被害を経て尚も勝利を手にした自信がありますから…生半可な損害では彼らの膝を屈させる事は出来んでしょう。そういう点では、全く国土面積も気候も違いますが、共産ベトナムに近い所があると思います
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
ああ「白人の皮を被ったタタール人」…映画「ブリキの太鼓」でベルリンに到達したソ連兵の姿がもうねぇ…https://t.co/OaX960l76B
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
他のYouTubeチャンネルで「俺はプーチンは嫌いだし統一になんか絶対投票しないぞ」「最近のロシアはどんどん検閲とかが入って息苦しくなってるからクソだわ」とか平然と動画の中で言ってる人居ますけど、彼は今も元気そうに動画投稿してますよ
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
あんだけ政府の要人を馬鹿にする旧ソ連時代製のanekdotがある時点で何となく判ると思うんですが、その彼が言っていたのは「ロシアと言うのは専制的な様に見えて、こういう奇妙な表現への寛容さがある。他の国の人には理解し難いだろうが、こういう風通しの良さがあって、実はとても住みやすいんだ」と
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
なんかわかる気もします。ドストエフスキーとかも、本当に不寛容な文化だったら真っ先に粛清されてたでしょうしねぇ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ベトナムも別に検閲が酷いとかいう話は聞かないですし(寧ろベトナムのオタク絵描きとかは自国語全然喋らずに英語でどんどんインターネット空間で発信してますしね)自分は単純に中国が表現の自由について過剰に神経質過ぎるというか、そこら辺との付き合い方が下手くそ過ぎるんだと思ってます…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
書道界ではちょっと有名な話ですが、明代の狂草と呼ばれる荒れ狂った草書の作品が一斉を風靡したのは、特に明代に頂点を迎えた皇帝独裁による凄まじい粛清と検閲の嵐が多くの知識人達を抑圧した、その鬱屈した感情の爆発なんだと言う話ですね…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
清代には考証学とかもっと学術的な流派が発展しましたが、それでも確か皇帝による大規模な検閲はあったはずですし、中共がどうこうと言うより、中国には古くから権威主義的政府による表現弾圧の歴史があり、中共はただそれを引きずっているだけなのだと自分は思っています…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
そして
素人目で見ていて思うのは、もしもロシアが崩れる時があるとしたら、それは内側からではないか、ということですね。外側からの攻撃には一致団結できても、身内の問題については案外もろいのではないかしら、という気がする。
— HK15 (@hardboiledski45) 2021年12月12日
どうでしょうねぇ。さっき言った「プーチンは嫌い」の彼がロシアの「反体制派」について言っていましたが、要はアレは俺らで言う所のShieldsみたいなもんで、馬鹿な学生以外、大抵の人は冷ややかな目で見てるんだ、と…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
なるほど。個人的にもそんなこったろうと思っていました。ただ、怖いなと思うのは、プーチン以後のロシアがどうなるのか、ということで……よくも悪くもカリスマ的なプーチンだからこそ、ロシアを何とかまとめてこれたところはあるわけで、その重石がなくなったら……
— HK15 (@hardboiledski45) 2021年12月12日
そして、更にアレに「ロシア憎さ」「プーチン憎さ」で欧米のメディアが過剰に肩入れしている事が、体制側の「反体制派は欧米諸国のスパイだ」というプロパガンダを逆説的に証明してしまっており、更に真っ当な人達は誰も彼らを支持しなくなっていく、と…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
プーチンが欧州側に「カミンスキー旅団の末裔」がついてる事に「へぇ欧州じゃナチスの禊はもう済んだのか?」と皮肉を飛ばしてましたが、この件もまた深淵の一つという…https://t.co/NxndA5Powg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ですねぇ。僕はロシアに変革があるとしたら、それは純粋な意味での体制内部からだと思ってます。要はクーデターか何かによる新しいカリスマ的リーダーの誕生ですね
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
…とは言え、プーチンもエリツィンをその様な形で継承したわけで、僕はあんまり心配はしていなかったりしますw
