「(天動説や地動説といった)パラダイム(Paradigm=ある時代や分野において支配的規範となる物の見方や捉え方)」」と「(唯心論や資本主義といった)イデオロギー(Ideologie=日常生活を包括的に説明する哲学的根拠)」の真の境界線は案外曖昧だったりするんじゃないでしょうか?
イデオロギーとは人間の行動を制限するような考え方を指すが、パラダイムとはその年代ごとの考え方を指すという違いがある。
- イデオロギーとは人間の行動を制限するような考え方を指す。政治的な考え方や、社会的な考え方の思想として使われることが多い言葉である。また集団意識という目には見えない刷込により、人間の行動が自然に制限されていることを解明した人がつけた名前でもある。
- それに対してパラダイムとは、その年代ごとの考え方を指す。つまり世代によって正しいことが変わったり、その時代の政治的状況や金銭的状況により行動の仕方が変わったりするということである。これらは一人の人間が意識することによって変えられるものではない。
もちろんどちらも人の行動心理や考え方などを指す事自体は変わらない。
今回の投稿の出発点はこのTweet.
個人的メモ。とりあえず以前から考えてた「法実証主義」「経済実証主義」「(科学実証主義を部分集合として含む)文化実証主義」の三重構造についてやっと明文化する事が出来ました。https://t.co/ILoY1gYJWs
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月29日
ここでは実証主義は単なる上掲三次元の基底の一時結合というだけでなく(というかそれぞれの評価軸の「直交」の証明は難しく最終的には多様体としての「世界そのもの」に対するそれぞれのアトラスとしてしか規定できないかも)…https://t.co/utPrX9pxQ6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月29日
これらの座標系について刻々と新要素が追加され続ける状況下、なおも全体としての一貫性を保つ努力こそが実証主義(Positivism)の全体像であるという考え方が重要。ただ現段階では「パラダイム」概念と「イデオロギー(日常生活を包括的に説明する哲学的根拠)」の境界線が明らかに出来てません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月29日
そもそも「科学的パラダイム」をより一般化した「文化的パラダイム」とは何?「人間、すなわち私達を何が規定してるの?全ての変化が見掛け上に現れる訳でもないのに?」そんな感じで以下続報… pic.twitter.com/WalzMxPW5R
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月29日
フェミニズム文学史的には「ココロコネクト」における(見た目はボーイッシュだが中身はエロエロの)稲葉姫子が穿った錐の穴を羽川翼と戦国撫子の「化物パワータッグ」が力尽で大穴に拡大した過程こそが重要になってくるという話…https://t.co/urFFGqM8Nt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月29日
- 法実証主義(Legal Positivism)を担保するのは「(国家としての体裁を保つのに十分な火力と機動力を備えた常備軍や警察を中央集権的官僚制による徴税で賄う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)の国際協調体制」
- 経済実証主義(Economical Positivism)を担保するのは「(相応には採算が合ってる)収支構造(Balance Structure)」か「パトロネージュ(Patronage)」。
ならば「(科学実証主義を部分集合として含む)文化実証主義」は何によって担保されるのでしょう? パラダイムそのもの? イデオロギー(日常生活を包括的に説明する哲学的根拠)だとしたら「タフでなければ生き残れない。タフなだけでは生き残る資格がない」という話に発展しそうです。まずはそこからの再スタート…