何のかんのといって、ロシアの人々は、これまでにも大きな困難を乗り越えてきた人々の末裔ですからね……
— HK15 (@hardboiledski45) 2021年12月12日
そして…
ここで興味深いのが、どうやらかかる「低俗女性小説のファン層」、自然主義小説「ボヴァリー夫人」や「ダーバヴィル家のテス」はお気に召さなかったらしいという事。そういえば不思議と「ナナ」についての感想は知りません。あれは許された?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
ブラム・ストーカー「ドラキュラ」も「死んじゃう」尻軽女ルーシーと「生き残る」貞女ミナ・ハーカーの峻別が「時代遅れ」と批判されてますね。要するにE.M.フォースター「眺めの良い部屋」D.H.ロレンス「チャタレー夫人の恋人」を経てロマンス小説的ドキドキ三角関係に辿り着く過渡期段階…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
この時代と次のパルプマガジン時代の女性向け小説は、どうやら英米図書館の閉架に大量に眠ったままになっている様です。ぜひ読んでみたい…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
まぁこの分類ではイプセン「人形の家(1879年)」も足切り確定。そして…
すごい
— た -&マリウス (@nagoyawaeeyo) 2021年12月12日
これはいちど金色夜叉を読んでみなきゃ https://t.co/dwqon1lB1I
青空文庫で無料で読めます。私の指摘してる箇所を手取り早くチェックするには「赤樫」「満枝」などで検索を掛ければ良いかと。https://t.co/yNn5XoGOWr
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
部下の寛一にガンガン間接キスとか迫ってくる満枝さん、現代人の感覚だとただのセクハラ…しかも「キラリと光るダイヤの差し歯」なんて見覚えのある表現も…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
まさかの「かえって戦場がむやみやたらと広がってしまった」案件。
子供に対しても決して油断しないプーチン pic.twitter.com/CoiFRqEZDG
— 兎です。(FAKE) (@Soviet_Usako) 2021年12月11日
話題が散らかったついでに追記…
女性作家…ではないのですが、フェミニズム的側面を持った「低俗・ふしだらな女性」を描く小説としては、ショスタコーヴィチのオペラにもなったニコライ・レスコフの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が挙げられると思います
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
あらすじとしては所謂帝政ロシアの「富農」に嫁いだ女性が、家父長的な義父と愛のない夫からの抑圧に反発し、下男と不倫(ですがこの文脈だと「自由恋愛」とも取れる)し、遂には義父と夫を手に掛けるも、その事がバレ、最後は不倫相手にも裏切られ、シベリア流刑の途上で入水自殺するというものです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年12月12日
「シベリア流刑で終わる」の大好き、ロシア文学…
考えてみればこの筋書き、莫言原作の張芸謀監督映画「紅いコーリャン(1987年)」とも重なります。無理矢理障害者に嫁がされた女性が使用人と通じて夫を殺すも、そこに日本軍が侵攻してきて何もかも台無しにしてしまう流れ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
前半の展開は「チャタレー夫人の恋人」や「郵便配達は二度ベルを鳴らす」辺りを意識したんでしょうが、そうやって「不当な手段で得た富」を台無しにする日本兵、実は「伝統社会に暴虐を限りを振るった紅衛兵」の暗喩であり、とんでもない体制批判作品だったという次第。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
もしかしたら、さらに「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の影響も受けている可能性もありますね。いずれにせよ19世紀後半から20世紀前半にかけて世界中に広まった悲劇の物語文法の一バリエーションであるという意味合いにおいては同型です。
中国政府はジャッキー・チェン同様、張芸謀監督を排斥するのでなく体制に取り込む事で安全化する道を選びました。その結果彼の作品はどんどんつまらなくなり、観客からも見放されていったのです。この辺りにソ連/ロシアと中共の格の差みたいなものを感じずにはいられませんね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月12日
これはもう画面的には耽美そのものだった「HERO(英雄、2004年)」の時点でもう、致命的に駄目になってました。これだから中国は…
そんな感じで、以下続報…